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第二十節 懸けるもの

 

「――ッ‼」


 拳の先に感じる手応え。身体に打ち込まれた衝撃に、聞く者の身を竦ませるような咆哮が轟く。


「ちっ――ッ‼」


 二発撃ち込んだところで踏むバックステップ。迫る蝕腕をウィービング、ダッキング、スウェーで上下左右に躱し、避け切れない分はパーリングで弾き落とす。拳に伝わってくる衝撃。最も軽い蝕腕での攻撃でさえもリゲルがこれまでに体感した並みの打撃以上の重さがある。尾での薙ぎ払いを伴う反転に、同じ方向へ回り込むようにして距離を離した。


 これまでで既に数十発以上の打撃を後ろ足に当ててきている。重力を纏わせた拳の威力は生身の相手ならガードの上からでも一撃で昏倒させられるもの。威力としては充分なはずだが、目の前の魔獣にはまるで効いた様子がなかった。分厚い毛に衝撃を殺されているのは確かとはいえ、スタミナが尋常ではない。かつて相手取った鬼と比べても遥かに高い。どころか――。


「ッ‼」


 低く足首を狙った蝕腕。刹那に片足を上げたたらを踏むような体になったところを襲う前腕の薙ぎに、敢えて前へ出ることで対処する。毛の部分で受けて衝撃を殺し、勢いを利用して一息に跳んだ。気を抜けば固めたブロックごと潰されそうな重さだが、それでもなんとか体勢を崩さずに着地する。……やはり思い違いではない。魔獣の動きは先ほどから、明らかにこちらの戦略を意識したものに変化してきている。狩猟本能と言うに狡猾過ぎるそれは、外見からは到底想像できない対応力だ。


「……冗談じゃねえっての」


 捨てるように舌を打つ。相手の武器は鋭い牙に爪、重量を備えたその身自身。前者に当たれば骨ごと肉を持って行かれ、後者をまともに受ければ押し潰される。蠢く蝕腕に崩されたとしても同じこと。繰り出される全ての挙動が攻撃と同義であり、その攻撃全てが致死に繋がる。対するこちらの打撃は数十を当てて目に見える影響なし――。分が悪過ぎる。


「――大丈夫かよ⁉」


 獣が様子を窺っている隙に、共に戦っているもう一人へ声を掛ける。返答は早く。


「――他人の心配より自分の心配をしろ! 一度でも捕まれば終わりだぞ!」

「知ってるっつうのんなことは!」


 近距離で攻撃役に徹していることもあり、今のところ魔獣の狙いはリゲルの側に集中していた。ジェインも自らの幻影を使って魔獣の気を反らしているが、本体が気を引かないよう都度ごとに上手く立ち位置を変え続けている。その点では心配ないが。


 先に言われた十五分のリミットが近付いて来ている。二人掛けの二倍速が余力を残して持つ時間。ここで力を使い果たすわけにはいかなかった。自分たちの友を助けるために――。


 ――できるのか?


 今のままで、そんなことが。


「……」


 臨戦態勢で魔獣と相対しつつ、リゲルの思考が逸れた一瞬。


「――おい」


 なにを思ったのか、それまで偏にリゲルを見据えていた魔獣が突如として向きを変える。背筋が冷たくなる予感。まさかと思ったその瞬間に、魔獣がジェイン目掛けて突進した。


「ッ【重力――‼」

「止めろッ‼」


 諌める叫び。躊躇い発動を遅らせたときにはもう、魔獣はジェインの目前にまで到達している。間に合わない――‼


「――」


 意識の集中によりスローになる視界の中、ジェインが腰を落とす。身が拉げる正にその寸前に体躯を翻し、掻い潜るように擦り抜けた足の間。――三倍の【時の加速】。ギリギリまで引きつけてから躱す最小限度の動きに対象を見失った魔獣の勢いは、なお止まることなしに――。


