第七節 アイリーン
「……」
手順の説明を終えたアイリーンに言われ、黙々と作業を進めている俺たち。
いや。実際には、黙々と、というわけではなかった。
「違う。その部分は軽く曲げるようにして、向こうの線の手前で止めろ」
「……こうか?」
「今度は曲げ過ぎだ。さっきの方が幾分かマシだったぞ――おい。線はもっと正確に引け。人格に欠損が出ても良いのか?」
「……ったく、分かってるよ」
小言を言われながら作業に取り組んでいる。転生術を解くためにアイリーンから始めに指示されたのは、必要となる魔法陣の作製。
「なんとまあ不器用な連中だ。よくその歳まで生きてこられたな」
「煩えな。こういう細かいのは苦手なんだよ、俺は」
愚痴を吐くリゲル。……俺も、正直細かい作業は得意でない。特にあんな戦いをした後では猶更のこと。
「それに引き替え……」
アイリーンが移す視線の先で、迷いなくサラサラと図像を描いている指。
「お前の方は筋が良いな。絵を描いていた経験でもあるのか?」
「……まあな」
最初の数度以外殆んど注意を受けていないジェインは、俺たちの大よそ倍ほどの速度で模様を描き上げていっている。……久々だが、流石の手先の器用さだ。まさか美少女画を描くために邁進していたとは、アイリーンも夢にも思わないだろう。
「――よし、これで完成だ。手伝おう、蔭水」
「……ああ、悪い」
正直助かる。円環で支えてはいたが、次第に手の震えが大きくなってきていたところだった。
「……ふむ。問題はないな」
描き終えた箇所をアイリーンがチェックしていく。その間にも協力して描き進め、また何度かアイリーンの指摘を受けながら進めていき――。
「……終わった」
最後の一か所を繋げ終えた直後、後ろ手に体重を投げ出して息を吐く。宙に浮く手本と比べつつ自身が描き上げた箇所を見遣る。疲労困憊のこの身体でよくできたと思うほど、間違いなく描けている。……そのはずだ。
「こっちもだ。あとはリゲルだな」
「ちょっと待て……いよし。済んだぜ」
描き終りに大差はなく。アイリーンが俯瞰するように全体を確認。
「……よし」
各人の箇所を見回して、納得したように頷いた。
「こんなものだろう。仮にも上出来とは言えないが、要点は問題ない」
円陣に入り、中心で眠る前のように身を横たえるアイリーン。長い髪が広がり、艶のある滑らかな傾斜を形作る。
「教えた詠唱は覚えたな?」
「……ああ」
作業を始める前に教わった呪文。詠唱にはどうやら術者であるアイリーン本人ではなく、俺が適任らしい。大役をこなすことに緊張する気持ちもあるが、
「あとはお前がそれを唱えるだけだ。一字一句でも間違えれば、なにが起きるか分からないと思え」
「……ああ。大丈夫だ」
この状態で万に一つの間違いもないよう、円環のブーストを掛けている。既に百遍は頭の中で繰り返した。間違えることなどあるはずがない。最後まで、唱え切って見せる。
「必要な魔力は私とお前たちで賄う。最後まで耐えられるよう、気合いを入れろ」
「分かってるさ」
「気合いなら俺の十八番だぜ」
軽く息を吐くジェインに、拳と掌を合わせるリゲル。……二人とも先の戦いで魔力は殆んど残っていないはず。それでもこうして用意を整えてくれているのだ。――絶対に上手くいく。
「――ああそうだ。忘れていた」
そう言い聞かせる俺の前で、身を起こしたアイリーンが思い出したように指を鳴らす。次の瞬間――
「うおっ⁉」
どこからか出現した複数の人影に、リゲルが為す術なく潰された。
「お前たちの連れだろう。ついでだから持って帰れ」
「……なんでわざわざ俺の上に出したのか、訊いてもいいか?」
「偶々だ。気にするな」
驚愕の中でその顔を確かめる。立慧さんに、田中さん……。
「全員息はある。女の方は多少の休息が必要かもしれんがな」
「……アデル・イヴァン・クロムウェルか」
「そっちはその女の戦利品だ。暫く意識は戻らんだろうな」
……そうか。
勝ったのだ。立慧さんも、また……。
「……よし。では、始めろ」
再度身を横たえたアイリーン。術の解除が始まる、その前に。
