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第二十三節 保つ炎

 

 ――彼らと出会ったのは、支部長として恒例の定例会議に出席した時のことだった。


「……」


 いつも通りやる気なく鼻をほじっている田中。誰も気にはしない。事情を知る者はそれとして、事情を知らない者の間には田中は《第十一支部の昼行灯》の名で通っている。確立されたこの立場を崩す事柄など――。


「……済みません」


 控えめに、しかし聞く者が聞けば分かる、硬い決意を持った挙手。


「私はこの場に初めて出席するので、無知なだけかもしれませんが……」


 発言の主は年若い女の魔術師。人事になどてんで興味のない田中ではあったが、この場に出席している以上、彼女が新顔の支部長であることは知れた。


「この会議では、議論に参加しないことが許されるんでしょうか?」


 その眼が見据えているのは田中。険を隠すことのない発言に僅かにざわめく室内の中で、落ち着きを崩さないハディムがまあまあ、と。


「支部長である以上、この場にいる者の魔術師としての技量は疑いようのないところでしょう」


 穏やかに宥めにかかる。齢を経たその温和な眼は単に見る者の心を和ませるだけではなく、自らの言葉に重みを付け加える堅牢さを兼ね備えていて。


「異なる地域に於いて特色豊かな支部にも、それを支える支部長にも、それぞれ異なる事情があります。この場だけでの態度を見て怠慢と捉えるのは、如何なものでしょうかな?」

「……分かりました」


 ――馬鹿な奴だ、と思った。


 初めてなら周りを見て合わせればいい。支部長にまでなる魔術師のくせに、そんなこともできないのか?


 その後は別段何もなく会議はいつもどおりに終わった。偶にはこういうこともある。どの道これで懲りただろうと、そう思い――。


「――ちょっと」


 だから出がけにその女が声を掛けてきた時には、田中とてまさかと思ったのだ。


「……なにか用ですかい?」

「なにかじゃないわよ。なに? さっきの態度」


 振り向いた目先にいるのはあの女。明らかに苛立った様子なのが見て取れる。


「定例会議がどういうところだか分かってんの? お互い支部長なんだから、立場を弁えて――」

「小言なら勘弁してくだせえよ」


 一々そんなことに突っ掛って来るか普通? そう思いながらも田中は気の抜けたような笑みを取り繕う。


「早く帰って寝たいんでね。生憎と暇じゃないでさぁ」

「ちょっと――‼」

「――立慧」


 言葉尻を荒げかけた女の台詞に、割って入ってきた冷静な声。


「少し落ち着け。初の定例会議で他の支部長と小競り合いなんて起こせば、私らの立場がまずくなるだけだ」

「それは――そう、だけど」


 分別ある言葉とは裏腹にその子どもとでも見紛えそうな低い身長に思わず目が行く。言い淀んだ女は、じろりと田中を睨み。


「ふんっ! 先に行ってるわよ、千景!」


 ガンガンと足を踏み鳴らして去って行った。


「……台風みてえな奴だな」

「田中さん……だったか?」


 その背を眺めつつ呟いた田中に、残った背の低い女性が話し掛けてくる。……確か、さっきの会議にも出ていた。


「悪かった。……あいつも悪気は無いんだ。一本気な奴で、ちょっと頑固なところがあってだな――」

「良いってことですよ。なり立てなら色々気も立ってるでしょうし、言われるのは慣れてますから」

「……申し訳ない」


 謝る仕草も田中にとっては本当にどうでも良かった。こんなことを一々気にしていては、この数十年はとてもでないがやってこれたものではない。


「お二人はご友人なんですか? その齢で支部長とは大したもんですね」

「……そんなことは」

「いえいえ。御謙遜なさらなくても」


 半分は心にもない世辞とはいえ、半分程度は本心からの部分もあった。……知り合い同士が同時期に支部長になることなど珍しい。三十代やその上で就任する人間が少なくない中で、年齢としてもそれなりには若い方ではある。


