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第六節 彼女の思い

 

 ――やはり。


 目の前に出たその男の所作を見止めながら、アイリーンは自らの判断を追認する。


 仲間たちがあれほどの意を以て全力を費やす理由。用意させていたものが、真打に足るものだったということ。……つまりはまんまと策に嵌められたということになる。


「……」


 自戒を含め――アイリーンは油断なくそれを注視する。優れた術師であるならば例え初見であったとしても相対した魔術の概要と特性とを把握できる。アイリーンもその例に漏れず、いや、並みの例よりは遥かに仔細に術の効用を見極められると言って良かったが。


 ……なるほどな。


 判断を保留して事実を飲み込む。――分からなかったからだ。把握できるのは変質系統の技法らしいというところまで。どうやら仲間たちの命運を賭けるだけのことはあるらしい。魔女の慧眼を以てしても見抜けぬ、異質な魔術。


「……それが切り札か」


 まずは言葉で試す。動きのない青年に対し。


「一人に頼るしかないとは、なんとも――」


 ――消える。


 いや。消えたように見えたのだ。即座に張り巡らせた盾十三枚。その合間を縫う黒い影に向け、予定通りに閃光を走らせ――。


 信じ難い異常を、目の当たりにすることとなった。


「っ――⁉」


 光の中を突き進んでくる男。膨大な力の奔流をまともに喰らいながら、まるで勢いが落ちることがない。――これは。


「――爆ぜろ‼」


 本能的。遮る為に展開していた盾を爆発させる。光と闇が入り混じる太極の波動。至近からその熱と爆風を受け、素早く身を退いた青年。


「――」


 その間に手首を一回転させて神器、『残亡と破壊の大剣』を喚び戻す。破壊を司る絶対の剣であり絶対の盾。それを手にしながらもアイリーンの動悸は冷めやらない。今し方現実として目にした事柄が、未だに信じられていなかったからだ。


 ……あの男は血肉に暗黒の魔力を宿していた。思い起こすのは聞き及び、邂逅から看破していた事実。神聖の魔力は猛毒に等しい。守りも癒しも及ぶべくもなく、あれだけの量を受ければ即死が確定していることは明らかなはず。それが。


「……」


 それがただの損傷で済むなど、尋常において有り得ていい話ではない。例え呪具の力で肉体を強化していようとも、どうにもならない。変質でもだ。仮に【属性同化】によって特定の属性への変質を遂げていたとしても、術者の血肉に根ざした元々の特性は残り続ける。神聖が致命的な弱点であることは変わらない。変わらないはずなのだ。


 加えてあの爆発の直撃を受けて動いている原因を求めようとするならば、それらしき答えは一つしかなかった。……あの魔術は。


 一体――⁉


「――ッ!」


 ――速い。考察を離断するのは男の接近するその速度。己の身体能力を無際限に強化する呪具の力。身を削りつつ発揮される速さは強化状態のアイリーンの眼を以てしても完全には捉え切れない。盾ではなく攻撃用の魔術で強引に自らまでの道筋を制限し、神器の切っ先を置いて壁とする。


「っ――」


 ――破られた。先の交錯で学習したのか、男は太極の魔術の最中を敢えて切り開いて来る。随所に緋の滲む傷を作り出しながらも止まることはない。――ならば。


「行けッ!」


 眼に付く輝きを持たせて放ったのは太極の矢筋。狙いは後方、この男の仲間たち。奴らが先の時間稼ぎで力を使い果たしていることは此処にいる全員が承知している。助けさせ、一度守りに入らせたなら動きをコントロールすることは容易い。術が解けるそれまでの間、釘付けにできれば。


「っ⁉」


 我が目を疑う。――止まらない。男は視界に映るはずの軌跡に脇目も送ることなく、ただ真っ直ぐにアイリーン目掛けて突進してくる。バカな――ッ⁉


「――‼」


 刹那に輪舞曲に送る魔力を撥ね上げる。激増した膂力で手繰るは必壊の大剣。間合いに踏み入ろうとする男の所作を悉く先置いた剣身で阻み、全身から一際強い魔力を放出して引き下がらせ、引き下がる。――仲間を見捨てた? この男のどこに、そんな気概が。


「――」


 僅かな瞠目。……生き残っている。視界の端を駆け走るのはあの男たち。薄汚れた衣服に染み出るのは紛れもない鮮血だが、五体無事。歯を食い縛りながら動いている。


 瓦礫を盾にしたのか? 満身創痍のはずの身体のどこに、そんな気力が。


「ちッ‼」


 尚も近付こうとする男に対し身体の表面、極狭範囲で特別強固な防壁を生じさせる。機ありと睨んで放たれた一刀。黒の刀身が凝縮された力の壁を滑り、仕損じたと見た男が急加速して切り抜ける。――その擦れ違いざま。


