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第二十二節 殺意

 

「――」


 ――先手必勝。


 用意していた一手を打つことに躊躇はない。術師であるアイリーンは魔術のプロ。ならば術を使う暇など、端から与えなければいい。四十年に渡り鍛え続けたその歩法。刹那に至る踏込みで間合いを消した、木杖が華奢な肉体を捉える――。


「――愚かだな」


 掛けられた声と仕掛けに気が付いたのとは、ほぼ同時。


「私が連盟を葬ったのを忘れたか? お前たちの戦い方など、飽きるほど目にしたわ」


 貫いた幻影の更に先。語るアイリーンの身体は既に、田中でさえ目にできるほど膨大な魔力に包まれている。


「――【混沌の輪舞曲】」


 後追詠唱。先取りした魔術の発動要件を後から満たす高等技術。徹底した隙の消し振りは或る種の警戒を感じさせるものだが。


「……」


 田中としても目論見を外されたことに別段気落ちはしていない。なにせ待ち構える相手には、時間がたっぷりとあったのだ。敵の先手を予防するのが魔術師のセオリーである以上、対策が立てられれば乗るしかないことは分かり切っていた。本体と変わらぬ密度の幻影。武人の感覚すら騙すそれを戦闘の最中に作り出すことはまず不可能であり、従って二度目はない。ここまでは概ね予想通り。


 ――間接強化か。


 纏う尋常でないオーラからして、恐らく肉体強化としては最高位レベルの魔術。身体性能が大幅に底上げされたとなれば武人である田中と雖も直線的に攻めるわけにはいかない。あれだけの魔力を纏っているとなれば、杖の威力も相当に軽減されるはずだ。


「【暗き閃光】――」


 用意は整えたとばかりに撃ち出される力の奔流。牽制と揺さ振りを兼ねた一発だということはすぐ分かる。猛速で迫り来る力の波を目線を切る動きで回避。そのまま接近を試みるが――。


「――ッッ!」

「――【軌道変更】」


 その動きにアイリーンは食らい付いてくる。ほぼ反転して背後から襲いくる力の波を舌打ちと共に回避。角度を考えてキャンセルに追い込む。動体視力、反応速度まで大きく跳ね上げられている。容易に間合いを詰めることはもうできない。


 ――つまりはここからが本番だ。


 魔術は使わない。武術連盟の生き残りとして、そして武人の仇討ちとして。それだけは譲ることができない一線。だがなにも使用者にならずとも、環境の利点は生かせるものだ。


 あの日以来田中は徹底的に学んできた。……魔術と魔術師について。仕組み、原理、殺し方。磨いた魔力感知のセンスは如何なる微細な魔力の動きでも逃すことはなく、そこに磨き上げた身体能力と直感とを合わせれば避けられない魔術などあり得ない。加えて相手の魔術発動を隙へ変える修練を積み続けた今ならば、例え式秋光やリア・ファレルが相手であってもその隙を取る自信が田中にはあった。


 混沌の魔女と三大組織の戦いは各々の組織によって詳細に記録されている。協会の保管庫にあった文書を読み解き、その内容を一字一句違わず頭に叩き込んだ。――神聖と暗黒、双方の支配級の適性を持つイレギュラー。術法についての技量は賢者クラス。生半可な損傷は瞬く間に回復され、迂闊に踏み込めば力と生命とを削り取られる。そしてそれらを合一させた秘奥、太極魔術。


 歴史を振り返っても混沌の魔女以外の使用例がない、アイリーンにだけ扱える固有技法。理論的には神聖と暗黒の複合魔術であるとされるそれは、あらゆる属性に対する優位と複合前の術法からの大幅な威力、霊格の上昇とを特徴とする。どのように解釈しても強烈無比であることには違いなく。


「――ッ――‼」


 ――他方で予測されている欠点。暗黒と神聖は相反する対極の属性であり、それらを打ち消し合わせず合一させるには支配者であっても相応に苦労して然るべき。太極魔術の行使には繊細かつ高度な魔力制御が必要であり、僅かでも制御が乱れたなら二つの属性は合一することなく、霧散する。


