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第十三節 交錯 前編

 

 ……七日目の夜。


 ジェインの提案で、お互いの進捗を確かめる為に訓練室に集まった俺たち。前提として改めて確認するのは、相対することになるアイリーンの能力。


「……」


 やはり勝てない。そのことを強く思わされる。俺の知る俺たちでは、絶対に。


「……半端ねえな。やっぱ」


 歯牙にも掛からないだろう。太刀打ちすらできずに蹂躙される……。


「そうだな。だが、必ずしもこの記録通りのアイリーンの相手をするわけじゃないと思ってる」

「どういうことだよ?」

「アイリーンの実際の戦闘について中心となる記録は、当時討伐に参加していた九鬼永仙の視点から記されたものだ。そしてそれは、協会を始めとした三大組織の討伐部隊を相手取っていたアイリーンの記録になる」


 ジェインの述べるのは、これまでの調べの中で考えていたらしいこと。


「つまり、強大な三大組織の多勢を前に死力を尽くしている状態の記録だということだ。僕たちが相手をするとなれば力量の差はアイリーンにも当然伝わる。どうあっても、モチベーションは下がるだろう」

「……嘗めて油断してくれるだろうってことか?」

「油断というよりは、そこまでは必要ないと判断してくるだろうということだ。挑む場合は当然僕たちだけではなくなる。他にも相手をする可能性のある敵がいる中で、僕らに全力を出してくるとは思えない。……言い方は悪いが」


 分かっている。此方側の中で俺たちは戦力的に最下級。アイリーンからすれば賢王や葵さんに比べて対処の優先度は低くなり、それ故に裂いてくるリソースも小さくなると、そういうことだろう。


「僕らがアイリーンを取り押さえるには純粋な力で上回るというよりも、相手の予想を外した戦い方をする必要がある。相手の判断の裏を突き、機会をモノにして押さえ込む」

「……ま、そりゃしゃあねえな」


 俺たちがアイリーンを地力で上回るというのは実質的に不可能だ。それこそこの短期間で賢王たちを凌駕するほどの実力を身に付けられなければできないこと。俺たちに勝機があるとすれば、それは正に非正攻法。事前の用意と策によってアイリーンの意表を突いた先にある。


「その為の方策はある程度考えた。とはいえそれだけでは足りない。最低限、本気でないアイリーンに喰らい付ける程度の力量はいる」

「――おうよ」


 任せておけとばかりに、バシリと打ち合わせるのはリゲル。


「そのくらいの力は付けるつもりだぜ。このところ、かなり調子が良いんだ。最終日までには間に合わせる」

「ああ」


 分かる。特訓に付き合ったあの日から、リゲルは更にメキメキと力量を上げている。纏う雰囲気に勢いや激しさだけではなく、これまでにはない鋭さが出てきているのだ。それはまるで、父のような……。


「呪文の進捗はどうだ? 蔭水」

「……一応は」


 思考を切り替えて答える。最初にあった本能的なまでの拒絶感。それが回数を経るごとに少しずつ、心なしか徐々に早く薄まってくるようになったのだ。それに合わせるようにして円環の調節も少しずつではあるが上手く行き始め、今ではどうにか一節を唱えられるくらいにはなった。


「……ただ」


 効果が分からない。エリティスさんは強化系統に近いと言っていたが、それなら当然あるはずの身体能力が上がっているような感覚が全くと言って良いほど起こっていない。今日の午後で漸く持続時間中に動けるようになり、試しに終月を振ってみたりもしたが、やはり身体能力が強化されている様子はなかった。


「効果が分からない……か」


 ジェインが顎に手を遣る。


「確かにそれはネックだな。何か思い当たることが少しでもあればいいが……」

「……」


 ……一応。


 思い付いていることはある。耐え難い拒絶感と悍ましい食み進みの感覚を耐えた先にあった、あの感触。……もしかすると。


「……リゲル」

「あん?」


 ブルーの眼がこちらを向く。その重さをよくよく知っている拳を見つつ、やや躊躇いながらも俺は言う。


「殴ってみてくれないか? 今からあの呪文を使うから、俺を」


 ――


「……っ!」


 解除する。……やはりまだ持続は難しい。全身が震えているのを自覚しつつ、強かに殴られたはずの身体の状態を確かめ――。


「……なるほどな」


 俺の様子からその答えを見て取ったらしい、ジェインが呟いた。


「これがその魔術の効果なら、可能性はあるな。アイリーンに対抗する前提を覆せる」

「……そうだな」


 渋々ながら俺を殴ったリゲルも、そのことを確認したようだ。未だに半信半疑のようだが……。


「準備期間を考えると、少なくとも二日前には説得の用意が整っている必要がある。――あと四日、死に物狂いで取り組もう」





















「……ふん」


 ――昼。何度目かになる街を練り歩きながら、私はその光景を具に見る。……商品の並んでいる露店。


 大通りを目まぐるしく通る多種多様な車たち。道をゆく通行人の中にも、様々な人種が混じっているのが分かる。……かつて私がいた時代、国とは大きく違っている。技術や繁栄の度合いもそうだが、特に大きいのは――。


