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第八節 リゲル・G・ガウス 後編

「――あっ!」


 リーダーの合図を皮切りとして男たちが一斉にリゲルへと飛び掛かる。その動きを目にして小さく声を上げるフィア。始まった乱闘の様子を一瞥して。


 ――下らない。


「行こう」

「え、でも……」

「ああいうのに関わると面倒だ。巻き込まれでもしたら困る」


 通行人は独りでに散り、いつの間にか足を止めて見ているのは俺たちだけになっている。今はどちらも目の前の喧嘩相手に意識が向いているからいいだろうが、途中で気付かれでもすると厄介だ。


「それに――」


 今一度状況を見る。――数の上では圧倒的不利。


 だが視線の先のリゲルは傍目にも驚くほどの瞬発力とフットワークとで素早く緩急をつけて立ち回り、男たちにその有利を活かさせていない。多対一の構図を上手く作れず、逆に下手な数の多さが味方同士の動きを邪魔している有り様。……先に自分でも言っていた通り、明らかに乱闘に慣れている。


「あれなら心配要らない。大した怪我はしないだろ」

「……はい」


 俺の言に頷いて。それでもどこか後ろ髪を引かれるような素振りでフィアがあとに続いてくる。俺としてはさっさと此処を立ち去りたいのだが、フィアを一人置いて去るわけにもいかない。じりじりしつつも結局はノロノロと歩を進めていた――。


「――止まれ‼ リゲル‼」


 そんなときに飛び込んできた怒号。今までとは感じの違うその叫びに、思わず俺とフィアの顔がそちらに向いてしまう。直後。


「あっ……!」


 息を呑んだ。……子ども。どこから連れて来たのか、まだ小学生くらいに見える少年が一人、あのリーダー格と思しき男に捕まえられている。


「見えるな⁉ このガキをどうにかして欲しくなけりゃ、大人しくしろ‼」

「……おいおい」


 既に一発殴られていたのか。腫れた頬で唾を飛ばしながら喚く男。……無茶苦茶だ。


 やり口もそうだが、無関係な人間を盾にしたところで効果があるとは思えない。呆れ返ったような態度のリゲルにそのまま無視されて殴られるのが。


「てめえらファミリーの復讐で来てんだろ? ちっとはプライドとかねえのかよ……」


 関の山だと。その予想を裏切るようにして、リゲルは引き倒しかけていた男の服を放すと、尻餅をつかせる形で解放した。


「お前が動かなきゃ無傷でいられるさ。──おいガキ。五体満足でうちに帰りたけりゃ、暴れんじゃねえぞ」


 リーダー格の男がポケットから取り出したのは折り畳み式のナイフ。鋭い音を立てて開いたそれを目の前へチラつかせられ、小さくしゃくり上げて竦むように子どもの動きが止まる。そして――。


「……オラッ!」


 意を決したように男の中の一人がリゲルへと殴り掛かる。先ほどまでなら間違いなく避けられていただろうその一撃へ、リゲルは足を止めて腕を固めたまま。


「――っ!」

「よし、やっちまえ!」


 喰らった。ガードの上からではあるが、なんの反撃も回避もせず。それを見て勢いづいた男たちがリゲルに群がる。囲んで我先にと殴り蹴りしていくそのさまは、手負いの得物を奪い合うハイエナのようだ。……その光景を目の当たりにして。


「行こう」

「――え」


 背を向け歩き始めた俺に、背後から追い縋ってくるフィアの足音。


「ま、待って下さい!」


 肩に手を掛けて。稀に見る強引さで俺を止め、息を整える。……翡翠色の瞳と目が合う。


「このままじゃ、リゲルさんが」

「警察にはもう通報されてる」


 俺たちから見てちょうど反対側。子どもが捕えられたのを目にしてか、焦ったように電話を掛けている通行人がいた。状況からして間違いなく警察に事の次第を伝えたのだろう。であるならば。


「あとはそっちの仕事だ。俺たちがどうこうすることじゃない」

「で、でも」


 警察も勿論のこと人間だ。五秒で駆けつけてくれるわけじゃなく、その間リゲルは一方的に殴り続けられる。さぞかしそれで痛めつけられもするだろうが。


「標的は別にいるみたいだから、多分殺されはしない。あの子どもも、用が済んだら解放されるだろ」


 半分誤魔化しの希望的な推測を告げる。……先のことなど分からない。痛め付けるだけのつもりでも弾みで殺してしまうかもしれないし、死ななくても重大な怪我を負うかもしれない。


 ――だからどうした?


