第二節 魔女の思い
――【暗き閃光】。
掌から放たれる力の波動。掠めるだけでもただでは済まぬその一手を、三人は思い思いの方角へ割れることで回避する。ただの強化魔術とは違う。対象の時の流れそのものを変化させる極めて稀有な補助魔術。
――曲がれ。
「ッ⁉」
避け終えたタイミングを見計らって軌道を変える。対象はスーツの青年――攻守ともに敵方の要と言える人物。背中から迫る波動を気配で察し、目に頼ることなく躱す、躱す、躱す。
――加速、折れろ、割れろ、爆ぜろ。
染み付いた心中発声で指示を追加。常人では認識すら追い付かないような速度で術の特性を変化させ、追い立てる。それでもサングラスの青年を追い切れない。先の武人には劣るが極めて高い運動能力の持ち主だ。とはいえアイリーンの魔術から逃れさせているのは、それだけが理由でもなく。
「――ッ‼」
捉え切る寸前――際どい頃合いで上げられる行動速度。補助役にして司令塔を担う青年は冷静そのもの。一つ間違えば追い付かれるだろう際を完璧なまでの正確さで見極めている。年若いながらも魔術に対する造詣の深さ、即座に術者の狙いを見抜く洞察力は、アイリーンとて認めないわけにはいかなかった。
――この程度か。
それでもなおアイリーンの胸中を占めるのは退屈であるという事実。
三人の能力について既にアイリーンは聞き及んでいる。拳闘に重力、時間操作、能力を強化する呪具と、一技に全てを賭けた戦闘様式。
この自分に挑むからには新たな技法を修得しているやもとも思ったが、今に至るまでその兆しもない。男たちはただ避けるだけ。暗黒の鎧を纏ったアイリーンに対し、為す術がないことは明らかだ。
そしてなにより酷いザマなのは、あの男。
「……ふん」
少しはマシな眼をするかと思えば、期待外れな。
始めにあれだけ明快に啖呵を切っておきながら、自分ではなにもせず後方で逃げ回っている。……情けないとしか言いようがなかった。尤も元よりこの自分を相手に、何かして見せろと言う方が無理な話なのだ。特に、男の仕留め役という立場を考えれば。
「――【功徳消し去る無限の剣影】」
言の葉に応じて形成される数多の闇の剣。それらを独立の軌道で動かして攪乱する。――男の追い立てには特に近付かせないよう念を入れている。例えどれだけの強化を預かったとしても、一撃でアイリーンを仕留めることは不可能だろう。
「チッ!」
最も秀でていると思しきスーツの男でさえ先ほどから一向に攻勢に出られていない。司令塔は仲間たちを生き延びさせるので手一杯であり、仕留め役は閉じ込められた安全圏をうろつくばかり。
――詰まるところ、これがこの男たちの限界なのだ。
「……」
どう終わらせるかと思う。後々に滅世が待ち受ける以上、今此処でこの男たちを殺そうが殺すまいが同じこと。勝たせることさえなければ目的は達成されるのだ。果たして……。
……いや。
予想だにしない方向から風が吹くように、ふと思い立つ。――本当に、何もしていないのか?
「――」
今一度。知らずの内に二人に偏重していた視線を切り替える。……スーツと眼鏡の青年は何もしていない。残る、あの男は。
「――っ」
気付きは直後。術師として稀代の才を持つアイリーンからすれば、元より気付けないはずがなかったにも拘らず。
――何か、しているな?
魔力を覆い隠そうとする不自然な流れ。――巧妙な感知妨害。間違いなく事前から用意し仕込まれていたものだが、その気になって見れば看破など赤子の手を捻るようなもの。
男は詠唱を紡いでいる。あの練り上げ振りを見るに、恐らくは戦闘が始まってからこれまでの間、休みなく。
――やってくれる。
よりによって魔術で魔女を謀るとは。侮りが生んだ陥穽に対し、口の端を上げながらアイリーンが動きを変えた。
「っリゲルッ‼」
「おうよッ‼」
相手方もそれに気が付く。仕留め役を狙う闇剣に対し掛けられる遅延と重力。鼻先嗤いと共にレジストし、軌道の捻じ曲げは注ぎ込む魔力の増加で強引に突破する。
「――【時の遅延・三分の一倍速】‼」
――血迷ったか。
無駄な足掻きの果てに司令塔役が取ったのはアイリーン自身への魔術干渉。考え得る限りで最も愚かな選択だ。既に撃ち破られたものを、よりにもよってその当人へ掛けるなど。
「ふん。こ ん な ――」
はたと気付く。解除できていない。私のレジストを、掻い潜った――?
――小賢しい。
先より幾許かの集中を裂いたレジストで弾き飛ばす。掻い潜ったとしても高が数秒。その程度の時間、くれてやることになんの――
「――【重力六倍】‼」
華奢な肉体を体感したことのない負荷が襲う。敢えて此処まで温存しておいた手札だろうが、事前の情報がある以上アイリーンとて予測はしている。【混沌の輪舞曲】で肉体を強化し強引に外へ。この手の術式は発動前に範囲を定める都合上、後々からの変更が利き辛い。弱所は明白。対処は容易く。
「【覇者の――ッッ‼」
――なに?
