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第二十八節 カミツクリ

 

「――ッ……⁉」


 ――一瞬。


 自分がどこにいるか分からず理解が混乱する。……先ほどまでとは似ても似つかない。一切の見覚えのない、ここは。


「……」


 ……村?


 見渡す目に真っ先に入るのは石で造られた素朴な家々。青空から強く照り付ける日差しの下、どこか古めかしい衣服を纏った人々が作物や甕を手に歩いていく。


 その中に。


「……!」


 いる一人の少女が、目に留まった。……あれは。


「待って……」


 周囲の人間に向けて呼び掛けている少女。粗末な貫頭衣を身に纏い、地に着いている足は素足。乱れた長い焦げ茶色の髪に、黒い眼をしたその少女が、なぜかやけに気に掛かり。


 ――直ぐに、その違和感に気が付いた。


「待って下さい……っ」


 先ほどから少女は必死に周囲の人間に声を掛けている。だというのに、誰も足を止めないのだ。……見向きもしない。少女は確かにそこにいて、声を上げているはずなのに。


「待って――!」


 誰一人少女には反応しない。痛切な思いの込められた訴える声。耳を震わせる少女の声に、思わず足を踏み出しそうになったとき。


 蝋細工でできた風景が溶けるように。不意に、目に映る景色が途切れた。


「ッ⁉」


 成形の過程を見せられているようなグニャリとした変化から現れるのは、別の場面。……家の中。父、母、老人、二人の子ども。家族が食事をしている団欒の景色、そこに。


「……!」


 あの少女が入ってくる。空腹なのか、頻りに鳴るお腹を押さえ、どこか物欲しそうな眼で食卓を見ている。


「――あ、あの!」


 決心して声を掛けた。それでも誰も彼も、食事の動作が滞ることはない。


「……ご、ご飯を分けて頂いてもいいですか? このところなにも食べてなくて、その……」


 返事はない。咳払いや目線の一つさえなかった。その間にも重ねて鳴る腹に耐えられなくなったのか。


「い、いただきます」


 談笑が続くその脇で。手を伸ばし、どこからか持ってきたと思しき草の葉にご飯を盛り付けていく。遠慮しているかのようにおかずは取らず、量も僅かだけ。


「……分けていただいて、ありがとう、ございました」


 頭を下げる。その仕草にも当然の如く、応えは返っては来ない。家族は少女が其処にいないかのように、ただ会話と食事を続けている。


「……っ」


 その景色から逃げるように背を向けて。少女は、その家を出て行った――。


「ッ――」


 視界が溶け、揺らぐような感覚。また場面が切り替わり。


「う、うう……」

「ッ!」


 真っ先に目に入るあの少女。高台から足を滑らせたのか、背中を泥だらけにして脚を押さえている仕草。膝に滲む血がやけに鮮やかな色に見える。その光景に。


「おいッ‼ ……っ!」


 駆け寄り手を差し伸ばして、そこで漸く気付かされた。……伸ばした手の先の感触がない。指はただ、少女の身体を擦り抜けるだけ。


「……」


 ……これは映像だ。


 俺は見せられているだけの立場。その内容にまで、干渉することはできない……。


「……う……っ」


 ――そうなのだと分かっていても、歯痒かった。


 痛みに身体を震えさせながら。なんとか起き上がろうとする目の前の少女に、手を差し伸べることさえできない。……不甲斐なかった。自分の無力を噛み締めるということが、こんなにも。


 痛みに口を結びながら苦闘する少女の傍らを、村人と思しき何人かの人間が通り過ぎていく。農作業を終えた帰りと思しき男性。家族で水を汲んできたような親子。覚束ない足取りの老人に、はしゃいで遊んでいる子ども……。


 その中の誰一人。傷付き斃れている少女に目もくれはしない。俺と違って、手を伸ばせば助けられる場所にいるはずなのに。遣る方ない思いを覚える中で、また新たに、一組の男女が――。


「――お父さん!」


 ――え?