 現に三大組織との戦闘でも終盤にそういった症状が見られたらしい。……ならば、一度でいい。魔女の魔力制御を、崩すことができさえすれば。


 武人である田中にとってそれこそ最高の勝機となる。無防備になる一瞬の間、それだけでも奥義を放つには充分な時間だ。……要はそれまで、自分自身が持てばいい話。


「――」


 執拗さを増したとはいえ、田中にとってアイリーンの攻撃はまだ躱し切れないものではない。魔術攻撃を掻い潜り、ひたすらに隙を窺う――。


「――なるほどな」


 相対する男。その立ち回りを目に、アイリーンは独り言つ。……直情的ではない。


 更に言うならば、無策の慎重さでさえなかった。披露された動きは明らかに意図を持ってのものであり、此方の手に理解のある者の動き方。


 自分が復活することは三大組織の人間なら知り得ていること。かつての交戦の記録も残されているだろうし、生き残りと話をする機会もあったかもしれぬ。いずれにしろなにかしらの手段で事前にアイリーンの情報を得、対応策を立ててきた。


 同じ武人でも奇襲で後手に回った二十三雄とは違う。寧ろこの場合後手に回らされているのは、自分の――。


「――ッ」


 視界の奥で揺らめく杖先。とかく考える前に魔術で広範を薙ぎ払っておく。太極の魔力を身に纏わせて飛躍的に身体性能を向上、保護する【混沌の輪舞曲】だが、それだけの強化を得ていても武人の近接戦闘能力には及ばない。距離を置いて近付けない――それが賢明な選択だ。


「――」


 そしてアイリーンのその判断を予知しているかのように、男は先ほどから絶妙な距離を保ち続けてきている。……こちらの魔術を確実に回避でき、かつ自らは踏込み一つでいつでもゼロにできる間合い。この私相手に、持久戦を仕掛けるつもりか――?


 アイリーンが支配者の適性を持っていることは相手とて分かり切っているはず。かつて体感した武人の持久力は例えるならば底なしの沼。彼我の魔力体力で優劣は付き難い。狙いは恐らく、魔力制御。


 太極魔術は相反する二属性の複合魔術だ。制御を誤れば直ちに相剋の理が働き、力は消失。結果として大きな隙を晒すことになる。


 ――面倒だな。


 武人の始末など容易いと思っていただけにその思いが強く出る。捉えるのが先か、ミスが出るのが先か。攻め手を強めればそれだけ制御を仕損じるリスクも高くなる。……アイリーンの脳裏に過ったのは、かつての討伐戦で味わった苦い記憶。


「……はっ」


 敢えて笑む。憎々しげに。嗜虐的に、残酷に。


 ――アイリーン・カタスフィニアは、《厄災の魔女》。魔術を使い、秩序を壊す災禍そのもの。


 それがたかが武人の浅知恵一つで揺らぐことなど、果たしてあって良いことだろうか?


 ――否。


 断じて有り得てはならないだろう。人並みの打算に身を窶すことなど、絶対に。


「――」


 決めて躊躇なく――アイリーンはスタイルを変える。右で太極魔術を十全に扱ったまま、左でもう一つの術式を稼働させる。リスクなど考慮しはしない。人外の技法にて災禍を齎す、それこそが魔女というものだ。


 ――この男に、思い知らせてやろう。


 自分が今なにを相手にしているのか。かつて自分が所属した組織が、その所業の果てになにを生み出すことになったのか。


 忘れてしまったのなら無理矢理にでも思い出させる。知らないのなら、忘れられなくなるまで何度でも刻み付けてやる。


 《厄災の魔女》。その名が背負う、業の重さを――。


 アイリーンが決意を固めたのと同時。


 ――来たか。


 相対する田中もまた、魔女の変化を察知していた。つまり敵方もこちらの狙いに気付いたということに他ならない。それは予想の範囲内だが、今起こされたのは別の新しい魔力の動き。


 太極魔術だけではなかった。連盟を壊滅させ、三大組織と死闘を繰り広げた厄災の魔女にはもう一つ主力となる武器がある。……それも、武人にとって大敵となる得物が。


 ――させるかよ。


 繰り出した踏み込みは速さも然ることながら、より技巧側に重点を置いたもの。魔術の猛攻の目を縫いつつ杖の間合いの一足前までに接近し、技の挙動を見せ付ける。……当然の如く牽制だが、それでいい。脅威を染み込ませるだけで充分だ。攻撃の機を増やせば当然回避をし損なう確率が高くなる。魔術の攻めが苛烈さを増していることを考えてもこの勝負、どちらが先に敗着を打つか。


「――」


 躱す。接近。杖を見せ付けた後、四方八方から放たれた光弾を辛うじて全て回避する。


「チッ――」


 打った一手。にも拘らず変わらず膠着したままの戦況に、アイリーンは苛立ちを隠そうともしない。――左の術式はとうに用意し終えている。


 それでも発動できないのは偏に、間がないから。攻め手を緩めていないにも拘らず、武人は先にも増して執拗に牽制を折り挟んでくる。……その殆んどがフェイク。そう看破していても無視はできない。術式を稼働させればその瞬間に撃ち込まれるという、それだけの圧が今のこの男からは感じられているからだ。気概で食らい付いて来ている。この自分に、厄災の魔女に。