触れられないはずの距離。そこから引き絞られた拳の圧力に瞠目する。空気を震わせる鼓動。――なんと膨大な力の集約。アイリーンをして、正面から受けることを躊躇わせるほどの。
「――っ」
青年の狙いは乾坤一擲。愚直に直線上へ撃ち出す構え。即座に回避行動を取ろうとして、気が付いた。……重力場に囲まれている。避けられない――
「――剛拳】ッッッ‼」
「――【混沌の大盾】!」
口を突いて出た言の葉が流れるように太極の盾を作り出す。強大な力と力が激突する凄まじい衝撃の波。荒れ狂う大気に髪が縦横無尽に靡かされ、盾の持続にそれなりの魔力を持って行かれたことを意識する。
――あの男……これほどの才覚とは。
魔術と拳撃を組み合わせた複合技法。術理としては比較的単純だが、ここまでの噛み合わせには双方への深い理解とそれらを滞りなく連動させるだけの身体・魔力操作技能が不可欠になる。身のこなしから荒削りな印象を受ける青年が、他方でこれほどまでに見事な一致を披露するとは、完全にアイリーンの予測の外にあった。……意気で押された自らが、咄嗟に守りの術を選ぶことも。
そして魔女を襲った驚愕は、それだけではない。
「【時の加速・五倍速】‼」
突貫。反射的にフェイントを織り交ぜて脚を撃ち抜く。――ずらされた。勢いよくもんどりうって脚から血を滴り落とし、それでもなお止まらないスーツの接近。手袋に包まれた拳の一撃を全方位へ巡らせた障壁で止め、返しに放った奔流は寸前で回避される。……また加速。
「――」
……この男たちの戦い方。
後先をまるで考えていない。使われた技法は何れもそれ単体が切り札になり得るレベルのものだったが、アイリーンを仕留め切るには程遠い。そんなことは相手方も重々分かっているはずなのに、迷いがないのだ。
まるで勝利ではなく、残りの数メートルを全力で駆け切ることに注力しているかのように、逃げ回っていたときには見えていた慎重さが消えている。彼我の力量差を考えれば、それも決しておかしなことではないが――。
「【時の加速・四倍速】‼」
「【重力八倍】ッッ‼」
――まただ。
加速した超重が隈なく全身に襲い掛かる。直接的ではない環境の変化にレジストは不可能。【混沌の輪舞曲】を以てしても逃れるには数秒の時間が必要となり。
――そう。そのたった数秒のためだけに、この男たちは全力を費やしてきている。
……ならば、その意味とは。
思考が一つの合点を成したとき。
「――ッ⁉」
これまでにない、不可解な力の波動を、アイリーンは感じ取った。
「――同情はしねえ」
床に立ち尽くし。見上げている私に向けて、男は言う。
「こんな身の上だからな。親殺しなんざ珍しいもんでもねえ。責め立てる気もねえが……」
グイと口元の油を腕で拭い。睨むように私を見る男。
「自分の食い扶持は自分で稼げ。仕事もしない奴の席は、ここにはねえぞ」
――なるほど、と思った。
それもそうだ。人間も動物も同じ。生きるためには、自分で餌を取らなければ。
それ以上異論はなかった。粗末な木造りのテーブル。皿代わりのパン上のチーズや肉を食い漁りに男が戻ったのを目にして、私は鳴る腹を抱えながら夜の町へと戻った。
「――呼んだか? アキレウス」
「おう。まあ、座れや」
突然に受けた呼び出しに応じて姿を現した私。……いつものように侍る淫らな女どもはいない。そのことに安堵というより寧ろ警戒心を高めながらも、私は男の無骨な指が差したソファーに腰掛ける。
「最近……」
質の悪い葉巻に火をつけ、高くもない天井に煙を吐き出す。……初めて会ったあの日から、この男も相応に歳を取った。
「中々張り切ってるみてえじゃねえか。お前を拾ったときはどうかと思ったが、一人前に育ってくれて何よりだ」
「……」
言葉は返さない。そんなものが用でないことは分かっている。この男の性格からすれば、その言葉も嘘ではないのだろうが……。
「お前、支配者の適性があるらしいな」
「――!」
「それも二種類。張り切るのは良いことだが、張り切り過ぎも困りもんだ」
これまで隠し通してきた事実。ばれればただでは済まないだろう事実を突き付けられ、自然と緊張が私の身を強張らせる。……どうなるか。
「ここは俺のシマで持ってる。俺より強いかもなんて奴が中にいちゃ、示しがつかねえ」
「……なら、出て行こう」
「そうだな。それが一番穏便だ。本当なら俺もそうしてえとこなんだがよ」
深く息を吸いこみ、もう一度。吐き出された濃い煙の残滓が私の鼻腔を微かに刺激する。咳き込みたくなるのを堪え、男に合わせ続ける視線。
「最近色々と睨まれちまっててな。続いてくためにも条件が付いた」
滅多にこちらを向くことのない男が――その時だけ、私を正面からはっきりと見た。
