第二十七節 二つの刃 前編
「――」
触れれば切れるような金属音。
目にも留まらぬ速度で二つの影が交錯する。……そのどちらも纏うは闇。
【魔力解放】と【咎武罪装】。術理は似通っているとは言え、両者の扱う技法には明確なレベルの違いがある。剣を執る腕の差まで考えれば、二者の邂逅は到底戦いとは呼べぬものになるはずであった。
――【参の切】。
胴から首へ。刹那に軌道を変化させる必殺の一刀をしかし、黄泉示は撥ね上げた終月の鎬を以て受け止める。
【壱の閃】――。
幾つもに分裂する斬撃。それも標的の体躯を捉えきることはない。枝分かれした黒刃が囲う檻を編み終える寸前、加速した黄泉示はその射程から逃げ去っていたからだ。
――手強い。
冷めきった思考の中で冥希はそのことを追認する。感情を沈めた冷徹な理性による高速思考。どちらの攻撃もこれまでの戦い振りからその動作を予測し、必殺となるだけの根拠を付けて撃ち放ったものだった。
だが、結末は見ての通り。
――自らの戦闘スタイルにとって、黄泉示の持つあの呪具は天敵だ。
回る脳から下されてくる評価。それにも一切の焦りや苛立ちと言った感情は起こらない。波一つ立たない水面の如く、ただ澄み切った思考だけが今の冥希を動かしている。
――蔭水冥希という技能者の戦い方は、一語で言えば理詰めに尽きる。
冥希は幼い頃より、対象の観察と分析とを得意としていた。自身の【咎武罪装】の固有能力である【感情抑制】、並びに【高速思考】の能力をフルに生かし、敵の持ち得る手法と行動傾向を最短最速で分析。数百手以上先までの攻防を脳裏に於いて詳らかにする。
後はただ、読み解いた敵の動きに合わせるようにして攻撃を配置していけばいい。如何な場面でも必殺を狙えるよう構築された蔭水の剣技、加えて補助となる護呪法全てを会得している冥希からすれば、敵に対して有効な手立てを打ち続けることはさほど難しいことではないからだ。さながら盤上における詰将棋の如く――。冥希の繰り出す技は確実に相手の挙動を縛り、追い詰め、必定として命を絶つ。打たれる手順に対しての帰結はその全てが必然であり、過つことなど万に一つもありはしない。
それこそがかつて、《無慈悲の救済》と揶揄された選別を成し得るのに振るわれた戦闘様式。揺れ動く情動が起こり難くなるということは状況に左右されず自らの持つ力を百パーセント発揮できるということにも繋がっている。理詰めの戦闘様式と常の全力。これにより地力で勝る相手に対してはほぼ必ずと言っていいほど勝ち切れるということが、技能者として蔭水冥希の持つ何よりの強みであった。蔭水黄泉示もまた、そうした対象の一人であったことは敢えて疑ってみるまでもない。
――そう。今黄泉示の手にしている、あの呪具さえ無かったならの話だが。
「――」
行動を阻む位置に魔術を配置しつつ冥希は思考する。所有者の力を引き出す呪具。効力は至極単純で、それ以上勘繰ることなど何もない。戦術の第一段階である分析は既に終わっている。ただ。
その上限が見受けられないという点が厄介だ。前回の戦闘であの呪具は冥希の予測した速さを易々と上回ってきた。力量と肉体との限界から正確に推し量ったはずの上限を、易々と。ならば新たに上限を決めればいいというわけにもいかなくなる。事はそう単純な話ではない。推測するに、あの呪具は、恐らく――。
――持ち主の限界を越えさせて、能力を上げることができるのだ。
それも上げられる能力の種類にほぼ制限がない。身体能力は言うまでもなく、【魔力解放】の段階を引き上げるという有り得ないはずの事態を引き起こしたこと、今現に魔術を使用してきていることからもそれは窺える。どこまで黄泉示が理解しているのか定かではないが、あの呪具さえあれば常にこちらの予測を土壇場で覆すことができる。どれだけ正確に量り、予測を打ち立てたとしても、意志一つで上回ることができるのだ。
弾き出す詰めへの手筋がまるで意味をなさない。戦い辛い事この上なかった。冥希からすれば目隠しを強要されているようなもの。自らの磨き上げてきたスタイルがここまで用立たずになったことは、技能者として長い冥希の暦の中でもこれが初めて。
