第十.五節 新たな動き
「――ッ‼」
暗闇の中、誰もいない部屋で、私は起きる。何かから逃げるように、跳ねるように身を曲げて。
「……っ、……はぁっ……」
――夢。
夢だ。そうなのだと分かっても、乱れた動悸は中々落ち着いてはくれない。これまでにも何回か、こんな夢を見た。でも……。
あれは、アイリーンさんがいたからこそ見ていたもののはず。……転生の影響で。
アイリーンさんがいなくなったはずなのに、どうして?
「……」
追いかけてくる。
どこかの街角で。何かが、あの景色の向こうから。……そうだ。確か前にも、あんなような景色を見たことがあった。
……どこでだっただろう?
「……黄泉示さん」
ふと零れた呟きに、頭を振る。……あれだけの戦いがあった後だ。助けてもらっただけでも充分負担になってしまっているのに、これ以上迷惑は掛けられない。明かりをつけて見れば、時刻は午前四時。夜が明けるまで起きていられなくはない時間だった。
――あれは、なんなのだろうか?
間隙に浮かび上がる問いに思いが蘇ってくる。……怖い、恐い。
分かりたくない。思い出したくない。あれに触れたら最後、あの景色も、街角も、なにもかも全部、壊れてしまいそうで。
「……っ!」
震えを止めるように、自分の身を強く抱き締めた。
……大丈夫。
私はちゃんと戻ってきた。黄泉示さんたちに助けられて、黄泉示さんがいるこの場所に。今度こそ一緒に戦うために、アイリーンさんに言われたように、強くあらなくては。
「……」
朝が来るまでの数時間。窓の中から外を眺めながら、広がる空がもっと早く白むようにと、私はそれだけを頻りに願っていた。
「おー……いてて」
帰還したホテルの一室。鎧を外し、椅子に腰掛けたガイゲは呟く。
「効いたぜあのジジイ。妙な技をしこたま使いやがって……」
「だからヴェイグに治して貰えば良かったじゃないですか。私なんてこの通りですよ?」
ベッドの上に寝転がり、ガイゲの前で見せ付けるようにする死神。首筋から素足の足の裏まで。その瑞々しい肌に傷痕は一片たりともない。
「傷は男の勲章って言うじゃねえか。いいんだよ。てめえの戦いで付けられた傷だ。安易には消さねえのがせめてもの――ってもんだろう」
「分からないでもありませんが、それならグチグチ言うのを止めたら良いのでは?」
「あーあー聞こえねえ聞こえねえ」
死神の指摘を耳を塞いでやり過ごしたのち、ガイゲは口元に笑みを浮かべる。
「ま、口だけのジジイどもよりよっぽどマシだ。いいストレス発散になったぜ」
「ストレスッテ?」
「こういうとき口にする便利な言葉だよ。後世の偉大な発明品だな」
適当な答えを返してガイゲは背もたれに身体を預ける。だらりとした姿勢のまま、あーと喉奥から声を漏らし。
「……ま、流石に今回はちっとばかし休養だな」
見上げた目に落ち着いた天井の色合いを移しつつ、静かにそう呟いた。
「陰険女との戦争に、裏切り者とジジイの相手だ。蓄えも殆んど使わされちまったし……」
「ガイゲ、ツカレタ?」
「……そういやお前は疲れないんだったよな。便利な身体だぜ」
ヤマトが背中側に回る。椅子の後ろに立ち。
「カタ、モム?」
「……どういう風の吹き回しだよ。有り難いけどよ……」
機械的なリズムでガイゲの肩を叩いていく。
「あー……応えるぜ」
「なんかそうしてると、父親と娘みたいですね」
「煩せえな。他人の家庭事情を勝手に捏造するんじゃねえよ。てめえなんて場末のダンサーだ、ダンサー」
「まあ、否定はしませんけど」
「パパ、キモチイイ?」
「そいつはなんか如何わしい店みたいだから止めてくれ……」
レジェンドたちの時間は過ぎていく――。
「――呼びつけて悪かったね」
剥き出しの岩肌が迎える洞窟。遠い入口から仄かな光だけが差し込むその巨大な空間で、永久の魔はヴェイグ・カーンの姿を見止める。
