第二十八節 二つの刃 後編
――浅かった。
手応えがないが故の目測。意表と慣れ緩みの隙を突いた初撃必殺の失敗を認めつつ、気落ちもなしに蔭水冥希は次を繰り出す。触れることさえ拒絶するような大仰な回避。躱されていると雖も問題はない。装填は継続させたまま、いつでも次を撃ち放てる。
――【術式装填】。
発動直前の魔術を己の得物に宿し、その威力に上乗せさせる高等技法。効果を得られるのは任意のタイミングで一度だけだが、元々に魔術を収束して乗せた斬撃の威力は況や凄まじいものとなる。片手打ちでも平時の全力の【絶花】に匹敵し、加えて魔力で形成された術の刃が範囲を拡張。線による物理的な防御をその分だけ擦り抜けるようになるのだ。
感覚としては【鎮罪】に似ている……。魔術には造詣の深くない冥希だったが、会得している蔭水の呪護法が刀を媒体として行うものだったことが類似点として幸いした。《赤き竜》の力の使いこなしと同時に着手し、実戦での運用に耐え得るまでに三ヶ月。それでもやはり、この状態での完璧な発動は賭けとなる。発動させた魔力の際までに意識を乗せ切らなければ完全なる刃の形成には至らず、石火の間も許されない手の中でその操作が僅かに乱れた。……あの呪具の発動は黄泉示自身の意思に依っている。意識すらさせない攻撃ならば殺せる可能性はあったが。
「――」
黄泉示の反応と離脱が予想以上に加速したことも含めてその命を断ち切るまでには及ばなかった。それでもいいと冥希は改めてそう判じる。全ては始めから外すことも含めて組み立てられた一連の行為。破れない盾があるのなら、盾そのものを無意味にすればいいだけのこと。
魔力の刃という新手を顕にしたことで黄泉示は繰り出される斬撃を完全に回避せざるを得なくなった。魔力体力の消費は一段と増し、それは即ち強化を扱える限界までの時間が一層短くなったことを意味する。――推測して残り数十秒。崩れた姿勢で闇雲に一撃を放つなら狙えるのは最高で自身との相討ち。それに於いても冥希の目的は達成されている。
――即ち詰みだ。
どこまでも不確定だった勝ち筋の確かならしめられる音。ゼロまでの時間を刻む秒読みの中で、ただ弾き出される最善手を打ち続け。
「――」
目にされたその構えに、ゾクリと背筋が粟立った。
――亮。
重なり合うのはかつて蔭水家最強と謳われた乾坤一擲のその姿。来るという問答無用の確信に促されて体勢と刃向きから予測した軌道に渾身最速の一刀を振るい出す。あの構えに僅かの遅れも取ってはならない。竜の魔術を込めた、盤石の一刀にて撃ち放ち。
「――ッ」
それまで一度たりとも過つことのなかった刃が、拍子抜けするほど簡単に空を切った。
――フェイント?
