第十七節 各々の敵
「――っ」
走る視界に映り込む三つの人影。……長い黒髪の女性。その隣に佇む二者。
「アデル――ッ……!」
――蔭水冥希。その一方を認めた瞬間、怒りのこもる呟きを立慧さんから耳にし。
「――【神代の二柱】」
同時に声が届く。うねる高波のように熾る、魔力の気配と共に。
「【国産み・天地根元宮】!」
何かが来る。それを察知した刹那。
「――ッ⁉」
一瞬にして。……視界に映る景色が塗り替えられる。見回した俺を取り巻いているのは広い板敷の部屋。どこか威厳ある雰囲気を感じさせる装飾を伴った、和様の造り。
「……郭! リゲル!」
――誰もいない。
掛けた声にそれを気付かされる。帰って来るのはただ反響音。どこからも誰からも、返事と思しき反応がない。……完全に、引き離された。
「……」
自らを取り巻く異質な空間を再度見渡す。……左右背後には扉がなく、板で覆われた、完全な壁だ。目の前の壁にだけふすまがあり、その奥へ進めるようになっている。余りにもあからさまな一本道。どこか他を壊して行けないのかと思い、近付いた右の壁を警戒しつつ終月で突いた。
「――」
――硬い。
阻む手応えに力を入れて押し込んでみるが、びくともしない。……見た目は完全にただの木材だが、まるでなにか未知の材料でコーティングでもされているかのように頑強だ。木に特有の軋むような感触すら伝わっては来ない。とても、破れそうにない。
――となれば。
「……」
正面にあるふすまを見つめる。……行くしかない。あの先に。例え一人でも、誰が待ち受けていようとも。
ヒシヒシとある予感を感じながら。
俺は用意された扉に向けて、一歩を踏み出した。
「……言われた通り四つに割ったよ」
構築された結界の内部。冥希の傍らで、不服気に文が声を漏らす。状況を考えれば致し方ないと言えたが。
「黄泉示はどこにいる?」
「右から二番目の通路。……レジェンドまで呼んでいるなんてね。最初から――」
「――魔獣を出せ」
踊らされていたと言うような、自嘲気なその言葉の続きを無視して冥希は告げる。反抗を許さない命令として。
「残りの適当な通路に配置しろ。……お前にはまだ、案内役と足止めをしてもらう」
敵方との戦闘を強要するつもりはなかった。……それをすれば恐らく文は死を選ぶ。死者はなんの用にも立たない。冥希がその鋭利な視線を流すと同時、音を立てて地に落ちたのは文の細い首を縛り付けていた鎖。
「その神器の支配権は今は私にある。それを忘れないことだ」
「……アデルは右と左どっちがいい?」
「左だな」
答えと共に《十冠を負う獣》の力を発動させる文。……敵方にその気があればどの道戦うことになる。確かに魔獣が喚び出されたことを確認し、一歩を踏み出す冥希。
「アイリーンはどうするんだい?」
「話は付けてある」
文がアイリーンの勧誘に動く以前。既にその前に冥希は話を持ち掛けていた。……邪魔の入らず武人の相手をする絶好の機会。それを此方から与えると。
「武人を相手にする必要はない。……奴の所へ素通ししろ」
「……思ったより手が早いんだね、小父さま」
文の誘いに彼女が応じたのもそのためだ。捨て台詞にも近い文の台詞を捨て置いたのち、冥希は今度こそ目にした先、黄泉示の待つその通路へと踏み入っていく。
――皮肉なものだ。
歩みを進めつつ思う。……自分と紫音。黄泉示とあの少女。
諸々の要素に違いはあれども、全体としての構図は良く似ている。……共に世界の敵。想い人であるというところまでは瓜二つ。
そして今それを妨げる役が、他ならぬこの自らに課されているとは。
試金石としては重過ぎる。理解しながらも望外に落とされた状況に、苦笑を通り越して冷笑を禁じ得ない。塗炭の苦しみ。
「……」
倒懸の思いを抱きながらも冥希は歩みを止めはしない。……あの日、自分は誓ったのだ。
例えその道程にて如何なる犠牲を生み落とそうとも、悲願を果たす。
それだけが――。
「……」
前方に見える光。空間の出現を意識しながら。