「今ちょうど、此処の陣と龍脈地の陣とを繋げているところなんだ。どうしても手を離すわけにはいかないから、来てもらった」
目の前に広がるのは極大の魔法陣。……揺蕩っている尋常でない量の魔力。その全てを目の前の人間一人が賄っているという事実は、永久の魔だからこそ未だに信じ難いものであり、そして腑に落ちることでもあった。
「……用件はあの抵抗者たちのことか?」
「まあね」
一瞬だけ永久の魔へ流した視線を直ぐに戻す。稀に見る余裕のなさ。複雑な色を放っている法陣の光が目に留まる。傍から見れば完全に不規則に明滅する色取り取りの移ろいは、いつか遠い日に目にした貝殻の輝きを思い出させた。
「ガイゲから報告を受けたよ。貴方が、抵抗者を追おうとしていた彼らを止めたと」
「……」
聞く者が聞けば詰問の始まりとも取れる言葉に、永久の魔は何も言わない。本題ではないことに、敢えて何かを語る必要があるはずもなく。
「正直なところ、意外だったよ」
その無反応をどのように解釈したのか。発光する法陣に注意して魔力を動かしながらも、ヴェイグは慮るように続ける。
「もうやる気がないものだと思っていたからね。管理者を斃した時からずっとそんな調子だったし、まあ、あとは詰めだけだ。貴方の手を借りるまでもないと思っていたんだが――」
「──意図を言え」
低く無感情な声で、遣られる煩雑さを永久の魔は押しのける。
「それだけでいい。前置きは必要ない」
「――わけを知りたいんだ」
素早く応じてくるヴェイグ。礼節など一切考えていない永久の魔の言葉にも、その語調が荒ぐことはない。
「これまで動くつもりのなかったあなたが、どうして今になって彼らに関わる気になったのかを」
答える永久の魔にとって、そんなことは考えてみるまでもなかった。これまでに自分の中で思い考えていたこと。答え出す為の言葉を、永久の魔はとうに知っていたからだ。
「――目だ」
「目?」
「お前から捕えるように言われた少女の眼差しが、ずっと気に掛かっていた」
あのとき。約束された死の中で、他人を守るために一切の負の情念なく自らに立ちはだかったその態度。黒き海原に沈み込む中で唯一鮮やかに残っているのは、翡翠色をしたあの瞳。
「先で終わりになれば詮無いことだったが、そうはならなかった。あの者たちはあの女を斃し、少女を取り戻して見せた」
「……それで?」
「あの眼の意味を確かめたい。それだけだ」
「……」
空中に複雑な文様を描いていたヴェイグの指先が止められる。動きのないまま、数秒の間を沈黙に費やし。
「……果たして彼らに、それだけのものがあるかどうかは分からないが……」
再び動き出した指に連れて舞う光。寄せられていたその眦が、緩やかに下がった。
「貴方がそこまで言うのなら、仕方がないか。――やり方は考えてあるのかい?」
「こちら側からの仕掛けはなしだ」
告げるのは予め用意しておいた答え。
「時間と場所を指定し、正面から出迎える」
「ならこの辺りが良いんじゃないかな。地形的に貴方が本気で戦っても他に被害を出すことはないし、協会の支部も近い。彼らが来るのにも困らないだろう」
「……分かった」
地図を出現させて示したヴェイグの意を汲み、永久の魔はただ頷く。目的が果たされればそれでいい。それ以外の事は元より、この男の意向に沿うつもりだったのだ。
「ガイゲたちにも手を出さないよう伝えておくよ」
「……ああ」
永久の魔は踵を返す。振り返らずに去っていくその背中を見送って、一つふぅ、と溜め息を吐いたヴェイグ。そのまま暫しの間、片付けねばならない作業を続け。
「――さて、待たせたね」
額の汗を拭って向き直る。後ろ手に椅子に縛り付けられたその女性に、ヴェイグは穏やかに語り掛けた。
「話をしようか。櫻御門葵」




