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第十八節 范立慧

 

「――どうした支部長?」


 僅かに撓む木目の床を蹴り。迫る紅蓮と熱とを紙一重で立慧は躱す。目を焼き切るような光。迸る業火の勢いは相変わらず、寧ろこれまでの二戦より僅かに速度を増しているようにすら思える。


「炎すら抜けて来れんとは。仲間がいなくては戦えなくなったのか?」


 煽る言葉には耳を貸さず、至極冷静に立慧は自らの置かれた環境を把握しに掛かっていた。……恐らくは古典系。大規模かつ特殊な結界の内部。平時と違いなにか相手と此方に有利不利な要素が加えられていないかどうか、確かめておく必要が余儀なくあり。


「――っ」


 床の感触は通常の板張りと変わらない。追い立ててくる炎を踏込みで躱しながら思う。だが縦横無尽に繰り出されている炎が燃え移らず、焼き焦がすことすらできていないことを見るに、魔術に対する特殊な耐性があるようだと立慧は推測した。凡そ百畳はあろうかと思われるだだ広い室内。アデルとの間に障害物になるようなものはなにもなく、その耐性も逃げて他の部屋へ移るときくらいにしか用立てられないだろう。自らが今ここで退けば他の負担が増大すること、引いたところで奇襲の手段に乏しいことを考えれば、使う機会はないと思って良い。


 ――願ってもない展開だ。


 膝を打つ心持ち。地形に余計なギミックがあれば相手にそれを利用される可能性も高くなる。癪ではあるが、彼我の実戦経験の差を考えれば初見の状況への対応力はアデルの方が上のはずであり、用意してきた策を打ち出すにも不確定な要素がないに越したことはない。これで存分に勝負に打って出ることができる。


 ――まずは一つ目。


「ッ――」


 右方から猛然と迫る――薙ぐような炎の波を引いて躱す。横切る炎幕に姿が紛れたその瞬間、衣服の内の背中へ貼り付けた一枚の霊符。奥からアデルが追加の奔流を放つ気配を感じつつ。


「ッ‼」


 近付いた炎、逃げるように揺らめいたその表面へ、躊躇なく立慧は我が身を躍らせた。


 ――【神行法】、稼働。


「むっ――」


 送り込む魔力を受けて五体に付けられていた霊符がその効力を発現する。強化を受けた駆け足により一秒足らずで開けた視界。現われた立慧の衣服と身体には傷一つなく、僅かに見開かれたアデルの双眸を射抜くような眼光が捉える。この日の為に入念に作成した【火毒化殺符】は耐火の霊符。持続時間は長くはないものの、火の属性に対してのみ凄まじく抵抗力を高める炎殺し。――まずは支配者の適性による属性操作。そして――。


「ッ」


 即座に繰り出されてくる剛腕と同時に。両の奥歯に留めていた丸薬を噛み砕き、正面からその攻撃を出迎えた。


「――っ!」


 一手、二手。骨まで鈍く響く低音を立てて彼我の腕が重々しく打ち合わされる。走る衝撃を受けて後ずさったのは、アデルの側。逸らされた衝撃の余韻を両腕に残し、逃がさぬとばかり立慧が距離を詰める。


 先に噛み砕かれた丸薬は『金錬丹』。材料の入手と薬剤の配合、調剤の過程が極めて難しく、正しい手順を踏んでなお完成には気運の要素が含まれるという希少薬。外丹法を身に付けてより一日たりとも欠かさず錬丹の作製に勤しむ立慧であっても、事実この四年間に今消費した二つしか作成には成功していなかった。調合の難度に違わずその効果は強力であり、赤錬丹並みの身体能力向上を凡そ十分間に渡って持続させられる。正しく虎の子のそれを、同時に二つ。


 ――技術ではアデルには及べない。田中から明確に告げられ、立慧自身も認めざるを得なかった事実。武術へのセンスは言わずもがな、アデルの体術は度重なる鍛錬と実戦とで磨き上げられ深化した独自の体系を築いている。その技法を同じ土俵の上に乗って打ち崩すことは自分にはできない。例えどう足掻いても望めないこと。


 ――ならば。


「ハッ‼」


 意気高く繰り出したのは斧で叩き割るが如き劈拳。予備動作で崩し切れなかった守りが間に合い、滑らせるような掌底の打ち込みに威力をずらされる。強化に強化を重ね、身体能力だけでも同格程度には持っていく。そこに【旺気・天医】による自らの気運の向上を加え、技の分の不足を帳消しにしたならば。


 戦える。目の前のこの男と、アデル・イヴァン・クロムウェルと。


「――なるほどな」


 互いの命を狙い合う交錯の最中に動いた口。間髪入れず掴もうとしてきた指を引き下がりつつの蹴りで迎撃。当たれば二、三本を引き千切るような威力だったはずだが、見越していたような引き戻しの所作で躱され、タイミングを合わせて距離を離される。