 ――小賢しい――‼


「――っ⁉」


 驚愕。アイリーンの披露したその所作に一瞬、田中の動きが凝りを見せる。一切の魔術攻撃を止めたノーガード。左の術式に注力した博打打ちは、武人の技に敢えて身を晒す覚悟があってこそであり。


 ――その愚弄を見過ごす田中ではなかった。


「シィッッ‼」


 渡されていた距離が刹那に消える。一足一杖の間合いから全霊を込めて繰り出された木杖が、晒された細い喉を一つの呼吸で穿ち抜く。それ以前に放たれた四撃は既に魔女の四肢関節を破壊している。纏わされた魔力の鎧を物ともせず、確かな手応えは肉を潰し骨を砕くその感触。――【一奥】。武術連盟三傑が一人、当千杖師の誇る奥義の一つが完璧に決められた。


 正にその瞬間、田中は己の失策を明快な形で悟らされていたのだ。


「――ッ‼」


 力を込めて杖を引き抜き、全力で跳び下がる。打ち込みの姿勢から無理矢理引いたことで生まれる負荷も、それを避ける為であれば必要な代価と割り切るよりない。


 ――剣。一振りの大剣が、アイリーンの左手に握られている。伝わる脈動、肌に感じるオーラ。直感があらゆる意味で不味いと感じ取っている。……間違いない。あれが。


「……【真力解放】」


 擦れ、ざらついた声でアイリーンは言う。主の号令に応え、握る剣が覆いを剥ぎ取り、その真の姿を顕にしていく。


「……あ」


 ――ああ。


 四肢に走る、この感触。


 喉を貫く痛み。満足に息が吸えず呼吸に喘いでいる苦しみ。死を隣人とした、この鼓動。


 ――やっと、戻ってきた。


「ア……」


 戻ってきた、戻ってきた、戻ってきたのだ。


「――アハハハハハハハッッ‼‼」


 滾る神聖の魔力によって暴力的な勢いで塞がれ、癒されていく傷の蠢きを感じながら、アイリーンは笑う。――痛い。


 痛い。漸く思い出させてくれた。


 この痛みが。かつての仕打ちを、殺意を。身から溢れ出すほどの、黒い憎悪を――‼


「――ああ」


 溢れる暖かな緋色で滑りの良くなった舌を動かし、アイリーンは舐るようにその言葉を口にする。


「思い出した。その粗末な棒切れに、どこかで見覚えがあるかと思えば……」


 忘れているはずなどなかった。これまではただ、思い出す気がなかっただけなのだ。


「貴様、あの爺の弟子か」


 眉を撓める。瞳に込めるのは、愉悦の色。


「武人どもの中でも一際滑稽だったな。蟷螂の斧にも劣る小枝を振り回し、力尽きて襤褸切れのように死んでいく」


 とん、と手刀で首を刎ねる真似を見せ付ける。


「見物だったぞ? この剣で首を刎ね飛ばされた、奴の顔は――」


 瞬時の指の動きに合わせて舞うようにその柄が翻る。飛び出した剣身が迫っていた武人の七つ影を裂断。脚への一撃を受けて術での返しを狙うも先の交戦で学習していたのか、纏う魔力で捕える前に安全圏にまで逃げられる。