加えて――。
厄介な要素は、何も呪具一つだけではない。
注目すべきは黄泉示の持つ得物。――『終月』。その刀を冥希は勿論よく知っている。蔭水家に伝えられる宝刀『雪月花』の一振りであり、その刀身は敵を傷付ける為の刃を持たず、戦いにおける理想の一つである不殺の心構えを表している。実際としては当主から次代の当主候補へ鍛錬用として贈られる儀礼的な意味合いの強い道具であり、本来なら戦いの場に持ち出される様なものではない。かつて冥希も父から受け取り、修行時代に振るったことはあったが、その時はそれ以上の印象を持たなかった。
――その認識が此処に来て、大きく転換されつつある。
疑念を覚えたのは前回から。【咎武罪装】並びに《赤き竜》の強化を得た状態での霞の太刀における奥義、【破霞】。相手の力を自らの力に上乗せして放つその斬撃に、続く【釽嵐】の連撃を受けてなお、あの刀には傷一つない。今こうして間近で見て確信した。
呪具が強化できるのはあくまで所有者の能力だけだ。反応が間に合えども未熟な技量で冥希の剣を受けていることには変わりがなく、強化された身体能力での出鱈目な振り方は間違いなく得物に負担を掛けている。……如何なる武器も道具である以上、必ず耐久の限界というものがある。冥希の持つ『花殱』『鬼雪』にしても同じこと。蔭水流の開祖が作り上げたという宝刀は何れも刀剣の中で最高級の格を持つとはいえ、それでも摩耗品であることに変わりはないのだ。限界を越えた衝撃を受ければ刀身は歪み、刃は毀れ、当座の戦闘では役に立たなくなる。
だが、黄泉示の持つあの刀は。
――異常だ。
一言で言えばそれに尽きる。前回のあの一撃を受けて無傷というのがまず有り得ない。今回の攻防についてもそうだ。
冥希が繰り出している攻めはなにも、黄泉示自身を仕留めることだけに注力したものではなかった。――武器破壊。黄泉示の戦い方の多くが剣に依っている以上、得物を失えば動きは崩れ、殺すことは容易となる。狙わないわけがない。剣技のみならず魔術に於いても、その目論見で放ったものがこれまでに幾つかあった。
それでもなおあの刀に、ダメージが通った様子は一切ないのだ。試しに打ち込んだ刃に対しても、ともすれば此方の刃が欠けるのではないかと思うほど強靭な手応えを返してくる。……馬鹿げた話だが考えないわけにはいかない。不壊。近接戦に於いて得物が持つそのアドバンテージは、刃がないことの不利を優に上回る。あの剣が間にある限り、黄泉示へ攻撃は届かない。
「……」
こちらの予測を覆し、決定打となるカウンターを放てる呪具。この状況下でも傷一つ付かず、打ち壊されることのない得物。
自らの相手の異常性をよく理解した上で――それでも蔭水冥希に狼狽はない。それらは全て考え得る最悪の内であり、それに対抗するための技術を自分は持っているからだ。
黄泉示の有利は呪具によるブースト及び得物の格。此方の有利は技術と手数、更に体力。呪具は代償として強化の分だけの身を削る。必殺の奥義に概念技法と魔術を頻発しているといえ、消耗戦になれば有利は言わずもがな冥希の側だ。己の身を削り落としていくような戦い方が長く続けられるはずがない。アイリーンの件を考慮しても、相手が望むのは短期決着。なるべく消耗の少ない形で勝ちたいと考えているはずで。
――ならば此方は、悉くそれを外していけばいい。
予測を覆されるリスクを抱えているとしても、読みそのものまでが無意味になるわけではない。黄泉示が覆しの手を放てるのは一度だけ。呪具の代償から考えてもそれだけは確かな限界であり、裏切られない。ならばその一度までの間であれば、冥希が繰り出す詰め手は有効になるということ。
「――ッ!」
