第十節 決闘 前編
「……」
「……」
――放課後。
俺とフィアは並んで道を歩いている。前を行くのはリゲル。余計な口は挟むことなく、黙々と先導している。
授業をふけてきたのか単に取っていないだけなのか。訪れた正門前でリゲルは悪目立ちするのも構わず門柱に寄り掛かり、腕組みをして待っていた。〝逃げずにちゃんと来たじゃねえか〟の一声から始まり、〝案内するぜ。着いてきな〟と言われて今に至る。
「……」
俺とフィアも会話がない。……導かれた先には黒服がゴロゴロなんて事態は御免被りたいところ。それらしい場所に向かっていないかどうか警戒はしていたが、今のところそのような気配はまるでなかった。そういうことをしなさそうであるとはいえ、油断はできない。
「――着いたぜ」
そう思っていた内心を差し置いて――立ち止まったリゲルに指し示されたのは、広々とした一個の空き地。
「……ここが?」
「ここなら他に迷惑かけることもねえだろ。周りに遠慮せず、存分に戦れるってわけだ」
……確かに。
素晴らしく人気がない。見晴らしは良く、黒服が隠れていないことも一目で確認できる。業腹ではあるが、場所のチョイスは概ね悪くないと言えた。……なぜこんな場所を知っているのかとの疑問を覚えつつ。
「勝負方法は――」
「ほいよ」
振り向きざま。投げられたそれを反射的に手で受け取る。……空気の張り詰めた硬い表面、サッカーボール?
「あっちが俺のゴール。そいで、向こうがお前のゴール」
返す親指で指して見せる。一方は木の間。片方は何やら中途から折れた材木のような物が突き刺さっている、その間。
「制限時間を決めて、一対一で相手のゴールに多く叩き込んだ方が勝ち。シンプルだろ?」
「……1on1か」
中学高校の授業で経験がある。あのときはもっと、狭いスペースでやったような気がするが。
「俺は運動全般得意なもんでな。メジャーな奴で、一番やったことのねえこれにした。どうだ? なんなら好きな種目に変えてもいいぜ。バスケでも、卓球でもな」
「……」
――当初から勝負方法がスポーツに限定されていることに、不満がないわけではない。
自分で言っている通り、スポーツは間違いなくリゲルの得意分野なのだろう。疑うまでもないことだ。以前の乱闘で見せられた身体能力と運動センスは確かに驚異的、大したものだった。
「……大丈夫だ」
だがそんなことはこっちも始めから分かっている。今回の勝負をすんなりと受けたのは、無論勝算があってのこと。
「うし、ならいいな。レフェリーはカタストにやってもらおうと思うんだが、どうよ?」
「えっ⁉」
「二人の意見なんだろ? ならカタストもなにかしら勝負に関わってねえと、負けても納得がいかねえんじゃねえのか?」
「それは……」
唐突に振られて戸惑うフィア――が、言っていることは特別おかしくはない。場合によっては此方の有利になる条件ということもあってか。
「分かりました。えっと、時間はどれくらいなんですか?」
了承して、俺も気になっていたその部分を尋ねた。
「三十分くらいって考えてんだが」
「それでいい」
「……お互いゼロ点からスタートするってことですか?」
リゲルの視線を弾くように即座に頷く。……重ねて切り出したフィアの、おずおずとしたこの訊き方は。
「いや、勿論ハンデは付けるぜ。初めに10点、ボーナスでそっちにくれてやるよ」
――やはりそうか。
内心の肯定と共に胸がざわつく。……10点とはまた大きく出たものだ。時間制限付きの勝負において、仮にお互いが互角だとすればまず埋まることのない差だろう。その余裕が何を意味しているのかは言わずもがな明らかで。
「それでしたら――」
どこか安堵したようなフィアの表情も。今の俺にとっては、苛立ちを加速させる原因にしかならなかった。
「――無しでいい」
「え?」
訊き返すようなフィアの反応を敢えて無視して。ただ偏にリゲルを睨む。
「ハンデは要らない。そんなので勝っても、勝たされた気しかしないからな」
「よ、黄泉示さん?」
「……」
困惑するフィアを余所に、黒のグラス越しに俺を見つめてくるリゲルは冷静だ。
「良いのかそれで? 自慢じゃねえが、俺は――」
「勝負なんだろ? 男と男の」
――本当に嘗められたものだ。
「なら対等に勝負しろよ。それとも、負けたときの言い訳が欲しいのか?」
加減しなければ勝負にもならないと思ってるのか? 始めからこっちが、勝てないとでも。
「……いいぜ」
苛立ちに任せて吐き出した挑発が、どこかの神経に触れたのか。
「ハンデはなしだ。イーブンで戦ろう」
先ほどより硬くなった声で俺の意見を受け入れ――背を向けて、空き地の真ん中へ歩いて行くリゲル。
「よ、黄泉示さん」
そのあとから声を掛けてくるフィア。不安気に揺れる翡翠色の瞳を、流すように見つめた。
「その……」
「――心配ない」
――こんな奴に。
「俺は勝つ。絶対に」
負けて、堪るものか。
「……黄泉示さん?」
自分自身に言い聞かせたその言葉とフィアを置き去りに。俺も、中央へと向かった。
「――」
「……」
真っ直ぐに。置かれたボール一つを挟んで対峙する格好。……初めての真正面からの相対。自然体で立つリゲルの体格はやはり良く、如何にもできそうな雰囲気を発している。溢れているその自信は決して、裏付けのないものではないだろう。
――だからどうした?