「中から一人だしゃ、それ以上はつべこべ言わねえとよ。……分かるよな? この意味」
「ああ……」
やはりそうなるか。備えと共にどこか残念な気持ちを覚えていた私の前で、厳めしい図体をした男が立つ。
「ほんと、お前を拾った時は、こんなことになるとは思わなかったぜ」
「……こちらもだ。アキレウス」
「まあ、なんだ」
男の目が鋭くなる。身体に帯びる魔力は紛れもない強化の光。
「恨んでくれて、構わねえぜ――」
応じて私も魔力を熾す。目の前の敵へ、殺気と共に術式を向けた。
――
……そうして私は、男を殺した。
選択肢などありはしない。殺さなければ殺される。そうした状況の中で、ただそれを行っただけのこと。そのはずだったが。
「ひ、ひぃッ!」
怯え声を上げて放たれる短剣。魔力を帯び、狙うものを追尾するようにされているその刃を、私は見もせずに撫でるようにした魔力で払い落とす。
「た、助けてくれ! 頼む!」
「……人の命を狙っておいて、今更命乞いか?」
もたれた足に尻餅を付き――惨めに頭を垂れてくる。退路はない。元よりそのつもりでこの場所へと誘い込んだのだ。目論見通り襲撃を仕掛けてきた五人を殺し、残るはこの男一人。
「も、元はと言えば、お前がアキレウスを!」
「まあ、そうだな」
否定などしない。あの男を殺したのは、確かに私だ。
「だがそんなことは元より承知の上のはず。逸れ者として生きる私たちなら、殺し殺されは世の常だと」
恐怖に怯える瞳……いつの間にか慣れてしまっていたその色合いを見下ろしつつ、私の掌で魔力が渦を巻く。
「頭の仇討ちなど。また随分と感傷的な理由に引かれたな」
――組織の残党を殺し尽くす頃には、私の名は技能者らの間で一端の名となっていた。
名が売れれば絡んでくる輩も増える。争いも増え、揉め事が増える。死体が増える。そうして、いつか――
「――く……っ……‼」
滴り落ちる血液。足跡を残すことに払う意識もないまま、痛みの走る体躯を無理矢理に動かして前に進む。……まさか二種の支配者の適性を持つ私が、己の魔力を使い果たすまでに消耗するとは……。
「ハアッ……ハッ……!」
二歩、三歩。
ただそれだけの距離を動くにも荒れる呼吸。足を踏み出す毎に全身を金属の塊で殴打されているかの如く意識が揺れる。自身を貫く楔となった骨によって、内側から肉を削がれているようだ。
今回の討伐隊は、何れも手練れ揃いだった……。
二度に渡る隊を返り討ちにされ、漸く四大組織も本腰を入れ始めたということか。強襲に反撃など及びもつかず、全霊で逃れ出ることが精一杯。
「は……っ」
腹底から苦い笑いが零れる。こんな小娘一人に労を割いている時点で、四大組織とやらも高が知れるというもの。大義と正当を謳いながら未だ凶王派を殲滅できていないのも頷ける。その力を振るう相手は、もっと別に――。
「ハ……っあぐッ……‼」
一際痛烈な感触に思わず呻く。……残された魔力では活動に支障をきたす傷、出血量の多い傷を辛うじて措置するのが精一杯だった。左腕の骨折に加え、十数か所に及ぶ裂傷と打撲も身を苛んでいる……。
「く……! あっ……」
気力で一歩前へ出ようとしたところで、崩れ落ちた膝を付く。……血を流し過ぎた。治癒したはずの箇所にも力が入り切らず、上手く動かすことができない。
「‼ くッ……」
周辺で動いている複数の気配。魔力も気配も可能な限り消しているはずだが、敵方も相当の実力者たち。悟られたとしてもおかしくはない。このまま止まっていることは死を意味する。……早く、早く逃げなければ。
「……ッ……‼」
集中して力を込める。一度崩れてしまった脚はそれでも中々立ち上がろうとはしてくれない。……早く。早く逃げて……
――逃げて、どうするというのだろう?
そんな考えが過ったときには、脚はもう再び地面に張り付いてしまっていた。
――既に私は組織側の技能者を幾人か葬ってしまっている。ここをどうにか逃げ伸びたところで、四大組織は今更追及の手を緩めはしないだろう。……構成員の数は万を超える。各地に張られた網は昼夜私を休ませはしない。例え何度退けたとしても、またすぐに次の討伐隊が派遣されてくるだけだ。……馬鹿げたこの闘争劇は終わらない。磨り潰されるまで戦って、そして。
「はっ……!」
嗤いと共に吐き出した息。……なんだ? それは。
望みなどない。どう足掻いて見せたところで、結末など決まり切っているではないか。殺し、傷付け、傷付けられ、最後には殺される。
……こんな生き方のために、私は生まれて来たのだろうか?
「……っ」
……眠い。疲労に思考が纏まらなくなってきている。……身体も動かない。……もう。
もう、疲れた……。
冷たい土の感触を覚えながら、私の意識は、闇へ沈んだ。




