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第二十六節 証明 後編

 

 ――夜。


 十二となった黄泉示が寝静まった暗闇の中、冥希は一人、考え込んでいる。


 ――なぜ、紫音は死ななければならなかった?


 あの日から幾度となく問われる問い。言うまでもなく敵は強大。死の恐れがあることは、明確に理解していたはずだ。


 ――東を恨んでも仕方がない。


 起こり得たことが現実に起こり、それが偶々紫音だったというだけのこと。他が全員生き残ったことを鑑みれば、寧ろ充分に幸運と言えたかもしれない。事実としてはそれに尽きる。そんなことは分かっている。


 ――あの日から自分は、弟の後を継ぐことを決意した。


 紫音の力を借りて立ち上がり、誰一人見捨てることのないために尽力する。……意外なほどそれは上手くいっていた。仲間たちの助力を得、全ての人々を助けること。かつての亮にも自分にもできなかったことが。そう――。


 今回の、あの戦いまでは。


「……」


 ――見つめ、刀を握った手に変わらぬ生々しさを以て蘇る。……あの感触。怨霊と同化した亮を切り裂いた、あの手応え。


 あのときにも自分は弟を切り捨てた。己にできたこと、できなかったこと。全てを振り返ってみてもああなるよりなかったのだと認める他ない。それがどんなに受け入れ難いことだとしても、仕方のないことだったのだと。そう――。


 ――それは果たして、誰からすれば?


「……」


 疑問が、鎌首を擡げる。……そうだ。


 これでは、変わらないではないか。


 《無慈悲の救済》と呼ばれた頃の自分。あの頃自分がしていたことと、何が違う?


 かつては名も知らぬ人々だった。次にそれが弟になった。最後にそれは、最愛の人へと移り変わった。


 見捨てて殺した。切り捨てて殺した。殺さざるを得なかった。自分はいつも仕方なく殺してきた。誰も、彼も、隔てなく。全て――。


 ――人々と、世界の為にだ。


「――」


 気配。本来なら有り得ないはずのそれを感じ、刀を携えて冥希は立つ。……ここまで一切の気配を感じなかった。自身に悟らせないままこの家に、これほど早く近付けるとは。


「……ここか」


 それまでの気配消しを台無しにするような普通声。そのせいで明確に居場所が割れる。――方角は裏庭。


「世界を救った英雄の屋敷にしては、随分と静かだね」


 忍び足で庭へと向かう。中央で月明かりに照らされているのは、丸眼鏡をかけた冴えない男。そのまま暫く景色を眺めやると、ふと気付いたように振り向いてお、と言うような顔をし。


「こんばんは。蔭水冥希」


 落ち着き払った声で、慇懃にそう言った。


「……」


 ――分からない。


 油断なく柄に手をやったまま、冥希は黙考する。……只者ではない。それは分かる。だが分からなかったのだ。それ以外の、何もかもが。


「警戒しているね。当然か」


 自分ではなく――冥希の肩の力を抜くように一つ息を吐いた、男が言う。


「僕の方に戦うつもりはない。こんな形では信じてもらえないかもしれないが、一応伝えておくよ」


 手を上げて見せる。その行為自体に意味はない。この男であればその姿勢からでも自分の技に応答できるということを、至極本能的な直感で冥希は見抜いていたからだ。緊張は変わらず――。


「……なら、何をしに来た?」

「横槍の入らない場所で話がしたくてね。君は今や有名人だし、白昼堂々尋ねるというわけにもいかなかったから、こうさせてもらった」

「話とは?」

「その前に素性を明かしておこう。僕はヴェイグ。ヴェイグ・カーン」


 聞き覚えのない名を口にした後、男は僅かに口の端を上げる。


「先日君たちが壊滅させた、『アポカリプスの眼』のパトロンだ」

「……⁉」


 ――『アポカリプスの眼』の?


 この男が……?


