第二十五節 証明 前編
「……」
邂逅。それも、驚くにはあたらない。
予感があったからだ。今の俺の前に立ち塞がるのなら、それはきっと他の誰でもない。
――父、蔭水冥希であるのだと。
「お前なら、必ずあの娘を救いに来ると思っていた」
刀を納めたまま。ひとまず交戦の意思はないと言うように語る父。
「よく凶王らを説き伏せたものだ。それでさえ、並大抵の苦労ではなかっただろうが……」
染み入るような目付きは冷たく、だがこれまでよりもどこか僅かに、かつての暖かみを持っているように感じられる。
「まだ、あんな戦い方を続けるつもりか?」
父が何を言おうとしているのかに、一瞬戸惑いが心を過った。
「……ああ」
答える。今の俺にできる戦い方は、これだけだ。
「誰一人殺さずに、か……」
「……そうだ」
俺が選ぶのは。それ以外に、選ぶ道はない。
「……貴方と母に付いての話は、東小父さんから聞いた」
こちらから問いを投げ掛ける。
「貴方が世界の破滅を目指したのは、だからなのか?」
「……答えるつもりはないと言ったはずだ」
にべもない口調、変わらない表情。だが僅かに後れを見せた返答で、確信した。
「……あなたの苦しみを、俺は知らない」
だからこそ話し掛ける。
「どれだけの痛みがあったのかも。……でも、あなたは」
俺の考えていること、思いを余さずに。これが最後になるかもしれないのだと、どこかで分かってしまっているから。
「あなたは紛れもなく、俺にとって憧れだった」
――言えない苦しみがあったのだろう。
見せられない葛藤も、打ち明けられない思いもあった。だからこそ、今こうして向かい合っているはずだ。
ただ、それでも。
それでもあなたが俺に見せることを選んだ姿は、俺の胸に今なお輝き続けるほど眩いものだったのだと。
……せめてそう、伝えたかった。
「……そうか」
父が目を閉じる。ほんの一拍の合間。次の瞬間にはもう、開かれた瞳は冷徹さを取り戻している。
「剣を抜け、黄泉示」
語るべきことはもう、残されていない。
「私が間違っていると言うのなら、その剣で証明して見せろ」
「――二人は大きくなったら、どんな技能者になりたい?」
父から飛ばされた言葉。繋ぐ厚い手の感触を覚えながら、頭の中でその答えを考える。……数秒。
「うーん……」
「――僕はお父さんみたいになる」
右方からは迷っているような弟の声。それを置いて少年は自分でも思ってもみなかったほど、はっきりとその答えを口にした。
「自分の力を使って、困ってる人たちを助けてあげるんだ」
「――僕も!」
決心したような弟の声があとに続く。負けじと声を上げ。
「兄ちゃんに負けないくらい、たくさんの人を助けられるようになる!」
「はは、そうかそうか」
兄弟二人の声を受けて笑顔を見せる父。よーしと言って繋いだ手をぐるぐると回す。はしゃぐ笑声の間に目にした――。
「――」
――父のその笑みが、なぜか寂しげに見えて。
あの時の私には、どうして父がそんな顔をするのか分からなかった。気のせいなのかもしれないと思っていた。単なる見間違い、光の加減かもしれないと。
だが、今ならば――。
「――兄さん!」
自身を呼び止める声――幼い頃から幾度となく聞いてきたその声に男、蔭水冥希は振り返る。落ち着き払って。
「どうした? 亮」
息を切らせて立っているのは、蔭水亮。冥希の実弟であり、蔭水家を継ぐ技能者として、今では共に活動に勤しむ毎日を送っている。
「……この間の仕事の話、聞いたよ」
話し出す。その件を聞いて冥希は目を細める。
「他の誰にも受けられなかった仕事を兄さんが解決したって。……おめでとう」
「ああ」
讃辞にそれだけを返す。揺らがぬ冥希の前で、亮は一瞬言葉を飲み込み。
「――どうしてあの人たちを見捨てたんだ?」
予測の出来ていた本題を続けた。
「兄さんなら、あんな極端なやり方をしなくても」
「あの場ではそれが最善の選択だった。それだけだ」
「最善……」
納得していない。目の前の亮からは、そのことが明白に見て取れる。
「……助ける人間と助けない人間を選ぶことが、最善なのか?」
「お前にも分かるだろう、亮」
息を吐きつつ冥希は言う。既に何度目かになるこの遣り取り。
「全てを助けようとして被害を拡大させるよりも、助けられる人間を確実に助ける方が人々にとって力となる。結果的にな」
「……昔」
亮は食い下がってくる。いつになく、意固地に。
「昔父さんに言った時は、そうじゃなかったはずだ」
「昔の話だ。それに、父もそのことを理解していた」
「……兄さん、自分が今何て呼ばれてるのか知ってるのか?」
――《無慈悲の救済》。
それが冥希に付けられた二つ名だった。いかなる場面においても、誰が犠牲になろうとも助けられる者だけを助ける。助けられない者たちには目も向けることさえなく――。
