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第一節 繋ぐ望み

 

「……」

「……消えたな」

「ああ」


 全くの不意に。景色に解けるようにして消え失せた光の跡を見つめながら、二人は話す。


「無事だと良いがな」

「たりめえだろ」


 願い事のようなジェインの呟きに、馬鹿を言うなと言うように返すリゲル。


「黄泉示とフィアだぜ? あの二人で、どうにかなっちまうなんてことがあるかよ?」

「……そうだな」


 ジェインは頷く。


「あの二人なら、そうか」

「お、珍しく反論しねえじゃねえか」

「納得のいくことなら一々口は挟まないさ。お前の普段の発言に、粗が多いだけだ」

「相っ変わらずだなてめえ……」

「そら、来たぞ」


 ジェインの促しにリゲルはその方角を向く。光の壁が塞いでいた通路の先――此方に歩いてくる、重なる足音があった。






「……姿は元に戻せるんだな」

「……はい」


 薄暗い廊下を俺たちは歩いている。繋いだ手を離さないまま、互いの温もりを伝え合うようにして。


「あれも私なんです。私が私のために、切り捨てようとした私……」

「――」


 言葉の途中。見えたその姿に、掌に少し力を込める。俯き気味だった顔を上げるフィア。握り返されたその柔らかな感触を頼りに、二人して前へと進んだ。


「――よっ」


 まずの反応はリゲル。座ったまま片手を上げ、いつも通りの表情で俺たちを迎える。


「蹴りは付いたのかよ。ちゃんと」

「ああ」

「……済みません。二人とも」


 フィアが頭を下げる。繋いでいた手を話し、膝の上で両手を纏めて。


「いやまあ、特に何をされたわけでもねえし、別に謝んなくてもいいんだけどな」

「隠し事があったことを責めるつもりはない。人間秘密の一つや二つくらいあって当前。中で何があったのかを訊くなど、野暮な真似もしないが」


 案の定な反応のリゲルに続いて、ジェインが眼鏡の位置を直す。


「カタストさん」

「……はい」

「君が何者で、どういう意図で蔭水と一緒にいたのか」


 レンズの奥から覗く瞳は、冗談や誤魔化しの一切を赦さないだろう真剣な(はしばみ)(いろ)


「それだけは話して欲しい」

「……分かりました」


 小さく、しっかりと頷く。俺の手を握ることなく、己の身を奮い立たせて。


 フィアは、全てを話し始めた。





「――なるほどな」


 話し終わったところで、リゲルが頷きながら言う。ふむ、と顎を撫でつつ。


「つまりあれだろ? フィアは――」

「幽霊、ということか」

「……はい」

「人の台詞盗んなよジェイン」


 自らの素性を明かしたことに不安気なフィアだが、気にしたような様子は二人にはない。……信じていたように、いつも通りの二人だ。


「クロムウェルの見立てとも一致するな。嘘を言ってはいなかった、か」

「ま、別に幽霊だからどうってことはねえだろ」


 言い切ったリゲルが改めてフィアに視線を移す。


「そう言われて見ても今までとほとんど変わんねえし、いやまあそりゃな? もしなんだ、映画とかに出てくるような、ヤベえ悪霊とかだったらちょっとは違えと思うけどよ」


 うーんと呻りながらまたしてもフィアを眺める。頭のてっぺんからつま先までを二、三度往復する視線に、やや緊張気になっているフィア。


「正直どっからどう見ても人間だしな……黄泉示と一緒にいたいってだけなら理由がねえし、寧ろ応援するぜ?」

「……一応私は、怨霊、って括りにはなるとは思うんですけど……」

「え、マジか?」

「生前に未練を残して死んだわけだからな」


 控えめに口にしたフィアの言葉に、ジェインから付け加えられた解説。……あの光景を目にした俺としては、言われずとも察しの付けられること。


「死霊と言っても良いだろうが。それでも無差別に祟りや災いを引き起こすような怨霊とは違う。単に定義上の問題だ。一般的な霊と違って、カタストさんは肉体を持っているわけだし……それはその、地仙とやらのお蔭なのか?」

