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第二十四節 選び

 

「――どうした武人?」


 魔女の声が熱い耳を打つ。身を包む熱気、ただそれだけにていかれそうな聴覚。


「この程度か? 仇討ちなどと息巻いていた割には、随分と情けない体たらくだな」

「……ッ……」


 鮮明さを取り戻す五感。自らの置かれた窮地を余すところなく理解して、血のにじむ唇から嗤いが零れた。


「ハ……ッ」


 ――強い。


 並みの決死では寄せ付けられない圧倒的な力の弾幕に、幾度穿とうとも削り切れぬ癒しの力。僅かのミスと鈍りが即座に負傷へと繋がり、その度に更に間合いを遠くされる……。


 ……そうだ。


 勝てないことなど、分かり切っていた。戦う以前から、遥か昔に。


〝あんたじゃ無理だ〟


 リア・ファレルに言われた忠告が脳裏を木霊する。師の当千杖師だけでなく、二十三雄を軒並み倒して見せた《厄災の魔女》。そんな化け物を相手にして、自分一人で勝てるはずがない。


 ――だからこそ、だ。


 あの日よりずっと恐れていること。……立慧たちと過ごしている中で。笑い溢れる度に零れていくようなあの感覚。


 ――自分はまだ、持てているのか?


 仲間のために戦うことができる喜びと同じくらいに。……抱いているはずの怒りと憎しみが次第に薄れていくことが、田中には恐ろしかったのだ。


 ……だから、これでいい。


 そう断じる。今自らの抱く殺意は本物だ。師匠を殺され連盟を滅ぼされた怒り。自分が守り続けたものは、確かにこの胸の内にある。それら全て、一蔵の含みなく叩き付けて――。


 ――なにもかも、それで終わりだ。


 仇討ちを胸に決めたあの日。


 振り返ればあの日から決まっていたことだったと思えてくる。……それでもいい。


 俺には俺の、筋の通し方がある。


「ふーー……」


 長く息を吐く。……小細工は無用。この技に、残る力の全てを懸けると。


「……来るか」


 田中の挙動を見て取った魔女もまた、相応しい迎撃の用意を整える。猛り狂う魔力の渦巻き。約束された死地へと向けて田中が踏み出そうとした――。


「――田中ッ‼‼」


 ――何だ?


 幻聴か? 聞こえてきたその声に田中はそう苦笑う。杖術と共に鍛え上げてきたはずの五感まで駄目になっちまうなんざ。


 俺は、どこまで――。


「――」


 気配感知。疑いようのないその感覚に目線を切る。瞳に映った、ものは。


「……」


 田中の眼を射抜き立つ立慧。――なぜここに?


 無事だったのか? 勝ったのか? どうやって? その怪我は。


 ――いや、そんなことよりも。


「……」


 その足下。苦労して此処まで引き摺って来たと思しき人物。何重にも縄で巻かれているその姿は、田中にとっても確かに見覚えのあるもので。


「――死ぬがいい、武人‼」


 それだけで全てが、理解できた。


 魔女が魔術を発動させる。事前の感知と読みに相違なく、部屋全体を埋め尽くすほどの大規模術式。逃げ場などない。元よりそれを狙っての一手だろう。そのこと自体は田中にとって些かも想定外の要素ではなかったが。


 ――一瞬の躊躇。選択肢は二つ、守るか斃すか。岐路を成す道々は折衷など為し得ぬ不可避的二者択一であり、選ぶと為さないはコインの裏表となって田中の前を今正に舞っている。……決めさせたのは結局――。


「――おうッッ‼」


 自分自身ではないということ。判断という遅れを取り戻すために全力で田中は駆ける。仇に、魔女に背を向けて、反転してその相手の前に立ちはだかった。


 ――当千杖師に、七つの奥あり。


 田中独自の奥を、加えて八。八つの奥を一技として纏め放つ。


 ――【一身八奥・杖道】。


「――――ッッッ‼‼」


 全霊を込めて繰られる杖。突き、払い、薙ぎ、切り、打ち。


「ッッ――――‼‼」


 絡め、遮り、流し、受け、返し、逸らし、沈める。数十年の研鑽を経て複雑自在に絡め合わされた技たちが――。


 天地を焦がすほどの魔力を解くように突き放し、霧消させていく。押し寄せる大波の継ぎ目を打ち、纏まりから外した威力同士をぶつけ合わせて相殺させるそれは、正しく武人にしか為し得ぬ絶技であり。


