表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
362/415

第二十三節 想定の外

 

 ――何が起こってやがる?


 まず初めに考えたのはそのことだった。……目の前にいる小娘。ただのガキだったはずのその気配が、今異様なほど変化している。優し気で、どこか気弱ささえ感じさせていたような雰囲気はどこにもなく――。


 あるのはただ、言いようのない禍々しさ。華奢な肢体からヒシヒシと伝えられてくる幽鬼の如きその気配は、先ほどまで神聖の魔力を操っていた人物と同じとはとても思えない。


 ……この殺気、ただのガキに出せるものじゃねえ。


 極めて慎重に少女の一挙一動へ眼を配りつつ、ガイゲは判断する。……生前に相対した異教の兵士たち。教義のため、自らの信ずるもののため、神の敵を滅ぼそうと命懸けで立ち向かってきた彼ら。


 この少女の放つ気配と殺気は、それらと比較してなお比べものにならないほど暗く、重い。


「……ガイゲ」

「ああ、分かってる」


 同様にそれを感じたのだろう。少女に警戒を向けたまま注意を促してくる死神に、二つ返事でガイゲは応答を返す。――日頃意のそぐわないレジェンド二人。その見解が、此処に来て見事に合致しているのだ。今目の前にいる少女は、自分たちを以てしても警戒のいる相手であるということに。


「――少しは面白くなってきたじゃねえか」


 嘯きつつ、乾いていた唇を舌で濡らす。構え、切っ先の先に見据えた光景の中で、少女が動いた。


「……」


 ――無造作に。一切の用意なく間合いを詰めてくる動作。深い紫紺の瞳を真っ直ぐガイゲへと向けたまま、正面から歩いて近付いて来る。――ブラフか? そんな考えが一瞬脳裏を過るものの、直ぐに否定する。……間違いなくなにかある。頼み置くのは合理的な思考より幾度の死地を潜り抜けてきた直感。疑い様のない感覚が、告げているのだ。


 この手の敵は初手から切り込むにはリスクが多い。直感に従ってガイゲは当座の戦略を立て終える。域内に入り次第聖典詠唱で先制し、能力と反応とを見定めてから仕留めに掛かればそれで良い。未知というアドバンテージさえ剥がしたならば、後はどうとでも料理できるはずだ。


「……」


 少女の細い脚が伸ばされる。更に大地を踏んで前へ進む。機敏というには徐に過ぎ、緩慢というには速過ぎる速度。余裕はない。だが緊張もない。待ち構えるこちらを焦らすような絶妙な速度で、彼我に渡された距離が消えていき――


「――」


 そこまで至ったときに漸く、ガイゲはあることに気が付いた。


 ……なんだ?


 自らの意志を再確認する。……自分は、聖典詠唱を放とうとしていたはずだ。狡猾に測り待ち構えていたはずのその距離は、既に少女の後方。地を踏む足の後ろにある。


 ――なぜ自分は、それをしなかった?


「……やらないんですか?」


 傍らから掛けられる声。ガイゲは答えられない。不可解な疑問が先行し、えも言えぬ不安となって胸中に渦巻いている。


「――なら、私がやりますよ」


 置き去りにされる一声。揺らぐ裾を引き止める間もなく、目にも留まらぬ速さで死神が駆けた。


 ――上手い。


 完璧に死角を突いた接近に思わず目を(しばたた)きそうになる。なにか特殊な歩法を用いているのか、陽炎の如く揺れるその姿は背後からの視点、ガイゲの動体視力を以てしても完全には捉え切れない。――見えてすらいないだろう。紫色の瞳はただガイゲを見据えたまま、一瞬後には死神の指に刈り取られる。ガイゲは難多しとして選ばなかった選択肢だが、認識すらさせずに殺せるのであれば採る理は充分にあるだろうと言える道。


 一際集中したガイゲの視界、指を曲げた死神の残像が目に留まる。――擦り抜け様に喉笛を引き千切る。そんな予測と未来の光景が、ガイゲの脳裏に閃いた刹那。


「――ッ」


 死神が目にしたかどうかは分からない。それでもガイゲは、確かに見た。


 視線を動かさない少女。血の気の引いたその白い口元に、これ以上ないほど冷たい笑みが浮かぶのを。


 ――引き止める間も無く可憐な衣服の横を死神が駆け抜ける。遅れてきた突風にはためく裾。少女の白く華奢な右手首が千切れ飛び、赤い放物線を描きながら空を舞う、その光景に。