「……」


 子どもたち。その姿が泥や血に塗れていないことに。隠し切れない痩せ衰えに継ぎ接ぎの衣服を纏っていないことに、未だに違和感を覚える自分自身に苦笑してしまう。……そう。


 ――この国は平穏だ。


 どこもかしこも綺麗で清潔で、不衛生や死や血の香り、暴力から遠ざけられている。……少なくとも目にしているこの場所と、今とはそうだ。探せば探しただけ、そんな見立てを裏切る事態が出て来ることは分かっているが……。


 それでもかつてのような光景を見ないだけ、私にはずっとマシに思えた。……生きる為に奪い、生きる為に殺していたあそことは違う。違うのだと思いたいとの心持もあったのかもしれない。


 今日は、どこを見るか……。


 考えつつこれまでとは違う方面に足を向ける。周囲の目を憂うことなく本来の姿で街を歩く体験は存外に痛快で、一度や二度経験したからと言って直ぐに色褪せるようなことでもない。……少し遠方にまで足を延ばしてみるかと、そう思い――。


「……」


 浮浪者。道端にいるその姿に、目が留まった。犬を連れて座り込んでいるその身体には右脚がない。事故にでもあったのか、腿の付け根の辺りから無くなっているのだ。……齢もかなりの高齢。動物を置いて気を惹こうという魂胆は気に食わないが……。


「……おい」

「はい?」


 私を見て眼をパチクリさせる男。伏せている犬の前に置かれた缶に、ポケットから取り出した紙幣の束を入れた。


「やる」

「――え、あ」


 事態が飲み込めていないような反応を捨て置いて、先へ。……構わない。どうせあの男の用意した金だ。衣食住の足りている今ではこれといった使い道もなく、滅世を知る私には不必要に過ぎる。


「……」


 歩きつつ空っぽだった缶の底を思い出す。……これだけの人間がいながら、見向きもしない。


 慣れきっているのだろう。物乞いがいる街の風景に。いることが当然と化し、景色の一部へと繋ぎ留められてしまった物乞いは、その土地の誰からも日銭を集められない……。


「――お父さん!」


 かつてのような思考に身を浸し掛けていた中途。街中の景色の色を塗り替えるように、やけに明るく響いた声にふと、その方角を私は見る。


「もう、お父さんったら」

「ははは。悪い悪い」


 洒落た格好をした少女に呼び止められているのは、スーツの男。


「漸く休みが取れたからな。一緒にお母さんの誕生日をお祝いできると思うと、嬉しくてな」

「あんまりはしゃがないでよね。友達に見られたら――」


 ……幸せそうな家族の様子だ。


 恐らくは五十代。髪に白いものが混じり始めているが、まだまだ瞳に活力のある父親。娘は丁度、この器と同じような年頃だろうか? そのことに思い至った直後……。


「……」


 自責の念で、微かに胸の奥が痛んだ。……あの日。


 激情に任せて【第三転生】の秘術を使った時に、私はそこまで考えていただろうか? 


 自らの憎しみの為に人一人の生き様を食い潰すこと。――考えてはいた。ただ、取るに足りないことだと思っていた。


 私を苦しめた連中ならば、どれほど殺したところで知ったことではない。因果に応じた報いを受ける者たちを見る態度で、平然としていられたが。


 今は……。


「……」


 ……どの道。


 連盟の生き残りがいるならば、私のやるべきことは変わらない。


 考えるのは、その後だ。














「――やあ」


 耳に当てた受話器の向こうから流れ出す音声を迎え、郭は内心の姿勢を正す。


「今大丈夫かな? 遅くなって悪かったね」

「……構いませんよ」


 賢王の示した期日まであと二日。……時点としてはギリギリの時間だ。もう少しどうにかできなかったのかと、今そんなことを口にしてみても始まらないことを承知の上で受話器を握る手に力を込めた。


