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第十四節 交錯 後編

 

「――ッ‼」


 月明かりも差さないような深夜。あれだけ縁のあった殺気や脅威などからほど遠い揺り籠の中で、私はベッドから飛び起きる。……細かに震えている掌。


「……」


 額に感じる熱。首筋に汗をかいていることを覚えつつ、今し方見てきたモノを反芻する。……寝つきが悪いのは、不気味なほど心地のいい寝床に慣れないせいではない。


 ――夢。だがただの夢ではなかった。単なる悪夢であれば幼少の頃合いから嫌と言うほど慣れ親しんでいる。今のはもっと別。この身体の……。


 ――そう。器の記憶だ。


「……」


 間違いない。流れてきたビジョンは夢にしては余りにも克明過ぎ、生々し過ぎるもの。私の生まれ変わり、その半生の追体験……。


 転生術には未解明の部分が多い。切望から【第三転生】の禁呪を完成させた私ではあったが、その影響の詳細はこうして実際に用いてみるまで分からなかった。……魂の侵食。人格の同化が進むにつれて、こうした影響はなくなっていくのだろうが。


「……」


 今し方見てきたものが私の思考を捕えて放さない。……あの光景。その事実。この娘は。


 ……ならば。冷えてきた思考が判断を確定させようとする。私の、することとは――……。









「――んで」


 深夜。月明かりが照らす支部の裏手で、呼び出された田中は欠伸交じりに息を零す。


「なんの用だってんだ。凶王二人が揃ってよ、合コンでもしようってのか?」

「この面子でするべき話など決まっています」


 影法師の隣に立ち、切り出す賢王。


「言わずとも分かるでしょう? 貴方はかの武術連盟に所属していた武人なのですから」

「……ま、そりゃそうだ」


 アイリーンへの対処。それを理解していてなお、田中は白を切ることを選択する。


「だがその件ならもう片が付いたろ。成り行きはどうあれ、ひとまずあいつらに任せてみるって話だったじゃねえか」

「それはそれです。あの子どもたちの期待通りに事が運べるなど、貴方も思ってはいないのでしょう?」

「……」

「協会に残された記録からアイリーンの何たるかを分析したようですが……」


 ふん、と、賢王がそのデザインされたかのように整った鼻を小さく鳴らす。


「紙の上からだけでは如何ともし難く読み解き辛いこともあります。アイリーン・カタスフィニアの脅威性は、それを知っている者でなければ判断できません」

「……お前さんは知ってるってのかよ?」

「それはもう。まだ私の若い頃に起きた、一大事件でしたからね」


 田中の反応に、意を得たと言うように目を細めて語り出した。


「一報を受けたときは衝撃でしたよ。二強の一角である《武神》を欠いていたとはいえ、武術連盟は我ら凶王派でさえ襲撃には二の足を踏む精強な技能集団。敵対する立場としては、してやられたという気分でしたが」


 浮かべるのは不遜な笑み。


「連盟を単騎で討ち滅ぼす力量者。端から殺す気で掛からなければ相手になどなりません。冷静に考えればそれも含めてが向こうの狙いだと、分かりそうなものですが」


 こちらが仲間であったフィア・カタストを助けようと動くこと。――それさえも敵の仕掛けの内であると賢王は言っているのだ。敵対する技能者にとって、自分を敵として見てこない相手ほど殺し易いものはない。彼我の目的意識の差はその力量の差と相俟って、なけなしの勝機すら捨て去らせてしまうだろう。


「……あいつらは、アイリーンの脅威性を分かっちゃいねえ」


 賢王のその言に呼応する形で田中は思いを零す。


「あれは人間じゃなく、怪物だ。《武神》を誑かし、連盟を滅ぼし、討伐隊との戦いで四分の一を葬っておきながら、転生を使ってまでまだ害を為そうとしてやがる」


 郭も葵も。冷静で頭の回る判断者であることは田中とて否定しない。それでも現にそこにいなかったという事実は単純な知識と理解だけでは埋めようのない溝を生み出す。彼らの決して知り得ない重みを伴った実感が、田中には厳としてあるのだ。


