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第十八節 急変

 

「……」


 立慧は独房の中で黙り込んでいる。……永久の魔の宣告から、今日で三日。


 過ぎたのは告げられた期日の約三分の一。それだけの時間を掛けておきながら、一向に打開策は見えていない。打開策どころか、突破口になるその片鱗さえも。


 今いるメンバー……蔭水黄泉示たちの間にも暗い空気が漂って来ている。全員口にこそ出すことはないが、このままでは自分たちの側に万に一つも勝ち目はない。それが分かっていると言うことは、立慧も重々感じているところだった。……幾ら鍛錬に精を出し、書庫を漁り、話し合ったところで、一筋の光明ですら。


 いっそのこと本格的に、機関を通じた支援の要請を考えるべきだろうか。


「――どうした」


 悩みの最中に格子の中から声が届く。


「ヴェイグたちについて訊かんのか? 范立慧」

「……今日は良いわよ」


 声の主への気に食わなさを動力に言葉を返す。


「今まででもう充分に聞いたし。大して役に立つ話もなさそうだしね」


 残る敵方について隈なく質問してきた結果。アデルから聞いた話の数々は決して無用な情報というわけではなかったが、実際の戦闘での力量差を覆せるほど特別なものでもなかった。初耳であってもある意味頷けるような、これまでの予測を裏付けるような情報群。これ以上何か尋ねてみたところで、今更目を見張るような発見があるとは思えない。


「――手詰まりか」

「……あんたのその嬉しそうな顔、ほんとムカつくわね」


 事実とはいえ蚊帳の外にいる人間に指摘されて嬉しいものではない。気を切り替えつつ、戻って再び書庫でも漁ろうかと、そうも思うが。


「……ねえ」


 浮かんだ思い付き。立慧は声を掛け。


「なんだ?」


 返された声に一瞬だけ迷う。果たしてこのことを、訊くべきかどうか。


「どうしてあんたたち、市街で暴れなかったの?」

「……質問の意図が分からんな」

「一般人のいる場所で暴れれば、私たちはそっちの救助にも手を回さなくちゃならなくなる」


 賢王や冥王は気にもしなかっただろうが、葵を始めとした協会の面々は別だ。下手をすれば巻き添えが出るような場所に連れ込まれたならば、対応の難しさは大きく異なっていただろう。


「ああ……」


 なぜそれをしなかったのか。立慧の言葉を聞いて呑み込んだように頷いたアデル。


「私たち『アポカリプスの眼』が滅世を目指して動くに当たって、ヴェイグからは一つ条件が出された」

「条件?」

「〝可能な限り殺さないこと〟だ」

「――」


 マグマの如くに沸き上がる激情。衝動的に繰り出しそうになった拳を、辛うじて瀬戸際で抑え込む。……握り締め。


「ほう。耐えたな」

「……相っ変わらず良い性格してるわね、あんた」


 蒸気抜き代わりに怒気を込めた視線で思い切りねめつけて。立慧は、愉快そうな表情のアデルに告げた。


「悪趣味なからかいは止めて、ホントのとこを話してくれない?」

「からかうも何も、今のが真実だ」


 平然と返してくるアデル。身じろぎに伴って両手足の枷が立てた音。


「ヴェイグは私たちに、できる限り殺さないことを要求した。アポカリプスの眼もレジェンドたちも、基本的にはそれを守っている。私の知る限りではな」

「――っ。ならなんで――‼」

「但し」


 問い詰めようとしたその言葉を、落ち着き払った声が遮る。


「お前たち組織の人間は例外だ。告げられた通り正確に言うならば、〝戦う覚悟と意志を持った者たちと、明確に滅世の妨げになる者については別だ〟という話だった」

「……」


 滾る情動を堪えつつ反芻。発言にある傷を見付ける。


「……学園を襲っておいて言えた口じゃないわね」

「私は守ったからな。逃げる背中を敢えて追うことはしなかったが、立ち向かってくる連中は殺しただけだ」


 ……確かに。


 今更ながらに立慧は納得している自分を感じ取る。この男レベルの技能集団が不意打ちで襲撃したにしては、あの学園での死傷者数はやけに少なかった。敵の狙いが自分たちだったとはいえ、この程度で済んだのは幸運だったと、そう思えるほどに。


