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第十一節 対話

 

「――今くつわを外そう」


 目を逸らせずにいた葵の前で、近付いてくる男。自身のいる小さな法陣に踏み入り、噛ませられた布を解いていく。


「窮屈な真似をさせて済まなかった。……どうかな? 身体の調子は」

「……」


 発声の自由を取り戻した葵は答えない。とはいえそれは、残る疲労や苦痛のためではなかった。……縛られていることを除けば状態は頗る良い。ヤマトタケルとの戦闘で負わされたはずの傷も、目覚めたときには跡形もなく消されていて。


「待遇については悪かったよ。ただ、君をできるだけ殺さないようにするにはこうするしかなくてね。君ならしないとは思うが、万が一暴れられても困る」

「……私をどうするつもりですか?」


 格上の術師に対する基本として目線は外し、視界全体をぼんやりと映すようにする。これほどの差があれば小手先の対処などあってないようなものなのかもしれなかったが、気休めにはなる。そしてそのことが、今のこの状況にいる葵にとっては肝要なこと。


「どうもしない。脅威になればその限りではないけど、今の君はどう足掻いても脅威にはならないからね。君は強いが、今は状況が悪過ぎる。彼を見せたことでもそれは分かってもらえたと思うんだ」


 言われずとも。置かれている場所は完全なる敵の掌中。永久の魔に、その前にはレジェンドの姿も確認している。……ここで葵が幾許かの反抗を見せてみたところでその行為は限りなく無意味に近く、無駄死にに終わる。敢えての疑い様もなかった。


 目の前にある法陣の式。これだけの魔力と魔術を扱える人物。自らの土台とする領野で自分より遥かに上を行く使い手が、今その表情を確認できるだけの距離にいるのだから。


「……話というのは」

「いやなに。思い返してみれば、君たちとは余りちゃんと話をしたことがなかったと思ってね」


 まるで鋭さのない、それ故に油断の出来ない雰囲気で、ヴェイグは言う。


「ヤマトが君を生かして連れて来なければこうして話す機会もなかった訳だから、自分からそれを棒に振るのは勿体ないような気がしたんだ。勿論、君が応じてくれなければ成立しないことだけど」


 丸みを帯びた眼鏡の奥。温和そうな瞳が、葵を見た。


「一応言っておこうか。話を拒んだとしてもそれで君に何かすることはない。僕が君に手荒な真似をするのは、滅世にとって君が脅威だと判断したときだけだ」

「……」


 無意味な発言だ。圧倒的に相手が有利な状況でそんなことを言われてもなんの保障にもならない。だが……。


「……分かりました」


 目は合わせずに、頷きを返す。


「受けましょう。その会話」


 ――なにはともあれ、自分は今生きている。


 死んではいない。……ならば、少しでもできることをするべきだと葵には思えたのだ。息があるうちに、少しでもやれることを。


「――ありがたい。対立する者同士で話ができる機会は中々ないことだからね。君と僕は、まずは一つ目の障害を乗り越えたということにしておこう」


 笑みを浮かべ、疎らな髭を摘まむように顎に指を当てる。ふむ、と。


「どうしようか。始めは単なる世間話でもいいし、趣味の話でもいい。君の方から興味ある話題を振ってくれると僕としては助かるかな」

「……」


 ……話題。


「……ここはどこなのですか?」

「ネゲヴ砂漠。天然の岩山をくりぬいた洞窟だよ」


 ……ネゲヴ。


「君の仲間が来るには少し遠いんじゃないかな。――それで終わりかな? この話は」


 ――流石に見え透いているか。情報を引き出したい立場の葵からしても、これ以上この話題で話を引っ張ることは難しいだろうと思えた。


「……ヴェイグ・カーン」


 だから今度は少し、切り込んでみることにしたのだ。


「あなたは一体、何者なのですか?」


 世界三大脅威の一つ。伝承にて最古最強と謳われ、三大組織の主戦力を壊滅させた『永久の魔』。


 それを一応とはいえ従えている人物。魔術協会を始めとした組織の情報網に掛かることなく、『アポカリプスの眼』を含めたあれだけの人数を隠し遂せていた手腕。……力も技術も、魔術師として葵が思い描いてきた想像の範囲から遥かに掛け離れている。これまではただ対処すべき事実として受け止めていたが……。