「流石は当事者。妥当にして適切な分析ですね」

「……それで、具体的にはどうするってんだ」

「大口を開いて主張すれば反発を招くだけでしょう。特にあの青年たちは、何をしでかすか分かりません」


 用意していただろう台詞を賢王は紡ぐ。


「若さゆえの傾倒は上手く仕向けてやれば鋭い武器にもなりますが、扱いを間違えれば厄介なものです。今回此方側にも頼もしい戦力が増えたことは僥倖として」


 ――何を白々しい。どうせこの古狸は、端からそのつもりだったに違いないのだ。


「それはそれ。要は殺すこと已む無しと言う根拠があればいいのですから」


 意味あり気な眼の光。少し考えて田中は察する。


「……あいつらをわざと危険に追い込むってことか?」

「こちらに意識を割いていない人間の動作を操ることなど、私と冥王に掛かれば造作もありません。戦闘での命取りは僅かな一瞬のズレ。それだけあれば事足りるものです」


 あなたもその気になればできるのではないですか? ――と。口元に微笑みを浮かべる賢王。それを否定しない田中は、沈黙したまま姿勢を崩さないでいる。


「――死にはしませんよ」


 賢王から出されたのは率直かつ平坦なその言葉。


「彼にはあの術法があります。重傷にはなるかもしれませんが、それだけのこと。命さえあれば治せる以上、差し支えはありません」


 何でもないことのようにサラリと口にする。その声を耳にしてもなお、田中の胸中に嫌悪は生まれては来ない。それ以上に強い確信が生まれるべき情念を上塗りしている。


「殺されそうになっている彼らを助けるのは我ら。苦渋の決断で手を汚すのですから、言い分など幾らでも立ちます。――どうしますか? 武人殿」


 求められるのは返答。思い浮かんだ未来の情景に対し、生まれた逡巡は一瞬だった。


「……アイリーンは殺す」


 あの日抱いた思いは――この四十年間、田中の中で一度たりとも変わったことはないのだから。


「殺さなきゃならねえ。例え他から、どれほど恨まれようが、だ」

「ええ。無論の事」


 打たれる相槌。形成された合意に、満足そうに賢王が頷き――。


「――一つ訊いときてえ」


 その表情に田中は問いをぶつける。……自分の中で決して小さくはないその疑念。


「あの優男……エリティスって奴は、信用できんのか?」


 エリティス・デ・テルボロフ。蔭水黄泉示に例の術法を教えた当人である逸れ者は、その日以来またもやその行方を晦ませていた。残されていたメモによれば私用のせいらしいが、知古であるはずの賢王にすら邂逅していないままの逐電には疑問が残る。……単なる好意と受け取るには足りない。