「前だってそうだった。最近の兄さんは――」
「誰に何と言われようと私は最善を熟すだけだ。――お前こそ、また無茶をしたらしいな」
じろりと。送る視線に冥希は敢えて厳し気な光を乗せる。
「そんな戦い方をしていればいつか自分を壊す。分かっているはずだ」
「……あれは僕の力が足りないからだ。もっと力を付ければ、できないことだってできるようになる」
「いかなる状況においても全てを助けることなど、できはしない」
折れない弟に対し、そのことをはっきりと告げた。
「いい加減大人になれ。お前も、蔭水の技能者ならな」
「……」
沈黙。設けられるそれは、納得や受け入れのための時間ではなく。
「……兄さんの考え方には着いていけない」
決意を固めるための時間だと。冥希の予想の通り、亮が幾分鋭い眼差しを向けてきた。
「これまでは一緒にやってきたけど、そうもいかないみたいだ」
「……亮」
「……今までありがとう。兄さん」
――去っていく亮の後姿を見ながら、私は寂しさと同時に微かな安堵のようなものをも感じていた。
亮の抱き続ける理想。それが自分の見つめた現実と交わり、折れることを恐れていたのかもしれない。
――数年が経ち。
「……」
冥希は技能者として活躍していた。スタイルは変わらず冷厳そのもの。仲間を作ることなく単独で動き、淡々と助けの選別をこなす。
「おい、聞いたかよあの話」
以前にも増して迅速果断に。そして亮もまた、冥希と同じく一流の技能者として界隈に名を馳せるようになっていた。戦い方としてはまるで真逆。
「蔭水亮の話。先日の一件も、殆んどの被害者を助け出したらしいぜ」
「マジかよ。あの、誰がやっても精々半分だろうって言われてた案件をか?」
いかなる状況にあっても全員の救助を諦めることなく、時に自身が大怪我を負ってさえ助けるために走り回る。無きに等しいような、人の身では通れないような可能性を手繰って……。
「すげえよなあ。それに比べ兄貴の方は」
「シッ、聞こえるぞ」
昨年妻を迎えてからもそのスタイルは変わらないようだった。全てを助けられるまで尽力し続ける。叶うことのない理想に向かって、歩みを止めず――。
「――大変だ!」
関心のない評価に話題が移ったのを察して意識を逸らしていた冥希の耳に、矢のような叫び声が入ってくる。息を切らしている技能者。
「どうした?」
「ッ■■■地区で大怨霊が出現したらしい。周辺の住民が被害に遭ってるそうだ」
「――」
――大怨霊?
「大怨霊⁉ なんでまた――」
「分からんが、幸い近くにいた逸れ者が応戦してる。確か――」
負の情念より生まれる怨霊、その上位体。科学の跋扈により霊的な現象が起き辛くなった現代では件数は減り、ここ十数年、報告されることは一度もなかったはず。……通常の怨霊とは比べ物にならない力を有している異形。討伐には最低でも組織の幹部クラスが――。
「――蔭水の夫婦が戦ってるはずだ」
その言葉を耳にした瞬間。
「……っ!」
思考も分析も何もかもを置き去りにして。冥希は、建物を跳び出した。
「……!」
先んじて到着した被害地。……異様な濃度の陰の気が漂っていることからも、大怨霊の出現が事実だと確認できる。油断せず周囲を見回し……。
「……」
――人の気配がない。亮たちが既に避難を完了させたのか、或いは。
「っ……」
――考えるより先に漂ってくる、血の匂い。釣られるようにして歩を進めた先。
「……これは」
夥しい数の、肉。割られ、引き裂かれ、千切られた様々な部位が餌場のように散らばっている。餌食となった住民たち。その成れの果て……。
「……っ」
気勢が崩れる。一線にて活動してきた冥希と雖も、ここまで惨たらしい現場に出くわしたことはなかった。亮は、彼らは一体――。
「――」
パキリと。
「……!」
聞こえた音に従って振り向いた視界に映るのは、歪な影。ガツガツと何かを食らっている、蠢く触腕。握られた刀。……自分が今目にしているのは。
「……亮?」
声が零れる。怨霊と結合し、妻を手に掛けた――。
――弟の、姿だった。
「くっ……ッ‼」
――その猛攻に思わずして引く。下がり脚を利用して放ったのは『花の太刀』における奥義、【絶花】。蔭水流における最剛の一撃が翳された無数の触手を断ち切り、硬い手応えに止められる。
「アアウ――」
「【暗鑑】、【六界】!」
展開した防壁を一際太い触手の束が紙一重のタイミングで打ち据える。刀傷を介して送り込む魔力に膨らんだ脚部は破裂する寸前で熟れ切った果実のようにボトリと落ち、墨に似た濃い液を撒き散らしながらのたうつように動き回る。膨れ上がった蛇の塊のようなそれが破裂したときには、生えてきた新たな触手が既にその痕を埋め尽くした後だった。
「――っ……!」