「技で勝てないのなら力でというわけか。発想としてはありきたりだが、二度の戦いで分を知ったな」


 僅かに口角が上がる。見る者によっては純粋な感心の所作とも取れる仕草が、立慧には小馬鹿にされている証左としか映らない。その笑みも、その余裕も、何もかもが苛立たしい。あの日に千景を殺した時も、そうだった。


「だが――」


 聞く耳持たぬとばかりに離された距離を詰めに掛かる進歩跟歩。隙あらば即座の突きへと転化する継足での間合い詰めだが、アデルは此方の狙いを完全に見透かしたように円を描くような足運びで軸を切り、拳の先へと身体を逃がしていく。憎らしいほどに洗練された歩法の妙技。ここにつけてもまだ引き出しを隠していることに奥歯を噛み締める。


「それほどの強化をいつまでも続けられるわけでもあるまい。効力は短時間。その後の代償がどれだけのものか」


 アデルの推測は当たっている。金錬丹はその調合難度に違わぬ効力を持つ最高級の外丹だが、それだけに副作用もまた凄まじいのだ。


 効果時間である十分間の経過した後。使用者の身に訪れるのは全身の強烈な強張り、苦痛、急激な疲労と体温及び全運動機能の低下。とても戦えるなどという状態ではない。アデルが少しでも動ける状態でリミットを迎えてしまったのならば、それは立慧にとって紛れもない地獄の始まりを意味することになる。


「逃げに徹されれば自滅する。しかも――」


 逃げる、追う、また逃げる。捉えられない自らに必死に向かう立慧を見るアデルの口元が、嗤うように微かに歪んだ。


「〝主は旗を揚げて遠くの民に合図し、口笛を吹いて地の果てから彼らを呼ばれる。見よ、彼らは速やかに、足も軽く此方へ来る〟」


 ――詠唱。肉体技法でのやり取りから、不意を突くその所作。


「〝疲れる者も蹌踉(よろ)めく者もない。微睡(まどろ)むことも眠ることもしない。腰の帯は解かれることがなく、サンダルの紐は切れることがない〟――」


 捉えられずに訪れた終わりに連れてアデルの身体が薄靄のような燐光に包まれる。反応した踏み込みと同時に撃ち出していた崩拳はしかし、同じく完璧なタイミングを以て用いられた螺旋の動きに絡め取られ無力と化す。返しに繰り出された縦拳の威力。何気ないその一撃の裏に隠された威力を掠められた脇腹で感じ取った、立慧の口元が大きく歪む。


「強化法は何も魔術師だけの特権ではない。聖戦の義の秘跡たる聖節詠唱にもまた、同様の技法がある」


 二手、三手。明らかな攻めの意図を持って繰り出されてくる拳の連弾を気力を込めた腕と体捌きとで辛うじて捌き切る。締めとばかりに放たれた右回し蹴り。靴の軌跡が沈めた肩口を掠めて切り裂き、靡いた髪を抵抗なく千切り取っていった。


「使われればまた劣勢――一時凌ぎにしか過ぎん。つまらんことだ」

「ッ――‼」


 隙を埋める間髪入れぬ踵落とし。紙一重のその間隙を見極めて踏み下がり、立慧は距離を取る。今のアデルに攻め込むのは自殺行為でしかない。元より技術では劣り、勝っていたはずの身体能力で並ばれた状況なのだ。当然アデルがその機を見過ごすはずもなく、上げた口の端と共に、前傾する肉体が勢いよく駆け出し――。


「――」


 暴威を纏う凶器が風圧を連れて差し迫る中で漸く。立慧は、待ち侘びた機会が訪れていることを知った。


 ――【内丹法・行気】。


 即座に。僅かの遅れも取らぬよう用いたのは自らの内部の気を操作する技法。金錬丹の服用によって一時的に膨れ上がっていた気の乱れ、それが治まったのを受けて取り纏め、収斂。余すところなく全身均等に行き渡らせる。


「――ぬっ」


 研ぎ澄まされた気の変化を感じてか――アデルが走る勢いを弱める。その機先を立慧は見逃さない。足裏に貼り付けた霊符を起動。魔力を送り込まれた術法が踏み込まないまま彼我に渡されていた間合いを一瞬にして消し去り、放った鑽拳が仰け反るアデルの鼻先を掠めた。


【仙術・縮地法】。指定した座標へ対象を瞬間的に引き寄せる移動術。極めれば千里の道ですら一息に縮めるという至高の仙術はしかし、未だ道半ばにある立慧の技量では半径十五メートル内の間合いにおいてしか扱えず、更に術の性質としてどうしてもその軌道は直線的なものに限られてしまう。効果の単純さを踏まえても凡そ考えなしに使える技法ではないが。