「おい――ッ!」

「お前の術はあの魔獣を斃す為に必要だ。無駄遣いは止せ」


 けたたましい音を立てて激突した壁が崩落する。思わず駆け寄ったリゲルに飛ばされる、にべもない叱責。


「てめえ、今の」

「なんだ? 自分にできることが僕にできないとでも思ったか? 頭が三つあろうと死角はある。三倍速なら、振り切れない相手じゃない」


 普段と変わらない態度で、しかし心なしか言葉数多く言ってくるジェイン。汗を拭うその指先が微かに震えているのを、確かにリゲルはその眼で見た。


 ――ジェインの対応はいけ好かない。


 奥歯を噛み締める。だが、そうだとしても。


「……見えなくてもダメージの蓄積はあるはずだ。崩れるタイミングは必ず来る」


 息を整えつつ、自分にも言い聞かせるように語るジェイン。咄嗟の運動で荒れていた呼吸は元に戻りつつあり。


「その機を逃さず、一気に――」

「――止めだ」


 遮った。賢明な己自身の思考を、言葉ごと。


「アホらしい。やってらんねえぜ、んな日が暮れそうなこと」

「なに――?」

「四倍速なら何秒持つ? ジェイン」


 反応を無視した問いと同時に押し進めるのは覚悟の構築。……技の選び出しなど要りはしない。この状況下で必要なものなど、馬鹿馬鹿しいくらいに分かり切っているはずで。


「……どちらか一人なら一分だ。だが、ここで使い切るわけには――」

「一秒だ」


 突き付ける秒数は、前提とした決意があってこそ。


「一秒で良い。俺が奴の突進を止めた瞬間に援護しろ」

「……なにを考えている?」

「ボサボサ毛だろうが関係ねえ。――一発で終わらせてやるよ」

「――馬鹿なことを言うな」


 バシリと打ち付けた拳で取るファイティングポーズ。慣れ親しんだ闘いの姿勢が意気を高め集中を増す、その段取りを眼鏡の放つ冷静な台詞が途切れさせる。


「まだアイリーンの下にも辿り着いていないのに、そんな無謀に賭けるつもりか? 僕ならまだ持つ。あとに繋げるためにもここは、着実にいくべきだ」

「……馬鹿はどっちだよ」

「なに?」


 普段から鬱陶しいその正論が、今は一際煩わしく耳に響いて仕方ない。蠢く瓦礫の山を見る中で、響かせた舌打ちの音も隠すことなく、抱く情念をぶちまけた。


「――あんな化け物相手にセオリーなんて通るわけねえだろうが‼ そうやって理屈こねて作ったテメエのヘボい作戦になんざ乗れるかよ! 沈むのがオチだっての‼」

「っ――お前こそなんだあの体たらくは‼ あれだけ当てておいて無傷だと⁉ そこまで貧弱だとは思わなかったぞ‼」

「だから一撃で決めてやるっつってんだろうが‼ 話聞いてねえのかテメエは‼」

「そっちこそ人の話を聞け‼ あれを一撃で斃すなど不可能だ‼ お前がやろうとしているのは、ただの自殺行為だ‼」

「――」


 ――無理。


 ジェインはそう思っている。あの巨体を相手にして、正面からの撃破は不可能だと。だからこそ斃す為の策を立てている。冷静に、あくまで常道で。


 あれを前にした時に、確かに自分もそう思ったのだ。だからこそ賢明なジェインの策にリゲルは乗った。可能な限りのリスクを捨て、より確実な勝利を掴むために……。


 ――笑わせるぜ。


「……それじゃあ多分、駄目なんだよ」

「なに?」


 呟きを訊き返すジェインの問い。言葉で以て返せるだけの明確な答えは、当のリゲルにも掴めておらず。


「ま、偶には俺に任せとけよ」


 とうとう耐え切れなくなったかのように崩れる山――。散乱した瓦礫を背後に、顔を出した魔獣がリゲルたちを向く。赤く光輝く瞳は単純な殺意のみならず、獰猛に砥がれた理性すら窺わせている。


「――後ろにいろよ。下手に動くと、あいつの動きがぶれるかもしれねえからな」

「……リゲル」


 仲間の呼び声には応えず、振り向かずに前へ出た。


 ――やれんのか? 俺は。


 自問。分からないと言うしかない。これだけ巨大な相手を前にしたことはリゲルとてなく、経験も、保証も、保険も、何一つありはしない。ただ一点……。


「……」


 この魔獣に苦戦している自分たちの姿を思う度、リゲルには考えることがあるのだ。


 ――父。レイルなら、この魔獣を斃せただろうか?


 賢王なら、蔭水冥希なら、アイリーンならば? ……その答えは決まり切っている。彼らならきっと誰もが、誰一人しくじらず涼しい顔付きでやってのけたことだろう。リスクなど考えることもなく、平然と。


「――ッ」


 ――ならば、できないわけにはいかない。


 自分が目指すのはその先だ。蔭水冥希と並び、アイリーンと渡り合い、父を越える為の力だ。


 この魔獣程度斃せないようならば。……そんなことはきっと、夢に見ることすら適わない。


「……」


 ――睨み合いの中でステップを踏む。幾度となく繰り返したその動作が、極限の状態でリゲルに平衡の感覚を取り戻させる。着実などない。あるのはただ、未知なる未来へと向けた飛躍のみ。