「丁度こっちは今誰もいなくてね。のんびり話ができると思うんだ」

「そちらの状況を教えてくれませんか」


 緊張感に欠ける十冠を負う獣の声を遮って、単刀直入に用件を切り出す。


「可能であれば、アイリーンを含めたメンバーそれぞれの動向を具体的に」

「君に渡した通り、普段僕らは優雅なホテル住まいなんだけど……」


 澄ませる耳に届くのは淀みない返答。


「まあ、基本的には皆鍛錬をしてるかな。アイリーンは偶に街へ出かけてるみたいだけど」

「……アイリーンが外出を?」

「散歩じゃないかな? 二、三時間くらいは外に出てるね。今も」


 ……《厄災の魔女》が市街に野放しになっているという事態は協会員として大いに憂うべきだが、今の自分たちにはできることがない。被害の報告が上がって来ないなら何も起きてはいないのだと、そう思う他ないと言い聞かせ。


「ヴェイグと永久の魔は例の洞窟。レジェンドはまだ仕事中。最近はホテルにも戻って来てないね」


 拠点となるホテルに滞在しているのは、《十冠を負う獣》、蔭水冥希、アデル・イヴァン・クロムウェル、アイリーンの四人だけ。


「あと、君たちを誘き寄せる計画が上がってるよ」


 それを確認しようとしたところで飛び出した爆弾級の発言に、否応なく意識を割かれた。


「……内容は?」

「学園の時と似たような手口さ。適当な場所にアイリーンがいることを知らせて、そこにそっちのメンバーを誘き寄せる。まだ具体的な場所は決まってないけど」


 一部のメンバーには効果的だ。その前に手は打てないかと郭は思案する。これまでに聞いた話の中で。


「訓練場の利用は全員バラバラなんですか?」

「そうだね。まあ、手合せや訓練とかで、他のメンバーと一緒に行くことはあるけど」

「そこにアイリーンや、貴女を含めた『アポカリプスの眼』を誘い出すことは?」

「……難しい事を言うね」


 伝えた問いに考え込むような間。たっぷり六秒の時を置いて。


「……できないことはないかもしれないけど」


 電話口の向こうで開かれる唇。零れる愁い気な吐息の感触が、回路を通る電子音によって再現される。


「全員だと流石に怪しまれだろうね。自然さを考えると現実的なのは『アポカリプスの眼』の二人か、アイリーン一人かな」

「……」


 此度は此方が思案する番。万が一にも十冠を負う獣の裏切りを露呈させるわけにはいかない。アドバンテージを最大限に活用したいのは山々だが……。


「……分かりました」


 ――慎重に行くべきか。そう考えて郭は判断を決める。誘い出せる相手方の中で最大の脅威となり得るのは、アイリーン。


「――十冠を負う獣」


 声に覇気を込めて、はっきりと告げた。


「今回の戦いで此方側に付いて下さい。ここが最良のタイミングです」







「……」


 扉の開く音に葵はそちらを向く。部屋の内側で扉を閉めるのは、連絡を受けて別室へ移動していた郭。


「――十冠を負う獣が離反を了承しました」


 椅子に腰を沈ませる所作に連れて、告げられたのはその一言。


「アイリーンを訓練場まで誘き出してくれるそうです。議論の通り、《厄災の魔女》についてはなるべく確実な手を打つべきかと思いまして」

「それが順当なところですね。ここで下手な博打を仕掛けるわけにはいきませんから」


 十冠を負う獣について信用するという方針で一致している。上守千景とフィア・カタストが離脱し、敵方にアイリーンが加わったこの状況下では、それが葵たちの側にある唯一と言っていい切り返しへの切り札だった。


「ではこちらも。――アイリーンについての対応策は整いました」


 自信たっぷりに言い出す賢王。


〝殺意マシマシ殺る気充分〟

「私と冥王が主軸。そこに貴女たちやあの武人の力を加えれば、百に近い確率で討ち取れることでしょう。漸く見通しが付けられた……というところでしょうか」


 田中と立慧は各々の修練のため、今のこの場にはいない。立慧についてはアデル・イヴァン・クロムウェルへの対応で齟齬が出たと言うこともある。……アイリーンとフィア・カタストについての方針を異にした、蔭水黄泉示たちのように。


「……」


 やはり……。


 無理なのだろうと、そう葵はその事を思う。アイリーンへの対処方針を前以て戦略に組み込まねばならないことまでを考えると、実質的にはこの辺りがタイムリミット。これ以後には幾ら策を見付けてきたとしても恐らく凶王の二人が了承しない。メンバーの擦り合わせが崩れる危険性がある以上、葵自身としても滑り込みを許すわけにはいかなかった。