「頑張ってください。あのご友人の相手は大変でしょうが」

「ああ、ありがとう」


 ……それから暫く。


 修練に励み、ルーティーンを熟していれば日々は流れる。起きたトラブルなどすっかり忘れていた、数か月後の定例会議で。


「――ちょっと!」


 会議の後に響いた声。デジャヴを覚えつつ向いた視線の先。


「あんたどういうつもりよ。なんで今度は会議の間じゅう突っ伏してんの?」


 またあの女支部長がいた。出で立ちは少し変わっていたが……。


「……一応は俺の方が年上なんですがね。敬語の使い方ってもんを、忘れてるんじゃありませんか?」

「支部長って立場は同じでしょ。それに、あんたみたいな年上じゃ敬意を示す気にもなれないわ」


 礼儀作法の壁などお構いなしにずけずけとモノを言って来る。私も支部長の仕事を経験したけど――と。


「疲れてるってだけであそこまでグータラした態度を取る理由にはならないはずよ。何か問題があるんなら――」

「おい、立慧」

「止めないで千景。やっぱり、一回正面からぶつかってみないと気が済まないから」


 ……なんなんだこいつは。


 辟易しながら田中は女の小言を耳にする。当然まともに聞く気などなく、右から左へと受け流し――。


 ――直ぐにいなくなると思っていた。


 これまでと同じだ。始めは意気込みと共に声を掛けてきたとしても、変わらないことを知れば次第に離れていく。そうして直ぐに、忘れ去るものと――。


「――田中‼」


 勢いよく響く。そんな呼び声が耳に着いて離れなくなったのは、何回目辺りからのことだっただろうか?


「なんだよ、范」


 声を掛けて来るのはいつでもあの若い支部長。……范立慧がいて。その隣に上守千景がいる。


 そんな二人に応える光景が、当たり前の物になったのは。


「あんたまた寝てたじゃない。この間起きてた気力はどうしたのよ」

「面倒な山に当たったんでな。今回ばかりは勘弁してくれや」

「……その台詞、前にも聞いたんだけど?」

「あの案件か。私も耳にはしたが、かなり――」


 耳を傾けてみれば言い方こそキツイものの、立慧の言葉からはある種の思い遣りが見て取れた。ストッパーである千景もいる。互いにあくまでも支部長。自身の仕事もあり強引に踏み込んでくるようなことまではしないため、思いの外居心地が良かったのだと言うこともあった。


「次会う時にはしゃんとしてなさいよ。あんただって、やればできるんだから」

「へいへい」


 定例会議の度。時に顔を合わせる度に、そうした喧騒は続いていき――。


「――」


 あるとき、ふと笑っている自分に気付いたのだ。……皮肉ではなく、自然に溢れ出た笑みに。


 ――協会が襲撃されたあの日。


 面倒なことになったと舌を打つ一方で、確かに田中は嬉しさを覚えてもいた。……これまで自分を縛り付けていた秩序、規律が一部とはいえ崩された。


 立慧たちの前で力を見せ、その為に戦うことのできる自分がいる。望んでも叶わないと思っていたそんなことが、何の因果か叶えられたのだから。


 ……仕方のないことではないか。


 滅世を達成されてしまえば《厄災の魔女》への仇討ちも叶わない。これは仇討ちと反することではないと、そう都度都度己に言い聞かせて杖を取った。仲間のために技を振るう充実感と共に――。


 ――しかし。


 前回のアデルとの戦いで気付かされたこと。自分の磨き上げてきたスタイル。拭い去ることのできないその欠陥。


 ――田中という武人は、複数人での戦いに致命的なまでに向いていない。


 立慧たちにアデルの目線や闘気が向けられる度、田中は必要以上にそちらへ意識を割くことで動きの質を落としてしまっていた。アデルは恐らくそのことを看破していた。如何ともし難く動きが凝り、杖が鈍る。その事実に戸惑うことで攻め筋は更に雑となり、挙句の果てには――。


「――」


 ……笑わせる。


 自分の杖は仲間と共に戦うためには使えない。そのことに未練を覚える自分、心のどこかで復讐を忘れかけていた自分を田中は冷笑する。……俺は今まで一体、何をしていた? 