……気に入らなかった。
こいつに、フィアに。ハンデなしでは勝てないと思われていることが。傍から見れば仕方のないことだとは分かっていても、心がざわぐ。
……教えてやる。
ハンデなどなくとも、俺は実力で勝てるということを。……この厄介な面倒の蹴りは、俺自身でつけてみせる。
「大丈夫ですか? 二人とも」
「――俺はいつでも良いぜ」
「……」
最後にもう一度。何か見落としがないかどうか、互いのポジションを確認して。
「……俺もいい」
「はい。では……」
構え合う。互いにやや腰を落とした、いつでも走り出せる姿勢。張り詰めた糸が切られるまでの、一瞬の緊迫。
「す、スタート‼」
精一杯張り上げられただろうフィアのその声が、合図になった。
「――ウラッッ‼」
開始と全く同時。一切の迷いも躊躇もなく、直線的に突っ込んでくるリゲル。俺が対応出来るとは夢にも思っていないだろう所作。思惑はただ全力で走って先にボールを奪うという、能力差を前提としたパワープレイ。
だからこそそれが狙い目になる。
「――」
遅れることなく。リゲルとほぼ同じタイミングで俺も前に飛び出している。速度はリゲルの方が僅かに速い。確かにこのままなら間に合わない。逃さぬよう見据える俺の眼の前で、存分に加速し切ったリゲルの足が後一歩でボールを奪うところにまで迫った。
「――ッッ!」
瞬間、一際力を込めて踏み入れる。急加速した俺の足が。
「――」
伸ばされていたリゲルの爪先とクロスするよう斜めに走り、狙い通り先んじてボールを掠め取った。ボールを抱えたまま一瞬でリゲルの後ろへと抜け出た俺に対し――。
「っと――ッ⁉」
空振り不意打ち気味に抜かれてなお、持ち前の反射神経で反転しようとしたリゲル。だが速度の乗り切った身体は如何に身体能力が高くともそう簡単には止まれない。速度を落とす為にブレーキをかけている、その数瞬があれば充分だ。
「――」
蹴る。今頃漸く向きを変えているだろうリゲルを背後に。後ろへ完全に置き去りにして。
「あ……」
小さくフィアの声が耳に届いたとき。空を切る俺のシュートが、木で作られたゴールの境界線を貫通した。
――ざっとこんなものだ。
「よ、黄泉示さん、1点です!」
壁にぶつかって転がり、止まったボールから少し遅れて、レフェリーであるフィアが声を張り上げる。コールを受けて振り返った視線の先。先制点を決められたことが余程意外だったのか、ボールが置かれていた中央のすぐ傍。リゲルは俺の方を見たままで固まっている。
――良いざまだ。
多少の溜飲を下げる。位置取りからして多少は追い縋ったようだったが、不意を突かれた以上あそこからではどうあっても挽回は不可能。此方を舐めて掛かって来たが故の結末は間抜けとしか言いようがない。これで少しは胸のすく思いが――。
「――はっ」
「――」
……なんだ?
「なるほどなるほど。そういうことか……」
この間にも制限時間が減っていっているのにも構わずに。頻りに一人で頷いているリゲルの、先にしたその表情が気にかかる。……笑った? 自身の思い違いが顕にされた、この状況で?
「――やるじゃねえか」
顔の横へと手をやったリゲルが、サングラスを外す。蔓を折り畳んで胸ポケットに入れ、その澄んだ青い瞳で俺を見た。
「やっぱ勝負は、こうでなくっちゃな」
他の色合いなど微塵もない。真っ直ぐに上げられたその顔は、どこまでも溌剌とした鋭い笑みを浮かべていて。
「……」
……まるで萎縮していない。
その態度に再びざわめきが戻ってくるのを自覚する。……いいだろう。此方の実力が分かった上で、今度は正面から。
もう一度叩きのめしてやる。フィアが転がしてきたボールを受け取り、再度中央へ。ねめつけるような黒い意気込みと共に臨んだ――。
「――よっしゃあッ‼」
二回戦の、始め。
「ッ⁉」
――速い。何よりもまずその事実に不意を突かれる。動きはなに一つ変わらない猪突猛進。だがとにかく速いのだ。全力に見えた先ほどより明らかに速度が上げられている。
「くッ――‼」
負けじと全力でボールへ走るが、出遅れの所為で既に間に合わない。――なら迎え撃つまでと切り替えて、リゲルの足に捕えられたボール、ドリブルで迫るそれを見据えて体勢を整える。辿り着くまでの時間を予測し、一息に奪おうとした。
「――⁉」
その足先。繰り出した蹴り足から更に加速して。空ぶった脚の軌跡とクロスするようにボールがリゲルごと背後へと駆け抜けていく。追い縋る間もなしに。
「うしッ‼」
――完全に抜き去られた。慌てた反転の隙。振り返った俺の眼に映るのは、距離を離されたところで放たれているシュート。勢いよく蹴り出されたボールは当然過つことなどあるはずもなく――。
「い、1点です! リゲルさん!」
「……!」
対面する瓦礫のゴールを貫いて止まる。同時に挙げられたフィアの声に、追おうとする動きを止めざるを得ない。……こいつ。
「へっ。どうよ?」
上げた口の端と共に親指を立ててくる。……一々言われなくとも分かる。リゲルは今、俺と同じことをしたのだ。
途中からの急加速によるフェイント。抜かれて振り向こうとする相手を尻目に悠々とゴールを決める。俺にも劣らない身体能力を見せ付けた上で、自分にもそれくらいできると言うように。他にもやり方はあっただろうに、わざわざ……。
「これでサシだな」
渦巻く思考を二つに割るように、リゲルの声が届く。僅かに乱れた息の中で聞くその声に。
「こっからが本番だぜ。黄泉示」
「……っ」
久しくなかったほどに。血と闘志が、沸々と滾って来るのを感じていた。




