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第八節 暗い見通し

 

「……これだな」


 朝食を取り終えた午前。ジェインの声に続いてその本を手に取る。……昨晩郭のレポートを渡されたお蔭で、今日の予定は当初思い描いていたのとは幾分違うものになった。


「――【接続】」


 一言を呟く。……年月を経て黄色味掛かった見開きに炙り出しのように出て来た文字は目録。本山の書庫にある文献、その分類だ。


〝――まずはこのレポートの内容が正しいか確かめる〟


 昨晩。郭がいなくなり、衝撃の余韻の中に残された俺たち三人で話し合ったこと。


〝渡された権限もあることだしな。……なるべく早く情報を集める為に、蔭水にも調べを手伝って欲しい〟

〝……ああ〟


 元より今日は二人の手伝いをするつもりだったのだ。俺の方に断る動機などなく、……それに。


「――あった」


 俺としても、自分の眼で確かめておきたい心情があった。目録から検索に取り掛かって四秒ほどでジェインが言う。


「このリストだな。検索の下から七番目に出て来る」


 隣――ジェインの本に示された文字を見つつ俺の方でも確認する。……『《厄災の魔女》に関する報告書群』。


 これか。見出しを指定すると更にその中に振り分けられた報告書の一覧がリストとして表示されてくる。……多い。


「僕は下から見ていくから、蔭水は上から見ていってくれ」

「分かった」


 かなりの数だ。……迷ってはいられない。渡された仕事に端的な返事をし、俺は現われた文章へ向かった。できる限り早く終わらせると、その思いで。


 …………

 ………

 ……


「……」


 ――ひたすら。


 ひたすら現れ続ける文章の中身に目を通していく。見落としや読み違えがないよう一文一文を指でなぞりつつ読み進め、アイリーンの能力に関係すると思われる箇所は随時メモに写し取る。長時間姿勢の変わらない作業に首が強張り、肩の血流が滞ってくる感覚。立ち上がって伸びをしたい衝動を堪えつつ、読み進める意識を集中させ──。


「――後半は終わった」

「――」


 唐突に聞こえてきたジェインの声にページを捲る手を止める。……終わった?


「……」


 あれだけあった報告書の後半が、もう? 半信半疑の思いで見てみれば、ジェインの傍らには走り書きされたと思しき文字で黒く埋められたメモ用紙の数々。……幾重にも重なるようにして散らばっている。目の前の本に現われる文章に目を通す速度。頁を捲る手の動きが――。


「――」


 ――速い。速過ぎる。二、三倍どころではない。俺が数行を読み終える間に既に見開き全体を読み終えているほどの、比較にもならない速さ……。


「……凄いな」

「レイルさんに鍛えられたからな」


 思わず感想を零した俺に、ジェインは読む動作を止めないまま、こちらを見ないまま答えてくる。


「元々本を読むのは早い方だったんだが、お蔭で更に読むスピードが上がった。――気にせず自分のペースでやってくれ」

「……ああ」


 促されて再び目の前の本へと視線を戻す。……流石にこれでは殆んど手伝いになっていない。申し訳なさと情けなさが入り混じったような感覚に襲われながらも、俺はとにかく自分の読むべき文章へと向かい直した――。






「……」


 ――午後。空気の中を舞う埃を照らし出す日差しの差し込む廊下を歩いて行く。……あのあとは結局。


 円環の強化で視力や認識能力を引き上げることで、どうにか最終的に全体の三割程度の分量をこなすことができた。……手伝いとしては及第点。


 酷使した眼と頭の訴えてくる痛み、疲労感の代わりに得られたのは、郭のレポートが報告書の内容をこれ以上ないほど的確に纏め上げたものだったということ。


 寧ろ能力の判明したエピソードを省いて簡潔に書かれていた分、その恐ろしさが軽減されていた嫌いさえある。アイリーンの起こした事件や協会との実際の戦闘記録に目を通し、全ての報告書を読み終える頃には俺も、ジェインも、突き付けられたアイリーンの力に対して押し黙ることしかできなくなっていた。……格が違う。


 力量差を念頭に置きながら食べる昼飯は砂を噛んでいるように無味乾燥。まるで味がしなかったというそのことを思い返しながら――。


「――お、来たか黄泉示」


 歩いてきた先。踏み込んだ室内でスーツ姿のリゲルが振り返る。……本山の訓練場よりは狭いが、それでもそれなりに広さのある空間だ。


「……ああ。どうだ、調子は」

「悪くねえよ。一人での訓練も良いもんだぜ。ま、今回は一人じゃねえわけだけどな」


 器具などはない殺風景な風景の中でニヤリと笑ってみせるリゲル。レポートの確認が終わったこともあり、午後はリゲルの特訓に付き合うことになっていた。……あのまま一日中資料を読むことになれば俺が持たない。


「いよっし! そんじゃ、まずは筋トレからだな」


 そういう理由もある。景気づけとばかりに勢いよく掌と拳を打ち付けたリゲル。……報告書を読んでいないリゲルとでは認識に差があるだろうとはいえ、この衰えない気勢を見ていると多少は気が晴れる気がする。


「軽く流して模擬戦に入ろうぜ。やっぱそれが一番訓練になんだろ」

「――そうだな」


 俺が暗くなっていても仕方がない。圧し掛かる疲労を一時忘れるようにして、リゲルの威勢に負けないよう、力強く答えを返した──。


 ――はず、だったのだが。


「……っ……」

「――大丈夫かよ」


 頭の上から掛けられる声。床に両手を突き、答えの代わりに全身で懸命に息をする。……軽く流す?