「……話がしたいだけだよ。蔭水冥希」


 刀に掛けた指に力を込めた、そんな僅かな冥希の所作をも明らかに見止めた上で、目の前の男は戦意を出さずにいる。


「睨み合っていてもあれだから、僕の方から話題を出そうか」


 来るか? 冥希の身体を緊張が駆け抜ける。頭領となればその腕はあの《赤き竜》をも凌ぐはずだ。躊躇など出来ない。最速最短の一刀を以て当たらなければ――。


「――君はどうして、世界を守る?」

「――」


 言葉を聞き咎めた瞬間、動き出そうとしていた、指が止まった。


「……滅世など、断じて許されることではない」

「それは信条かな? それとも、思考をそこで止めているのか」

「苦しむ人々を助けるのは当然のことだ」

「その苦しみが、どうやってもなくならないとしてもかい?」

「……」


 言葉が途切れる。返しが思い付かないと言うよりは、余りにも似ていたからだった。話すその内容が、この男と自分とで――。


「――いや、思っていたより話せそうで良かったよ」


 冥希の反応に朗らかな笑みを見せた男。


「実を言えば、始めから切り合いになるんじゃないかと思っていたんだ。殺意を交えて剣を向け合えば、後の話し合いは極めて難しくなってしまう。そうならなくてまずは安心した」


 そこで表情を真面目なものに戻し。


「それも、君が僕と同じようなことを考えてくれていたお蔭かもしれないね」

「……ここに来たのは、私を仲間に引き入れる為か?」

「その通り。話が早くて助かるよ」


 こちらの推測をあっさりと認める。駆け引きも何もあったものではない。男の態度はまるで、端から自分の手札を全てオープンにしようとしているかのようで。


「僕の目的は世界の終わり。その困難を成し遂げる為に、君の力を借りたい」


 勧誘の宣言は、余りに率直だった。


「断っても君を殺すような真似はしない。僕と会った記憶だけは消させてもらうが、それ以外は手を付けないと約束しよう。……なんならここに誓約書もある」


 どこからか取り出された羊皮紙が翻る。魔力の鼓動を感じるのは分かる。恐らくは誓約を強制する魔道具だろうが、今の冥希にとって重要なのはそこではない。


「……それしかないのか?」


 最低限の言葉で訊く。この男ならば、それでも意味は分かるはずだ。耳を傾ける冥希に対し。


「……僕としては」


 男の喉から発された声は。幾人もの感情が絡み付いているかのように深く、何よりも重かった。


「もう、これしかないと思っている」


 幾星霜を重ねてきた老人のように。受け入れがたい現実への諦めを知っているかのような声と瞳。


「あとは君が思うかどうか次第だ。蔭水冥希」

「……」


 沈思黙考。与えられた時間を蔭水冥希は浪費していく。……五秒、十秒。


「……今は無理だ」


 纏まらない。鬩ぎ合う思考の中で、辛うじて理解したそれだけを口にした。


「明晩に答えを出す。また、同じ時間に来られるか?」

「構わないよ。今は同志集めに精を出す時間でね。一日くらいの遅れは構わない」


 罠とも付かぬこちらの提案にもあっさり乗ってくる。無論、言葉の上だけでは分からぬこともあるにはあるが。


「じゃ、今日の所はこの辺にしておこうか。――また明日。蔭水冥希」

「……ああ」


 言葉を返した直後、目の前に立っていた姿が消える。探る感覚にも気配は完全に捉えられず。


 細い月だけが、闇の隙間から仄かに輝いていた。







 ――その翌日。


「……」


 日の当たる縁側で。受ける暖かみを余所に、冥希は今日も一人考え込んでいる。


 ――救い切れるはずがない。


 世界には数えきれぬほどの問題と、その各々で苦しむ人々とが常にいる。助けようとする人間の力に対し、できないことの数は余りにも膨大だ。


 つまり人を助けると決めたときから、悲劇の幕は上げられていると言っていいのだろう。どれだけ上手く進んでいるように見えたとしても、いつかどこかで必ず破綻が待ち構えている。自分たちのように……。


