第二十六節 調査
――翌日。
「……」
朝になってもフィアは目覚めなかった。……朝と言っても起きたのは昼近くだったが。立慧さんも向かいの部屋で同じくベッドに横たわったまま。微かな吐息の音だけが、二人が生きていることを教えてくれている。
「……」
俺自身はと言えば、一晩寝て休んだことでどうにか立って動ける程度には回復していた。まだ無理はできないが、自力で歩いて立慧さんの様子を見に行くことくらいならできる。それ以外に昨日から変わったことは――。
「……フィアが?」
「ああ」
運ばれてきた食事をむちゃむちゃと喰いながら。訊いてくるリゲルに答え返す。
「見間違いじゃねえのか? 流石にそりゃ……」
「郭がそう言ったんだ。……信じられないけど、信じるしかない」
リゲルが目を覚ましたのは午後で、俺よりも更に遅かった。それでも目を覚ますと直ぐに腹が減ったと言い、こうして豪快に食事をとっている。……流石の回復力だ。大口で一気に半分ほどを齧られるトマト。覇気のあるその雰囲気が、今は本当にありがたい。
「黄泉示はなんも見てなかったのか? そのとき」
「……ああ。俺は気絶してて……」
倒れてしまっていた自分が情けない。この眼で確かめてさえいれば、もっとはっきり決断することもできるだろうに――。
「――」
調べ物があると言っていたジェインが入って来る。リゲルを見て、一瞬、足を止め。
「起きたのか。相変わらずタフだな」
「まあな。こんな時に寝てばっかいられねえだろ」
「……そうだな」
一息を吐き、リゲルと俺の間のベッドに移された視線。
「……郭はまだ目を覚まさないのか」
「……ああ」
「……」
――そう。
昨日は俺たちと話していた郭だったが、今日になってからはまだ一度も起きてきてはいない。治癒師の説明によれば、元々重傷の上に戦闘行為まで行った郭は俺たちよりも衰弱が激しかったらしく、あれだけ話していた昨日の方が異常だったのだそうだ。……無表情な寝顔を目に思い出されるのは、最後に見せていた言葉の激しさ。だから、あれだけ……。
「できれば起きていて欲しかったんだが、仕方がないな。――カタストさんのことについてだが」
「――」
来た。視線を引き戻すと共に、そんな感覚に見舞われる。
「郭が昨日言っていた通り、レジェンドを退ける時点であの力は尋常のものじゃない。……早めに手を打った方が良い。手遅れにならないうちに」
「手を打つったって、どうすんだよ?」
空になった食器を台に置きつつリゲルが訊く。
「フィアが普通じゃねえっつっても、起きねえんじゃどうしようも――」
「――カタストさんには間違いなく何かある。蔭水に昨日言ったように」
「……」
分かっている。考えてみれば否定の仕様がない。そのことは、俺も――。
「だから調べよう」
沈む意識を引き上げたのは、次にジェインの言った言葉。
「何もなければそれでいい。だが、何かあるのならそれには対処しておく必要がある。僕たちが先に進む為には、調べが必要だ」
「だから――」
「……どうやって」
リゲルと揃って訊いた俺に、意外にもジェインがフッと笑んだ。悪巧みをするような顔で。
「簡単な話さ。――奴を使うんだ」
「――それで、私を呼んで来たわけか」
治癒師の手を借りて別室に移動した。俺たちの目の前にいるのは、アデル。『アポカリプスの眼』の元一員。
「聖戦の義では慣行として、異形に対する秘跡も教えているはずだ」
「……そんなことまで調べたのか?」
ジェインは答えない。暫くの沈黙の後、アデルが視線をフィアに移した。
「私が調べを装って、この娘に何かするとは思わないのか?」
「そうならないために僕たちがいる」
「言っとくが、下手な真似すっと――」
拳を構えて見せるリゲル。同時に終月に手を掛けるのは無言の脅し。この距離ならば、例え負傷の身であっても。
「……ふ」
そんな俺たちをアデルは口先で笑い。
「――まあいい。今し方聞いた話が本当ならば、私もこの娘の正体には興味があるからな」
フィアへと差し戻した視線は、舐めるようなものに変わっている。……如何ともし難く覚える嫌悪感。
「あのレジェンドたちを退けるほどの力……中々に面白そうだ。蛇が出てきてくれれば儲け物か」
それを押し留める俺の前で、アデルが姿勢を正した。
「――始めるぞ」
………
……
…
「……」
――五分。調べに入ってからそれだけの時間が経った。アデルが一節を唱える度、フィアの身体の周りで小さな光が飛び、時に明滅して消える。