「……難しい質問をするね」


 この機会に訊かない手はない。意気込んで答えを待つ葵の前でヴェイグは腕を組み、少し考え込むような素振りを見せて。


「それは君個人としての疑問かな? それとも、滅世に抗う立場として訊きたいことか」

「……両方です」

「ふむ……」


 もう少し考え込んで、その黒い瞳を葵へと向けた。


「ならまずはこう答えようか。――僕は西暦で今から二千年ほど前、地中海近くのとある町に生まれた人間だ」


 告げられたのはそれでさえ予想だにしないような第一声。


「医術、建築術、算術、農業技術など、当時の様々な技術を学んで使っていた。言ってみれば便利屋だね。その後に魔術を学んで、魔術師にもなった」


 反応を取り落した葵に向けてヴェイグは更に続け、そこで一旦間を置く。


「それから先は色々あってね。世の中を巡り巡って、滅世を志す立場に納まったというわけさ」

「……」


 ――二千年前から生きている?


 世間話のような軽さで口にされたのは魔術師たる葵にとって衝撃的。……不老永寿は、古今東西の禁術師たちが挙って目指す悲願の一つ。だが人の歴史が始まって以来数千年、その業を成し遂げた人物は記録上皆無と言っていいというのが特殊技能世界での通説だ。


 この男の話が本当ならばまずそれが覆ることになる。百年や二百年レベルで命を繋ぐ技法なら枚挙がないではないが、二千年となれば桁が違う。齢三十余りの葵には及びも付かないほど途方もない年月を、目の前のこの男は生きて来たというのだろうか。


「……あなたがもし、二千年前から生きてきていると言うのなら」


 葵は問う。……単に戯言だと切って捨てるには、この男の起こしてきた状況はあらゆる点で異常過ぎる。


「もっと上手いやり方があったのではないですか? 滅世の」

「……どうだろうね」


 事情がどうあれここまで自分たちは生き残ってきている。それはつまり、ヴェイグの方策に抜かりがあったと言うことではないのか。


「あったかもしれないし、なかったかもしれない。二千年と言っても、その全部をなにかに費やしてきたわけじゃないからね。我武者羅に違うことをしていた時期もあったし、なにもしなかった時期もあった……」


 消え入るように落ち込んだ声のトーンが、わざとらしく浮かべられた笑みで帳消しにされる。


「方針として滅世を決めたのは実は案外最近なんだ。百年前くらいだったかな。確信を得るにはもう少し掛かった。今の君の質問には、これが僕にできる最もマシな滅世の形だ――と答えるしかないかと思う。それ以外は、目下のところ僕には分からない」

「……わざわざ永久の魔を復活させなくても、あなた一人でできたのでは」

「それは買い被りだよ」


 穏やかに否定される葵の言葉。


「二千年間生きて来たといっても、人は人だ。常にできることとできないことがある。例えば僕は、思うだけで君に何かを伝えることはできない」


 こめかみのあたりに指を当て、柔らかに口元を上げた。


「一人では限界があるんだ。二人でなら、その際をもう少しだけ広げられるかもしれないね」

「永久の魔による蹂躙と言う手っ取り早い手段を取らないのは?」

「それは僕のやりたいこととは違う」


 少しだけ強い語調。


「僕の望む滅世は、……そうだね。言ってみれば人類全体の安楽死のようなものだ。苦痛なく、恐怖なく、死ぬことにも気付かないように終わらせる」

「……」


 ――まともだ。


 ある意味で葵はそのことを感じさせられる。この男の考え方は、狂人や破壊的衝動を持つ者のそれではない。異論はあれど、言われていること自体には納得ができ、理解が及ぶ。ならば。