「――本当に、自分たちの力だけで被害を抑えられたと思っていたのか?」


 小馬鹿にしたような嗤い顔。……ならば、この仮初めの平穏を保っているのは。


「……てっとり早く永久の魔で薙ぎ払う方法に出てないのも、そのせいってわけ?」

「恐らくはな。まあ、詳しくは知らん。気になるなら直接尋ねてみることだ」

「……ヴェイグは」


 立慧の口を如何ともし難くその疑問が突く。


「ヴェイグ・カーンってのは、何者なの?」

「……さあな」


 その一瞬だけは笑むことなしに――アデルはどこか遠い眼をして言う。


「それを決めるのはお前であり、お前たちだ。私としては、それがどうなるか気になるからこそ中立に立たせてもらったわけだが」

「……」


 ――見定めようとしているのだろうか。


 この男は。この戦いの行方を。事の次第がどういうことになるのかを。


「……そう言えば」


 考えている内に浮かんできた疑問。口にする躊躇いは、先ほどよりもずっと軽い。


「どうして、あんたは――」


 坐ったままあらぬ方向に視線を遣っているアデルに向けて、立慧がその問いを尋ねようとした直後。


「――⁉」


 伝わるのは微かな振動。揺れる天井の動きに合わせ、頭上から細かな土の破片が落ちてくる。


「……なに? 今の」


 地震か? まず脳裏を過ったのは立慧の常識的判断。独房では外からの魔力が遮断されている。なにが起こったかを把握することはできず――。


「――待て」


 足早に外へ向かおうとした足を、短い一言が引き止めた。


「なによ」

「……」


 問い掛けに答えることもない。立慧の向けた視線の先で、いつの間にか立ち上がっていたアデルはただ沈黙している。


「……外せ」

「は?」


 一瞬、聞き間違いではと耳を疑う。だが告げられた言葉の対象は、どう考えても一つしかなく。


「……なに? 今更そんなこと」

「急げ。死にたくなければ言う通りにしろ」

「な――!」


 聞く耳を持たない上からの物言い。反射的に言い返そうとして、立慧は気付いた。


 アデルの声色に余裕がない。神経質にリズムを刻む指。眉間に寄った皺はなにか、此処に見えないものに焦りを感じているようにも見える。


「早くしろ。死にたいのか? こんなところで」

「――ッ」


 ――アデルは拘束で疲弊している。独房には緊急の術式もある。仮に拘束を解いたとしても、この距離なら直ぐ外に出られる。


「――ああもう、分かったわよ‼」


 全ての要素となによりも自身の直感が、立慧に鍵となる詠唱を紡がせた。


「――〝この石塚を越えて私が貴方に害を与えず、また貴方が私に害を与えることのないように〟――」


 待ち兼ねていたようにアデルの口が記された聖典の一節を音へと変える。落ちた両手足の枷が床に弾み、ガシャリとした重い響きを立てる。


「――〝どうかその証となるように。我らを裁き給え〟」


 完成。同時にアデルを中心とした光の輪が広がり、独房の中を這うように伝う。――害意は感じない。これは、探知と結界系の術式――?


「――ッ!」


 アデルの身体から紅が迸る。距離を詰める。立慧を避けて食む鮮やかな炎の蛇を辿るようにして、なにもない空間へ拳を撃った。


「――」


 ……静寂。なにも起こらない。アデルも、立慧も、自らの息遣いに動きを止めている、……そのとき。


「――うふふ」


 揺らり、と。


 独房を構築する景色の一角が揺れ、陽炎が立ち昇るが如くその姿が現われる。夜から抜け出してきたかと思うような艶美な出で立ち。手足胸元に映える金の飾りは、その名を知る者からすれば当惑を起こす一因ともなっただろう。


