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第一節 魔女との戦い

 

「――この奥か」


 暫く。歩いてきたのち、立ち止まるジェイン。前方に見えるのはこれまでと変わりない無地の襖。少し遅れて俺にも分かる。力の気配を隠そうともしていない。恐らくは相手も、気付いているはずなのに。


「作戦は話した通りだ。……用意は良いか?」

「……ああ」

「いつでも行けるぜ」


 もう一度確認する。父のお蔭で目立った消耗はない。多少の火照りと疲労感はあるが、これから動くに当たってそれくらいは寧ろプラスになるだろう。凡そ万全の態勢。そう呼ぶのが相応しかった。


「よし――行こう」


 進みに合わせて並びを変える。……此処からはリゲルが前へ。それに続く形で、ジェインと俺。


「……リゲル」


 数歩を歩いた時点で感情が口を突く。……話し合いの上で決めたことだ。だが、それでもやはり……。


「一々言うのは無しだぜ」


 足を止めて、背中越しにリゲルが言った。


「俺たちが決めたんだ。なら後は、全力で突っ切るだけだろ」

「――現状ではこの作戦が一番成功の見込みがある」


 眼鏡を押し上げつつジェインが言う。


「大丈夫さ。僕たちは必ず、カタストさんを助け出す」


 その笑みに、決意を貰った。


「……ああ」

「よっしゃ! 気合い入れて行こうぜ」


 リゲルが踏み出す。目の前の襖に手を掛け、勢いよく左右に開け放った。


「――」


 第一。室内の惨状に目を奪われる。散乱する木片、突き破られ穴の空いた壁。鮮烈な破壊の跡が部屋中に隈なく広がり、その中央に立っているのは。


「……」


 ――黒い。フィアとは真逆の色衣装。立っているだけでも感じられる威圧感に気を惹きつけられる中で、変わらぬ銀の髪と、翡翠色の瞳が俺たちを出迎えた。


「――」

「あんたがアイリーンって奴か?」

「――そうだ」


 リゲルの問いに、その女性は笑んで答える。猛獣のような優美に、深い余裕を持って。


「我が名はアイリーン・カタスフィニア。連盟を滅ぼし、滅世に組する《厄災の魔女》。――お前たちの、敵だ」


 紡がれた宣告は明白にして明快。清々しいほど用意は整っていて、逆らう動機などどこにもない。予想し、思い描いていた通りの展開が其処にあり。


 一つ、気に掛かったことがあった。


「……田中さんはどうした?」

「田中?」

「俺たちの前に、戦っていた人がいるはずだ」


 此処に来る前、父は確かに言っていた。今頃は、田中という武人が相手をしているはずだと。


 此処に来る途中で戦いの気配は感じなかった。アイリーンが今こうして健在であるのなら、恐らく田中さんは敗れたということだが。


「ああ……」


 目を細め、煩わしげなアイリーン。……その痕跡がどこにもない。至る所に広がる破壊の痕は間違いなく熾烈な戦いがあったことを示しているのに、当事者であるはずの田中さんの姿が、どこにも。


 まさか――。


「――消した」


 余りに端的な回答。震える心に、胸に抱いていた不安が確信へ変えられたことを自覚した。


「目障りだったのでな。追い付いてきた女共々、消えてもらった」

「……っ!」


 ……止めてくれ。


「余りに愚かな間抜けどもだったな。女に庇われる様は、なんとも滑稽で――」


 フィアと同じ顔で。そんな――!


「……」


 揺れ動く感情の中、静かに。


 前のリゲルが構えを取る。隣に立つジェインが、僅かに右に開く。


「……お前たちのような弱卒が、本気でこの私に挑もうとはな」


 その動きを目敏く捉え、斧を振り翳している蟷螂を見るような、そんな侮蔑とも哀れみとも付かない目で俺たちを見遣ってくるアイリーン。……それでいい。心の均衡をなんとか取り戻す。力の差が明らかだからこそ、それが俺たち唯一の勝機になる。


「一応は訊いておくか。――何をしに来た?」


 予想外の言葉に一瞬、意表を突かれる。……含みも皮肉も交えられていない。向けられた表情を検討して判断する。これは。


「……フィアを、返してもらいに来た」


 俺が、答えなければならないことだ。


「返さないと言えばどうする気だ?」


 なおも続けられる問答。理屈を振りかざして見せたところでどうにもならない。選び取りと共に押し通さなければならない場面が、今現に目の前にあるのだ。


「……力づくで取り戻す」

「……ほう」


 薄い反応。それ以外に一見して動きはない。だが、分かる。今の俺の一言で、アイリーンが戦闘態勢を取ったことが。


 ――いよいよだ。


 此処が大一番。重圧を肌身で理解して手足に緊張感が満ち満ちていく。ジェインたちと立てた作戦は違わず頭の中にある。あとはそれが上手く運ぶかどうか。……俺たちを侮ってかアイリーンは魔術も大剣も出していない。こちらの動きをただ待ち構えている、今が一番目の好機。


