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第三節 武神たちとの出会い 前編

 

「……っ」


 ――眩しい。


 眼を開けて、最初に感じたのはそのことだった、


「……ここは」


 徐々に目が慣れてくる。……薄茶を帯びた木の天井。顔に当たる光は、窓から差し込む――


「――気が付いたか」

「ッ‼ ――いたっ⁉」


 反射的に飛び起きようとして、走る痛みに声を上げる。……そうだ。まだ、戦いの手傷が。


「寝ていろ。動くにはまだ早い」

「なに――」


 気付く。身体に巻かれている包帯。粗末な物ではあるが、折れた腕は添え木で固定されている。紛れもなく、他人の手で施されたものだ。


「……これは」

「処置と消毒は済ませておいた。骨以外は大人しくしていれば数日で治る」


 状況を確認し、漸く声の主に視線が向く。……筋骨隆々とした背中。こちらに背を向けて喋るのは、肩に掛かるやや長い髪をした――男。床に腰を下ろして何か作業をしているようだが、詳細は分からなかった。


「なぜ……」


 口を突いた疑問が語尾へ消える。……まず確かめるべきは、この男の素性。


「お前は、誰だ?」


 空けられるのは数秒の間。男が手を止める気配はない。無駄な手間だったかと、自らの浅はかさを自嘲し掛けた私の耳に。


「関一馬」


 飛び込んでくる。朴訥に過ぎるようなその答えが、私の意識を揺さ振った。


「関、一馬……⁉」


 平静を装うどころの話ではない。如実に表した驚愕にも特別な反応を示すことなく。不意に男は立ち上がると、落ち着き払った歩調で距離を詰めて来る。


「飲め」


 構える私に差し出されたのは見るもみすぼらしい一個の椀。その中に湛えられている、毒々しい色をした液体物。


「……なんだこれは」


 液面は粒立ち、所々に固形の跡を残している。……到底飲めるようなものとは思えない。


「薬草を擦り合わせた生薬だ。体調を整え、疲労の回復を早くする」


 ――薬草?


 その言葉を聞いた瞬間、目の前の毒々しい色など消え去っていた。


「――ッ!」


 無事な右腕で弾き飛ばす。宙を舞う中身が床に撒かれ、転がった椀がどこか軽妙な音を立てる。


「ふざけるな。関一馬に、薬だと?」


 憤怒を込めて睨み付ける。


「戯れ言を言うな。なんの目的で、私をここに連れ込んだ?」


 目の前の男は答えない。暫し視線を合わせた後、転がった椀を拾いに行こうとする。


「――答えろ‼ 貴様は――‼」

「――叫べば回復が遅れるだけだ」


 男は椀を拾い上げ、布巾で零れた液体を拭く。


「無理をするな。それと、俺は嘘を吐かない」

「なに……⁉ ケホッ、コホッ‼」


 急に声を荒げたせいか、抗えない感触を覚えてせき込む。それだけで痛む喉。どこもかしこも……!


「水を汲んでくる。大人しくしていろ」


 やや早い足取りで男は外へ出ていく。一人になったことで幾分か落ち着き、漸く周囲を観察する余裕が生まれた私。遠ざかった男の気配を確認して、改めて視線を一周りさせた。


「……」


 木造りの簡素な小屋だ。庵……と言った方が正しいだろうか。印象は始めに見た通りだが、随所をよく見れば簡素と言うより粗末と言う方がしっくりとくる。木の格子が付いているだけの窓に、板を張り合わせて作ったと思しき扉。床も板張りで、今自分のいる布団以外には敷物も何もない。そう長くない期間滞在する為だけに作られた、拠点……。