「お母さん! 待って!」


 誰が通り過ぎようとも頑なにそれまで無反応だった、少女が初めて手を伸ばす。二人はその声には反応せず、自分たちの行く先に視線を固定したまま歩き続けていく。


「お母さん――!」


 少女が立ち上がる。痛みも傷も厭わずに走り寄り、縋り付くように女性の方に抱き付いた。


「あっ――!」

「……っ⁉」


 ――止まらない。


 驚愕する俺の前で。女性は顔色一つ変えず、そこに誰もいないかのように平然と歩き続けていく。敢えて振り払うことも、助け上げることもしないまま――。


「……っ! お母さ……あっ⁉」


 少女と大人とでは歩幅が違う。縋りながらもその動きに着いていけなくなった少女が振り落とされる。地面を引き摺られながらも懸命に掴んだ服の裾は、女性が四、五歩ほど歩く頃には既に手放されてしまっていた。


「……お父さん、お母さん……」


 二人はそのままの歩調で歩いていき、道の先へと消える。一度たりとも振り向かないまま。


「……」


 ……なんなんだ? これは。


 暗雲たる思いが俺の胸の内を占める。思わず握り締めた掌に、喰い込む爪の痛み。


「……」


 その場に誰もいなくなって暫くしてから、少女はゆっくりと立ち上がる。傷を負い、泥だらけになったまま、夢遊病者のような足取りでポツポツと。どこかへ歩いて行った……。


「――」


 三度目の転換ともなると、既にある種の用意ができていた。


「……」


 出来上がった景色の中で探し求める。……いた。物陰に屈んで隠れている少女。注意し、なにかを聞いているようだ。


「――しかし」


 若い男の声。


「儀式は進んでいるのですか? お言葉ではありますが、兆候がないので何とも――」

「無論じゃ」


 答える声は老人。歳を経てしわがれたその響き。


「生まれ落ちたときより呪を刻んだあれは、いずれ我らの神になる器。守り神さえいればこの村は病にも飢饉にも襲われることはなく、永劫に栄え続ける」


 ……神?


「未だ人の世にある器を神にするためには、人の世から器の場所を奪わねばならぬ」


 その口調は重々しく、厳めしい。まるでそうなることを、本当に信じているかのように。


「人としての居場所を失い、器がそれを受け入れたとき。儀式は終わり、この村の守り神が生まれるのじゃ」

「……あとどれくらいの時間が掛かるのでしょか」

「さてな。遅くとも二、三年のうちには成果が出よう。間違って声を掛ける輩が出んように、注意を徹底せんとな」


 静寂。空けられる少しの間。


「感ずるな。器は、人ではない」


 やや少し硬くなった語調で、再度老人の声が届いた。


「一人でも裏切る者が出れば儀式は崩れることを忘れるな。それが、この村のためにもなるのじゃぞ」

「……はい」

「やり直しはまた新しい犠牲を生む。一度きりで終わらせることが、あれの慰めにもなろう」


 二人が離れる。話を聞き終えた、少女は。


「……っ」


 決意したような顔で、どこかへと走り出した。





 ――それから見せられた情景は、どれも胸がムカつくほど変わらなかった。


「……」


 自分は意図的に無視されている。それを理解していながらも、それでも懸命に、少女は居場所を作ろうとしていた。


「……お水、ここに置いておきます」


 水汲みをする集団についていってそれを手伝う。置かれた水瓶は、蹴り飛ばされて空になった。


「お話、しませんか? この間……」


 人の集まるところに行って声を掛ける。誰も、ただの一人も耳を貸さない。


「……ありがとうございます。美味しかったです。この間のお料理……」


 少女は懸命に声を掛ける。人前では笑みを絶やさず、どうにかして自分のいることを認められようとしている。


 ……辛い。


 上手く行くわけがない。少女は独りで、幼く、余りに無力だ。見ているだけの側でもそれが分かるのに。


 ……止めろ。


 努めて笑顔を作っている。なんとか居場所を作ろうとして、無理をしているのが傍目にも分かる。それでもその度に自分を奮い立たせている様が、痛々しい。


 ……止めてくれ。


 どんなに頑張ったとしても、無駄なんだ。


 初めから見ているものが違う。見据えていることが違う。


 こいつらは、お前の事を――‼


 拳の中で握り締められた爪の痛みに気が付いたとき。


「――」


 不意にまた、場面が替わった。


「……」


 ……酷い雨だ。


 目の先が見えないほどの豪雨。……畑が水で埋められている。水草のように浮いているのは、以前畑に植わっていた作物だろうか?