黄泉示が逃げる。読まれている詰みを回避する、その都度瞬間的に大幅な強化を引き出さざるを得ない。無論その気になれば乾坤一擲で一撃を放つことは可能だろうだが、黄泉示にそれはできないと冥希は考えていた。……背負うモノが余りに大き過ぎる。放てる手は正真正銘の一度きりであり、その一度でしくじれば全てが終わりなのだ。下手な機会に打つことは躊躇われるだろう。打つのに相応しい機会があればと、どうしてもそう思う。そこを突く。
「――」
ヴェイグより力を与えられてからこれまで行ってきた馴染みの成果として、今の冥希は《赤き竜》の力を最大限にまで引き出し、魔術を無詠唱で撃ち放てるまでに至っていた。どちらも手足の延長の如く扱える。加えて【高速思考】の恩恵を受けている以上、各々の動作の間にラグは発生しない。頼むのは現実に先行する思考であり、冥希が一つの動作に及ぶとき、その手の先は既に頭の中で組み上げられているからだ。
それにより極限まで間断を無くした攻め。ある程度の強化では突き切れない、乾坤一擲の強化でなければ穿てぬほどの密度と複雑さを以て攻め続ける。……打ち出す手は全て必殺。一撃という切り札を抱えさせたまま、機会を与えず削り殺す。
尋常では凡そ達成することなど不可能な戦術だが、それもここまで積み上げてきた要素を組み合わせれば可能となるもの。……我武者羅に打って来るならばそれでもいい。迷いで下手に打たれた一撃ならば、此方にはそれを充分に咎めるだけの用意がある。そして、それを待たずとも。
「――」
かつてないほどに冴え渡る頭脳。研ぎ抜いた刃と魔術とは剣魔一体となって下される判断を支えている。全ての集中を捧げたこの読みに、過つことなどありはしない。黄泉示に繋がれた世界との軛を、断ち終えるまで。
――蔭水冥希は、答えを導き出し続ける。
――強い。
刹那に息つく間もない攻防の最中、辛うじてそのことだけを認識する。
【咎武罪装】、並びに『アポカリプスの眼』の力を得た父の力は正しく圧巻。魔術の応答速度は前回より格段に上げられ、剣技とほぼ同時、同列に扱われている。技と術が織り成す酷烈な攻め。
「ッ‼」
それに辛うじて俺は食らい付いていた。円環の力による能力のブースト。シンシアさんの助力で代償が軽くなっていることを武器に、それを可能な限りの際で使い続ける。魔術には魔術、剣には剣――‼
技量、戦いの組み立て方では父の方が遥かに上。後手後手の対応にならざるを得ないことは致し方がなく、そこを鑑みてみても始まらない。
――ただ、耐えられている。
今はそのことだけで充分だ。
「――ッ‼」
脳天から頭蓋を切り下ろすような――魔力を帯びている黒刀を受ける。強化された【魔力解放】のお蔭か、今の父の剣を受けても身が切られるということはない。……無論其処で止まる訳にはいかないのは承知の上。長引けば長引くほど勝機も希望も薄くなっていく。この先に待つ、アイリーンの下に辿り着く未来も。
「ッ――」
楕円を描くような薙ぎ。喉元を掠めかけた切っ先。殆んど同時に受けていた一刀の衝撃を振り払い、反射的に構築した障壁で魔術の勢いを殺す。
――どうする?
耐えているだけでは勝機はない。時間が経てば経つほど不利になっていくのは俺の側。できる限り早く打開策を見付けなければ。
身を省みず円環の力を使えば或いは一撃を叩き込めるかもしれない。しかし、今の俺にそれはできない。
フィアを救い出す為にも。俺は、此処で斃れる訳にはいかないのだ。……仮にしくじったとすればそれだけで全てが終わってしまう。アイリーンを倒すことも、フィアを助け出すことも、なにもかも。
それだけはできない。この先で待っているだろうリゲルと、ジェインの為にも。次のない一撃を生かせるよう確実な機を狙わなければ。
「――ッ‼」
しかも父が高度な魔術を扱えるようになっているということは、治癒系統の魔術も候補に挙がっているということだ。瀕死になるリスクを負って一撃を叩き込めたとしても、即座に回復されてしまったのでは意味がない。
――殺さずに決着をつける。
考えがないわけではなかった。如何に魔術が強烈と雖も、父の攻め手の軸はあくまで刀。その道具に依っている。父の戦い方そのものを支える要。
あの二刀さえどうにかできれば――!
