第二十二節 異変
「――」
……どうして?
目の前に現われているその光景を見て、私は逃避するようにそのことを思う。……黄泉示さんの姿と周囲を光が埋め尽くしたあの瞬間。
私は確かに、固有魔術を発動させたはずだった。直感的に覚えていた嫌な予感。それを防ぐため、万が一にも失敗のないよう、私にできる最善の手段を取ったはずだった。
――どうして、発動してくれなかったの?
不発だったのだ、固有魔術は。……確かにこのところは調子が良くないと思っていた。けど前にもあったそれは私の中にいたアイリーンさんの及ぼす影響のはずで、きっと本当に黄泉示さんが危ないときには使えるはずだと思っていた。永仙さんとの戦いで掴んだこと。私のあの魔術は、その為に――。
――なのに、どうして?
目の前で流れていく血液、熱。赤々しさを増すその上で治癒の為に放ったはずの光が虚しく輝いている。……どうして、どうして黄泉示さんが。
……どうして私は。
どうして――
「――黄泉示さん?」
男の身体から力が抜けた。ガイゲとほぼ同時にそれを見止めただろう、少女の声のトーンが変わる。
「……黄泉示さん。黄泉示、さ……」
差し伸べかけた手は空中で止まり、後半部は声にならない。悲痛と言える音の羅列を、ガイゲは生前に覚えた習慣のままに聞き流した。
――力のない者が戦場に立てば必ず死ぬ。
幾ら力の不足を補う手段を持っていたとしても、所詮は付け焼刃で拵えたきめの粗い未熟な兵士。付け込む隙など幾らでもあった。目の前のこれは至極当然の結末であり、嘆く要素などありはしない。ただの一片も。
「今楽にしてやるよ」
重々自覚の上で悪役染みた台詞を吐きながら、ガイゲはその光景へ距離を詰めていく。意識を失っている男の方は兎も角として、少女は無傷。逃げることも戦うこともまだできるはずだが、そのどちらも選び取らないまま男の傍に膝を落としている。……手の甲を涙で濡らしながら。その悲痛染みた態度がガイゲには気に入らない。
――んな覚悟もしてねえくせに戦おうとしてんじゃねえよ、ガキが。
憤りを殺して黙々と進む。次第に速まりつつあったその歩みが、不意に止まった。
「――もう片付けて来たのかよ?」
見もせず向けられた言葉の先。後方から、死神が悠々と歩いて来ている。
「ええ、大体は。ガイゲの方はまだ終わってなかったんですね」
「お前が来なきゃ終わってたさ。ま、それももう直だ」
答えて歩みを再開する。二歩、四歩。踏み出す度に揺れる抜身の剣が、月夜の明かりに照り返して冷たい輝きを放ち。
「――ッ⁉」
刹那、弾かれるようにして距離を取った。
「……ガイゲ?」
砂埃を立てつつ。着地したガイゲへ死神から飛ばされるのは、端的な疑問符。緊張感のない、ただ不可思議といったその反応も、思えば仕方のないことだったかもしれない。
――当のガイゲ本人ですら、なぜ自分が今跳び下がったのか。その理由を完全には把握し切れていなかったからだ。
「……」
――なんだ、今のは?
警戒距離。なにが起ころうと対処できる間合いを保ったまま、ガイゲは再度瞳に映る二者を確認する。……あの男は確かに斃れている。死んではいない。だがそれとほぼ同義と言っていいほどの重傷だ。命尽きるのも時間の問題。意識は確実に断たれていて、暫くは取り戻せるはずもない。
――なら、たった今自分が感じたものは?
これまでに経験したことのない。あの、底知れない感覚は――。
半ば信じられないような心持ちでガイゲはもう一人の方に視線を移す。……俯き座り込んでいるその後ろ姿。長い髪に隠された表情はガイゲの側からは窺えず、月明かりに濃い影を落としているばかり。
――この、小娘から?
