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第十一節 友の姿

 

「……黄泉示」


 ……誰かの声が聞こえる。


 聞き覚えのある、誰かの……。


「黄泉示!」

「っ……」


 激しく意識を揺さ振り掛ける声。その力強さに根負けするようにして、瞼を開けた。


「漸く起きたかよ。ったく」

「リゲル……」


 まだ眠たい目を擦りながら動かす。……ここは、訓練場?


 俺は昨日、確か――。


「朝食の時間になっても起きて来ないから探しに来たんだ。部屋にもいないようだったから、此処かと思ってな」


 上げた視界に映り込むジェイン。……そうか。


「エリティスさんから貰った術の訓練か?」

「……ああ」


 ふらつく足を押さえながら立ち上がる。円環を使って長時間座っていたせいか、身体全体が痛む上にバキバキだ。途中で寝てしまっていたのか……。


「……っ」

「っと」


 固まっていた脚の筋肉。よろけたところをリゲルの腕に支えられる。


「……悪い」

「掌から血ぃ出てんじゃねえか。大丈夫なのかよ?」

「……ああ。まあ……」

「どんな術法か見当は付いたのか?」

「……いや」


 再び自分の足で立ちながら思い起こす。……結局昨日は大した進展はなかった。円環の調節だけで手一杯で、節を唱え終わるようになるにはとても。


「……ま、まずは朝飯だな。しっかり食わねえと、持つもんも持たねえぞ」

「……ああ」


 腹は減っている。ジェインの気遣わしげな目に自分は今きっと酷い顔をしているのだろうと思いながらも、俺は食堂に向かった。







「……ふぅ」


 予定している一通りの訓練を終え、リゲルは流れ出る汗をタオルで拭い取る。……今日もまたこれで一日が終わる。


 アイリーンの打倒を目指して特訓を続けているリゲルだが、進みが芳しいとは到底言えなかった。……元より短期間では肉体改造には時間が足りない。一人でできる鍛錬も限られる中、リゲルが目を付けたのは自分が今までに持っていたボクシングの技術そのもの。これまで突貫で力を付ける修練ばかりをしてきたせいか、此処に来て基本的なその技術が幾許か疎かになっていたことに、蔭水冥希との死闘を通じてリゲルは気が付かされていたのだ。


「……」


 アイリーン・カタスフィニアは魔術師。だが相手が強敵である以上、下手な付け焼刃は通用しないとリゲルは考えていた。……必ずしもアイリーンだけを相手にできるとも限らない。一人の自分にできるのは己が今まで積み上げて来たものをもう一度研き直すこと。エアリーや賢王の指導で付けられた力。今の自分という新たな段階、特殊技能者らとの実戦経験を積んだ視点からもう一度磨き上げ――。


 ――己の最も得意とするスタイルに纏め上げる。そうして初めて、己の持つ全力が出せるようになるはずだ。


 ……もうちょいやってくか。


 習慣的に部屋を出ようとし――いつもより余力が残されていることに思い直して再度空間に向き直る。取ったのはスタンダードな構え。


「……」


 意識を集中してイメージを作り上げる。技術を磨き上げることを主眼にするとはいえ、単純な反復練習では実戦への適応に限界がある。その事を踏まえてリゲルがしているのはイメージトレーニング。仮想の敵と状況とを作り上げ、戦闘のイメージに身体を連動させる。昔から乱闘に巻き込まれ、練習相手もいなかったリゲルの行ってきた訓練法。


「――シッ‼」


 ――蔭水冥希。


 今のところリゲルが修練に用いている最大の仮想敵がそれだった。本山で賢王と共に相対した冥希の力量は、恐ろしいほどの差を以てリゲルの身に文字通りに刻まれている。……お蔭で思い描くことは可能。あとはそれを糧として、どこまで自らが駆け上がれるか――。


「――っ」


 躱せない。袈裟懸けの斬撃に切り殺される。一瞬本当に刃が身体の中を通過するような錯覚を覚えたのち、息を整えつつ拳を下ろす。……何百回目かの敗北。


 今は実際に体を動かしているが、やろうと思えば想像の中だけで完結させることもできる。トレーニングの合間のインターバル、トレーニング後、食事時、風呂、トイレなど。あらゆる時間を利用して動作の確認や仮想敵との対峙を行うのだ。頭の中でもう一度、今の戦闘の敗因を見直して――。


「……うし」


 ――黄泉示の様子でも見に行くか。


 そう考えてリゲルは訓練場を後にする。今朝リゲルとジェインに起こされて朝食を食べて以後、黄泉示は訓練室に引きこもり、昼飯と夜飯の時にだけ外に出てきていた。……また訓練室で寝落ちでもしてしまっていては体調にも差し障る。残されたリミットが短いのは確かだが、だからこそ身体を壊すような真似は避けるべき。まだ残っているようならばその辺りの注意も兼ねてと。