「――」


 アイリーンは、腕を見た。


 柄を握る男の、昇る黒の奥に沈んだ手を。


「……貴様」


 切り抜けから即座に反転しての突貫。だが三度目ともなれば速さも見飽きる。我武者羅なまでに斬り掛かってくる軸足を仕掛けた魔力の縄で絡め取り、動きの居付いた機に接近。大剣にて所作を誘導し、地面に叩き付けた。


「その術は、お前が使うことを選んだものか?」


 過たず四肢を制縛。肩を踏み、足下に男の顔を見下ろす姿勢を作る。一瞬アイリーンと目を合わせた男はしかし、答えを返そうとはしない。両手足に力が込もる。その所作に先んじて、枷に送る魔力を強めた。


「答えろ! 貴様は――ッ――‼」


 憤激する言葉を遮断する破砕音。投げ付けられた瓦礫が障壁に弾け、注意の一割がそちらに割かれる。


「――」


 瞬間、足蹴にしていた地面が跳ねる。飛ばされた中空で身を翻しつつ閃光を撃ち放ち、反動でバランスを取りながら男を牽制。飛ばされた瓦礫の方角にも何発か光弾を放っておくが、手応えがないだろうことは予想できた。頭上に魔術を放ち、随所に瓦礫を撒き散らしながら着地する。


「……」


 間違いない。


 変質ではなく、侵食だ。この術は術者の制御下に完全には置かれていない。解除すれば確かに元に戻りはするだろう。だが食み進まれた肉体は完全には戻ることなく、回数を積み重ねていけば。


 ――……いずれは。


「――」


 ――どうして、ここまでする?


 その術法は、お前が取り戻したいと願っているものを、お前ごと破壊しかねないものなのに。


 そのリスクを知りながら、それでも――。


「……っ!」


 戸惑いを覚えた攻防を紡ぎながらも、アイリーンの冷静な部分は的確にそのことを告げていた。……この術の持続はかなり短い。これだけの必死さで攻め立ててくるならば、それは確か。


 ――なぜだ?


 なぜこの青年は、こうまでして立ち向かって来れる?


 死が怖くないのか? 命が惜しくないのか?


 まだ見ぬ、己の未来が――


「――チッ‼」


 喰らい付くようにしつこい付き纏い。瞬間的に気合いを入れて集中させた魔力の鞭で打ち払う。――無理に撃ち斃す必要はない。アイリーンは至極冷静に判断する。時間切れを狙う方が賢明だ。バランスを崩し、幾許かの間を稼げればそれで充分。


「ッ‼」


 爪先立ちとなった片足指で踏み止まる所作に目を見張る。体を引き付けるように地に足を付け、一息に踏込む瞬時の動作。稼げると思っていた猶予を打ち消し、更に拍車を掛けた。


 ――なぜだ⁉


 間断さえ与えられない状況下。絶え間なく魔術を繰り出しながら、アイリーンは切に思う。


 ――なぜ自分は、こんなにも押し込まれている?


 僅かな気後れにも付け込んでくる気迫。逃さないという執念。確かにこれまでとは違う。男の行動の全ては自分を倒す為だけに収斂されたものであり、扱われている技法はアイリーンの知恵と経験を以てしても未知。それでも、それでも。


「ッ⁉」


 肩を引く衝撃。踏み締めた足で思い切り逆方向へ身体を引き、肩口から胸元に掛けてまでの布地が破れるのにも構わず振り解く。


 ――自分が。この《厄災の魔女》が。


 全身から吹き出る汗。拭う暇もなく、動きで睫毛から滴を吹き飛ばす。


 ――押される理由など、どこにもないはずではないか?


 例えこれだけの執念を、持っていたとしても――。


「――」


 ――そうだ。


 少女を取り戻させるわけにはいかないと思っていた。それは確かな事実であり、変わらない。今此処でアイリーンが戦っている唯一のわけ。


 だが、少女を取り戻させないとは、どういうことか?


 目的がそれだけならば様々な方法が考えられる。それだけを果たすつもりなら極論、アイリーンが自害すれば少女が戻ることはない。目的のための絶対にして確実なる理想法。


 自分はその方法を採らなかった。選ぶまでもなく外していた。自覚することさえできなかった。なぜならそれは、自分がどうするかを詰め切れていなかった所為であり。


 ……そもそもこの男たちを殺すのか、殺さないのか。そんなことさえアイリーンは未だに決め切れていない。決められるだけの動機がない。武人との戦いをあの形で終えてしまった、今の自分には。


 ――取り戻させるわけにはいかないなどという曖昧さだけで、動けるだけの熱量がなかったのだ。


「く――ッ‼」


 ――嘗めるな‼


 蛇のように絡み付く思惟を撥ね退け。紛れもない土壇場にて働くのは積み重ねてきた経験と技術。幾多の窮地と死地とを潜り抜けてきた自負と意地が、窮地にてなお勝利の糸を手繰らせる。


