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第二十九節 悲愛

 


 ――私は、一人だった。


 お母さんもお父さんも、同じ年の子も、年下の子どもも、年上の人も。


 皆が皆、一様に私を遠ざけた。


 何を喋っても聞いてくれない。何をしても見てくれない。


 ――いない者として扱われる。


 そんな日々がまだまともだったのかもしれないと思えるような時が来るとは、あの頃は思いもしていなかった。


 ――あの日。私の村で、今までにないような飢饉が起こった日。


 家畜は死に、作物は萎え、草木は枯れ果てた。


 そんな状況の中で、誰かが言ったのだ。


 ――神に祈願を――と。


 でも神様だって、ただでお願いを聞いてはくれない。


 願いを叶えるためには犠牲が――祈るためには、供物が必要だった。


 家畜さえ死に絶えてしまった中で、何を供物として捧げればいいのだろう?


 彼らがとある考えに至った時、そんな疑問は驚くほど呆気なく解けてしまったのだ。


 ――殺すしかなかった。


 彼らは私を、殺そうとしてきたから。


 私が死なない為には――生き延びる為には、もう、殺す他に手立てはなかったのだ。


 ――でも。


 でも、私も彼らと同じだ。


 自分の為に誰かを犠牲にした。生きるという、ただそれだけのことの為に。


 おかしくて涙も出なかった。


 誰の声かも分からないような、乾いた笑い声だけが響いた。


 ――こんなことの為に、私は生まれてきたのだろうか。


 周りの人々を皆殺しにしてまで。自分一人で、生きる為に――。


 ――違う。


 違う。


 違う。違う。違う。


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う――。


 私が願っていたのは、ただ――。


 ――あの日血で紅く染まった景色の中で、私は祈った。


 ――愛して欲しい。


 ――こんな私でも、愛せる人が欲しい。


 その人と愛し愛されて、温かい気持ちの中で――幸せの内側で、生を終えたい。


 その為にも、私はまだ死ねない。




 ――生き続けた。


 泥を啜り、草の根を噛み千切り。


 皮膚が裂け、腕が折れ、傷口に蛆が湧き、顔が爛れ。


 数多の人を殺し、化け物と罵られようとも――。


 ――ある日私は、耳にした。


 ――山脈の奥深くに住むという、齢千年を数えた地仙。


 土地の者が誰一人恐れて近付かないその庵に住むというその仙人は、あらゆる願いを叶える力を持っているのだという――。


 ただの迷信かもしれない。人々の願望が作り上げたような、ただの伝説かもしれない。


 それでも私にはもう、それしか縋るモノが残っていなかった。


 飢えも、乾きも、身と心を苛む全ての苦痛も。


 ただ朧気なその希望に全てを託して、人の通らぬ獣道を這い続けた。


 そして私は遂に、私の願いを叶えてくれる存在と出会った――。


 五日の間山中を彷徨い歩いた挙句、庵を見付けられずに力尽き、斃れ伏した私。


 霞む視線が向いた地面。その先に黒い影が映り込む。


〝――何の用?〟


 その人影は訊いた。私は一言も話していないのに、私が彼女を求めてきたことを読み取られていた。


 ――この人が――。


 それを確信した瞬間、胸を突く希望が絶望を上回ったのを覚えている。


 潰れ掛けた喉を動かし、消えかけた声を振り絞って、私は言った。


 ――変えて下さい。


 変えて下さい。この身も、心も、身体も、何もかも。


 (アイ)されることのない、全て(わたしそのもの)を――。


 ――私が求め続けたもの。


 言葉だけは知っていたもの。愛し愛される人を得るために、何が必要かは分かっていた。


 ずっとずっと誰からも忌み嫌われ続けたのを振り返って見れば、嫌でも気付く。


 愛されるのには理由が要るのだ。


 だから私は、愛されるようになろう。


 思わず見惚れるように美しく、思わず恋するほどに清純で、思わず抱きしめたくなるくらい可愛らしい。


 私の肉の内側に入り込み、臓腑に絡み付くものを全て捨てて。新しく私自身をやり直す。


 ――愛されるのに相応しい、愛されないことの無い私に。


 そうすれば、きっと誰かが愛してくれる。一人くらい、愛してくれる人がいる。


 そして私はその人と――。


〝……〟


 ――永遠にも思えた沈黙の後。