「死神ッ!」


 ガイゲは反応しない。夥しい量の鮮血が噴き出したのは、あろうことか死神の手首から。小さく開かれたその唇に、微かな瞠目が過ったように見えた。


「っ⁉ チッ――!」


 咄嗟に駆けようとしたガイゲの目前。既に迫り切っていたかの如く少女の姿が現われる。――手は出せない。不意を突かれながらも最悪を避けようとする判断に敢えての選択の余地などなく、甘んじて距離を取ろうとする蹴り足。


「ッ⁉」


 ――その膝裏を千切るような衝撃。……なにが起きたのか。地を蹴り飛ばしたはずの脚が伸び切り、理解を差し置いて勢いのまま強かに打ち付けられる背面。衝撃を物ともせずに間髪入れず跳ね起きようとして、直ぐに気付いた。


 ……何時の間にか。真下の地面が紅く染め上げられている。そこに付けられたままの左脚裏が、貼り付いたように動かないのだ。――どれだけ力を込めてもびくともしない。まるでそこから地中に深く、根が生えてしまったかのように──。


「――っ」


 それでも尚も足掻こうとした、己を見下ろしている視線にガイゲは気付く。……紫の瞳。死に睨まれて動けなくなった騎士に対し、一瞬だけ目を細めるようにして、屈み込んだ少女の左手、白い指が剣身に添えられ。


「っ! グッ……‼」


 研ぎ澄まされた先端が丸みを帯びた胸元に刺し込まれた瞬間、ガイゲの鳩尾に鋭い痛みが走る。……味わうようにゆっくりと食み進んでくる痛覚。鎧の下。身に着けた肌着の更に裏から、ヌルリとした生温かみを持つ液体が零れ出している。自身の命がはっきりと少女の掌に乗せられている感覚を、ガイゲは今文字通り肌で理解していた。


「――あなたは」


 歯を食い縛り。震えを押さえて恐れと痛みに耐える意識を、透き通る硝子のように冷ややかな声が打つ。


「私を愛して、くれますか?」

「なに――?」


 意表を突く発言。意外性に一瞬だけ己の置かれた状況を忘れて、眉を顰めた。


 ゴキリ


 二人を取り巻く場のどこからか、耳障りな音が鳴る。


「――」


 正体を目にして見開かれた瞳。……鎧に包まれた左膝。それが、あらぬ方向に曲げられて。


「ぐおおおおおおおおッッ⁉」


 ……ミシリ


 溢れ出る冷や汗。絶叫から息継ぐ暇もなく、身の毛のよだつような感覚と共に全身から軋みが上げられる。……腕から、背から、首から、股から、腹から、腰から。


「【(conunt )( sacra)詠唱(libro)レビ記(Leviticus)】‼」


 ゴキン


 ――一瞬後に訪れる運命を悟り口早に言の葉を紡ぎ出した、……蒼褪めていた表情が、真横に折れる。


 ゴキ メキ グリョ


「――【(l) (o) (b) (e) ――」


 曲げられ、折られ、捻じられる。必死の形相で叫び出したはずの詠唱はいつの間にか、途切れ途切れに絞り出すか細い鳴き声へと変わっていた。


 バキ ゴキャ ベキ パキョボキパキリゴリッ


 見えない手に折り畳まれるが如く小さくなっていく人体。血気ある勇猛な騎士の姿は最早微塵の面影もなく、ただ、血と骨とを剥き出しにしたヒトの残骸があるだけ。


「――(leus)】」


 残っていた声が途切れる。最期に一つ小気味のいい音を立てて、捻じれていた首が胸元へ落ちた。……死。


「……」


 その光景を目にして少女は顔色一つ変えない。……流れるのは静寂。決着に贈られる余韻の時が、昇る死者の魂を鎮め始め


 ──る寸前に起きた強烈な発光が、死を結ぶ沈黙を一掃した。


「――っ」


 溢れる光と音に押し出されるようにして下がる二歩三歩。目を覆いつつ距離を空けた少女の前で、逆再生のフィルムを回すかの如く壊された人体が元に戻されていく。腕が上がり、首が嵌まり、捻じれた腰が九十度回転して。