 そもそも渦中の人間が日頃から暴力を振るっているような人物である以上、これも自らが招いた結果。自業自得だ。不幸な子どもの方には思うところがないわけでもないが、仮に俺たちが飛び出したとしても何にもならない。


 リゲルは痛め付けられており、それを除いたなら多勢に無勢。俺は暫く運動などしていないし、フィアの運動能力は言わずもがな。怪我をするだけだ。運が悪かったと、そう諦めてもらうしかない。


「警察が着けば上手く行くさ。俺たちがいてもどうにもならない」

「……」


 なのにフィアは、まだ俺と現場とを見て右往左往し続けている。その煮え切らない態度が少しだけ、癇に障った。


「――行こう」


 意図的に語調を強くする。


「自業自得だ。下らないことをしてる連中に、構っても仕方がない」

「……っ!」


 頑として告げたその言葉に、フィアは、きつく唇を噛み締めて。


「――」


 俺に背を向けると。――勢いよく、走り出した⁉


「っ⁉ おいッッ⁉」


 ――動転。思わず口を突いた制止の声にも、振り返ることはせず――。


「――えいっ!」

「うおっ⁉」


 飛び付いたのはリーダー格と思しき男の腕。ナイフとの間に無理矢理自身の腕を割り込ませ、掻き抱くようにして子どもを引き剥がす。


「なっ……⁉⁉」


 ――何をしてる⁉


 思考が一瞬追いつかなくなる。――一歩間違えれば死ぬかもしれないリスキーな行為。しかも、今のように運よく子どもを助け出せたとしても――!


「……なんだ嬢ちゃん?」


 リゲルが殴られる様子を見てせせら笑っていた男の目付きが、フィアに焦点を合わせられて変わっている。


「これは俺たちの問題だ。関係ねえ奴はすっこんでな」

「……私はあなたたちの間で、なにがあったのか知りません」


 剣呑で危険な雰囲気へ。そんなリーダー格の男を前にして、隠すように子どもを抱き留めながら、フィアは言ってのける。


「でも子どもを盾に使うなんて、間違ってると思います」

「……分からねえ嬢ちゃんだ」


 リーダー格の男が顎をしゃくる。傍にいた一人の黒服が、フィアと子どもへと近付き――。


「ぐあっ⁉」


 その手が伸びる寸前に足を払った。背中から派手に転倒した男を尻目に、二人を庇うようにして前に滑り込んだ自分自身。


「黄泉示さん――」

「――くそっ!」


 悪態。――手を出してしまった。巻き込まれることは避けられない。ただでさえ血の気の多そうな連中だというのに――。


「早く逃げろ‼ また捕まるぞ‼」

「う、うん!」


 まだ混乱している体の子どもに向けて叫ぶ。何よりもまずは子どもを逃がさなければ話にならない。それさえできたなら、俺たちも直ぐに。


「あーあーあー……」


 届く声。その迫力に、否応でも視線を戻す。


「何だ何だ? いい齢してヒーロー気取りか? お前ら」


 ――頭を振りつつ怒気を滲ませた声口調。本気の怒りを秘めた台詞に、思わず背筋に走る寒気。


「漸くガウスんとこの野郎に、一泡吹かせられるってとこだったのによ……」


 俺たちの正面に立つリーダー格のあの男が、射殺すような眼光で此方を睨んでいる。額に浮かばせた青筋。弄る指が懐から取り出したのは。


「恨むんなら、バカやったてめえらを恨めや――」


 ――銃⁉ 此方を向く黒い口と目が合った瞬間に血が凍る。――避けられるか⁉


「――ッ‼」


 無理だ。……身体が動かない。引金を絞る指の動きに刹那に過るのは直感的判断。俺の後ろにいる、フィアと子どもごと――‼


「グッ!」

「ゲブッ!」


 ――瞬間。


「――ッ!」


 背後から挙げられた苦悶の声が俺たちの耳に飛び込んでくる。声の方角に構えたまま銃口をずらした男に猛速で迫るのは、サングラスをつけた人の影。殴られ蹴られしていたスーツは汚れているが、その動きは全くと言っていいほど衰えていない。