 ――それでも自分は、アイリーン・カタスフィニアだ。


 連盟を滅ぼし、《厄災の魔女》の名を冠した魔術師。たかが一人の弱卒に敗北することなど、あるはずがない。


 あってはならない。例えどれだけの覚悟を持ち、如何な戦術を練ろうとも――‼


 ――絶対に。


「――【重力」


 ……静かに。


 全ての喧騒から切り抜かれたような時の中で。覚えのある、声が響いた。


「――三倍】ッッ‼」


 直後に膝を崩れ落とさせる重さが襲う。同時に感じ取るのは、自らの知覚が遅れているかのようなあの違和感。


 ……もし。


 レジストに意識を回しつつ即座に手を打つ。捕縛を兼ねた六方向からの囲い込み。振り切られることを知っていたとしても、今のアイリーンにはただそれしか打つ手がない。


 ――もしそんなことがあるのなら、それは、つまり。


 骨肉を通す魔力で強引に剣を振るう。――何度も何度も。床を割り砕き、空間を埋め潰し、対峙そのものを拒絶し削り取る破壊を撒き散らして。


 渾身の意気を込めて突き放った剣身を、黒い影が潜るように擦り抜けた。


「――」


 ――来る。天啓の代わりに齎されたのは刹那の直感。生涯一度たりとも過ったことのない警鐘に、身体が逃れるように動いた瞬間。


 全てが凍り付いたように。アイリーンの、足が止まった。









 ――ここだ‼


 全身の細胞と感覚が告げる。――ここしかない。俺とアイリーンを取り巻く要素全てが完全に機会となった刹那、全身全霊で【一刀一閃】を抜き放つ。――狙いは顎元。掠めて脳を揺らし、レジストを防いだところで捕縛する。ジェインと郭の力でできたあの呪文で。


「――」


 一際強化した動体視力が走る黒刀の先端を捉える。コマ送りのように進んでいく刀身をアイリーンと俺自身の動きに合わせて調整。できる限り傷付けないような軌道を保持し。


 ――っ⁉


 一瞬戸惑いを覚えながらも、伝わる微細な感触を頼りに振り抜いた。


 ……何だ?


 今、アイリーン自らが、進んで俺の一撃に身を晒したような。


「――っ」


 解けない怪訝を余所に、脳への衝撃を受けたアイリーン、その足元が蹌踉めく。……怪我はさせていない。だがこの状態で最早レジストはできないはずだ。あとは、これで――!


「……なるほど……ね」

「っ⁉」


 ――喋っている?


 微かな呟きとほぼ同時。発動させていた術式の手綱を失う感覚が襲い来る。……防がれた。剣の入りが浅かったのか? 如何ともし難く浮かぶ驚愕と焦りとに駆り立てられながらも、止むを得ず強引に気絶させる一手を放とうとした瞬間。


「――ッ――‼」


 纏っていた重みのない冷たさが掻き消える。強烈な痛みを訴えてくる手足。熱を発し始めた筋肉に、滲む嫌な汗が止まらない。身体中を襲う変化に立っていることすらままならないほど。


 ――時間切れだ。


 息が詰まるような重さと共に苛む声が押し寄せてくる。要であるあの術の効力が切れた。感覚からして恐らくまだ円環の力は使える。だが普通通り攻撃を受けるようになった今のこの状態では、アイリーンに近付く手立ては。


「――良いだろう」


 絶望を穿つ声。目の前で、手にされていた大剣が一回りしたかと思うと消える。


「教えてやる。転生の解除方法を」

「……え?」


 ――え?


「……」


 わけが分からない。事態のまるで飲み込めない俺を、アイリーンは暫し見つめたあと。


「……はあ」


 一つ溜め息を吐いて、身に纏っていた魔力を消した。


「戦いは終わりだ。そこにいる二人も、隠れていないで出て来い」


 瓦礫の散乱する方に向けて声を飛ばす。


「私がその気ならこの男が死んでいたことくらいは分かるはずだ。それとも折角の機会を棒に振って、勝ち目のない鬼ごっこに命を賭けてみるか?」

「……」


 まずは小さく舌打ちをしてのリゲル。そのあとに警戒したような表情のジェインと、別々の場所から姿を現した二人。……アイリーンは二種類の支配級の適性の持ち主。俺たちとの戦いに全力を費やしたわけでもなく、まだ魔力は残っているはず。本人の言う通り、その気になればいつでも俺たちを殺せるだろう。


 ――なのに、今のアイリーンからは。


「知っているかどうかは分からんが、この術の原理はそれなりに複雑でな。術者である私自身が協力したとしても、下手にやれば手違いは出る」


 敵意や殺気がまるでない。まるで口調だけが同じ別人のように話しているアイリーンを、俺はただ呆けたように見つめていた。


「注意してよく聞け。まず――」




 ――そう。


 これが、貴女の気持ち。



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