「――ッ」


 最後に胸元を浸していた液体が失せた瞬間。健全なヒトガタを取り戻したガイゲは今度こそ、全身全霊を以て少女から飛び退くことに成功した。


「……っは……っ!」


 息。肺に新鮮な空気を取り入れ、自らが生きていることを確かめる。……危なかった。端から相手の手札を確かめる腹積もりだったとはいえ、ここまでの大札を切らされることになるとは予想の外。あと少し判断が遅ければ確実に命を落としていただろう。


「……しぶといですね」


 ガイゲだけではない。眇めた少女の視線の先で、始めの負傷者、死神もまた荒くした呼吸を保っていた。……切り落とされた手首は最早血を流してはおらず、致命傷ではなくなっている。何かしらの手法で止血をしたのだろうが、いずれにせよ彼女が無力化されていることは明白だとガイゲは目下判断していた。――先ほどから鼻孔をくすぐる仄かな香り。致死性か非致死性かの見当はつかないが、とにかく死神は技を使っているのだ。もう、既に。


 それでも目の前に佇む少女は何の影響も受けてはいない。死神の能力は全てが殺しに特化したものであり、死のない相手には通じないということ。これまで無問題として受け止めていた当然の事実が、まさか此処に来て裏目に出てくるとは。


「……ちっ」


 置かれた状況に対して舌打ちが漏れる。二度と味わいたくはない一度きりの体験で、ガイゲは少女の操る力の正体を正確に見抜いていたからだ。


 ――あれは、呪いだ。


 それも極めて珍しい、害意を持たない類いのもの。そのせいか意識的なレジストがほぼ不可能で、当時として最高クラスの加護を持つはずの鎧の守りをも抜けてきている。……打つ手はない。攻めれば確実に与えたのと同じだけの返しを食らう。上位の聖典詠唱を使えば滅殺することはできるだろうが、それは即ちガイゲも同時に死ぬだろうことを意味している。加えて極大規模の術式で近辺の人間までもを巻き添えにしてしまうとなれば、ヴェイグが望まない選択であることは当然だった。


「……」


 攻めあぐねるガイゲたちを前に、しかし少女の側も新たな動きは見せていない。主軸となる呪いが受動的であり、発動には彼我の距離など幾つかの制限が掛かる故だろうとガイゲは見て取る。タネが割れた以上自分と死神なら躱し続けることができる。こちらから仕掛けない限り決め手にはならない。――千日手。どちらも勝敗を分ける手段に欠けている膠着状態の睨み合い。下手な刺激は消耗を招くだけであり、避けたいところ。


「……」


 ――退くか? 止めようもなく心中に浮かぶのはその判断。自分は辛うじて五体満足と言えるだろうが、死神の方は手首を失っている。処置を施すなら早い方が良い。切れる手札はあるとしても、それをこの局面で切ることが本当に適切なことなのか。


 既に敵方に損害は与えた。移動の速度なら恐らくこちらが勝っている。このまま逃げ切り、ヤマトを連れて。


「――」


 思考が止まる。少女の肩越しに映り込んだのは、夜の闇に浮き上がる軍服。


「――っ‼」


 弾かれたように少女が振り返るが、既に時遅い。幾重もの怨念の火が夜を照らし、黒の帳を引き裂いて対象へと殺到した。


 ――最高のタイミングだぜ‼


「ウオラァッッ‼」


 万軍の応援を得た心持で――昂ぶる意気と共に鎧に蓄えた力を解放。繰り出した剣撃が大地を割り砕いていく。足場を乱し回避を封じる一手。よろめき動くことのできない少女は、一瞬後に自らを貫く炎を直視することしかできず。


「ッ⁉」


 直後に闇夜を塗り替えた輝きが、呪詛の如き唸りを上げて注ぐ切っ先の全てと飛沫を上げて激突した。


「おいおい――」


 ――何の冗談だ?


 戸惑いに連れて口元に浮かぶ笑み。訳の分からない光景に思考を放棄しそうになる。……その間にもヤマトは炎刀を降らせ続けている。だが負の属性を持つ呪炎と、神聖の魔力から成る障壁とでは圧倒的に後者が有利。敢えて推し量るまでもないことだった。燃え盛る剣閃は傘に散る雨垂れの如く、光に降り注いでは無惨に散り、散ってはまた降って夜陰に火花を残していく。


 ――あれだけの呪いを身に付けておきながら、神聖の支配者の適性が有効だと?