〝……分かったわ〟


 目の前の影は、確かにそう言ってくれた。初めて掛けられたその言葉が、どれだけ嬉しかったことか。










「――誰も助けてくれませんでした。誰も愛してくれませんでした」


 現。いつの間にか戻って来ていた俺の耳に、声が届く。暗いあの声。


「私はいつも、独り……」


 血に塗れた床板を踏んで。……離れていたその身体が、近付いてくる。怨讐を込めて響くその声は、確かにフィアで。


「……殺されない為にたくさんの人を手に掛けて。殺したくないのに殺して」


 眼前に手が迫る。こそげ落ちた肉の間から白い骨の覗いた、骨ばった細い指先――。


「そうまでして生を求めたのに。……私は結局、死んでいました」


 触れる。そう思った直後、静かに迫り切った身体に添えるようにしな垂れかかられた。熱を奪うその氷のような冷たさが、弾力ないぐにゃりとした、生気のない柔らかさが。


「幸せになりたいと思うのは、そんなにいけないことですか?」


 只々気味悪く、恐ろしい。息が、心臓が止まってしまいそうなほど震えている。


「誰かと共にいたいと。愛し愛される人にいて欲しいと願うのは、そんなに悪い事なのでしょうか?」


 囁きながらゆっくりと、顔を離した。……フィアが。


「私が幸せになることは……こんなにも、赦されないことなのですか?」


 血を流しながら俺を見つめる、その瞳から、目が離せない。深い紫に、底抜けの虚のような黒……。


「私を愛してくれませんか? 黄泉示さん」


 唐突な問いかけ。


「ずっとでなくていいんですよ。今までと同じような振りをして、私と話して、私の前にいてくれさえいれば」


 それも震えを和らげるには至らない。血の気のない顔で。蒼褪めた唇で、泣き笑いのような表情を浮かべる。


「それが哀れみでもいいです。一夜限りの夢でもいいです」


 再びもたれかかってきた身体は冷たく。グチャリと首筋に触れたナニかの感触が、酷く悍ましい。


「ただ傍にいて……愛していると、言って下さい」


 近付いた唇に耳元で囁かれる。地の底から沸き上がるような紛れもない死者の響き。息が掛からないことに気付いたのは、声の伴う寒気が指先までを浸した後だった。


「私はあなたを愛し続けます。誰よりも強く思い続けます」


 濡れそぼっていた髪が視界を覆い、頬に貼り付く。……だが。


「それだけで――」


 そこには同時に、縋るような何かが込められているようにも見えた。


 首筋を濡らすこの感触は、血か、涙か。


 ――俺は――――。


「――っ!」

「……あっ」


 小さな背に伸ばした腕を回す。寄り掛かっているその身体を、自力で強く寄せて抱き締める。


 掻き抱いた冷たさに、少しでも温もりを伝えられるよう――。


「……」


 ……力なく触れ合うフィアは、俺の挙動に少し戸惑うように身じろぎをしたが。


 そのまま静かに。身体を預けたまま、拒まないでいてくれた。


「……俺は」


 決意。選び取った内心を確かめながら、口にする。


「……フィアを、恐いと思った」

「……はい」

「逃げたいと思った。……怒りでいっぱいになった。殺される、フィアを見たときに」

「……はい」

「……俺は……」


 ――どうするのか。そのことを、明確に告げる。


「フィアと、一緒にいたい」


 頬を離し。血の交じる涙に濡れた瞳を見つめ。


「――愛している」


 僅かの躊躇いも混ざらぬよう、ただ偏にそう伝えた。


「俺と一緒にいて欲しい。――フィア」

「……」


 打ち明けた思いの丈。開かれた虚ろな眼に灯る光の揺らぎと共に、空けられた暫しの間をじっと待つ。……一心に。


「……黄泉示さん」


 震える声で俺が呼ばれる。静かに背中へと回された腕。未だ変わることなく冷たくて悍ましい、紛れもなく生者でないその感触に。


「……よろしく、お願いします」


 抱き締められた。寄せあう身体を血と涙とが濡らしていく。華奢な力のこもるその身体は、それでも前よりもほんの少しだけ。


 ――温かかいように、感じられていた。














「……」


 永久の魔は佇んでいる。瞑目し、剣を正面に突き立てたまま。


「……」


 永久の魔は待っている。やがて来る戦いのとき。一つの答えを出せるだろう、そのときを――。



この節で十二章は終わりです。次節から第十三章に入ります。

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