「アハハッ‼」


 ――ここからが本当だ。


 魔女の笑い。災禍による蹂躙が、幕を開ける。








〝――覚えておけ〟


 脳裏に蘇るのは、若き日に告げられた師の言葉。


〝我らの杖術、常時不殺を旨とする。殺さずに決着をつけるには、己の死を厭わぬ覚悟では足りん〟


 師の手にした杖。何とはなしに目にしていたそれが、地面に転がっていた小石を砕き潰す。


〝杖は殺せないわけではない。私の下で技を磨けば、いつかお前の技は殺しの域に達するときが来る。必ずな〟


 バラバラにされた岩の破片は――見れば、崩れ落ちる間に砂塵となり、吹く風に乗せられて空へ消えた。


〝常に不殺であることを意識しろ。不殺という二文字を、己の骨髄にまで貫き刻め。お前自身が、どうあっても不殺を裏切れぬほどに〟


 四十年も前の記憶だからだろうか? 告げる師の顔はぼやけていて、よく思い出せない。厳めしい面をしていたようにも、寂しげな表情をしていたようにも思う。


〝殺すという安楽に打ち克て。そのとき初めて、お前の杖は――〟


「……なるほどな」


 現状とは全く結び付きのない情景。耳に木霊した師の声を呟きで打ち消しながら、田中は額を伝う血の入り混じる汗を拭う。


「――どうした? 生きが悪いな。武人」


 魔女が嗤う。今なら田中にも分かっていた。師たちが挑んだのがどれほどの困難だったのか。資料だけでなく、身を持って。


 ――『残亡と破壊の大剣』。


 現存が確認されている八つの神器のうち一つであり、触れるもの皆打ち崩す【破壊】の概念特性を持つ大剣。……理屈ではない。あの剣に触れたものは身体は愚か、いかに優れた武器であろうとも問答無用で破壊される。受け、流し、交叉法。武術において重要視される技法の多くが、その前では無意味な屑鉄と化す……。


「――では、こちらから行くとするか」


 視界の内で魔女が踏み出す。緩やかな動き出しから緩急をつけて織り成されるのは、死の舞踏。子どものように細い脚線から考えられないほどの軽やかさで以て、魔女が大剣と舞い踊る。


「チィッ――!」


 死域が多い。杖を第三の手足と為し、誘いを拒絶する相方のように田中は悉くステップを外していく。神器の特性を軸とした、一つでも当たれば良いという目論見の多撃必殺。取り纏められた身のこなしは術師にありがちな抜けた所作ではなく、武人である田中の眼からしても充分実戦に堪えるレベルのもの。――それでも決して手の出せない動きではないはずだ。纏う魔力と、剣の特性がなければの話だが。


 先の接触で既に田中には理解できていた。魔女の発動している魔術はただの間接強化ではない。負わされた傷を即座に癒す自動回復と、触れたものの力を奪い取る吸収作用。魔力の密度を高めることで此方の動きを縛ることも可能なようだ。真に必殺の一撃でない限り、手を出すのはそれだけで状況を悪くする。今はただ身に迫る暴威を避けつつ、機が来るのを待つしかない。


 ――そう思ってんだろ?


 表に出すことなく田中は嗤う。――随分と嘗めてくれんじゃねえか。


「――ッ‼」


 動きに混ぜ込んだ視線のフェイク。釣られた魔女の体幹がぶれたところで見せる杖の数撃は、跳ね上げられた反射を逆手に取った誘導の所作。


「――っ」


 考えるより先にバランスを崩した、魔女の嗜虐的な笑みが崩れる。大剣の影から躍り出された装甲を持たない無防備な胸部。――貰った。一連の所作の〆として繰り出したのは肉体を穿つことなく心臓を破壊する打ち込み。完全に虚と隙とを突いた一撃に、最早防御も回避も無意味であり――。


「ッッ‼」


 ――身を駆け抜けた怖気に、本能的な速度で身を引いた。


「……惜しいな」


 軽やかさなど微塵もなく、踏み締めて引き寄せる強引さでバランスを戻した魔女が呟く。張られていたのは髪の毛ほどの細さをした魔力の線。心臓を取ろうと踏み込めば突き刺さる、そのピンポイントな位置に仕掛けてあった。


「筋書きは悪くなかった。そのゴキブリ染みた保身の勘さえなければ、今頃膾のように刻んでやっていたものを……」


 怨讐の籠る声にゾクリとする。これまでの派手な術法が全てブラフだったのかのような周到な罠。協会で魔力感知の能力に磨きを掛けていなければ、気付かず踏み込んでいたかもしれない。刹那の過ちで全てが地に塗れる。


「──ラアッ‼」


 その恐れを払うように、自ら前へと踏み出した田中。全身全霊を持ち、積み上げてきた全ての技術を叩きつける。一心不乱に、目の前の仇敵へ――‼


「――ッ‼」


 杖が(しな)る。(たわ)み、唸りを上げる。


 自分の技はこれ以上ないほどキレている。なのにまだ、魔女の心臓に手は届かない。湧く憤りを奥歯で噛み締めて。


 ――もっとだ。


 もっと杖に、怒りを込めろ。


 日常では洗い流せないくらい。取り去られないほどに深く。


 それでいて技術をぶらさない難事。冷静に怒る術を田中は今日まで磨き続けてきた。怒りという激情を、滾る憤怒を余すところなく力に変える。その上で。


「――」


 ――当千杖師の杖術は、不殺。


 殺さない。それを軸として構成された武術であり、田中もそう教えられた。


 だが、それでは勝てない。


 集められた資料を見、幾度となく読み返すうちに思い知らされた。それでは《厄災の魔女》には届かない――だから。


 田中は漲らせる。杖に、殺意を。


 目の前の怨敵を、殺し切れるよう――‼



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