「……アイリーン」
どうしても、尋ねておきたいことがあった。
「……どうして、ここまでしてくれるんだ?」
――アイリーン本人は、転生術によって今現在ここにいる身だ。
転生を解除するということは、その身がどうなるかは言わずもがな。それが分かっていたからこそ俺たちも話し合いという道を選ばなかった。……乗ってくるはずがないと思っていたからだ。生きたいと思う気持ちも、組織に対する恨みも、俺たちが見ていたアイリーンの姿にはあるはずで。
「……」
その問いにアイリーンは答えない。俺ではなく、どこか遠くの方を見つめるように瞳を淡くして。
「……さあね」
目を閉じて、静かに微笑んだ。その仕草に一瞬、ドキリとさせられる。
……今のは、まるで。
「邪魔の入らないうちに始めろ。私の気が変わらないうちにな」
「――っ」
もう答えない。そのことが分かってしまい覚悟が決まる。詠唱の一節を、唱え始めた――
「――これで、お別れだ――」
「……」
穏やかな空気の中。
アイリーンは目を開ける。とは言っても目覚めたのではない。ここは空白の内。同じ器に入れられた魂の交差する場所。
「……」
アイリーンはその少女と向かい合って立っている。……フィア・カタスト。自らの生まれ変わりであると同時に、自分自身ではない、その少女と。
「……貴女の過去を知りました」
告げられたのは大凡予想していた言の葉。……自分があの夢を見た時点で、その逆もあり得ることを考えておくべきだった。
「我事ながら参るな。同じ器の中にいては、おちおち隠し事もできん」
「貴女のわけも。……どうして、連盟を恨んでいたのかも」
「……」
沈黙。暫しの間が空き。
「アイ――」
「私のことは良い」
機先を制して言う。
「あのとき終わるはずだった命が一つ、終わらず世にしがみ付いていただけだ。私はもう、充分に生きた」
「……っ!」
小さな唇がなにかを言おうとして、止める。……唇を結んだ少女は何も言わない。そのことがアイリーンにはただ、嬉しかった。
「――強いな。お前は」
慮り、こちらから話を切り替える。
「意識のみで私の動きを止めるなど。人は見かけによらないとは、よく言ったものよ」
「……強くなんてありません」
言葉を受け、頭の中で自然と思い描いていた通りに、少女は頭を振る。
「でも、私の隣には」
そこで少しだけ、間を置いて。
「いつもきっと、黄泉示さんたちがいてくれますから」
宵闇から顔を出す太陽のように、そう言った。
――ああ。
はにかむようなその笑みを見たとき。アイリーンの内側で、誰かが頷いたかの如く合点がいく。
――自分が止められたのも当然のことだ。
この少女の持っているもの。……持ち続けているもの。それが、紛れもない――
「――強くありなさい」
先達として、せめてもの償いとしてアイリーンは言う。
「なにが起ころうと、最後まで強く。お前たちになら――」
――私にはできなかったけれど。その思いを飲み込んで、告げる。
「きっとできる。そう、信じている」
「――はい」
少女は真っ直ぐに答えを出してくる。……良い目付きだ。
かつてどこかの誰かも、こんな眼をしていたことがあったのだろうか?
「あと、お前の記憶を見ていて思ったが……」
神妙な顔つきをして迎える少女。幾許かの勿体をつけてから、その結びを口にした。
「もう少し積極的になった方が、色々と上手くいくと思うぞ?」
「――あ、アイリーンさんっ!」
頬を赤らめて声を上げる、その仕草の一つ一つが可愛らしい。アイリーンの瞳には、一際可愛らしく映るもので。
「……では、もう行くか」
反応を目にする前に返した踵。……何とはなしに、分かる。時間が迫ってきているのだ。自分が此処にいられる、残りの時間が。
「――邪魔をしたな」
一言を告げて歩き去る。急ぐつもりはなく、焦りもない。心の赴くままに、ただ限りなく自由に足を進めて行き。
「――アイリーンさん!」
その背中に、少女の掛けた声が届いた。
「……」
アイリーンは何も言わない。ただ一度だけ、流れる髪越しに振り返って。
先の見えぬ白へ。歩いて逝った。