「……」


 黒い霹靂のような想像が頭を掠めた瞬間、威勢よく響く物音を聞いて、その方向に冥希は足を向ける。……庭か。


「……ふっ! ……はっ!」


 廊下を曲がる視界に映るのは、鍛錬をしている黄泉示。以前に渡した終月を振るい、教えた型を続けている。……そういえばこのところ、黄泉示の相手を全くと言って良いほどしていなかった。


 できなかったのだと言ってもいい。以前と余りに違う心情が、接する彼の上にも影を落としそうな気がしていて。


「くっ! くっ‼」


 冥希に気付いていない黄泉示はひたすらに、ただ懸命に吐き出す息と共に剣を振っている。……意気はある。だが少々我武者羅だ。膂力と技量に対して剣を振るペースが速過ぎることを冥希は既に見て取れていた。疲労と上がる息に伴い、所々の動きもぶれてきているのが分かる。あれでは――。


 鍛錬としての効果は薄い。そこまで放置してしまった罪悪感を胸中に抱きつつも、そのことを教える為に声を掛けようとした。


「……」


 ……なんだ?


 その最中。


 何かが引っ掛かるような感覚が冥希の足、伸ばそうとした指先を止める。……この光景は。


 どこかで――。


「――!」


 覚えているものが既視感だと気が付いた時、幾多の死線を潜り抜けてきたはずの、蔭水冥希の背筋が凍った。


 ……瓜二つだ。


 かつての自分と。父に憧れ、この道を志していたときの亮に。


 あのときの弟もあんなような目をしていた。自分はこんな風に努力していた。……父の背中を見て。亮と、自分と、黄泉示――。


 ――同じなのか?


 思い付きたくもない考えが脳裏を過る。……その先に待ち構えている、結末さえも。


 黄泉示は人を助けようとしている。


 父の姿に憧れ、この道を選んだ亮と自分。育て親である冥希の姿に憧れ、こうして鍛錬を続けている黄泉示。


 その生き方は容易には変わらないだろう。幼い頃に刻んだ憧憬を消し去ることがどれだけ難しいのかは、他ならぬ冥希自身がよく知っていることでもある。月日を経て変容を重ねたとしても、何らかの形で持ち続けることになるに違いない。


 そしてその生き様を選んだが最後、悲劇で終わらされることは決まっているのだ。


 ――また、繰り返す?