「……っと、開いてんじゃねえか」


 思いつつ到着した先。閉めたのを確かめなかったのか、中途半端に開いた扉からは廊下に薄っすらと光が零れ出ている。その隙間からふと、何気なく中を覗き込み――。


「……くっ……」


 目に見えたのは部屋の中央に坐臥する友の姿。……その様子が、異常だ。


「……ッ……!」


 手にされているのは一枚の古びた……羊皮紙。目を瞑っている黄泉示の身体が戦慄く。なにかヤバい物を感じさせるような、異様な光景に。


「おい――」

「――ッ‼」


 零したリゲルが踏み込もうとした瞬間、弾かれたように動いた黄泉示の手が羊皮紙をかなぐり捨てる。肩で大きく吐かれる息。全身から滝のように噴き出している汗。


 ――間違いない。


 嘘のように力の抜けたその様子を見て思う。……あのままでは確実に黄泉示は倒れる。また訓練室で意識を失い、訓練室で目覚めるだろう。今朝と同じように。


 流石にそのルーティーンは良いとは思えない。休息を度外視したトレーニングは自らの身体を鍛えるどころか破壊してしまうことを、リゲルは経験からよく知っている。止めに入ろうとして――。


「……フィア」


 零れ出たその名前に、踏み込む寸前だった足を止めた。


「……っ」


 視界の中で黄泉示が立ち上がる。……投げ捨てた羊皮紙を拾い上げる。座り、息を吐くまでの間。


「……」


 見つめていたリゲルは背を向ける。戻るのは自室ではなく、修練の部屋。相手のいない一人での訓練は、自分さえやる気になればどれだけでも続けられるのが利点だった。


 ……そうだよな。


 リゲルは思う。――二人と出会ったあの日。


 フィア・カタストは。黄泉示と共に、リゲルにとって掛け替えのない友人だ。


「……へっ」


 想像する脳裏に再度浮かばせるのは蔭水冥希。未だ勝ちの見えぬ敗北を積み上げ続けながら。


 リゲルは、闇夜の映る廊下を歩いて行った。



















「――っ」


 ……眩しい。


 差し込んでくる光に薄らと眼を開ける。……二度目となれば流石にぼんやりとは思い出せる。昨日はまたあのまま、訓練室で……。


「……?」


 そこまで思い出したところで。身体を支えている柔らかな感触に気が付く。……付いた掌の沈み込む手応え。……ベッドだ。それは間違いない。ここは……。


「……俺の部屋?」


 置き上がり、見回したところで呟く。……わけが分からない。記憶がないだけで、訓練のあと自力で歩いてきたのか? そんなはずは……。


「――おはよう。蔭水」

「ジェイン」


 疑問を覚えながらも支度を整えて向かった食堂。出迎えてくれたのはいつもと変わらない、眼鏡をかけたジェイン。


「その様子だと今夜は部屋で眠れたようだな。何よりだ」

「ああ……」


 答えて席に着きつつ、テーブルに違和感を覚えて訊く。


「……リゲルはまだなのか?」

「ああ。あいつのことだからな。訓練のやり過ぎで眠りこけてでもいるんだろう」


 気にした様子もない。……既に食べ終わったのか、それともまだ来ていないのか、テーブルには郭と葵さんの姿は見えない。確かに最近は全員が時間通りに揃っていることの方が珍しいのだが。


「あー……」


 聞こえてきた声に振り向く。リゲルの姿を見て、一瞬俺とジェインとが瞬きをした。


「おう、早えな二人とも」

「……僕らが早いんじゃなく、お前が遅いんだがな」


 席に着く。いつものような挨拶がなかったこともそうだが、それ以前に……。


「なんですかその様は」


 俺たちより先に指摘したのは郭。


「服はしわしわ。それに、頬に枕の跡がくっきりと付いてますが」

「……お、マジだ」


 言われて気付いたのか、ガリガリと頭を掻く。……紙が短いので目立つものではないが、寝癖もそのままになっている。服装はいつも同じだが、格好は常にキメているリゲルが……。


「……珍しいな」

「いやー……昨日訓練を張りきり過ぎちまってよ」


 顎が外れるのではと思うほど盛大な欠伸と共に。パンを手に取りながらリゲルは言う。


「部屋戻ってシャワーだけ浴びたら、眠すぎて倒れ込んだんだわ。いや~、夢も見なかったぜ。正に熟睡」

「自己管理もできないとは呆れますね。今がどんな状況なのか、自覚を持って――」

「るせーな。今日は偶々だよ、偶々」

「……」


 ……もし。


 もし、俺が一人で部屋まで戻ったのではないとしたら。


 俺があの場所で寝るかもしれないことを知っていて。……わざわざ部屋まで運ぼうとするような相手は。


「どうしたよ黄泉示」


 思い付いた事柄を考えていた最中、掛けられる声。


「ぼーっとしてんじぇねえか。一日の始まりなんだから、シャンとしてこうぜ」

「誰も貴方に言われたくないとは思いますがね……」

「……ああ」


 郭の突っ込みを無視してニカっと笑うリゲル。……確証はない。しかし……。


「……悪い。ありがとな」

「おう。今日も一日、張り切っていこうぜ」


 相槌を返す。意気込みを今一度入れ直す気持ちで、俺はバターを塗ったパンを齧った。


「つか、そういうお前らは毎晩ぐっすりかよ。羨ましいね」

「僕はそこまで長く睡眠を取らなくても良いタイプだからな。今は毎晩一時に寝て、五時に起きてる。四時間も寝れば充分だ」

「この頃は僕もそんな感じですね。葵さんたちとの話と並行して修行を進めているので、平均の睡眠時間は三時間です。師匠も多忙の時は術式を使って睡眠時間を短縮していましたし――」

「……」

「……早死にすんなよ、お前ら」



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