「――ッく‼」
ギリギリのところで体を躱す。……その為に先ほどから円環の強化を使っている。少しでもいい。僅かでも綻びが穿てれば、そこに全力の一撃を懸けられる。だが。
「――」
切れ目がない。即応しなければ殺される致死の連撃。魔術が、剣が。思考の余地すら与えないほどの勢いで俺を削りに来ている。少しでも強化が弱まれば、いや、的確に強化を強めていかなければとてもではないが耐えられない。……限界はそう遠くない。過る予感に、動きの激しさからではない汗が額を伝うのが分かった――。
――っ。
その直後に走る違和感。考えかけた動作を遮る刃を受け逸らし、少しでも距離を離そうと魔術を避けて後方へ駆ける。その動作に僅かの遅れも取ることなく当然のように着いてくる父。放たれた伸長する突きに辛うじて頬を掠め切らせる。――なんだ? 今のは。
一瞬、これまでとは何か違った魔力の脈動が伝わってきたように感じられた。慣れた感覚を覚えて放たれた衝撃波から沈めて身を躱す。……円環で魔力感知の能力を強化しているとはいえ、知識がなければ具体的な内容までは分からない。疑問が理解を形作らないまま、これまで通りに凌ぐ一方的な防戦が続き。
「――」
背筋がざわめく。いつの間にか死角に消えている刃。判断の遅れを感じて瞬時に跳ね上げた知覚・運動能力。――最上段からの切り下ろし。視野の外に隠されている軌道を感知し、迫っていた凶器へと刀身を合わせて引き下がった。
「――」
……刹那。
額から鼻筋に掛けられる線の感触に。走った、これまでとは比べ物にならない怖気。
― ― 切 ら れ た 。
引き伸ばされた時の中でそのことだけを理解する。……切られた。数瞬後には開かれるだろう傷口。鯵の開きの如く左右二つに分かたれた自らを想像の中で幻視する。久しく味わうことのなかった鮮烈な死の恐怖に、凍る血と心の臓――。
―― い や。
「――」
生きている。覚えるのは確かに皮膚が割り裂かれていくあの感触。その感触が身体の表面で止まっていることを感じ、同時に動き出した時間。続け様に振るわれていた一刀を把握。首を落とそうとするその軌跡から、紙一重で身を外した。
――魔力の斬撃。ドロリと流れ出した血が目に入らないように眇めて見る。……正しくそう形容するしかないような何かだ。これまでのようにただ纏わせているだけとは違う。明確な志向性を持たされた、手応えの無い刃。
「ッ‼」
受けるのは不味い。反射的に合わせそうになった刀身を引き戻す速度を上乗せて避け、集中。軌跡とその延長とが、僅かでも身体に触れないよう回避しなければ。
「――ッ、ッッ――‼」
躱し、躱し、躱し続ける。落ちかけた膝を即座の筋力の強化で立て直し、切れる息を心肺の強化でカバー。遅れた魔術への対処が纏う魔力を押し退けて終月を握る手の肌を焼いていく。――消耗が激しい。受けに依らない完全な回避は常に全身を躍動させる全力動。駆け、蹴り、伏せ、身体を捻じり、思い切り跳んだ刹那にその逆へと蹴り飛ばす。異常なまでの速さで俺の限界を使い果たしていっている。……不味い。不味い。
「――ッッッ‼」
痛みと駆動から来る熱が脳を熱く染めていく。考えられない。今この瞬間を生き延びることだけしか、それだけで精一杯で、打つ手立てが。
――無い――ッ。