「――っ」

「水だ」


 その扉を開けて室内に戻ってきた男。置かれたのはこれまた木造りの大きな桶と、コップ代わりと思しき柄杓。


「置いておく。足りなくなったら言うといい」


 毒物や魔術的な罠の気配はない。回復し切っていない魔力でそれだけは確かめる。……ここで拒んでも体力が消耗するだけだ。男と桶とを代わる代わるに睨み付けながらも、それを言い聞かせて渋々掬い上げた水を口に運んだ。……美味い。


「……」


 自然の内で汲まれた水だからか。……冷たく澄んでいる。幾口かで喉を潤して柄杓を置き、座っている人間の方へ目を向けた。


「……」


 男の言を真に受けるつもりなどない。四大組織に追われる魔女に正体を明かす理由などまともな人間ならどこにもないのだ。ただ。


「……」


 背を向けて座っている。それだけの所作でも、はっきりと伝わってくる。……強い。


 闘気や殺気の類は感じられないが、ただそこにいるという重さ、圧倒的な風格と存在感がある。恐らく自分がこれまでに見た中でも最強。


 であるならば、単純に一笑に付すのは無謀を侵す覚悟が要った。


 ――武術連盟。


 武人と呼ばれる技能者たちが結成した精鋭組織。所属する人員の数は圧倒的に少ないものの、個々の力の大きさで四大組織の一角にまで数えられている。二十三雄と呼ばれる構成員。それらを纏め上げている二つの頂の一つ、《武神》。


 関一馬。目の前の男の名は、紛れも無くその本名に他ならなかった。


「……」


 何か他に狙いがあるのかと思惟を巡らす。魔術的な素養の無い武人にできることなど限られている。拷問を仕掛けるなら敢えて傷を癒す理由はない。そもそも、一切の拘束が無い状態で放置されていることが異様――。


 ――いや。


 皮肉な考えが脳裏を過る。《武神》とあばら家で一対一。見方によっては、これ以上ない首輪を着けられているとも言える……。


「此処はどこだ?」

「俺の修行場の一つだ。俺以外の人間が訪れることは滅多にない」

「……私を追っていた討伐隊は」

「傷は負わせたが姿を晦まされたとして一時撤退した。捜索は今も続いている」


 拍子抜けするほど迅速に返されてくる答え。素っ気なくはあるが冷たさは感じられず、端的に事実だけを返しているようなその口振り。


「貴様……」


 だからこそ、私は疑りの眼差しで男を見た。


「何を考えている?」


 紛れも無くこれは、四大組織、延いては自らが所属する武術連盟への背信行為。


 殺せたはずの標的を殺さなかったというだけでなく、四大組織が合同で討伐隊を差し向けた相手を匿い、ましてや治療さえするなど――。


「……俺だけがお前の情報を持っているのはフェアではない」


 私の耳に届いたのはそんな言葉。


「倒れたお前を見付けた時、譫言に呟いていた言葉を聞いた」

「⁉ 何だ⁉」

「……」


 男は一枚の紙を渡してくる。上に乗せられているのは、鉛筆。


「入用な物があれば此処に書け。できる物なら明日までには調達してくる」





「……」


 ――相手は《武神》。


 仮に殺し合いをすることになれば今の私では分が悪い。寝首をかくにせよ、逃げ出すにせよ、回復してからでなければ始まらない。


 かく故にこの奇妙な生活は続いていた。男は必要な品々を用意し、私は傷を癒すのに専念する。会話は時折。必要な時に最低限の言葉を交わすのが常だった。


 ――そんなある日。


「……」


 渡された紙袋。いつものように中に入った品々を確認した、指が一瞬硬直する。


「どうだ?」


 訊かれてもう一度確かめる。……間違いない。確かめて徐に上げた視線。


「……なぜ、頼んでもいないものが入っている?」


 問題があったのは衣類。私の見る目に間違いがなければ、下着と思われるものまで入っていた。一枚しかない衣服は現状洗濯して使い回すことで凌いでいる。手慣れている身としてはそれで充分であり、気遣いとしては不要に過ぎる。……以前に似合わないと思うのが率直な意見だ。なぜこんなものを……。