「通行人にぃッ――‼」

「チッ‼」


 横を過ぎる発砲音。――躱した。放たれた秒速三百メートルの弾丸は標的から外れ、石畳に火花を散らすだけに終わる。


「手ぇ‼ 出してんじゃあ‼」

「クソッ――‼」


 毒づきながら次弾の発砲体勢を整える。そのたったコンマ数秒の間に、リゲルは男との距離を完全に詰め切っていた。


「ねぇッッッ‼」


 叫びを追うように繰り出された、鋭角のアッパーカット。低空から跳ね上がる強烈な一撃が顎を撃ち抜き、男の身体が数メートル近く宙を舞う。


「――アグッ‼ ゴハッ……ガッ!」


 派手な落下音を立ててもろに背中から墜落する。握っていた銃を落とし、最後にその身体を一度大きく震わせて、動かなくなった。


「り、リーダー‼ ……ッ!」


 駆け寄ろうとした取り巻きはリゲルの一瞥で射竦められる。……さっきまで六、七人でリゲルをタコ殴りにしていたはずだが、今や立っているのは一人だけ。他は一様に腹を押さえたり、頭を押さえたりして地面に蹲り、のたうっている。あの一瞬で……。


「おい」

「っなんだ⁉ やろうってのか⁉」


 リゲルの声掛けに応じるその態度に、最早余裕は微塵の欠片もない。細かく震えている膝。声を張り上げても、虚仮威しだと言うことがすぐに分かるほどだ。


「こいつら連れてとっとと帰れ。親父にまたどやされんぞ」

「……ッ……‼」


 その言葉に取り巻きの男は顔を歪め、心底苦々しいと言ったような表情を見せたが。


「――退くぞ、テメエら!」


 倒れているリーダー格の男に駆け寄ると、肩を貸すようにして抱え上げる。合図を受けた他の男たちもよろめきながら立ち上がり、ある者は仲間の手を借り、ある者は立てない仲間に手を貸して。方々の体で逃げ出していった。


「……ふぅ」


 冷や汗と共に吐き出した息。……危ないところだった。辛うじて、どうにかなったが……。


「立てますか?」

「うん」


 振り返る。背丈を合せるように屈み込んだフィアが、助け出した子どもと向き合っている。


「もう大丈夫ですから。気をつけて帰って下さい」

「ありがとう。お姉ちゃん、お兄ちゃん!」


 笑顔で俺たちに礼を言って駆け出していった。……子どもは元気だ。こっちの気も知らないで。


「スーツのオジサンも、ありがとう‼」

「おう、礼は要らねえぜ!」


 手を上げ笑って応えているリゲル。子どもを見送って、俺たちに振り向いた。


「――ありがとな、お二人さん‼」


 威勢のいい掛け声。屈託ない笑顔は、先ほどまで大乱闘を繰り広げていた人物と同じとは思えない。


「怪我とかしてねえか? あいつら荒っぽいからよ」

「は、はい」

「……一応な」


 自分の事を棚に上げてどの口が、とは思ったが、本人の手前そうも言えない。銃を向けられるという嬉しくない初体験はあったものの、幸運なことに俺もフィアも怪我一つしていない五体満足。動悸で切れた息がまだ収まっていないのと、男に足払いを掛けた脚が痛む程度。これ以上何か起きないうちに、早く。


