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第五節 寂寥

 

 ――あの日のことは、今でも忘れることはない。


「……」


 よく晴れた日だった。格子の間から覗く空がどこまでも見渡せる。……そんな、心地よい秋晴れの日。


 男はいつも通り外に出ていた。ときたま尋ねてくる武天も、その日は来なかった。


 ――最後まで来なかったのだ。夜になっても、庵を訪れる者は誰もいなかった。


「……」


 初めは、偶々かも知れないと思った。


 二日目も同じような時間が過ぎていくに従って、少しずつ懸念が浮かんだ。


 傷はそれなりに回復している。枯渇した魔力の完全な回復にはまだ時間が要りそうだったが、見せる姿形を変えることくらいはできる。


「……」


 悩んだ末に、そうして私は、外に出た。……一応の書置きを残して。


 魔力感知の能力を使い、技能者がいそうな場所へ向かう。あの男たちが、今なにをしているのか。


「――いらっしゃい」


 それが知りたかったのだ。危険を承知で踏み込んだ酒場。……偽装に気付くレベルの技能者はいない。それを確かめて、カウンターに腰を置いた。


「注文は?」

「ハンターを」

「あいよ」


 飲み物が来るまでの時間を考慮に使う。……どう攻めるか。


「最近、組織が騒がしいようね」

「全くだ。あんなことがあったから仕方のないことだとはいえ、こっちとしちゃ気が気じゃないよ」


 ――ビンゴ。はったりに早速乗ってきた店主の言葉に、私は内心でほくそ笑む。


「……魔女はまだ見付からないのかしら?」

「そうだな。おまけにまさか、武術連盟のトップが手駒にされてたとあっちゃな」

「――」


 ―― な に ?


「なんだ。知らなかったのかい?」


 店主のその言葉で、見て取られるほどに内心が顔に出ていたことを自覚させられる。……まさか。


「あんたも技能者ならそれくらいは知っといた方が良い。連盟の発表した声明の写しがあるよ。ほら」


 無造作に差し出された紙――。その文面を、私は食い入るようにして読み始めた。


 ――先日。武術連盟の長、関一馬が、かの《厄災の魔女》を匿っていた事実が判明した。


 魔女の強力な洗脳を受けており、詰問にも魔女の居場所を吐くことはなかった。


 洗脳の解除は不可能と見做し、連盟による処刑を――。


「武人だのなんだの言っても、所詮男だ」


 私の前に注文したカクテルが置かれる。漣を立てる琥珀色の液体。


「魔女には弱いってことなのかねえ。ま、早いとこ対処してくれて助かったよ。魔女の手駒が大手を振ってトップに座ってるなんてことになっちゃ、おちおち夜も眠れやしない」


 こちらを慮るかのように言う店主。……魔術を撃ちそうになる手を押し留めるのには、かなりの労力を費やした。


 ――それから私は、更に幾つかの場所を回った。


 どこも組織が公表した以上の情報は持っておらず、憶測が飛び交っているだけだった。殺した人間から奪った金品を代わりに渡したのではないか、魔女が情婦として誑し込んだのではないか、いやいやその逆に、武神が愛人として魔女を手籠めにしたのではないか。


 好き勝手に作られる話の数々。一々気にしていては憤死するのではないかと思うほど、人の語る噂は娯楽的な悪意と無邪気を装う同調に満ちていた。一喝して薙ぎ払ってやりたい気持ちを、何度抑えたか知れない。


「……」


 それでも朧気な収穫はあった。聞いていくうちに、輪郭を帯びてくる疑問。始めに酒場で聞いたときより、私が思っていたもの。


 ――武天。一馬と共に自分と関わっていたはずのもう一人の頂点の顛末が、声明から風評に至るまでどこにも出て来ていないのだ。……処刑されたのは一馬だけという情報に間違いはないらしい。否応なく頭に浮かび上がるのは、ローマの昔から今に至るまで枚挙に遑のないないその事態。しかし――。


「……」


 仮に武天が一馬の所為を密告したのだとすれば、私の居場所をばらさない理由もない。だが処刑から一日が過ぎてからも、あの庵には何者も尋ねては来なかった。……第三者にあとをつけられたわけでもない。その場合でもやはり、私の無事は説明が付かなくなる。