「鋭いですね、中々。堅苦しい教会の信徒と聞いていましたから、もっと鈍感なのかと思っていました」

「あんた――‼」

「こんばんは。可愛らしいお嬢さん」


 ――レジェンド、死神。正体を認め、立慧が刹那に臨戦態勢を整える。


「いつも同じ殺り方でもつまらないので、今日は少し変わった趣向にしてみたのですが……」


 悠々と話している。その最中にも立慧は攻めることができない。……相対しているはずなのに、正しく陽炎のような。これほど捉えどころのない気配に遭ったのは立慧としても初めてのこと。


「やはり他人の真似事はいけませんね。自分に合ったやり方でないと」


 そのドキリとするほど綺麗な瞳に見つめられた瞬間、警戒に引き締めていたはずの意識がふらつき。


「――こんな風に」

「……っ……‼」


 気が付いた時には喉元に手を掛けられていた。……動けない。密着する立慧の背中に伝わってくるのは、弾力のある暖かく柔らかなその感触。


「――動かないで下さいね? 一息にキュッとやっちゃいますよ」


 死神の一言でアデルが動こうとしていたことに気付く。自分が足枷となっている。その事実に、立慧は内心で強く歯を噛み締めた。


「ん~……」


 立慧の喉首を手で掴んだまま。アデルを見ていると思しき死神が、顔の斜め後ろから声を漏らす。


「耐毒訓練受けてますね? あなた。これだから教会の信徒は無粋なんですよ」

「……その女を殺した瞬間、お前も道連れになると思うことだ」

「ほら。そんな風に女性を脅すなんて、その齢の男がすることではないですのに」


 死神はまるで取り合わない。……あのアデルが敵とさえ見られていないという事実。険しい目付きは寸毫の隙も見逃さぬというように立慧と死神とを捉えて離さない。


「ウフフ、怖いですね。そんな狼のような目付きをして」


 喉仏の上を褐色の指が焦らすように這う。状況に似合わぬ艶やかなその感触に、ブルリと身体が震える。


「どうしましょうか。こんなにも可愛らしい乙女ですし、脅されてしまいましたしね」


 台詞の終わり際。――スルリと。なんの前触れも抵抗感もなく、身体ごと立慧は首を後ろに向けられた。


「むぐッ⁉」


 同時に唇に押し当てられる感触で息を塞がれる。反射的に吸い込んだのはどことなく甘酸っぱい空気。湿り気のあるそれが、肺を通じて立慧の中にまで入り込み。


「――ッ‼」

「――フフッ」


 反射的に押し退けた手に逆らわず、滑る柔らかさが口元を離れた。


「今日はこのくらいにしておきましょうか。続きはまた――」


 死神の口内に見える舌先が糸を引く。地を蹴った立慧が死神の体躯から遠ざかるその瞬間、逃さず踏み込んだのはアデル。一息に間合いを消し去る瞬速の歩法から繰り出された凶器の拳が。


「――」


 ――当たらない。風を受けてそよぐ柳の如く。立慧の目の前で死神は重さを感じさせないヌラリとした挙動で唸りを上げる熟達の連撃から逃れ出ていく。毟り取るような強靭な指先も、生木を叩き折る剛腕も、その柔肌の表面にすら触れられることはなく。


「ウフフフフ。では――」

「――【弓】」


 短縮詠唱によって放たれた光の矢が靡いた布地の裾を地面に縫い付ける。不意の抵抗に対して生まれた動きの淀みへと向かったのは豪速の前蹴り。死神の細い顎元を捉え、打ち上げた頭蓋ごと脊髄を粉砕した。


「――っ」


 かに思われた直後、宙に浮いたはずの死神の姿が揺らいで消える。――幻覚? 信じ難い光景に瞠目する立慧の耳に――。


「――いい肉体ですね」


 響く声。どこを見回しても姿は見えず、探る感覚には掴み所のない気配だけが残されている。


「そこまで鍛え上げられていると興奮します。貴方との殺し合いは、またの機会に」


 全方位への警戒を保つ立慧。アデルが構えを保つ中、牢獄に満ちていた気配が、完全に消え去った。



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