 ……全て断って来た。


 同僚の誘いも、ハディムの心遣いも。武人であることを知られるわけにはいかない。それを意識しなくて良くとも……。


 ……駄目だ。


 都度ある毎に自分にそう言い聞かせて断わってきた。……俺には、復讐があるから。


 酒なんて飲むわけにはいかない。食は身体づくりの重要な要素だ。バランスを考えた堅実な食事を徹底しなくては。それに酔っているときにそのときが来たら、果たしてその時自分はどうする?


 付き合いなどしている暇はない。相手はあの師匠たちでさえ勝てなかった化け物。暇さえあれば技を磨き、戦略を立てるくらいでなければ、敵う目など到底ないだろう。


 休息は間違いなく必要だ。秘密裏にしか修練を積むことができないのなら、公然と休息を取るしかない。その態度を貫いて、重ね続け――。


 ――気付けばもう、こんなところにまで来てしまっていたのだと気付かされた。


 重ねてきた仇討ちという大義は既に身体中に根を張っている。五十を過ぎた田中は何も知らない。友と話す楽しみも、恋人と過ごす甘い日々も、仲間と切磋琢磨する熱も。


 全てあの日の向こう側に置いてきた。……ずっとずっと、それだけを貫いて生きてきたのだ。それが今更仲間の為になど……。


 端から虫の良すぎる話だと、なぜ気付けなかったのだろう?






「――【罪功滅せし無限の剣双】」


 魔力の動きを受けて出現するのは、無数の剣型。凝縮された神聖と暗黒の入り混じるそれは、一つ一つが受ければただでは済まないだけの力を秘めている。


「棒切れ一つでこの剣雨をどこまで凌げるか――足掻いてみろ。武人」


 魔女の指が弾かれると同時にそれまで停滞していた剣群が一斉に降り注ぐ。唸りを上げ、風を切る殺意――!


「――」


 ――落ち着け。


 焦りは迷いを生み、迷いは技を鈍らせる。身体と杖との隅にまで張り巡らせる意識感覚。純粋な力のカタマリである以上直に触れての流しや受けは意味をなさない。風圧、歩法、ずらしを用いて標的を見誤らせ、力の流れていく方向を外し逸らす。……百、二百。


「ッ――‼‼」


 秒刻みの間に増えていく剣数。捌く端から無窮と言える魔女の魔力で際限なく補給され続けるそれらの間をひたすらに縫い続ける。対処の全てを感覚に預け、一心を乱すことなく不断に杖を振るい、動き、また振るい。


 ――しまった。


 七百と十の強襲を捌いたところで失態に気が付く。剣型の一つ。殊更に魔力を抑えられたそれが、裏に隠れて。


「――【形成解除】」


 鈴の根のような魔女の声と共に、一気呵成に炸裂した。


「ち――ィいッッ‼」


 迫る爆炎に杖撃の勢いをぶつけて相殺。反射的に距離を取ろうとした直後に破裂するのは側面の剣型。地面に突き刺さっていた無数の魔力が連鎖的に爆発を起こし、白金の花を咲かせていく。――浄土の如く。


「アハハハハハハハハッッ‼」


 天地身体を揺るがす爆炎と轟音の中で響き渡る魔女の絶笑。その勝ち誇るように響き渡る音階からしかし、磨き抜かれた田中の聴覚は本体の距離と方角とを割り出してもいた。反撃に用いるは、奥義の一つ――‼


「ッ!」


 繰り出そうとした直前に直感に伴って身を躱す。背後から消えた背を突く黒の剣先は、神器。


「……ちっ」


 射殺すような視線を投げ掛けるのは魔女。派手な爆発は目晦まし。偽の音響を仕掛け、好機と見せかけて自ら仕留めに来た。武人と距離を詰めるのも厭わず――。


 ――飛んで火にいる夏の虫ってな‼


「――っ⁉」


 一挙に踏み込む。獲物を前に浮かべかけられた嗜虐的な笑みが止まったのは、神器が手から滑り落ちたその瞬間。寸前まで握りを握り締めていたはずの可憐な五指は今、反応すらさせない田中の杖撃によって微塵に折り砕かれている。痛みを感じさせないほどの超速。威力でなく速度へ偏重させたその技巧。