「【時の加速・二倍速】‼」

「――へッ‼」


 術式の発動と同時。いつものように全ての視界がスローにされるその中で、勢いよく、リゲルが前へ飛び出した。


 その後ろで素早く左右に割れる俺とジェイン。……《厄災の魔女》とまで謳われた技能者アイリーンは、魔術師だ。


 アウトレンジで戦うなど問題外。開幕から接近戦に持ち込まなければ話にならないが、逆に持ち込めさえすればこちらに分がある。鍛え抜いた脚力に【時の加速】。今のリゲルの踏込みに反応することは、【魔力解放】状態の俺でも難しい。


「――馬鹿が」

「ッ⁉」


 その予測を裏切るように――溢れ出す光。人複数人を優に収められる太さの閃光が、正に光と見紛うほどの速度でリゲルとの距離を詰め切る。まるで比較にならない彼我の速さ。出だしから勢いの付いた身体はそれでも速度を落とすことさえできず、為す術のないまま光の中へと飲み込まれていく。そう思われた直後。


「――」


 瞬きの間にその瞬間を見逃したかのように。眩いほどの白に沈み掛けていた、黒の背中が消えた。


「――ッ‼」


 唸りを上げてジェインと俺の間を駆け抜けていく閃光――。角度を変えた視界に映るのは側面へと回り込んでいたスーツの後ろ姿。三倍速への変更と軸を切るリゲル渾身のステップイン。全力と思われた速さから更に急加速するその動作で、一気にアイリーンの側面にまで潜り込んだ‼


「なに――」

「――悪ぃなフィア」


 一瞬の驚愕を見せたアイリーンが反応する。それよりリゲルの掴み取りの方が速い。捕えた左手首を捻じ上げつつ流れるように腕ごと背中側へと回し、膝によって乗せた体重で地面に押さえ付ける。パーフェクト。


「動かなきゃ折らねえよ。頼むから大人しくしとけ」

「貴様――ッ!」


 ――予想以上だ。


 足を高揚に任せて一息に飛び出す。痛みのせいか怒りのせいか、歯を剥き出しにするアイリーンは冷静さを失い、他の行動を失念している。であればそれは動けないのとほぼ同義。この機会を逃す手はない。あとは俺が円環の力を借りて、的確に気絶させられれば。


 それで――!


「――離れろッ‼」


 浮き立つ思考を引き止める絶叫。培ってきた信頼に比例した危機感に、理解に先んじて身体がブレーキを掛ける。視界の中。


「ちッ――」


 起きていた目に見える変化。光量の変わらないはずの室内で突如として暗めいているアイリーン。拘束を粘ったせいか、俺からやや遅れて跳び下がったリゲルの四肢に。


「リゲル‼」

「大丈夫だ! なんてことねえぜ」


 濃い霧のような暗めきが纏わりついている。敢えて掃うまでもなく、ゆっくりと消えていく暗めき。リゲルの言うように大事無いようで、だがその光景の最中で気が付いたこと。


「――」


 リゲルの肩が上下している。……今の一瞬の動きだけで。息が、上がっている?


「……魔女を相手に制体術の真似事とはな」


 スカートを払いつつ、既に立ち上がっていたアイリーンが俺たちを睨むように一瞥する。その全身に纏う闇。服の黒よりも暗い、どことなく冷たさを感じるそれは、俺にとって大いに覚えのあるもので。


「気を付けろ! 触れば吸い取られるぞ!」


 警笛のように耳に届いたジェインの注意に息を呑んだ。……これが。


「……不用意には近づけねえな。やり辛え」


 アイリーンの操る力の一つ。……俺と同じ暗黒の魔力。だが支配級の適性を持つアイリーンのそれは、属性の元々の特質である【鎮静】が極限まで引き出された別質のもの。危険性は段違い。触れるあらゆる力を奪い尽くす脅威となっている。


「私の動きを止めるつもりだったのか? 術者の意識を奪い、その間に転生を解除する」


 これだけでもアイリーンの本領、そのほんの一端を披露しただけに過ぎないのだ。……そしてそれだけで掛かりを封じられた俺たちを眺め遣り、アイリーンは相手の無力を鼻で嗤う。