――……しまった。
凝りは理解までの数瞬。見据えた目の前の姿は構えたまま動きがない。上がる面と共に、血に濡れた黄泉示の双眸が振り乱された髪の下から冥希を見た。
「ッ――」
自らが晒している隙を消すために距離を空ける、その反射でさえ失策だったということを動きの後に悟らされる。……自ずから崩された。過る把握に悔恨も逡巡も焦りもなく、瞬にも満たぬ間で冥希はただべきがままに用意しておいた体勢を整える。――装填の時間は既にない。先の姿勢から動かなかった黄泉示の気配が、既に機を睨む者のそれに切り替えられているが故。僅かでも起こりを見せれば次こそ一撃が飛んでくる。その機を見す見す晒してしまうわけにはいかない。
視認する黄泉示の構え。【無影】と酷似した、しかしそこから繰り出される技が全く異なるものであることを冥希はよく知っている。技と呼べる代物ですらない。ただ己の全力を余さず一刀に乗せ切って振るうという、余りに無骨で単純な力業。
だがそれも、呪具により限界を超えたモノとして放たれるというのなら――。
「……」
――構えは既に取り終えている。
脱力により両刀を下げたその出で立ち。ともすれば戦意喪失の証かとも取れる体勢からは、殺気や剣気といった一切の気配が消失している。――【無形構え】。蔭水流とは別。冥希が純粋な剣技の練磨を経て会得に至ったその構えは、一切の起こりを発すことなくあらゆる動きへの転化を可能にする。同門であり予備知識がある黄泉示であっても、この構えから繰り出される技を事前に予測することは不可能。
単純な力や速さでは上回られる。効果的なのは剣の技量。強化では覆せない腕の差だ。
踏まえた上で用いるは霧の太刀における奥義、【夜霧】。交叉法による攻防一致を極めたその技に、円、螺旋の動きによって敵の威力を奪い取る霞の太刀の剣理を融合させた改良型。黄泉示が繰り出してくる一撃を利用し、その全てを余すとこ無く返し切る。全ての概念技法を重ね合せた秘奥、【終の刃】で。
「……」
じり――と。手足の指先から黄泉示が動く。始めは遅く、直ぐに予測の付かぬ速さに。自らの姿の影を、その後ろに置き去りながら。
冥希は待ち構えている。ゆるりと下げられたその二刀は雄々しき黒き竜の咢。牙の内に踏み入る者を噛み砕く、冥府の口。
「――」
黄泉示が迫る。その姿は既に見えない。頼み置くのは全霊の感覚と我が技量。冥希は動かない。微動だにしないまま、揺るがぬ威容にて待ち構え。
――その部屋に僅かに風の吹いた瞬間。
無数と一つの刃が、交錯した。
「ッッ――‼」
幾重もの鉄の雷と激突したかのような凄まじい衝撃。相俟う体感したことのない速度とに砕き兼ねないほど歯を食い縛り、音を置き去りにして互いの身を切り抜ける。
「……っ」
――額。……右前腕、左足首、左上脇腹。右肩口、右大腿部、左頬。
刻まれた創傷から断続的な脈動に合わせ、ドロリとした温液が流れ出す。……俺の身体に、致命へ至る刀傷は、ない。
「――」
耳に届いたのは乾いた音。釣られるようにゆっくりと振り返る視線の先で。
父が持つ刀。『花殱』と『鬼雪』は、中ほどから砕き折られていた。
「……」
その身に未だ纏わされている魔力が渦巻く。父は、全ての力を使い果たしたかのように手と膝とを付いている。胴に入れた一閃の薙ぎ。感じた手応えは絶対的に確実だった。あれを受けておいて、立つことは――
「――私は」
意識を失わせようと動いた俺の前で。小さく、僅かに丸まった父の背中。
「私は。……間違ってなど、いない……ッ‼」
荒ぶる声に血の色が混じる。振り返りと同時。父のその姿が、一際大きくなったように感じられた。
「世界は犠牲を必要とする……悲劇無くして、この世界は在り得ない」
どこまでも硬く冷たい色。その中に、赫灼たる鉄のような熱を含んだ双眸が、確かに焦点を合わせて俺を貫く。
「犠牲の果てに掲げた理想が遂げられぬなら、失意と嘆きの果てにそれが終わらされるのなら……!」
口元から流れる一筋の緋は、傷のせいだけではないだろう。
「この世界の一体どこに、意義がある⁉」
その身を、脚をよろめかせながら。力を込めた腕で剣を取り、父が立ち上がった。