「なぜ、滅世なのですか?」


 葵として尋ねたくなるのはそのことだった。目の前のこの男は一体、どういうわけでその道へと至ったのか。


「……」

「……」


 これまでになく長く続く沈黙。早計な質問だったかと、葵がそこはかとない不安を感じ始めたそのとき。


「……それが訊きたくなるのは当然か」


 小さく独り言のように零したヴェイグが、酷く哀しげな眼をしているように葵には見えた。一瞬の動揺。


「――君は地獄を見たことがあるかな?」


 それを経て掛けられたのは、そんな変哲のない質問。


「……地獄とは?」

「人を根底から破壊するような、地獄としか言えないような、そんな状況さ」

「……」


 考える。……曖昧な表現だ。ある種の宗教観を纏ったような地獄という言葉選びも、葵にとっては些か大げさな表現と響く。


「……見たことはありません」


 それでもここが話の核心であることは理解できた。否の答えを返しつつも、まず目で食い下がった話題。


「そもそも地獄と呼べるような状況があるのですか? 例えどんな状況に置かれたとしても、抗うことは――」

「いや、地獄はある」


 そこだけを強い調子で言い切った、ヴェイグの眼差しに見えた暗めき。


「僕の覚えている地獄を、君にも少しだけ見せよう」


 尋ねる間もなしにヴェイグが何かを呟く。干渉系統の術式。それを理解した瞬間――


「――」


 脳裏に浮かばされた情景。背けることのできないビジョンに葵は瞠目し、嘔吐した。






「……済まなかった」


 バツが悪そうに雑巾を片付けるヴェイグ。嘔吐感を誘う胃液の残滓を口内に覚えながら、陰鬱とした気分で葵はその声を受け止める。


「僕の言っていることをもう少し具体的な形で示すつもりだったんだ。言葉だけではどうしても捉え難い時があるからね」

「……」


 如何ともし難く葵はヴェイグのその言葉を黙殺する。不快感がこびり付き、話す気になれない。


「――式秋光のことは残念だった」


 唐突に飛び込んできた声に、反射的に顔を上げた。


「君は嘘だと思うかもしれないが、彼の理念には僕も概ねは賛成していた。惨劇の歴史を振り返り、困難だと分かっていても自分たちの手でそれを止めようとする」


 迂闊な葵の反応を止めたのは悼むようなその目付き。


「召喚術の改革者らしい、素晴らしく勇敢で賢明な取り組みだ。――だが、それは無理なんだ」


 そう言ってヴェイグは静かに首を振る。


「彼だけじゃない。今まででもそうしようとしてきた、多くの人間たちがいた」


 単なる理解だけではなく、どこか懐かしむような口調。


「結果として名前を残した人間もいるし、忘れ去られてしまっている人物もいる。ただそれでも変わらないのは」


 僅かに気色ばむ。声音に込められたのは怒りか、悲しみか。


「それだけ多くの人間がなんとかしようと試みてきたにも拘らず、世界と僕たちはまるで変わってはいないということだ。……今このときに至るまで」


 ヴェイグが再び葵を見る。……懇願するかのような目付き。


「どうしてだろうね? 櫻御門葵」

「……」

「――話せて楽しかったよ」


 葵の側に言葉がないのを見て取って微笑むと、指を鳴らす。同時に、葵を縛り付けていた縄が解けた。


「君はホテルに軟禁する。外出はできないが、ホテルの中なら自由に歩き回ってもらっても構わない」


 投げ渡されたのはカードキー。風の魔術か、目先にまで飛んできてから膝の上へポスリと落ちる。


「『アポカリプスの眼』がいなくなって随分部屋が空いてしまってね。その部屋はセイレスが使っていたものなんだ」


 それを見止めたのと同時、葵の足元が光り始めた。


「――一応言っておくと、レジェンドが君と同じフロアにいる。下手な真似はしないと思っているよ」


 光はますます、眼を開けていられないほど強くなり――。


 笑顔で手を振るヴェイグ・カーンの仕草を最後に、葵の視界から洞窟が消えた。



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