「……それは――」

「――おっ」


 男が応えようとした瞬間、不意に現れ立ち入って来たその気配。


「これが《厄災の魔女》かよ。どんなアバズレかと思ってたが、中々可愛いじゃねえの」

「ッ‼」


 その出没に身構える。黒い海藻のような頭に、適度に顎髭を生やした顔付き。


「誰だ⁉」

「……あれ。俺のこと説明してねえの? 一馬」

「丁度言うところだった」

「マジか。バッドタイミングだな。滅茶っ苦茶警戒されてんじゃねえか」


 睨みつける私を目に、あー、と頭の後ろを描き、しゃあねえ、と。


「自己紹介するとすっか。――俺の名は、《神技一刀》」


 ――神技一刀。


「……《武天》か」

「お、流石は俺。名前が知れてんな」


 嬉しそうに口角を釣り上げる。……当然のことだ。《武神》と並ぶ武術連盟の双璧。本来なら驚くべきところだが、二度目となればその余地もなかった。


「なんのつもりだ。貴様」

「協力を頼んだ」


 質すように向けた剣呑な眼差しにも、男は動じず。


「俺一人ではお前の置かれている立場を変え難い。四大組織の決定を覆すには、少なくとも連盟の総意が必要になる」

「まあ当然だが、いきなり全員に広めちゃヤベえってことで、まずは無二の親友かつライバルであるこの俺サマに相談が来たわけよ」

「手助けなど要らん」


 決めポーズを無視。私を差し置いて話を進めようとしている二人に釘を刺す。


「自分のことくらいは自分で何とかできる。《武神》に《武天》の助力など、胡散臭いことこの上ないわ」

「まあま、そう言うなって」


 私の言などまるで聞いていないかのように流す《武天》。


「お前さんがどう考えてるのかは知らねえが、実際一人でやんのは無茶だと思うぜ? 四大組織を相手に独りぼっち戦争なんてのはな。現に――」


 そこまで言い掛けて。思い出したように顔が嗤う。


「それで一回とッ捕まってんだろ。見付けたのが一馬じゃなきゃ、お前さんは今頃土の下。正真正銘のお陀仏だったよ」

「なに――⁉」

「お、やるか? 介抱されてる怪我人の癖に――」

「――止せ。神技一刀」


 子ども染みた挑発に却って苛りとくる。武天が更に身を乗り出して言い続けようとした動作を、男の声が差し止めた。


「今回の一件は重大だ。下手を打つわけにはいかない」

「へいへい。分かってるよ」

「……少し出る」


 案外大人しく引き下がった武天に僅かばかり毒気を抜かれた、直後の男の台詞。


「その間に話し合ってくれ。どうしても合わないようなら、考える」


 呼び止めようとしたその瞬間には消えている姿。素早さに舌打ちをしつつ、武天に意識を向けた――。


「――どうよ」


 その瞬間に話しかけてくる。狙い澄ましたかのようなタイミング。いや、実際に狙っているのだろう。


「あんな朴念仁といて苦労とかしてないか?」

「……」

「さっきは悪かったって。相手が《厄災の魔女》って聞いて、ついからかってみたくなってだな」


 《武天》と何を話すつもりもない。敢えて気さくぶる言い訳染みた台詞を聞き流し、それと分かるように警戒だけは途切れさせずに。


「……なあ」


 また取るに足りない台詞が続くのかとの予想に反し、変えられたその声のトーン。


「いい加減、殺気を出すのは止めてくれねえか?」


 漏れ出た殺意を感知されていたことに、思わず眼差しを差し向けた。


「あんたらがどうなんだか知らねえけど、武人ってのはその手の気配に敏感なんだ。分かってても手が動いちまうことだってあるし」


 な、と笑顔を向けてくる武天。……自然と目が行くのは、その腰元に下げられた一振りの剣。


「ここで切り結べば絶対に俺が勝つぜ? そんなんで死んだって、しょうがねえと思うんだけどな」