「……どうして、ですか」
ポツリと。耳を欹てていなければ聞き落とすような声量で、少女が零す。
「私はただ、黄泉示さんを、愛して……」
一句一句。切られつつ話されるその響きは、やけに冷たく。
「黄泉示さんに愛されていられれば。……それで、良かったのに……」
振り向いた少女の顔がガイゲを向く。渦巻く紫の瞳。透き通るようなその奥に計り知れない黒を湛えたその瞳が、反射的に剣を構え直させる。
「……どうして邪魔をするんですか? そんなに私を、幸せにしたくないんですか?」
目を逸らさないまま少女が立ち上がる。艶やかな銀髪を夜に揺らめかせながら。
「もう、どうでもよくなっちゃいました……」
ゆっくりと、緩慢に。それでいて、目の離せない異様を以て。
「……貴方たちもここで」
深い瞳の暗めきが、一層増したような気がした。
「――死んでください」
「――アブナカッタ」
狭範囲に凝縮された熱と雷。例え魔術的な防御を施していたとしても、内部に置かれれば跡形もなく消し去られるだろうと思うほどの威力の密度。
「スゴイネ」
「ぐ……」
それらを全身に受けてなお、レジェンドたる少女は立っている。そのどこまでも無機質な言葉を受けて、精根を使い果たしたように郭が倒れた。
「――カチ」
立っているだけで限界だったリゲルは既にその前に倒れている。決闘が自分の勝利であることをもう一度自覚して、倒れている女性の方へと足を進めるヤマト。ガイゲから告げられた今回の標的。念願だった決闘を制した以上、ヤマトを止める動機など最早どこにもありはしない。折角なので炎刀ではなく、自ら手にした刀で首を切ろうと考えて。
「――」
――コツリと。側頭部に当てられた軽い感触に、その方角を振り返った。
「――やめろ」
視界に入るのは眼鏡の青年。ヤマトと決闘をした男に参戦を止められ、これまでただ傍観しているだけだった青年だ。ヤマトにしても余り興味の対象ではなく、気が向けば殺そうかと考えていた程度。
「その二人に手を出すなら、僕は」
しかし、今ヤマトが目にしているその雰囲気はこれまでとはどこか違う。銃口を向ける姿に流れている魔力の気配。眼鏡の奥に覗く瞳は、単に理知的な光を帯びているだけでなく。
苦悩で砥がれたような、鋭い目付きをしていた。
「――容赦しない」
――オソイ。
ヤマトは端的にそのことを認識する。初めに相手をしていた青年と比べ、六割ほどの速度しか出せていない。視覚だけでも充分に追い切ることができ、逃すことはあり得ない。
回答として降り注がせるは剣。燻る紫炎が時雨となって戦場を降り打つ。速度と手数で圧倒的に勝る実情。仕留められるという純粋な予想がヤマトにはあり。
「……?」
雨が上がってなお無傷で駆けている青年に、血色の悪い首を傾げた。
――オカシイナ。
もう一度剣の雨を降らせてみる。……またも同じ。のろまな青年は、その遅さで全ての炎を完全に回避してみせた。
スペックでは自分が全て勝っている。速度の計算上、捉え切れない要素はない。頭の中で何度計算してみてもそれはそうだ。
それなのになぜか、自分の攻撃が当たらない不思議。
――ドウシテダロウ。
少し集中して落とす速度を上げてみる。数を増やして範囲を広く。大きく纏めて薙ぎ払うように。回転させて死の円盤を。
――タノシイ。
それでも青年は捕まらない。幾ら試してみても避けられるという、そのことがヤマトには嬉しくて仕方がない。
――自分が同じようにできていることが嬉しかった。
昔はただ蹂躙するだけの日々だった。打つ手を失い恐怖に歪んだ顔を目端に、上げられる悲鳴の元を一つずつ潰していく。そんな単調なそれだけの作業。
今ヤマトが置かれている此処は、それとはまるで意味合いが違っている。――敵意をぶつけられている。
挑む決意を。戦いの熱のこもったその視線を。彼と同じように――。
「――」
やはり躱される。その余りの当たらなさに火に任せてしまおうか、とも一瞬だけ思う。自身が操る紫の火には生き物を追う習性があり、委ねれば何もしないまま周辺の息の根を根絶やしにしてくれることをヤマトは経験上知っていた。立っているだけで全てが終わる。これが単なる仕事であるならば、迷うことなくヤマトはそうしていただろう。
しかしこれは、ケットウの続き。
いつか彼が物語として聞かせてくれた――己の力のみでの戦いだ。
「――くっ!」
青年の動きが少し鈍くなった。応じて素早く動かした炎が掠め、耳慣れた呻き声が上げられる。ふらつき、僅かによろめく足下。
それでも青年は近付いてきている。よろめきの隙を妙な加速で埋めて前へ。度重なる炎に妨げられたその足取りは幾度となく蛇行し、決して速いものではないが。
「……?」
ふと、奇妙な感覚をヤマトは覚える。
――ナンダロウ?
言われた通り考えてみる。……なんとなくピリピリするような、ソワソワするような気持ち。これまでに余り感じたことのない感覚。
多分これは、イヤな感じだ。
――ナニガイヤナンダロウ。
地続きの疑問で青年を再度見遣ってみる。あの銃は違う。戦場での経験から、銃では自分が殺せないことをヤマトはよく分かっていた。自分には大きな大砲の弾程度で漸く普通の銃弾を受けたのと同じくらいになる。だからあの小さな銃から嫌な感じはしないはずだし、現にしてこない。
――ナンダロウ。
また小首を傾ける。正体が分からない。取り敢えず攻撃を続けようとして躍らせた炎。思い付くままに変調して操作した奇妙な軌道に惑わされることなく、不思議な青年はまたも凶器の突撃を躱し。
「――」
翻った裾から一瞬だけ見えた光に、再びその感覚をヤマトは覚えた。
――アレダ。
確信する。目に留まったのは微かな煌めき。……緑の燐光。小さな何かしらの道具。長細い形状に金の地金、細かな装飾が施されているところまでは把握した。
――ナイフカナ?
乏しい知識の中から当て嵌まりそうな物品を選んでみる。どうせ今の時点で正体など分かりはしない。何かを確かめるのは間近でそれを見てからでもいい。察するにあの青年も、あれを切り札として使ってくるのだろうから。
――ケットウ、タノシイナ。
今までとは違う思考とやり方。初めての興奮に、胸を高鳴らせながらヤマトが身構えたとき。
――彼女は確かに、とある人物の叫びを聞いた。