「若輩の思い付きそうなことだ。他の連中に警告されなかったのか? そんな無謀は、命を懸けるだけ無駄な手間だと」


 まるで甚振りがいのある獲物を前にしたしなやかな豹のよう。浮かべられるのは、どこまでも愉しむような嗜虐的な笑み。


「徒に失望させる趣味はない。お前たちの哀れなほどの間抜けさに免じて、教えておいてやろう」


 一呼吸を置いた。次に来る言葉、それをつい待ち構えてしまった俺に向けて。


「――不可能だ」


 僅かに鋭くした目付きで以て、そう告げた。


「転生の結果を覆すなど、このアイリーンにすらできぬ芸当よ。ここまで進んでいればどうにもならぬことなど、まともな思考なら考えの及びそうなものだがな」

「……っ」

「一目瞭然だろう。私が、お前たちの仲間の女に見えるか?」


 ひらりと。嘲るように鮮やかに一回転をして見せ付ける。……そんなことは。


 そんなことは、言われなくても……ッ。


「術式は既に完了している。お前たちの縋る希望など、始めからどこにもないということだ」

「――」


 ――惑わされるな。


 一瞬、一瞬でもまさかと思ってしまった自身に強く言い聞かせる。……フィアを助けるためにはこうするしかない。アイリーンの言葉が真実かどうかなど、端から関係が――!


「――随分とよく喋るな。《厄災の魔女》」


 ――ジェイン?


「資料を見た限りでは、人付き合いの悪そうな性格だと思っていた。まさか、ここまで喋り好きだったとは予想外だ」

「――なにが言いたい、小僧」

「僕らの側にも本職の魔術師がいる。性格の捻くれた、いけ好かない人間だが」


 ねめつけるアイリーンの視線にもジェインは怯まない。中指で眼鏡を押し上げ、努めて平静に言葉を紡いでいく。


「腕前だけは信用できる。その人間が、転生術はまだ完成していないはずだと言った」


 ――。


「何度も計算し、確認し直した上でだ。そこに間違いがある確率は限りなく低い」


 沈黙。アイリーンの冷厳な目付きは変わらない。ただ俺を取り巻いていた空気の重さが、少しだけ軽くなったように感じられた。


「語るに落ちるほど舌を回すのは、理由があるのか?」

「……」

「例えば、田中さんとの戦いで消耗していると言った――」

「――黙れ」


 ――殺気。視線とは比べ物にならないその恐ろしさに、反射的に終月を盾にしてしまう。……刺し貫くような怒りの殺意。危険だとは分かっていても、思わず竦む身を抑え切れない。


「随分と小賢しい舌遣いをする。その若さであれば、自らの浅知恵を披露したくもなるだろうが」


 一つ一つの言葉の音が、刃物もかくやと言うほど鋭く砥がれている。


「自分たちの置かれた立場が分かっているのか? 賢しらを気取るその頭で、勝機がどれほどのものか考えてみたらどうだ?」


 思い知らされるように。身体に声を刻まれていく。


「滑りの良い口先は災いを齎す。死に際を少しでも楽にしたければ、神経を逆撫でるその口を閉じることだ」

「――黙らねえよ俺たちは」


 響いた台詞。緊張を遮る第二の声に、アイリーンの目がそちらを向く。


「さっきから他人のことガキ呼ばわりしやがって。何様のつもりだてめえ。大体そっちだって、齢は俺たちと大して変わんねえくらいじゃねえか」


 ――リゲル。サングラス越しのその眼で、正面からアイリーンの目を睨み付けている。


「魔女の歳月を外見から推し量るなど愚昧の骨頂。この私が潜り抜けてきた死地は、お前たちのような若輩と比べ物にならんわ」

「そういう言い方が小物っぽいつってんだよ。《厄災の魔女》? 笑わせるぜ」


 更に挑発気味に言って。サングラスをずらし、ブルーの眼でニヤリと笑った。


「全然怖くねえよあんた。うちの、あの親父に比べればな」

「……貴様」

「偶には尤もなことを言うじゃないかリゲル。――そういうわけだ厄災の魔女」


 いつになく居丈高な態度を取るジェイン。二人の意図は分かっている。だが。


「……リゲル、ジェイン」

「ま、見てろよ黄泉示」


 構えを取りつつリゲルが更に前へ出る。


「ダチ二人のためだ。腕の見せ所ってもんさ」

「この馬鹿と共同作業というのは気に食わないが……」


 ジェインは俺と同じ位置に立ち、だがその瞳は前を見据えたまま動かない。


「心配は無用だ蔭水。君は、君自身の役目を果たせ」

「――いいだろう」


 その終わりを継ぐアイリーンの声音。変えられた声の温度に、意識を向けざるを得なくなり。


「そこまで死に急ぐなら、思い知らせてやろう。自分たちの身の程というものを」


 翡翠色の俺たちを映す瞳に宿されるのは明確な殺意。……肌を焼く日輪のような。熱気を感じると錯覚するほどに強大で、どこか神々しさすら覚えるような異様な魔力の気配が熾されていく――。


「精々足掻いてみせるがいい。そして、最期に悔いろ」


 目の前にいるのは紛れもなく記録の中にいたあの脅威。――《厄災の魔女》。その事を理解した全身へ一瞬、震えが走った。


「――あのとき分を弁えてさえいれば、もっと楽に死ねたのにと」



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