「……それが本性か」

「本性だとか面倒な話にしてくれるなよ。俺はただ、あいつの恋人を切りたくはないってだけなんだから」

「――なんだと?」


 睨み合いの中途、聞き捨てならない言葉が出てきたことに嚙み付いた。


「……そんなに驚くようなことだったか?」


 当の武天はきょとんとしている。意を捉え違えられていることに気付き、軽い苛立ちと共に言葉を重ねる。


「――私が、いつ、誰の恋人になった?」

「あれ、そういう仲なんじゃねえの? だから匿ってんのかと思ってたんだが」

「万事悉く、徹頭徹尾、違う」

「おお、そりゃ悪かった……あ、勘違いすんなよ! 一馬がなんか言ってたわけじゃなくて、俺が勝手にそう思ってただけだからな」

「……それくらいは分かっている」


 今日でもう六日。その間一度たりとも約束を違えたことも、忘れたことも、時刻に遅れたことさえもない。あの男の生が付くほどの実直さは、私とて分かっているつもりだった。


「マジかー。あの朴念仁にも漸く春が来たと思ったら、よりにもよって勘違いってか。完全に糠喜びじゃねえか」


 盛大に息を吐き、木の床に仰向けに寝転がる武天。その態度も、私にとってみれば奇妙としか映らない。


「そう思い込んでいてよく浮かれる気になったものだな」

「別に? 相手が噂に聞く《厄災の魔女》だってのにはちょっとは驚いたが、いいんじゃねえのそういうのも」


 寝転がったまま。顔を向けずに投げられる声。


「刺激的だしな。普通の女と付き合ったって、結局合わねえだろ。俺たちには」

「貴様……」


 言いあぐねる。どうしてこの私を前にして、先ほどからこの男はこんなにも馴れ馴れしく平然とした態度を取れるのか。


「もう少しらしい態度はないのか? 一応貴様も一馬と同じ、連盟のトップだろう」

「俺は元から会議とか討伐とか参加してないの。組織だのなんだのそう言うめんどっちいことは嫌いでね。大体は一馬に任せてあるし、気楽なもんだぜ」

「……私を匿うことで、他の組織の怨みを買っても良いと言うのか?」

「そんなこと、俺の知ったことじゃないさ」


 幾許か試すように言った台詞に、返されたのは慮外の言。


「一々周りの事なんて気にしない。俺はいつだって俺のやりたいようにやるし、うちの連中だって、そんなんでどうにかなるような奴らじゃないと思ってるぜ?」

「とんでもない男だな」

「だから強いんだよ。――っと」


 重ねて枕にした手を使わずに跳ね起きた。何気なく行ってみせた所作の要する身体能力に一瞬だけ目を丸くする。ちゃらけた対応をしていても、中身が武人であることには相違ないのだ。


「んじゃ、今日は帰るわ。からかいがてら祝ってやるつもりだったんだが、自分のせいで気が抜けちまった」


 数分前までのしつこさが嘘だったかの如くあっさりと踵を返すその姿に、なにやら拍子抜けしたような気分を味わう。平時の私なら隠れ家を出て行く客には脅しの一つでも掛けるところだが、今ではそれも敵わない。


「武神は良いのか?」

「いいのいいの。どうせまた顔は合わせるんだし、その時にでもまたお話しするさ。あー……」


 代わりに投げた問い掛けに答え。扉に手を掛けかけた武天は、そこで見えない外を見通すような素振りを少しして。


「……まだ戻って来てないみたいだな。勘違いの詫びに、良いこと教えといてやるよ」

「いい。さっさと出て行け」

「そう言うなって。実はな――」


 此方の意見などまるで聞いていない。どの道聞かされる羽目になるとの諦めを胸に。


 私は一人、この奇妙な時間に息を吐いた。



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