 そんな話は聞いたことがない。……理屈的に破綻している。支配級の適性を持つほど神聖に魅入られているのなら、真逆の属性を持つ呪いなどまず修得すら不可能である。当然その逆も然りであり、故にどちらかは消えていなければおかしいのだ。あの変質はそのことの決定的な証左であったはず。それなのに。


 依然その光景は現実として目の前で展開され続けている。少女はヤマトの猛攻を防ぎ続ける。その揺るぎない雰囲気を前にして、ガイゲが決断を固めかけた――


「――ッ!」


 走る稲妻。六方向に分かれて迫る眩いその攻撃を、身を翻し、鎧で受け、剣閃で切り裂いて防ぎ切る。


「――カタストさん‼ ヤマトは――‼」


 視界に映り込んだのはあの女術師。脅威に目が向いていたとはいえ、自分たちにここまで感知されずに近付いてきたことにはガイゲとて一分の称賛を贈らざるを得なかった。その為に隙を作ったのであろう、窮迫したその叫びに少女が振り向き。


「――」


 女が凝る。瞳孔は開き、織り成そうとしていた術の展開が僅かに鈍る。


 その瞬間を見越し突き、鞭の如く振るった腕で剣撃を叩き込んだ。


「ッッ――‼」

「――チッ」


 感じた手応えに舌を打つ。幻術を用いた僅かな位置のずらしに、事前に用意されていた術の盾。バカ正直に真っ向から受け止めるタイプではなく、此方の力の流れを分散した上で自らが飛んで衝撃を殺す盾らしからぬ類いのものだ。やはり他の連中より頭一つだけ捻くれている。それでも転がりながら土に塗れた女はガイゲの目測通り、倒れている男の身体にぶつかって止まった。今は、あの女を相手にしている暇はない。


 脅威としての度合いが違う。女が無理をして立っていることなどはガイゲにしてみれば一目瞭然。先日負わせたあの傷が回復し終えているとは考え辛く、強い衝撃を与えればそれだけで即半死ににできる。怪我人は後回しだ。男共々あとで殺せばいいと考え。


「――」


 気にも留めていなかった微かな気配の動きに、目を眇めた。……地面に突っ伏したままのあの男。今の衝撃で目が覚めたか? だがどの道動けるはずは――


「――黄泉示さん?」


 声。振り向いた先で少女の見せたのは、どこかで覚えのある横顔。――その光景が、ガイゲに刹那の天啓を齎し。


「止めろ‼ ヤマトッ‼」


 一括から。僅かに遅れて紫炎の局所的な豪雨が止まる。そんな敵方の遣り取りに一縷の注意もくれることなく、盾の形成を止めて駆けた少女。


「――」


 砂埃を立て――引き千切られた手首の前で足を止め、奪うようにして掴み取る。躊躇なく分かたれた断面へ宛がうと、血が滲むのも厭わず、力任せにグチャリと傷口を押し付けた。


「……」


 ……数秒の硬直。息が詰まるような時間が過ぎていき、唐突に。


「――」


 重苦しい気迫が消える。身体を動かしていた緊張の糸が切れるように崩れ落ちた少女は、眠るように安らかな横顔を見せたまま、動かなくなった。


「……」


 静寂が耳に痛い。余りに唐突に状況が切り替わり、目にしたものへの理解が未だ追い付いていない。……いや。


 引金は既に分かっている。分かっていてもガイゲはそれを理解したいと思わない。ただ、あの禍々しさが今は消えている。それだけを確かなこととして受け止めた。


「……随分と恐ろしいカノジョですね」


 額に脂汗を浮かべたまま引きつった笑みを見せる死神。……言葉にこそしないものの、ガイゲも内心同様の感想を抱いていた。


「だがまあ、これで結果オーライだ」


 厄介な少女の異変は消えた。一瞬意識を取り戻した青年にもやはり動く気配は皆無。打ち所が悪かったのか女も気を失っている。ガイゲたちの前に、最早障害は何一つなく。


「片付けろ。ヤマト」

「――ワカッタ」


 それでも万一を考えてヤマトに後詰を任せておく。呪われし殲滅刀を持つ所持者の意思に連れて、炎雲が形成されていき、そして。


「――」


 次の瞬間、少女たちの目の前で盛大に霧散した。


「ッ⁉」


 ガイゲは目を見張る。注意していたにも拘らず、前触れに気付けなかった動作。三人が倒れていたはずのその中心に。


 ――立ち上がっている、一つの人影があった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