 珍しく人気のない光景に、つい首を回して少女を探す。人が集まっている一角を見付け、そこに近付いた。


「……」


 いた。切り立つ崖の前。何十人もの村人が集まっているその中心に、あの少女が。降り注ぐ驟雨に髪は濡れそぼり、服と共に肌に張り付いている。だが俺の注意を引いたのは、そこではない。


 ――見ているのだ。


 男が、女が。子どもが、青年が、老人が。あれだけ徹底して無視していたのが嘘であるかのように、全員が全員、少女へ眼差しを注いでいる。打って変わって――。


「あ……!」


 ……どうしてだ?


 少女の表情を彩るのは生き生きとした驚きと、続いて湧き立ったと思しき嬉しさの色。それを目にしながらも心は晴れることがない。急変した態度に対し、拭い去れない違和感が募ってきている。


「あ、あの……!」


 勇気を出してか、自分から一歩近付いた少女が話しかける。そこで、もう一つの違和感に気が付いた。


「……」


 会話がないのだ。人々の間からは声が出ていない。話し掛けた少女の声に対しても、無言。反応を見せずただ少女を見つめている様は、言いようのない不安でしかなく。


「……?」


 その対応を不思議に思ったのか。少女が更にもう一歩、人々の輪に近付いた。


「――っ⁉」


 ビクリと震える。そこまで来たところで、俺にも漸く理解することができる。遠目では驟雨に紛れて見えなかった彼らの目。……じっと少女に合わせられた、人々の、目は。


 これ以上ないほどの。粘つくような、害意に満ちていた。


「……え」


 当惑して身を引く少女を余所に。人垣の中から道具を持った男たちが歩み出る。手にしているのは鍬、鋤、鎌。生業の為に曇りなく研かれていただろうそれらは雨に濡れ、今では全く別の意味を帯びている。


「なんで……、どうして……?」


 譫言のように呟きながら少女が下がる、その分だけ男たちが前に進む。人と岩とに囲まれているその垣根の内に、逃げ場はない。


「や、やめて……やめて下さい」


 後ずさりする背中が岩に当たる。少女はもう下がれない。それでも男たちは止まらずに、じりじりと距離を詰めてきている。一歩ずつ、一歩ずつ――。


「やめて下さい。やめて……」


 少女は呟くことしかできない。迫る男たちはもう目の前だ。その中の一人が唐突に、天を衝くように道具を振り上げ――


「――やめてぇッッ‼」


 グシャッ


 ……振り下ろされた刃の先から、鈍い音がした。


 ゴッ バキッ ザクッ


 執拗に肉を潰し、頭蓋を叩き割る音。骨を踏み砕く音。皮膚を裂き開く音。


 ゴッ ゴッ パキ パキッ グチャ


 何度も何度も。雨に掻き消されていく悲鳴が、耳と脳裏にこびり付いて取れなくなるまで。


「――」


 ……なんだ? これは。


 目の前の光景から目が離せない。どれだけ背けようとしてみても俺の目は、景色に塗り固められてしまったかのように、その光景から離れてはくれない。


 なんなんだ? これは。


「……なんで」


 思わず動いた唇がその言葉を口にする。……なんで。


 なんで、こんなことが。


「……ふざ、けんな」


 目の前からなおも響く音。無言のうちに肯定し、ただ見守る人々に向けた、声が戦慄く。


「ふざけんな……ふざけるなッ‼」


 自分たちの為に利用した。


 その痛みも、苦しみも、悲しみも見ずに、都合よくモノとして扱って、それで。


 最後はまた自分たちの為に、グチャグチャに踏み躙るのか?


 ――どうしてこんなことができる?


「ふざけんなよ、ふざけんなッッ‼」


 心臓から全身に回る血液。手を止めない奴らを力の限り殴り飛ばすために、地を蹴った。


 ――瞬間。


「っ⁉」


 景色が止まる。走りながら思い切り引き絞っていた、拳は届かないまま。


「……私は」


 景色が崩れる。その泥の中から。


「私は……まだ」


 響いてくる少女の声。現実なのか、映像なのか、幻なのか。


「死ねない――」


 怨恨の籠る響きと共に、ごちゃ混ぜの叫びと、何かが飛び散るような赤が散った。



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