 一度相対したからこそその印象が田中にはあった。あれは、相当に食えない男だ。


「エリティスの真意がどこにあるのかは、私としても量りかねるところではありますが……」


 賢王が言葉を選んでいるのを田中は感じる。


「何か仕掛けがあったところで割を食うのはあの青年一人。その事を踏まえて、彼らの内の一人も我々に賛同してくれています」

「――なに?」

「賢明ですよ彼は。仲間への情に流されない点は、他の二人よりも見込みがありますね」

「……」


 その言葉は田中にとっては予想外だった。……あの三人はてっきり一枚岩だと思っていたが。


「それ以上に疑問はありませんかね」

「……もう一つだけ訊いときてえな」


 田中は落ちてきた白を避ける。地面に降り積もった紙切れ。


「なんで冥王は喋んねえんだ? ……さっきからずっと、白い紙切ればっか降って来てんだが」

「〝他人の発言を踏んづける相手とは話さない〟、だそうですよ」

「……」









「――ほう」


 法陣を設置する作業中。現われた予定外の相手に、ガイゲは目を細める。


「こりゃあ珍しい。てっきりテメエらみてえな雑魚は、俺らに恐れをなして近付けないもんだと思ってたが……」


 嘲りの笑みを隠さないまま、そこから幾分表情を鋭くして。


「――何の用だ?」


 ガイゲは問うた。……目の前に立っているのはヴェイグによって集められた『アポカリプスの眼』が一人、――蔭水冥希。


「一人でノコノコと。俺らの憂さ晴らしに付き合ってくれるってわけでもねえんだろ?」

「……提案だ」


 戯れに放ってみる威圧。それにも目の前の剣士は動揺しない。警戒は緩めないままに、あくまで平静を保つ……。


「お前たちの取り逃がした獲物。凶王と相対する機会を提供しよう」

「……ほう」

「ヴェイグの許可は取ってある。機会を拾うかどうかはお前たち次第だ」


 騎士団長の役割から解放された今、単なる記号でしかない他人の名前に対するガイゲの興味は薄い。だが目の前の男の力量はあの六人の中でもマシな方であり、故にヴェイグから聞かされた名前も一応耳に留めてはいた。


「どうする? レジェンド」

「……」


 告げられた申し出に、暫しの黙考。


「……なるほどなるほど」


 頷きを繰り返し、ガイゲは口の端を持ち上げる。


「確かにお前らにとっちゃああいつらは厄介だな。俺らはやり掛けになった仕事に片を付けられる、お前らは面倒な障害を排除できる……」


 素晴らしいというように、大仰に手を広げ。


「お互いにとって良い話だ。同じヴェイグの下で滅世に励む者同士、仲良くお利口にやりましょうってか?」


 笑いを零す。次の瞬間、ねめつけるようにその表情を引き締めた。


「――詰まらねえんだよ」


 吐き捨てるような声。


「んな理なんぞで俺たちを動かせるとでも思ってんのか? 生前にもいたけどよ」


 剣を抜き放つ。剣身に映るは嘲笑の面持ち。


「辻褄さえ合ってりゃその通りになると思ってるバカが。理で動かねえ人間なんざごまんといるぜ? 特に俺らみてえな――」


 低く構える。瞳に浮かぶ笑みは、あからさまな侮蔑の色。


「――死に戻りの人間にはよ」


 台詞を場に置いてガイゲは一息に標的へ踏み込む。――狙いは胴。戦いの場に身を置きながら防具も何もつけていない肉体を、その軟弱な衣服ごと切り裂こうとし――。


「――〝滅びの時は来た〟」


 予見していたように。応じて躊躇いなく紡がれた詠唱に、一瞬その眉を跳ね上げた。


「――ッ」

「〝見よ〟」


 振るう切り上げ。胴体の代わりに切り裂かれたのは出現した魔力の奔流。核となる打ち捨ての刀を斬撃により砕け散らす最中、詠唱の発声源がそれより数歩遠くへと逃れていることを感知する。……面白みのない一手だと息を吐きながらも敢えて待ったのは詠唱の完了。少しは楽しめるかという期待に軽く自嘲を覚え――。


「〝髙き天は割れ、世界の真の主が現われる〟――」


 一変した気配。遮られる視界の内、即座に踏み込もうとしていた足を思わず止める。……これは。


「――ッ‼」


 直後に煙の中から放たれた峻烈な一閃。片手を添えて止めた剣腹に伝わる衝撃から逃れるように、地面と鎧とを擦らせて、ガイゲが退いた。


「――ガイゲ」

「あらら」


 静観していた二人から声が上がる。軍帽を被る少女の体躯から、叢雲のような殺気が湧き起こり――。


「――止めだ」


 響いたのは気の抜けた声色。翳されたガイゲの鎧掌に、溢れ出すヤマトの殺気が止まる。


「同じ陣営同士で殺り合っても仕方ねえ。殺すんなら、敵じゃねえとな」


 剣を収める。改めて冥希を目にする双眸に、先ほどまで混ざり込んでいた嘲りの色は微塵もない。


「その提案乗ってやる。時間と場所だけはキッチリ伝えに来いよ」

「……了解した」


 ガイゲの見つめる冥希の全身から消え失せる暴威。抜き放たれていた黒刀を鞘に収め、踵を翻して冥希は去っていく。


「いいんですか?」

「ガチで殺っちまったらヴェイグに怒られるだろ」


 振り向かないまま死神の声に応えるガイゲの声は、既に落ち着きを取り戻している。


「ありゃ遊べなさそうだしな。楽しみは精々、あとに取っておくとするさ……」



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