「――リゲルさんこそ大丈夫ですか」


 そう思っていた矢先、よりにもよってフィアが声を掛けてしまった。……自分から。


「おお。ま、鍛えてるからな。あんくらいじゃびくともしねえよ」


 大丈夫というアピールのつもりか。曲げた腕をバシバシ叩いて見せたリゲルは、そこでもう一度確かめるように俺たちを目にして。


「つうか二人とも身覚えあるぜ。同じクラスの奴だよな?」

「あ、はい」

「……覚えてたのか」


 ――予想外だった。


 毎週のクラス授業こそ同じだが、こいつは毎回寝ているだけだし、座る席も俺たちより前だ。無視されているその相手に、まさかこっちが覚えられているなどとは。


「そりゃな。いろんな意味で目立つだろ、お二人さんは」

「?」

「……」


 フィアは首を傾げたが……意味の分かった俺は頭が痛くなる。率直に言ってかなり綺麗で可愛いと言えるフィア。それが同年代の男といつも一緒にいるとなれば、目立たない方が不自然なのかもしれなかった。


「っと、こっちの名前言ってなかったな。もう聞いてるかも知んねえが……」


 そこでビシリと立てた親指で自らを指し示し、宣言する。


「――俺はリゲル。リゲル・(ギャンビット)・ガウスだ」

「フィア・カタストです」


 当然の如く名乗り返すフィア。二人から向けられる視線に一瞬、言い淀んだものの。


「……蔭水黄泉示だ」


 場の流れには逆らえず、言う。……さっさと帰るつもりが、なんでこんなことに。


「カタストに、黄泉示か。……いい名前だな」


 俺たちの名前を反復したリゲルは、よく分からない感想と共になぜかうんうんと頷いて。


「今日は撒き込んじまって悪かった。けど助かったぜ。恩に着る」

「いえ、こちらこそ」

「いや……まあ」


 述べられた感謝に歯切れの悪い答えを返す。俺たちの台詞を受けたリゲルは、んじゃ、と言うように片手を上げ。


「また明日、学校でな‼」

「……え」

「……んん?」


 不吉な言葉を残して、走り去っていった。


「……」

「……」


 ……また、明日?


 考えたくもない。その言葉の意味を考えるのを、頭が全力で拒否している。どういうことだと考える暇もなく――。


「黄泉示さん、その……」

「――」


 後に残された静けさ。その間隙に滑り込んできたフィアの声に、思考が回帰し。


「なんであんなことをしたんだッ!」

「……っ!」


 気付いたときには。……自分でも思わぬほどの、怒号が飛び出てしまっていた。


 ――フィアの行為は、無謀だ。


 俺からすれば必要ですらなかった。……一歩間違えれば、自分が殺されていたかもしれないのに。


「……済みません」


 俺の叫びを受けた――フィアは、項垂れるようにして自分の服の裾を掴む。ギュッと、痛みを堪えるように握られた拳。


「……放って、おけなかったんです」


 紡ぎ出された言葉は、掛けられた圧に脅されているように小さく震えていた。


「怯えるあの子の顔を見たときに、どうしても、放っておけなくて。……ごめんなさい。黄泉示さん」


 ただ謝ってくる。その姿を目の前にして――。


「……いや」


 徐々に。引いた熱に連れて戻ってきた脳の冷静さが、自らの発した叫びの激しさを自覚させる。


「……悪い。あんな風に、怒鳴るつもりは……」

「いえ、黄泉示さんの言うことを無視したのは、私ですから……」


 ……なんなんだ、これは。


 いつものように喋れない。……空気が、やけに重く感じる。その重さをどうにか取り払おうと、何かを口にしようとしたとき。


「――っ」


 遠くから響いてきたサイレンの音。……パトカーだ。先の通報を受けて来たのか。半ば舌打ちをするような思いで。


「……行こう」


 この場にいることで変に勘繰られでもすれば面倒なことになる。事情の聴取など、今は到底受けている気分ではない。


「……はい」


 フィアの返事を受けて、俺たちは足早に歩き出す。その歩調はいつも通りに合っているはずなのに。


 なぜか、ちぐはぐさは残されたままだった。




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