「あ、はい。そうだと思います。ヒトとなるべく変わらないように、身体を作ってくれたんだと……」

「そう聞くと益々僕らと同じように思えて来るんだが、何か特別違うような点はあるのか? 壁を擦り抜けられるとか、透明になれるとか……」

「いえ。そういうのは」


 ジェインの発想がおかしかったのか、少し笑う。……そうだ。あの変化を除けば、特には――。


「千切れた腕をくっ付けたりするとかはできますけど」

「え――」

「マジかよ?」


 思わず声を上げた俺とリゲルにはい、と返すフィア。それは……。


「――あとは、呪いが使えます」


 場の驚きの冷めない中で、更に続けて静かに言ったその声と面持ち。


「……レジェンドたちを追い払った手段か」

「はい。今の私の負担になるので、普段は余り使えないんですけど」


 言葉が終わると同時。小柄なその身体の纏う雰囲気が、一気に豹変した。――凍て付くような。


「――」

「うおッ――⁉」

「――っこんな感じです」


 生命の熱を奪われるかのような震え。反射的に身構えた二人の前で、気配を元に戻したフィアが小さく息を吐く。……姿は変わらなかったが、今のはまるで俺に見せたあの時のようだった。


「なるほど。こりゃ確かに怖えな」

「……そうだな」


 なぜか感心したような面持ちでふぃーと息を吐くリゲル。一方でジェインは、咄嗟の動作にずれた眼鏡を直し上げ。


「話してくれてありがとう、カタストさん。――さて」


 転調。フィアから俺たちへと視線を移し、いつもと変わらない平静な声でそう言った。


「――永久の魔が宣言した期日まで、余り時間がない」


 告げられるのは今俺たちが相対しているその問題。……そうだ。フィアの件がひと段落ついた今、本格的にそのことに向かわなければならない。


「猶予は残り五日間だ。正直今の状況では、新たにできることも少ないが――」

「――ジェイン」


 その満を持して。抱いていた考えを、切り出した。


「話があるんだ。俺の刀、終月のことで」


















「――よう」


 不意の来訪者。出来事自体よりもその姿に、葵は反射的な所作で身構える。


「そうビビった顔をすんなよ。なにも、取って食おうってわけじゃねえ」


 ガイゲ。鎧は脱ぎ、現代風の衣服を身に付けてはいるが……滲み出るその気配はどうしようもない。多少なりとも心得のある者であれば、直ぐ様その人物が異質であるということが分かるだろう。修練を積んでいるならば更に、自分とどれだけの差があるのかも。


「ヴェイグからも謹慎を喰らっちまったし、暫くは大人しくしてる予定でな。此処に来たのは単なる気晴らしさ」


 やれやれと言ったように首を竦め。そこから一転して、鋭い眼差しを向けた。


「――あの女とガキ。何者だ?」

「――」


 全く予期しない問いの内容に、一瞬葵の思考が止められる。……女と、ガキ?


「……知らねえのか。残った連中の中じゃ格上だと聞いてたが、それでそうとは大したもんだな」


 心当たりがない――その思いを表情の機微から読み取ってか、皮肉交じりと思しき溜め息を大仰に吐いてみせるガイゲ。……表現から察しても候補が多過ぎる。考えたならもう少し絞り込むことはできるかもしれないが、今はそれよりも。


「……彼らと戦ったのですか?」


 ――あのヴェイグの発言が本当ならば、多少の会話程度で殺されるようなことはないはずだ。


 それだけを拠り所にして葵は問うた。心眼を使うにはリスクが大きい。自身のその能力は既に敵方に割れており、このレジェンドであればレジストを備えていることは当然だろうと葵は推測する。仮に使用を見抜かれた場合には相手にこちらを脅威と判じたと言う口実を与えることにもなり兼ねない。