「亮が! 紫音が死ななければならないこの世界の……! どこに守る価値があると言うのだ‼」
今し方勝負に全霊を注いだばかりとは思えぬほどの、覇気と怒号。天を衝くような瞳が正面から俺を捉えたのち、咳き込む首の動きに俯かせられる。
「……犠牲になどさせない」
荒く。苦しげに息を吐きながらも、吐き出された言葉。
「亮の、紫音の。遺したお前を、必ず……」
揺らぎながらも上げられた眼差しが、疲れと苦しみの色を以て、俺を打った。
「……」
……。
……俺には分からない。
どうして父が世界の破滅を志すようになったのか。どうしてそんな眼をするのか、どうしてこうまでしてもまだ、戦おうとしているのか。
……ただ。
どうしようもなく、分かっていることもあった。
「……俺は」
紡ぎ出した言葉に目を瞑る。かつての父と、今の父とを思いながら。
「俺たちは、死なない」
開けた視界の中で、父の姿。俺を向くその瞳を、真っ直ぐに捉え返した。
「俺たちは、必ずフィアを助け出す。この滅世も、俺たち全員で止めてみせる。俺は――」
続けざまに浮かんだものに思わず迷う。……この思いを、この言葉で、この時に伝えるべきなのか。
「……父さんとは、違うから」
「……」
……良かったのか? これで。
解けない沈黙が続いている。互いに傷と疲労に耐えながら、ひたすらに目を合わせ続ける。そうして暫く同じ時が流れたのち。
「……そうか」
零れ出したような台詞。瞳が逸らされると同時に、起こされた魔力の脈動――‼
「――【完全治癒】」
「……っ⁉」
反射的に円環を使って駆け出していた俺の、……痛みが消える。傷が癒えていく。あれだけ多く身に刻まれていた、創傷が……。
「……行くがいい」
顔を上げる。目線の先にあったのは、憔悴した様子で顔を背けた父の姿。
「アイリーンはこの先にいる。予定通りなら既に、田中という武人が相手をしているはずだ」
田中さんが……⁉
「行け、黄泉示‼」
突き放すその声に、掛ける言葉を思い付くだけの暇はなく。
「――ッ」
向けた背中を押されるようにして、勢いよく駆け出した。
「――大切なものがあるなら、守り抜け‼」
消えた後ろから叫ぶ声が聞こえる。……振り向かない。今はただ、間に合わせる為だけに。
「どんなことがあるとしても、必ず――……!」
地を蹴る足に送る力に合わせて遠ざかる声。耳を打った響きは壁や床に散らばって次第に小さくなっていき、やがて完全に聞こえなくなった。
「……ありがとう」
その頃になって、漸く浮かんできた思いを呟く。
「――父さん」
――それで良い。
走り去った黄泉示の背中を眺めながら、蔭水冥希はただ思う。……必要な犠牲と言い聞かせ、情を無くして刃を振るっても。
――心にあるのは、常に虚しさだった。
亮の死は、紫音の死は赦せない。
命ある限り自分は、それに対し否と叫び続けるのだろう。
だが、滅びが理想でないことも確かなのだ。
――決して成し得ないと思った。理想を、夢を。
全ては実らぬ反抗。世界の中で、必ずや悲劇に終わらされるものと。
だからといって他人のそれを捨てさせる理由が、果たしてどこにあったことか。
過去を悼んで滅ぼすのではなく――。
これから道を歩もうとする誰かを助けることこそが、自身の為すべきことだったのではないか?
「……」
〝俺たちは、死なない〟
先ほど告げられた声を思い出す。……あの目には、覚悟があった。
傷付き血に塗れても前に進む決意。同じに見えたとしても、違う決意が。
ならばきっと、黄泉示は辿り付けるだろう。
例え自分にはできずとも。自分たちにはできずとも。
黄泉示たちならば、きっと……。
「ふ……」
零れた笑み。同時に強い痛みを感じ、思わず脇腹を手で押さえる。
見下ろす床に散らばるのは中ほどから見事にへし折られた宝刀ら。強烈な打撲で骨の何本かは折れているだろうが、致命傷までには至ってない。……器用な真似をする。
呪具により強引に威力の調整をしているのだろう。強化の魔術を用いて身体を支えるが、直ぐに動くことは厳しい。暫し、休息が要る――。
「……」
荒らぐ呼吸と共に顔を上げる。冥希の目が、一点へ向けられた。