「――」


 意を決したかのように魔獣が駆ける。先ほどより速さはやや落ちている。脚を残してこちらの打つ手に対応する構え。それを瞬時の判断で見て取り――。


「――【重力四倍】ッッ‼」


 見越して広範囲に放った魔術。端にでも掛かりさえすればそこから一息に倍率を上げられる重力の網を。


「ッ――⁉」

「――‼」


 これまでに見せていない凄まじい切り返しで魔獣は回避する。――読まれていた。背後から息を呑む音が届く。尾を支えとして淀みなく体勢を戻し、速度を上げ、最早回避も魔術も間に合わなくなった距離を潰し――‼


 ――待ってたぜ。


「――ジェインッッ‼」

「――⁉」


 合図から間髪入れずに掛けられる加速。無詠唱にて繰り出した六倍の重力が、哮る獣の頭部を地面へと押さえ付ける。想定外と思しき重力の加速に耐え切れずに床へと沈み込む三頭。――それでもなお突進の勢いは止まらない。止められないのだ。重力の増加を受けようが速度の乗ったこの距離では確実に激突する。恐らくは魔獣が予測したように。そして何より――。


「――ッ」


 リゲル自身が、強くそう望んでいたように。


「ヌンッッ‼」


 ……今の自分の攻撃では、この魔獣には通用しない。


 単純に威力が足りないのだ。踏まえて渾身の一撃をぶち込むとすれば手足などではなく、急所である頭か腹。だがあの並外れた反射神経と厚い毛がありさえすれば、仮に当たってからでも部位を逸らし衝撃を殺すことができる。


「【覇者の――」


 ――だからこそリゲルは賭けを打った。


 魔獣自身の突進の勢いを利用する為。獣が勝利を確信し、紛れもない全力で以て自らに向かって来るこのときを。


「――剛拳】ッッ‼‼」


 気合い一徹。特大の重力を宿して放たれた渾身の右アッパーが、地面を擦り減らす巨大な顔面と激突する。


「オオオオオオオオオオラアアアアアッッ‼‼‼」

「――――‼‼」


 鼓膜に響き渡る絶叫と断末魔。頭部を垂直から固定する重力はリゲルが望んだ通り拳撃の威力を逃がさず挟み撃ちにしている。骨を砕き肉を潰し、重量に押されながらも捻じ込んだ拳の衝撃が、砕け散る歯片となって抉じ開けた獣の口を飛び出した。


「ウオラァァアアアアアアアッッッ‼」


 更に力を込めた瞬間に重力の増加を解除。一瞬の抵抗を受けて振り抜き切った拳が猛く天を衝く。打ち上げられた三つ首は、リゲルでもどこでもない明後日の方角を向き。


「――……」


 重々しい音と共に、仰向けに腹を見せる形で、背面から轟沈した。


「……ゼッ、……ハッ……!」


 痛みを堪えつつ肩で吸う息。意図せず服従の姿勢を取らされたような魔獣は、沈黙したままピクリとも動かない。その姿が徐々に薄れ。


「……全く」


 後ろから近付いてきたジェインから、呆れたような声が背に掛かった。


「その馬鹿力には驚かされるな、リゲル」

「……へっ。言ってろよ、ジェイン……」














「――腕は大丈夫なのか?」


 魔獣の消失した後。通路を進みつつジェインは訊く。ボクシングに拘わらず、優れたパンチングというのは腕の力だけで繰り出すものではない。


 体幹、背筋、足、腰など。複数の骨と筋肉を組み合わせなければ大した威力と速度は発揮できない。あれだけの威力の拳撃ならば、確実に全身にダメージが出ているだろう。


「……微妙なとこだな」


 だがそれを差し置いても、最大の衝撃を受けるのはやはり末端の腕と拳になる。ジェインの予測では損傷が激しいはずの、その部位を動かしながら確かめるリゲル。


「あと一発全力で殴ったらイカれるかもしれねえ。なんにせよ、次の一戦までは持たせるぜ」

「……そうか」


 ――ふざけた話だ。


 内心に思う。腕が使えるなどと言う前提でジェインは話してはいない。寧ろどの程度イカれたかを訊く所存でありながら、その答え。


 ――あれだけの重量を持つ巨体を、一撃で沈める?


 ふざけた威力だ。魔術の後押しがあったとはいえ、それで腕がイカれていないなどという耐久性も信じ難い。しかも……。


「……」


 ――分かっていないのか?


 その異常さを、こいつ自身は。仲間として、友として心強い。


 単純にそう言い切れないだけの何かが、歩を進めるジェインの内心にはあった。



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