「――支部長はどうなっている?」
集中。目の前の光景に意識を動員している最中に飛ばされた声。……立慧さんの事か。
「まだ眠っている。目が覚める様子はない」
「……そうか」
ジェインの答えに相槌を打ち、それからまた黙って作業を続けていく。……無言のまま十分近くが経過し。
「……どうなんだよ」
しびれを切らしたようなリゲルが、食って掛かるような口調で問い掛けた。
「今のところ何もない。至って普通の人間だ」
言いつつアデルは更に幾つかの詠唱を重ねていく。その度に、フィアの身体の上で柔らかな燐光が輪になり、重なり合うようにして揺れ動き。
「……」
「……どうした?」
魔力の動きが消えるのと共に消滅する光。そのまま暫し停滞したままのアデルを見て、声を掛ける。
「……粗方の調べは終えたのでな。次はどうしようかと考えていた……」
言いつつ早くも決めたように指が動いていく。規則性を持っていたこれまでとは、どこか違う動き。
「昔、知り合いから教わったものだ。通常の調べには掛からない特殊な例を探知できる――」
光の粒が描くのは一際複雑な文様。先ほどまでよりも素早く、不規則に随所で明滅を繰り返し。
「――」
一斉に静止した。これまでにない変化を見たアデルの眼が、僅かに細くなる。
「――当たりだな」
強く叩かれたように。大きく一度跳ねた、心臓。
「……フィアは」
「異常に上手く偽装している。が、人ではない」
震える喉奥からなんとかそれだけを絞り出した――声に、アデルが答える。……人間じゃない? 脳裏に木霊するのは昨日の郭の台詞。まさか……。
「……マジかよ」
「具体的になんだか分かるか?」
心の準備ができないまま、ジェインがそのことを訊いてしまった。
「大凡はな。これは――」
息を呑む。決めざるを得なくなったなけなしの覚悟を動員して、アデルの言葉に耳を傾けようとしたそのとき。
「――」
フィアの眼が見開く。紫翠色をしたその瞳に、意識を奪われた瞬間。
眩い光。世界を覆う白が、周囲の光景を隔絶した。
「――なんだよこりゃ」
白い隔壁。現われたそれを、リゲルは目を覆う腕を外しながら見つめる。
「……光の壁」
静かに発光している。注意深くその様を観察するジェイン。触れようと手を僅かに伸ばしてみて、考え直したように引き戻す。
「……カタストさんの固有魔術か」
記憶から該当する事象を探り当てる。かつて見たときと変わらぬ柔らかな光。だが前提の覆された今となっては、仄かなその光はどこか不気味にも思えた。……幽明を隔てている門のような。
「――カタストさんの正体は?」
「霊だ」
問うたジェインに対し、アデルからの解答は明快かつ端的。
「怨霊か、死霊の類。恐らくは後者だろうな。あの手の手合いは生前未練があったものに執着する」
「……フィアは、もう死んでるってのか?」
「さあな。生霊という形もある。そこまでは私の知るところではない」
そこまでを淀みなく答えて。白き壁を前にした聖職衣が踵を返す。
「――私は戻るとするか」
「どこにだよ」
「無論、独房にだ。この支部にもあるだろう」
それが当然かのように歩いていくアデル。その動きを止める術を、今のリゲルもジェインも持たない。
「お前たちの御守をしていたら疲れたのでな。精々今夜は、ゆっくりと眠らせてもらうとしよう」
出口に足を掛け。去り際に振り返った、アデルが静かに告げた。
「――余り私に、頼り過ぎるな」
足音と共にアデルが去っていく。室内に残された二人。目の前に広がっているその壁を、ただ見つめていた。
「……っ」
治まる明るさを瞼に感じて、眼を開ける。……先ほどまでと変わらない部屋の内装。ベッドにいたはずのフィアの姿が、ない。そして。
「……」
――白い。向く先を遮っている光の壁に、覚えがあった。
……フィアの、固有魔術に似ている。
その輝きは前よりずっと儚げだが。……似ているのではなく、同じなのだろう。
「……」
先ほどまでいたはずの場所は朧気な光を放つその向こうへと追い遣られている。顔を近づけてみても、なにも見えないし、聞こえない。……ジェインたちとの合流はできない。そのことを端的な事実として理解した。
「――」
ふと、首筋に寒気を感じた気がして振り返る。……フィアの姿はない。光の届かない先に、口を開けたような暗い夜の闇だけが続いていて。
「……」
――フィアを、探さなければ。
直感に突き動かされる形で。俺は、一歩を踏み出した。