 ――消えていく。


 自らに残されていた力が、この、最後の技に。……費やされていく。倒す為ではなく、守る為にこそ。自らの選びの不可逆性を悟りつつ。


「へへッ――……っ」


 ――捌き切った。


 晴天の如く開けた視界にそのことを把握する身体。後ろに聞こえる炎二つは、確かに今なおその熱さを保っている。自らの所業に一片の安堵と達成感とを覚えながら。


「――」


 仇討ちを誓った武人。田中は静か、笑みに沈んだ。







 落ちる杖の音。響く轟音の中で勝利の喝采に等しいその音を聞き分けながら、アイリーンは目の前の光景を凝視している。……背を向けた。


「……」


 決着の最中に。この私に、《厄災の魔女》に。


 ――何の為に?


 問い直すまでもない。それは、つまり。


「……」


 破壊を塗り固めた大剣を手に、アイリーンは歩みを進める。……最後の力を振り絞った武人に余力はない。首を刎ねるも、身を消し炭に変えるのも、全ては自分の心持ち次第。


「……」


 一定の歩調で進められていく足音。握り締められた杖の焦げた木目が見えるまで近寄ったとき、その障害が目に入った。


「――退け」

「嫌よ」


 武人を背に、アイリーンの前に立ちはだかる女が答える。……鍛えられた身体付き。武術を嗜んでいるようだが、気配は魔術師のようにも感じる。体中に見て取れるのは爛れるような火傷と痣。戦える状態とは到底思えない。こうして立っていることが不思議なほどの満身創痍。


「用があるのはそこの武人だけだ」


 自らの口から織り成される繰り言を、アイリーンは他人の喋るように聞いている。……なぜだ?


「消えれば見逃してやる。……その傷を癒してやっても良い」


 なぜ私は――。


「嫌だっつってんでしょ。聞こえないの?」


 ――こんなことを、言っている?


 返された回答はけんもほろろ。今にも落ちそうなその頭。焦げ張り付いた髪の下から向けられる視線は、僅かも怖じてはいない。……《厄災の魔女》である自分。アイリーン・カタスフィニアを前にして。


「――これが最後だ」


 声調子に殺意を込める。振り翳し、剛速で薙いだ大剣。首横一ミリ前で握り止められた風圧が髪を乱し、体躯を揺らす。あからさま過ぎるほどの死の宣告。


「退け。でなければお前ごと、その男を殺し潰す」


 とびきりの殺気と共にねめつけたアイリーン。翡翠色の瞳をぶつけてなお――。


「退かないわ」


 それでもなお、女の眼は変わらない。その瞳は変わらず剣ではなく、アイリーンそのものを射抜いている。


「この生き方が、私なのよ」

「……」


 暫しの睨み合い。女の額に浮かぶ汗が頬を伝い、雫となって床に落ちる。熱せられた室内の温度で、水滴が消えてなくなる頃。


「――」


 アイリーンは一つ指を鳴らす。微かな魔力の脈動に連れ、殺意と暴威を漲らせていた大剣はまるで初めからその現象が嘘であったかのように、融けるようにして虚空へ消え失せていった。


「……なぜ」


 アイリーンの唇から言葉が零れる。掛けるその口調が、自分でも驚くほどに穏やかだ。


「なぜ、その男を庇う?」

「……理由なんてないわよ」

「恋仲か?」

「……そんなんじゃないっての」


 口元に浮かぶのは、微かな苦笑い。


「馬鹿やってんのを見過ごせないってだけ。……ただの、腐れ縁よ」

「……」


 その面に既に覇気はない。耐え切れなくなったかのように床に視線を落とした頭を前にして。


「――〝光よ〟」


 峻烈に輝く光が女の意識を速やかに刈り取る。眠るように崩れ落ちた身体を暫し、アイリーンは見下ろすようにして見つめ。


「……ふん」


 一つ指を鳴らすと同時。暗い、暗い暗黒に包まれて。


 田中と立慧の姿は、空間から消失した。



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