 ただそれでも。敵方の用意した環境に閉じ込められた身の上である以上、今は何よりも外で起こっていることの情報が欲しかった。


「……おいおい」


 気の抜けたような声。


「――誰も、てめえの質問なんざ許してねえんだが?」


 緩み掛けた機を突く殺気。怯んだ一瞬、襟元を捻じり上げるよう強引に掴み寄せられた。


「ッ――」

「ヴェイグの話でも真に受けたか? 生憎俺たちは、なにからなにまであいつに従ってるってわけじゃねえ」


 近場でのこれ以上ないほどに明確な、荒々しいその重圧に思わず全霊で抵抗しそうになる。……逃げ場などない。ここで狼狽えてみせたのならば付け入る隙として格好の無様を晒すことになると、そのことを自身に強く言い聞かせる。


「あいつの甘いやり口は正直好みじゃないところも多いんでな。俺好みのやり方で口を割らせるって手も、充分ありだ」


 それが分かっていてもなお恐ろしい。身体の上を這い回り舐るような目付き。覚えさせられた悍ましい危険に、思わず身が縮こまる――。


「そっちの方で嬲ってやってもいいんだぜ? 女なんざ生前飽きるほど抱いたが、今のとなりゃまた違った味があんだろ」


 下卑た発言と共に……嗜虐的な笑いを浮かべた顔が近付いてくる。彼我の身長差は傍目から見て思っていた以上に大きく、それだけにガイゲのその振る舞いは葵の想像より威圧感があった。突き付けられる力の差に否応なく竦みそうになる身体。比喩ではなく。大型の肉食獣と鼻先を突き合わせているようなものであるが故に。


「言い分なんぞ後でどうにでもなる。ここでテメエを嬲って殺しても、俺の側にリスクはないってことだ。情報を訊き出す役如きにも立たねえんじゃなあ?」


 ――可能性があるとすれば、あの呪文だ。


 蔭水黄泉示がエリティスから教わった、対アイリーン戦の要。そしてアイリーンからの分離を経ている以上、フィア・カタストにも何かしらの変化が起こっている可能性は高い。――と。


 今頃になって冷静に候補を絞り込み始めたその思考が、葵にとっては偏に余計でしかなかった。告げられているのは明確な脅し。この情報を口にしたならば、今置かれているこの状態からはひとまず脱することができるのかもしれない。


「……っ」


 ……それでも。


 目の前にいるのが獣ではなく、人間である限り。彼らが今なお戦っている限り、ここで安易に逃げる手を打つことは、櫻御門葵には憚られた。……永遠にも思えた幾秒ののち。


「……チッ」


 唾を飛ばすような舌打ち。一瞬だけ軽く引き寄せられ、次の瞬間にベッドの上へ乱暴に投げ出される。


「本当に知らねえのかよ。てめえ、それでも上に立ってた人間か?」


 胸元、乱れた衣服を整える。苛立ちを伴った皮肉でさえも、今の葵には安堵を伴って耳に響いていた。冷めた目付きに急速に理解するのは、ガイゲの興味が自らから失われたというその事態。


「わざわざ足まで運んで損したぜ。時間の無駄だったな」


 煽るように悪態を吐いて歩いて行く後ろ姿。素知らぬふりをしてそれを見送ろうとしたそのときに。


「っ……」

「――そうだ」


 自身の目元に、零れ落ちかけた涙が浮かんでいるのに葵は気付いた。その雫を拭う間もなく――。


「さっきの質問、答えといてやるよ」


 振り返ったガイゲ。最高の台詞を思い付いたというように、鋭いその双眸でにやけてみせる。


「安心しろ。全員は死んじゃいねえさ。見事なもんだ」


 厭わしい大仰な手振り。


「まだ何人かは生き残ってる。まあ、それも直に蹴りが付くがな」


 浮かぶ嗤いが、そこで最高潮に達した。


「『永久の魔』が奴らの相手をする」


 聞こえてきた言葉は、死刑の宣告にも等しく。


「五日後だ。分かるよな? つまりお前らは、これで終わりってことだ」


 それだけを告げてガイゲは意気揚々と部屋を去っていく。けたたましい音を立てて扉が閉められたあとに。葵の胸中には、下卑た笑みを浮かべたガイゲの顔だけが残った。



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