蔭水冥希は剣を抜く。自らに纏わされる二種類の力の波動を感じつつ、その場所へと姿を現した。
「――やあ」
敵方の構築した結界内で田中支部長と二人。揺るまぬ警戒の最中、現われたその姿を郭は迎える。……変わらず艶やかなその立ち姿。
「そんなに睨まないでおくれよ。僕だって別に、望んでこうしたわけじゃないんだからさ」
「……どういうことですか?」
肩を竦めてみせる十冠を負う獣に戦意はない。そのことを把握して郭が進めるのはまず確認。現状では把握できていることが少なすぎる。
「どうしてレジェンドが此処に? 話では――」
「ばれてて裏を書かれたのさ。小父さまの方が一枚上手だったね。――僕も」
苦笑に続き意味ありげに揺らして見せたのは肢体に巻かれているその鎖。……神器。
「仲間に命運を握られてる。悪いけど、この状況で君たちにしてあげられることはない」
それが実質的に機能していないことを示して、十冠を追う獣は首を振る。……先手を取られた。仕掛けるつもりが誘い込まれていたという、状況としては最悪の部類。協力者であったはずの人物と戦わせられることになっていないだけまだマシだが。
「足止めを命じられてるんだ。だから――」
如何にして事態を打破するかと。考えの中で意識を向けさせられたのは、先刻とは幾分調子を変えられたその声音。
「ここを通っていいのは、そこにいる武人のオジサマだけさ」
「っ――」
「……そういうことか」
「そういうことだよ」
頷いた十冠を追う獣の仕草に合わせ、田中が前へ出る。皆まで言わずとも。
「――」
「――田中支部長」
何が待っているのかは理解できる。察して呼び止めた言葉に。
「悪いな」
田中は振り向くことなく、空けられた距離は縮むことがない。
「こうなっちまったら仕方ねえだろ。ま、もしも俺が戻れなかったら……」
そこで僅かに考えるように間を空けて。
「あいつらに一言、詫びの台詞でも伝えといてくれや」
そう言って歩いて行った田中。見つめることしかできない郭の前で、その姿を飲み込んだ襖が音もなく閉じられた。
「……」
――一人。仲間たちと離れて孤立した状況下。想定外の事態で立慧は、どこか期待に胸を高鳴らせている自分に気付いていた。……単独のアイリーンを確実に討ち取るだけの手筈であった今回の強襲。
その予定が瓦解したのだ。……いる。自分の見たあの男は間違いなく、この場所に。
ただでさえ自身の望みが看過される状況ではない以上、立慧は常の備えを怠らなかった。怠れなかったのだと言っても良い。前回強襲を喰って後れを取ったあの戦闘。魔道具を含めて万全の備えさえしていたならばと、如何ともし難い慙愧が胸中に未だ巣食っている。……この先大願を叶えようとも消えない、自己の奥にまで深々と刻まれた傷が。
「――」
足音。隠す素振りも無いらしいそれを立慧の聴覚が捉える。開いた襖の奥から。
「……お前か」
――来た。
アデル・イヴァン・クロムウェル。……見紛うはずもない。小さく嘆息した相手とは対照的な昂ぶりが自分の内にあることを覚えながら、立慧はその姿を捉える。逃さぬよう。
「三度目ともなると面白みも薄れるな。しかもよりにもよって一人とは」
立慧以外に誰もいない空白を見回し、まあいい、と小さく笑みを浮かべるアデル。
「最期に壊れるところくらいを楽しませて貰おうか。――早目に次へ向かうためにもな」
「できないわよ」
「……なに?」
訊き返し。間違いなら聞いてやると言うかの如く返された台詞に、立慧はキッパリと、もう一度同じことを突き付ける。
「あんたはここで、私に倒されるんだから」
「……」
立慧を見るアデルの眼差しが変わる。別段興味もないと言った風から、何か奇怪なものを見るような疑わしげな目遣いに。
「……正気か支部長?」
直後に緩んだ。瞳に映るのは間違いなく嘲笑の色。
「仲間の死を経験しておかしくなりでもしたか? あの程度で平常を乱すとは――」
「……構えなさいよ」
言うが早いか立慧は自ら構えを取る。……御託を並べさせるつもりはない。