 ――もう少し、調べてみる必要があるか。


 そう考え。私は夜の町に偽りの姿を消した。






「――それは事実なの?」

「ああ」


 目の前に座る男は大仰に頷く。カウンターの上、そこに乗っているグラスを手に取って、一息に飲み干した。


 此度の武術連盟の騒ぎについての情報を高く買いたいと、姿形を変えた私がそのような噂を流しておいたのが五日前。然したる進展もみられないまま、今日はこの前に二人の用無しを丁重に叩き出し、三人目として現われた提供者。


「二十三雄の弟子に女癖の悪い奴がいてね。やめときゃいいのに、寝床で女に自分を高く見せたいのか、自分しか知らない連盟の内情をペラペラと喋ってくれる。そいつが漏らした話の中身が、俺のところまで届いてきたってわけだ」


 武骨な手でボトルを掴んだ男が二杯目を注いでいく。こうした情報屋は人々が私用で訪れるような場所に網を張っている。その連盟員の迂闊さには呆れ返るところだが、今の私にとっては何よりもあり難いこと。


「こいつはとびっきりの情報だぜ? なにしろ、武神が魔女に洗脳されてたっていうその確かな証拠だ」


 ――馬鹿馬鹿しい。


 内心で唾を吐く。……事実の程は男の目の前にいる当人が誰よりもよく知っている。連盟がなにを以て洗脳と理由づけたのか、その根拠が知りたいだけだ。内部関係者から漏れてきた情報ならば、これまでより少しは進展があるかもしれない。


「話してみろ。残りはそれからだ」

「分かってるって」


 カウンターに置かれたグラスが、タン、という馴染みの音を立てた。


 …………


「……」


 ――沈黙。


「話をしただけの価値はあったみたいだな」


 得意げな男へ黙ったまま袋を滑らせる。中身を確認し、懐に収めた手。


「武天についてはなにか聞いてないの?」

「……なにもねえな」


 マッチで火をつけ、壁と天井の継ぎ目に向けて煙を吐く。


「ゼロだ。トップの片方が処刑されたんだからなにかしらリアクションはあってよさそうなもんなんだが、一切情報が漏れてこねえ」

「……そう。ありがとう」


 現実的にこれ以上を望むのは厳しいだろう。隠れ家に戻ろうと、私が立ち上がり掛けた――。


「時にお前さん」


 その動きを。目の前の男の目付きが呼び止める。


「なんで、術での変装なんかしてるんだ?」


 言い当てられると同時、周囲から起こされる幾つもの気配。


「それも大分念入りに。忘れてきた化粧替わりってわけじゃないよな?」

「……」


 男の言を無視して周囲に目を配る。背後で次々と立ち上がるのは客かと思われていた連中。カウンターの奥からぞろぞろと姿を現す者たち。纏う雰囲気と目付きから、何れも何かしらの技能者であることはすぐに知れた。


「――反秩序者(アウトオーダー)だろ。あんた」


 決め手のように鋭く放たれた一言。


「図星のようで嬉しいぜ。まだまだ俺の嗅覚も捨てたもんじゃないらしい。安くないカネを払って、店を貸し切りにした甲斐もあったってもんだ」


 上機嫌と言った態度に私は心の底から溜め息を吐く。……生半可な嗅覚など持っていなければ、全て穏便に終えられたものを。


「悪いが、組織に引き渡させてもらうぜ。稼がせてもらう礼だ。どこに売られたいかくらいは――」

「――情報を売ってもらった礼だ」


 皮算用に踊る言葉を無視して、なるべく端的明快に告げる。


「仲間共々、今すぐ消えるなら見逃してやる。どうだ?」


 一切物怖じのない私の態度をどう思ったのか。大勢のたむろする店内が一瞬、水を打ったように静まり返った。


「……この人数を前に怯まないとはな」


 続け様に忍び笑いや呆れるような声が奏でられる中……一人、目の前に座る男だけが思慮深げな反応を見せる。


「ハッタリだとしても大したもんだ。どうやら、名のある反秩序者らしい」


 言いながら顎をさすっている。カウンターに付けられた肘。私の仮初めの姿を見つめる瞳は、何かをしきりに考えているようで。


「この人数を前に粋がるじゃねえか」

「おい。いい加減に――」


 人垣の奥から野次が飛ぶ。待ち切れなかったらしい、背後に立っていた人員が、布地の上から私の肩を粗暴に掴んだ。


 ――店内を一瞬の閃光が埋め尽くしたのは、正にその刹那。


「――」


 太極の魔力特有の術光が治まった後には。面影もなく無惨な店内の他に、残されたのはただ二人の人間だけ。


「……今のを耐えるとはな」

「……っ……!」


 半分が焼け爛れた肉体。拘りのあっただろう帽子とコートは消し炭になり、無事とは言い難い体で、しかし生きているのは情報屋のあの男。苦しげにえずきながら上げられた視線が、用のなくなった変装を解いた私の姿とぶつかり。