 亮の陥った悲劇を。自身の味わった苦痛を。……この黄泉示も、同じように。


「ふんっ‼ はっ‼」


 集まり雫となった汗が散る。あからさまに速度が落ちても剣を振るうのを止めない黄泉示。その姿を前に、一度でもそう思ってしまったとき。


 ――蔭水冥希の出せる、答えは決まった。






「――やあ、こんばんは」


 夜半。声の案内を受けて冥希はその姿を認める。約束した時刻、昨日と同じ場所。立っているのは、あの男だ。


「返事を聞きに来たよ。……考えは纏まったかな?」

「……」


 来ないと言う可能性も考えていた。


 だがこの男はここに来た。自分を滅世の同志に加えられるかもしれないという、それだけのために。


「よりにもよって、敵方から相手を誘うとは」


 まずは前置き。場を温めるための言葉を放つ。


「仲間は随分と少ないようだな。ヴェイグ」

「生憎まだ僕一人だよ。これまでも何人かに声は掛けてきたんだが、皆断られてしまってね」


 男が零したのは愚かな自身への失笑。


「彼らの眼には希望が映っている。或いは僕の道を間違いだと断じられるだけの、強さが。……それで僕も少し学んでね。今日はこんなものを用意して来た」


 示されたその手にいつの間にか、古びた装丁の一冊の本が握られていた。


「『私のための物語』。当人の歴史を再現方式で見せてくれる魔道具だ。君のこれまでを僕はある程度聞いて知っているから、今回は僕の方だけを見せることにしよう」


 ページを開く。


「僕の物語が時間を圧縮した閉鎖空間に展開される。外からの干渉は出来ない。君がこれを判断の一助にしてくれれば幸い――」

「……必要ない」

「……」


 所作を遮る。答えを予想したような顔に、それほど間を置くことなく告げた。


「協力しよう。ヴェイグ・カーン」


 台詞に、男が僅かに目を見開いた。


「良いのかい?」

「ああ。同志として、お前の滅世に手を貸す」

「……そうか」


 吐かれた息。それが漸くの安堵を意味しているにしろ、冥希がそれを看過するにはまだ早かった。


「だが条件がある。確約はそれを聞いてからだ」

「……条件?」

「蔭水黄泉示の他、私が指定した数人を生かしてもらう。続いて行かないように、処置を施した上で」

「……」


 告げた内容。男は少し、考えるように冥希を見て。


「……なるほどね」


 得心が入ったと言うように顎に手を当て、眼を閉じて一つ頷いた。


「その条件を飲もう。……これで漸くこう言えることになるかな」


 歩み寄った男――ヴェイグから手が差し出される。


「――ようこそ蔭水冥希。滅世の同志よ」







 ……それだけは、できない。


 この自分なら構わなかった。生き方を変えられない自分ならば。犠牲を望む世界の前で、最期まで道化を務め続けることも一つだろう。


 だが、黄泉示は駄目だ。


 弟の。亮とその妻の残した、たった一人の息子。


 その後を継ぎ、自分と紫音が愛した命。


 それが自分や亮と、同じ道を辿ることは――。


 ……そうだ。


 黄泉示がその道を辿ることになってしまうのは、自分のせいだ。そのような道を正しいと信じ、まざまざと見せ付けてしまった自分のせいだ。


 ――ならば、その責は自分が負おう。


 世界の為るがままになどさせはしない。黄泉示が破滅の道を歩むことを、どんなことをしてでも止めてみせる。……蔭水黄泉示の生を不幸にしないことこそが。


 自分に残された、たった一つの責務。


 ――決まれば行動は迅速だった。


 三大組織とかつての仲間の目を欺く手前、まだ幼い黄泉示には死んだと思わせなければならない。ヴェイグの助力を得、凡そ完全と思えるだけの偽装を施した。


 その後十年。更なる鍛錬で腕を磨き、計画を立て、仲間を集めた。全ては滅世に至るため。そして――


「――まだ、あんな戦い方を続けるつもりか?」


 ここに立っている今。思考で無駄だと断じつつ、それでも問わずにはいられない自分を蔭水冥希は内心で嗤う。


「……ああ」


 返されたのは分かっていた答え。予測し耳にしたくないと願っていた、その通りの。


「誰一人殺さずに、か……」

「……そうだ」


 セイレスとの戦いを目の当たりにしたときから、冥希は既に気付いていた。


 ――あれは、殺すことを覚悟した者の戦い方ではない。


 それより遥かに険しい道を。紅く熱された鋼でできた、茨の道を選んだ者の戦い方だ。 


 ――ああ。


 その眼、その面持ち。


 答えを聞いたとき、どうしても思う。


 ――やはり、奴の息子だ。


 なぞるように同じ道を歩もうとしている。……いや。それは或いは、彼以上に困難な道のりであるかも知れない。


 間違いであって欲しいと願いながらも、蔭水冥希には痛いほどよく分かってしまっていた。蔭水黄泉示は必ずや、あの娘を救いに来てしまうだろう。


 諦めという安らぎを捨てて。止める腕を振り解いて。戦い抗うことを、自らで決め受け入れて。


 そして自らで決めたからには、決して曲げることはない。どれだけの苦難を受けようとも、どれだけ己の身を削ろうとも、彼と同じように。


 ――その行く末を知っている。


 傷付くことを厭わず進み。肺腑まで達するような傷に倒れ伏し、それでもなお這ってまで進んだ道の着く先が。……やがて訪れることになる場所が、どれだけの苦しみと絶望に染められているのかを知っている。


 だからこそ、通すわけにはいかない。


 終わりのない抗いを続け、果てに喪う。自分たちのあの苦しみを、二度と繰り返さないよう。


 ――世界はここで、終わらせなければならないのだ。



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