「あの支部長についても、何かしらの強硬手段を考えておいた方が良いかもしれませんね」

「そんなものは必要ありませんよ。彼女は支部長ですから」


 となれば問題は、如何にして彼らを説得するかということ。対立的になっている賢王では話が拗れる。郭も彼らとは逆に距離が近すぎる。協会の代表として、やはり自分が話を付けるべきだろうと葵は考えていた。……それが自分の責務。冷静に考えれば、他に選択肢がないということは分かるはず。


 それでも諦めがつかない場合、彼らへの対応をどうするか――。


「――」


 正にそんなことを考えていたからこそ、いきなり扉を開けて入り込んできた人影に、葵は思わず目を見張ることになったのだ。


「……」

「――これはこれは」


 蔭水黄泉示、リゲル・G・ガウス、ジェイン・レトビック。


 葵たちのいる場へ現われたのは正しく今思い描いていたその三人。決意してきたような三対の眼差しを、賢王が動じぬ慇懃さで出迎える。


「お子様どものご登場ですか。見事に三羽の雁首を揃えて。どうしました?」

「――賢王」


 答えて口火を切る蔭水黄泉示に、挑発への憤りは微塵もない。……直前まで修練をしていたのか、心なしかこけたその頬に色濃く見えるのは消耗の色。


「見せたいものがある。……フィアと、アイリーンの件について」

「ほう」


 それでもその声には確証を得た者特有の力強さが宿っている。鳴りを潜めているのは、平時に見せていたどこか所在なさ気な雰囲気。それさえも笑みの内に迎える賢王の胆力は、葵としても流石と思わせられるものではあるが。


「どんな愉快な出し物を見せてくれるのでしょうね。例えば、何も手立てが見付からなかったことへの平謝りとか」

「その手立てをこれから見せるんだ」


 黄泉示の頷きに、相対する二人が距離を取る。……これは。


「まさか、ここで模擬戦をする気ですか?」


 葵と同じことを思ったらしい、賢王がわざとらしい顔付きで片方の眉を上げてみせる。


「そんな馴れ合いでは――」

「違う」


 否定は断固として。


「郭と賢王。……それに、葵さんと冥王を相手にする」

「――」


 凡そ夢想だにしない発言の中身。反応したのは葵自身ではなく、その側方。


「――聞き捨てなりませんね」


 言葉と共に威圧するように身を乗り出したのは郭。注意深く、どこか気にするような素振りで彼らを見つめていたその態度は、今耳にされた慮外の傲岸さへの非難で背後に隠れている。


「加減をしてもらえるとでも思っているのなら、勘違いも甚だしいところですが」

「本気で掛かって来てくれていい。……じゃないと意味がない」

「……」


 やや変わって正気を疑うかのような眼差しを向ける郭。冥王と葵が沈黙を守る中、賢王だけが何かを見極めるように、その双眸を細く引き締めた。


「……面白いですね」


 一言を呟いて、ふとその表情を緩める。


「年端もいかぬ子どもがエリティスの入れ知恵で何を掴んだのか、試してあげましょうか」






「……」


 静寂。目の前で披露されたその術法の効力に、葵は未だに理解が追い付かずにいる。


「……良いでしょう」


 実演から暫く。沈黙していた賢王が、舌先で口内を舐るようにして唇を開いた。


「可能であると見込める限り、アイリーンに殺意を向けないと約束しましょう。――冥王も構いませんね?」

〝……そうだね〟

「――」


 凶王の二者が認めた。その段に至っても葵はまだ信じられないでいた。効果を披露されたのは計りに直せば極々短い時間。しかし目の前の青年、蔭水黄泉示は、確かに――。


「――但し」


 葵の思考を遮るのは続く賢王の声。


「無理だと判断した時点で、どう対処するのかは此方――」


 理知的な瞳が葵たちの上を滑る。


「私たち四人の側で決めます。その条件は飲んでもらいますよ」

「……分かった」


 頷く。その点については致し方ないと葵にも思われた。蔭水黄泉示たちと賢王たちとではそもそもの目的が違う。かたや仲間の救出、かたや脅威の確実な排斥……。


「――では、これを元に最終調整をしましょう。その前に――」

〝呼んでくる〟


 ひらり舞う紙片を机上に残して冥王の姿が消える。田中支部長と范支部長への招致。信じ難い思いを胸中に残しながらも。


「……」


 事態がすでに次の段階へ進んでいることを感じて。歓喜を抑えるように席に着いた蔭水黄泉示たちを見ながら、葵は来たるべき話し合いに向け、用意を整えた。



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