「……は……っ!」


 漏れ出たような息に連れて、自嘲気に口元を歪めた。


「……まさか噂の当人だとはな。久々に利いたと思った俺の鼻は、どうやら疫病神だったらしい」

「……命乞いはしないのか?」


 静かに訊く。少なくともこれまでに私が殺してきた人間は、例外なく赦しを請うてきた。その前の自らの所業を棚に上げて、最期まで無様に。


「……すれば見逃してくれるのか?」


 男の問いに答えるまでもない。答えなど、互いに分かり切っている。私の眼前へと魔力が収束し――。


 ――最後の魔術が撃たれた後には、情報屋の姿はこの世界から消失していた。


 ………


「……」


 店を出たのち。宵闇を引き裂くサイレンの響きと人々の喧騒とを背に、私はその町を歩み去る。今宵得た情報の内容を頭の中で繰り返しながら。


 ――《武神》関一馬は、討伐対象からのアイリーン・カタスフィニアの除外を要請していた。


 曰く、二度に渡る討伐の犠牲も私の側に非があるものではない。事情を確かめずに戦闘を仕掛けた組織側の人員に問題のあるところであり、攻撃を仕掛けられないのなら、私の側に無法な魔術行使の意図はないと。


 幹部たちはその一件について相談し、残る三組織と敵対しかねない行為は得策ではないとの見解で一致。事態の内部収拾を図り、主張を取り下げない武神を処刑した。その命を失う最期の瞬間まで、武神は一切の抵抗をしなかったという。


 ――本当に、私の言葉を信じていたのか?


 あの男は私が語った言の葉の一切を信用した。その立場を変えるため連盟員に協力を求めて、そして受け入れられずに処刑された。私の居場所について、硬く口を噤んだまま……。


「……ふ」


 私は小さく嗤う。……愚かな男の愚かな所業を。束の間でも夢を見ていたような、そんな自分を。


 ――武天。


 唯一知れないのはそのことだった。情報屋の話によれば、一馬が連盟全員の総意としての働きかけを訴えた当初、他の幹部たちからは当然もう一人の頂点にも意見を訊くべきだとの声が上がったと言う。


 が、当時武天は連盟を留守にしており、結果として待ち兼ねた構成員たちがことに及んだ。そしてあろうことか、武天は今でも行方知れずだと言うのだ。


 だが、そんなことはどうでもいい。


 今更。全て、終わったことだ。


 ……全て……。


「……」


 胸に一つの決意を抱き。


 私は、闇の中へ歩いて行った。






 ――そして私は、武術連盟を滅ぼした。


 あの男の覚悟と決意を。……穢した組織を、決して、赦しておくわけにはいかなかったのだ。


 ――あのとき。


 あの人が殺されていず、例えばどこかに収容された囚われの身であったなら。


 私は駆け付けたことだろう。例え罠だと知っていたとしても、省みることはなかったはずだ。


 だからこそ、この青年たちの気持ちはそれなりには分かるつもりだった。


 取り戻せるのなら取り戻したい。望みがあるのなら賭けてみたい。諦めないで済むのなら、決して諦めることなどしたくない。


 ……だが。


 私の見た器の記憶。転生術の影響によるあれが真実であることは確かだ。だとすれば。


 ――この少女を、取り戻させるわけにはいかない。












「……」


 立ち昇る黒。纏う闇色と冷たさとを感じながら、その感触を確かめる。……紛れもない成功だ。


「……」


 前に歩み出る。アイリーンと対峙する場所へ。守られている場所から、己の身を晒す場所へと。


 ――エリティスさんから預かった奥の手。


 この術に掛かる発動時間。……二分と五十五秒。それ以上はどうやっても縮めることができなかった。


 合流を果たしてから俺たちは悩んだ。この術はアイリーンを押さえる要。だがそれだけの呪文を唱える間、どうあっても相手が待ってくれるはずもない。本当なら葵さんたちの助力を得てその時間を稼ぐはずだったが。


 話し合いの果てに、俺たちは選んだのだ。


「……」


 俺とアイリーンが事実上ほぼ一対一で対峙する、……この、状況を。


 持続時間は五分間。猶予はない。それだけの時間でアイリーンを抑え込めなければ。


 ――俺たちの、敗北が決まる。



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