「――フッ!」


 動きの隙に向けて繰り出される突き。逆ベクトルに働かせた縮地法でそれを空ぶらせ、続け様の発動で瞬時に距離を消して突き返す。一切姿勢を変えないままでの真横への移動。距離空けを想定したと思しき猛速の熊手が空を切り、更なる反撃の機会を立慧に与える。


 この時のため。これまで御座なりになっていた縮地法の技術を立慧は徹底して鍛え直した。最大距離を伸ばすことは諦め、代りとして圏内での制御を完璧にする。意識した距離と方角へセンチ単位で瞬時に移動できるよう、何度も何度も。数千回を超えて身体に感覚が叩き込まれるまで繰り返した。瞬を争う格闘戦の中で一々術の行使に意識を払ってはいられない。反射に近いレベルで扱えるようにならなければ、移動術など何の役にも立たないだろう。とはいえ――。


「――ッ」


 半身だけずらして放つ蹴りがアデルの膝頭を掠める。一度運用可能なレベルにまで高めたならば、肉体の起こりなく間合いを調節できることは接近戦に於いてかなりのアドバンテージを生む。再び同等の身体能力と縮地法による縦横斜無尽の高速移動。これにより立場はまたも逆転した。


 ――アデル・イヴァン・クロムウェルは、確かに范立慧よりも格上だ。


 生まれ持った武と魔の才能に、相応の年月を掛けて鍛え上げられた肉体と技術。数多の戦いの中で練磨され、培われた独自のスタイルは、それだけで生半可な技法を容易く捻り潰すだけの強さがある。


 だがそこだけに目を向けてはならない。立慧はそもそも武術だけで身を立てようなどと思ってきたのではない。武術で劣るということはいわばあくまでも想定の内であり、それを魔術で補い勝つための修練を自分はこれまで積み重ね続けて来たのではなかったのか。


 魔術師にして武術を主とし、しかして武術のみに頼らず、武を支える役割を魔術に託す。そう、つまり――。


「ハアアアアッ‼」


 ――補助技法の扱いについてなら范立慧(この自分)の方が。目の前のこの男よりも、圧倒的に上なのだ。


 高が強化一つで覆ることなどあり得ない。アデルの技が立慧の工夫によって崩されないのと同様、立慧の補助魔術は常にアデルの上を行く。それは正に両者がこれまで何に時間と労力を費やしてきたか。選び取られたスタイルの違い。


「――ッ」


 猛攻に耐え兼ねてか――明確な意図を以てアデルが下がる。拳の応酬に応じていた先とは違う。反撃の手数を減らし、慎重に立ち振る舞う守りの構え。落ち着き払った眼の光は些かも狼狽の色を現してはいず、どこまでも冷静に待ち構える――。


「フゥッッ‼‼」


 縮地法でその絡み付くような視線を斜めに断ち切り一挙に入り込んだ側面。完全に入ると思われた起点の崩拳から一息に繋がる流れるような連打連撃を瞬転したアデルは粘り強い防御で捌き切ってくる。――想定より反応が速い。ただの慣れではなく、縮地法の運用を徐々に見切られ始めている徴。そのことを理解した立慧の額に疲労からではない汗が浮かんだ。


 これだけの強化と補助とを重ねてなお、アデルにクリーンヒットは一撃もない。技術では完全に上回られているが所以。攻撃を捌いている手足に多少のダメージはあるはずだが、ここまで一つの滞りのない身のこなしは微塵もそのことを感じさせていなかった。――正に鉄壁、正に練達。


「シッ――‼」


 このままでは向う見ずな補助と強化とを多用している立慧の方が先に崩れる、そのことは互いに分かっている。だからこそこの男の余裕は崩れていない。脅かされていない。本領を発揮してなお食らい付くのがやっとという、それが立慧の全力の限界だ。


 ――そして当然、それだけで終わるつもりなど立慧には更々なかった。


 複数技法の併用と頻発とで急激に削れていく魔力を感じながらも、その堅い守りを抉じ開ける為に必要な算段を整える。湛えられた余裕を消し飛ばす為に必要なのは更なる一手。勝利に繋げるためのその手立てだ。


 これまでの自分が積み重ねてきたモノを全て一つに。一点に集中させた、その一つで突き破るため――ッ‼


「――」


 苛烈さを増す攻めに更にアデルが引き下がる。休みなく稼働させる身体の内に一瞬覚えた違和感を意に介さず、前へ出る立慧が頃合いと見て用意した手立てを打とうとしたその瞬間。


「カフッ――」


 肉体に起こる唐突な逆蠕動。吐き出された血が、映るアデルの姿を深紅で隠した。



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