「アデル・イヴァン・クロムウェル。……分からせてやる。あんたには」
「……ほう」
構えた立慧から何かを感じたのか、喜ばしいような顔つきでアデルが薄ら笑む。
「少しはマシな顔つきに見えるか。――その愚かさ、多少は楽しめるものだと良いがな」
「……おいおいおい」
視線の先のそれに気付かれぬよう、リゲルは密やかに声を零す。
「何なんだよ、こいつは」
「……」
それを受けているはずのジェインは答えない。いや、言葉を返す余裕がないと言っても良かっただろう。二人が今相対している光景には、少なく見積もってもそれだけの影響力はあるはずだったからだ。
「……」
黒。髙さ十メートルはあるだろう巨大な質量が、通路へと続く空間を塞き塞いでいる。二者の視線の先に坐臥しているソレは、見るも歪な形をした三頭の獣。そう呼ぶしかない異形のナニか。
「……これも『アポカリプスの眼』のメンバーってか?」
「……魔獣、だろう。直に見るのは初めてだが……」
想定外の事態に少しでも落ち着こうとしたのか。ジェインが、ずれてもいない眼鏡の位置を直す。
「協会の書庫で読んだことがある。……手強い相手であることには違いないな」
意識を集中し、脳内の引き出しから適切な知識を引き出していく。文献によれば魔獣の多くは獰猛。人を見れば即座に襲い掛かって来ると考えて良いはずだが。
「……」
目を閉じているせいか。魔獣は二人に気付いていないように、ただ静かに鎮座しているだけだ。鼻孔から漏れる息の音を周囲に響かせながら。
「幸い奴はそれほど敏感ではないらしい。今のうちに対策を――」
「――」
ジェインが言い掛けたその瞬間、降りていた厚い瞼が開かれる。血のように赤い六対の瞳が、殺意を滾らせて二者を捉えた。
「――散れッ‼」
突然の突進。判断に迷ったリゲルを突き動かしたのは、ジェインのその一言。
掛かる【時の加速】を感じつつ、目を惹くように一瞬前へ出たのち右側へ跳ぶ。ほぼ同じタイミングで左へ跳んだジェイン。空ぶった巨体の勢いを受けて、二人が立っていた床面が粉砕された。
「――この敵は速い‼ 二手に分かれて攪乱しつつ、十五分以内に仕留めるぞ‼」
「――言ってくれるぜ‼」
激突の勢いから身体を立て直した獣がリゲルへと跳び掛かる。直線的なその軌道を、斜め前に踏み込むステップで躱し――。
「おッと‼」
胴を薙ぎ払うように振るわれた蝕腕を掻い潜る。リゲルのその動きを捉えるのは左の頭部。突き、絡め取り、体当て、回転。一度側面に入り込んだにも拘わらず、攻撃がやまない。逆に魔獣が正面を向くまでの時間を見事な連携で稼がれる。
「チィッ――ッ!」
前足の振り下ろし。爪と足との二重の攻撃を距離を空けて躱したリゲルに、再度襲い掛かる突進。避け切れない。
「【重力三倍】ッ!」
叫び出した詠唱と共に増加した己の重量を受けて魔獣の体躯が沈み込む。勢いを殺した隙に更に距離を稼ぎ、一応の安全圏内まで離脱した。
「……やべえな」
グローブの甲で頬を拭う。滲み出る血液。鋭利な爪先そのものが掠めたのではなく、風圧で切り裂かれたのだ。
「――やべえぞこいつ‼ しかもボサボサの毛に覆われてやがる‼」
「――打撃が通らないのか⁉」
「分かんねえ‼ だが通るって感じじゃ――‼」
駆け寄ってきたジェイン。再度身体を持ち上げた魔獣を見てリゲルは舌を打つ。……ダメージを受けたような様子はない。今し方受けた魔術を警戒しているのか、直ぐには飛び掛かっては来ないが……。
「……あいつの動きを遅くしろよ。同じ個所に数回ぶちこみゃ――」
「魔獣はヒトより霊格が高い。遅延は恐らくレジストされる」
「……マジかよ」
思い付いた提案は即座に却下される。じりじりと距離を詰めてくる魔獣。この先にはアイリーンも控えている。この難敵を相手に、自分たちは余力を残して勝たなければならないのだ。
「確実な死角は背面だけだ。僕が奴の気を引いている間に、後ろ足から細かく削っていけ」
「……ああ」