手強い。渡された距離を慎重に見つめながら蔭水冥希はそう断じる。身を切りつけられてもまるで動じない鈍感さに、高速度の再生能力。脚を奪えれば御の字だと思っていたが、まさかあのような形で躱されるなどとは。
「ウァッ‼」
「っ!」
吐き出される――形状歪な骨。消化しきれなかった部位を出鱈目に溶かし繋げたようなそれはしかし、執行者の扱う弾丸にも劣らぬ速度を持った純然たる凶器。継ぎ目なく撃ち出されるそれらを脚と体幹との捌きを以て躱し、時に切り落とすことで防いでいく。纏い付く液が地面に飛び散り、ジュワリと溶かすような音を立てた。
「ア……ア……」
これまで攻撃を捌かれていることに何を感じるのか……間隙に漏らすのは怖気を誘う震え声。醜悪な黒い肉に能面の如く白く浮かび上がった亮の顔。光を失った眼球と目が合い、込み上げる不快感を抑え付ける。
――どうする。
亮は完全に怨霊に取り込まれている。術法に心得の無い自分が救い出すことはできない。組織の増援が、一刻も早く着くのを待つしかないが。
「ッ――」
微かな振動。地中から姿を現した蝕腕を一つの呼吸で裂断する。足を使い、稲妻を刻むが如く移動。的を絞らせないように立ち回る。【咎武罪装】を用いた自分でも辛うじて。この怨霊はそれだけの力を備えている。この状態を保ち続けるのは至難の業であり――。
「ッ⁉」
――斬撃。骨を打ち払った後隙。触手と同化した亮の腕が振るう太刀筋が、鋭い。
「グ――ッッ‼」
驚愕した間を刃が捉える。咄嗟に交叉させて受けた刀身を伝う凄まじい振動。流し、後方へ跳ぶことでどうにか衝撃を殺したものの、手首に走るのは確かな痛み。
「……ッ」
大丈夫だ。折れてはいない。剣はまだ握れる。それより今の剣撃は、まさか。
――【絶花】だ。
平時より信頼を置く自らの頭脳がそう断じていてなお、冥希には俄かに信じるということができなかった。怨霊が放ったのは先ほど自らが繰り出したのと同質のもの。それ以前の力業とは違い、明らかに技の要素が見受けられた。進化しているのか? この短時間の間に、急速に。或いは――。
「ア……アアウ……」
耳障りな声に意識を戻す。対峙する冥希に何事を思ったか、なんの脈絡もないままその向きを変えている怨霊。
――マズイ。
悪寒に全身の毛が逆立つ。怨霊はこのままここで冥希の相手をするつもりではない。町へ、腹を満たす食糧のある場所へ向かうつもりだ。
単独とはいえ、このまま相手取るならばどうにか粘れるかもしれない。だが、自分を無視して町へ向かおうとするあれを止めるとなると。
焦る心で冥希は手札を並べ立てる。持続の短い【暗鑑】では駄目だ。閉鎖空間を作れる【鎮罪】では魔力消費が大き過ぎる。もって数十秒のその間に増援が到着するとは思えない。そもそも足止めで魔力を使い果たせば、その分だけ怨霊を相手取るリスクも高く――。
「……ア、ア」
その間にも怨霊は歩みを進めていく。その進行を許したならば、ここで起きたのと同じだけ、それ以上の悲劇を招くことになる。冥希にはよく分かっていた。一度町まで降り立たせてしまえば手遅れだ。怨霊は人を食らうことで成長し、自分の手にも負えないモノになるかもしれない。
「――」
――考えた。
目の前の光景を暫し忘れ。……置かれた状況、持てる手段、想定し得る可能性。己にできる限りで全てを集めた。
それでも、どう考えを繰り返して見たとしても。
「……っ」
思い付く限り――最良と思える手立てで打てるのは、ただの一つしかなかった。
「――ッ!」
地を蹴る。猛速で回り込み、怨霊の前に立ちはだかる。
「アウッ!」
刀を下ろしたその姿。戦意の無い得物の肉に、怨霊は躊躇なく喰らい付こうとする。亮だったモノの、口をヒトでは有り得ぬほどに大きく開けて。
「ぐッ――」
肩口に齧り喰らい付いた牙。纏う魔力を抜け、表皮を破り、肉を貫く。次いで悍ましい感触の舌が、捕えた獲物の血肉を貪り啜ろうとし――。
「――」
【逆波・弐の薙ぎ】。
歓喜に打ち震える異形の体躯を、ゼロ距離から放たれた斬撃が両断した。
「キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイヤヤヤアアアアアアアアアアアアアア‼」
身の毛のよだつ不快な叫び。自らがしたことの理解を封じながら、冥希は淡々と我が身を引き剥がす。その口から。
「……ニイ……サ」
震える喉首。声帯を動かされたその能面を、直後に割れた顔面の下から噴き出た触手ごと裂断する。切り取られた断面を顕に触手は波打つように震え。
地面に液体を撒き散らした時には、全てが既に終わっていた。
「っ……」
刀を携えた状態で冥希はソレを見下ろす。液状化した異形部が消え、顕になったのは、半分になった弟の姿。
「……亮」
穴だらけの全身。肉の襤褸のようになったその姿を前に崩れ落ちる。用を成した刀が、手を離れ。
――降りしきる雨の中、男の鬼哭が響き渡った。