 魔女の治癒能力は恐るべきもの。この猶予も長くは持たない。先ほどのような罠は踏まず、ここで確実に。


「――ッ‼‼」

「ッ⁉」


 誓った最中の異様な魔力の集中に本能が警鐘を鳴らす。――自爆⁉ まさか――‼


「糞がッッ‼」


 受ければ残るダメージは避けられない。千載一遇と言える機会。逃せば次はないやもしれぬという不安が、至近で氾濫する強大を知ってなお火中の栗を拾う選択肢を選ばせた。


「――ぬあッ‼」


 ――爆破の威力で魔女の姿は視認できない。辛うじて読める気配と直前に見た位置とを頼りに急所となる数か所へ撃ち込んだのは渾身の突き穿ちに痛打。襲い来る暴圧を逸らしつつ心臓を抜き打ち、頭部を叩き潰し、頸椎を圧し折って即死へと至らせる狙いだが、堅い。他の部位より明らかに魔力を集中させて守られているように杖撃が滑らされていく。打ち込んだ感触から修正して都度次を放つも、全てが紙一重でずらされている感覚すらあっている。この期に及んでも、まだ――‼‼


「ッッ⁉」


 捨て身と言える猛攻の最中に一瞬見えた、その黒色に目が留まった瞬間に躱しきる。全ての杖撃を取り止め、体躯を大きく捻りずらして。何者もなくなった空の空間を薙ぎ掃うのは、紛れもないあの神器の剣身。


 ――バカな。


 体勢を直しつつ断じる。まだ指は回復していないはずだ。神器に魔力的な干渉は意味をなさず、認められた所有者当人の腕でしか扱うことはできない。己の指無くして、神器を振るうことなどできるはずが――


「――」


 血煙の中から。一瞬垣間見えた光景は、白。


 ――歯?


 間違いない。……噛んでいる。ガッチリと噛み締めた口で、顎の力で、神器の柄を固定している。


「……プッ」


 魔女が血と唾と砕けた白い歯片とを吐き捨てる。……憎々しく睨み上げながら。復讐の念で身を固めた田中が、思わず身震いするほどの執念。


 ――なんなんだコイツは?


 協会の記録に動機は記されていなかった。協会の使者を返り討ちにし、その後の討伐隊を切り抜け、武神を操り、連盟を滅ぼした。その所業は正に悪辣。わけを考えることなど田中はしてこなかった。ただの一度も、今此処にきて思うに至るまで。


 単純な願望や衝動だけで、ここまでの戦い方ができるものなのか?


 仮にそうした我欲が動機であったのなら。これだけの歳月を仇討ちに費やしてきた自分の方が、執念では余程上のはずではないか。


 ……なのに。


 これでは、まるで。


「……はっ」


 ――悪い冗談だ。


「――俺が憎いのか⁉ 厄災の魔女‼」


 何よりも追い求めてきた仇が。……憎んできた敵が、怨みをぶつけようとしていた相手が。


「奇遇だな! 俺も――!」


 魔術を避けながら言う。口にするだけで胸を焼くようなその台詞。


「――お前さんが、憎くて憎くて堪らねえよ」


 こんなにも、自分と似ているなど。


「仇討ちで先は開けない。分かってんだろ?」

「……抜け抜けと」

「……だけどよ」


 ニヒルに浮かべようとした笑みは、胸を突く情動にどうしようもなく歪まされた。


「そう簡単に、捨てられるもんじゃねえよな」


 投げ掛けた問いに答えは要らない。田中を見る魔女の瞳が、何よりも雄弁に物語っている。


「踊ろうぜ。俺とお前さんの、どっちかがぶっ倒れるまで」

「……武人の誘いなど願い下げだ」


 魔女が神器を構える。魔力が渦巻く。それに応じて田中も、殺意を漲らせて杖を構えた。


「踊るなら一人、地獄の釜の底で踊るがいい」


 憎悪の籠る視線が交錯する。ぶつかり合う視線が弾け、間に業火が散る。己の身すらその炎に焼かれていくことを感じながら。


「――ッッ‼」


 熾される魔力の光。破滅を予感させるその輝きに向けて、田中はただ不乱に駆けた。



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