 冗談じゃない。リゲルに付き合って筋トレを全てこなしたら、それだけで一杯一杯だ。……疲労で力の入らない全身の筋肉。器具はない為に全て自重を使ったトレーニングだったが、とにかく回数と速さとが半端じゃない。その異常なペースの筋トレをほぼ休みなしでもう一時間近くも続けている……。


「疲れてんじゃねえのか? 昨日とか、ちゃんと寝られてんのか?」


 対するリゲルも勿論汗はかいているが、それ以外には殆んど疲労した様子が見えない。タオルで汗を拭い、少し時間が経てばそれで元通り。……とんでもないタフネスだ。


「……いや、悪い」

「疲れてるもんはしょうがねえよ。んじゃ、そこで見ててくれ」


 俺の不甲斐なさを連日の疲労ということで納得したらしいリゲルは立ち上がり――四メートルほど離れた位置で構えを取る。これまでに幾度となく目にしてきた、馴染みのボクシングの構え。


「ちょいと休憩代わりってことで──一通り基本的なコンビネーションをこなすから、なにか気付いたことがあれば言ってくれよな」

「……ああ」


 座り込んだ状態で顔を上げる。……せめて見るくらいはしっかりとしなくては。集中した視界の中――。


「行くぜ――ッ‼」


 ――動く。そう思った瞬間には既に、二発のコンビネーションが放たれていた。


「ッ――‼」


 ――速い。肘から先が霞んで見える腕拳。連発されるジャブが目で追えない。素早いステップと共に風を切るその様はスーツ、手袋の色と相俟って一個の黒い旋風のようだ。……辛うじて見分けられた右フックにアッパー。体勢を細かく変えて幾つかの軌道に打ち分けているのは分かるが。


「――どうよ?」


 驚いている内にピタリと、僅かのブレもなく拳が止められる。……何が悪いのか以前に、動きの内容がほとんど分からなかった。


 正面に立っていれば何が起きたのかも理解できないまま殴り倒されていただろうと思える、それほどの速さとキレ。明らかにレベルの違う動きだ。


「……いや、凄いな」

「世辞は良いっての。ま、無いならとりま次行くぜ」


 ひらひらと手を振って構え直し、直ぐに次の動作へと移るリゲル。……今俺に求められているのは、誰にでも言えるような素朴な感想や意見ではない。


「――少し左腕の戻しが遅い。右肩が前に出過ぎてる」


 上達の役に立つ、適切なアドバイスだ。──円環で動体視力を強化。持ってくれと思いつつどうにか拳の動きを捉えられる程度にまで高め、気が付いた点を幾つか挙げていく。少しの凝りも見逃さないように。


「おうし‼」


 応えて更に精彩を増していく拳と体捌き。その運動能力に内心で舌を巻きながらも、どうにか俺は自分の役割を果たし続けた――。







「……っ」


 ――夜。


 全員の集まる夕食を終え、シャワーを浴び終えてベッドに寝転がる。……天井がやけに高く感じられる。今日体験した中身を思い返すと……。


 ――ジェインも、リゲルも。


 以前とは比べ物にならないほど力を付けている。……いつの間にか。戦いでは俺も円環を使うのが普通になっているせいか、これまで余り意識したことはなかったが。


 思えばこのところ、小父さんとしていたような基礎的な訓練を殆んどしていなかった。俺がやっている訓練の殆んどは如何にして円環を使いこなすかというその一点。本来なら戦線に出られない実力を強引に足りているレベルにまで引き上げる、そのための訓練だ。円環の機能を探り、限界を理解し、【魔力解放】を磨き上げる……。


 ――それをやっている間に、素の実力ではこれほどの差が付いていたのか。


「……」


 思い起こす。……学園に通っていた頃。賢王たちと出逢った頃には、まだそれほどの差はなかったはずのに……。


「……いや」


 否定を声に出す。……考えても仕方がない。今考えるべきなのは今日、ジェインとリゲルの手伝いをして浮き彫りとなったもう一つのことの方だろう。それはつまり――。


 ――今のままでは、絶対的に足りないということ。


「……」


 握り締めた拳にそのことを強く思う。……見えてこないのだ。倒さねばならない相手、アイリーン・カタスフィニアへの対処法が。


 俺が抜けたあとジェインは本山の文献からアイリーンに対処する為の手掛かりを探していたらしいが、今のところは何も見付からないとのことだった。……午前のことを併せても収穫はゼロ。


 リゲルとの特訓にしてもそうだ。……リゲルがメキメキと実力を伸ばしていること自体は間違いがない。俺も円環を使えばそれなりに戦うことはできる。だが、それでアイリーンに届くのかと言われれば。


「……」


 ……無理だとしか思えない。俺たちがどんなに努力し、足掻いたところで。尋常の方法で、あのアイリーンに届くわけがないのだ。初日に聞いた賢王の言葉、郭の言っていた台詞が脳裏に木霊し――。


「――っ」


 それらをシャットアウトするように眼を閉じる。……なにか。


 なにか、少しでも取っ掛かりになるようなものがあれば。


 それこそ何だっていい。僅かでも可能性があったならば、そこから尽くす手を広げていけるのに。……現状では何もかも手詰まりなような気がしてしまう。できることをやるしかないのだと分かっていてもなお、叢雲のような不安が圧し掛かってくる。……まだ。


 まだ二日目だ。自身に言い聞かせる声は同時に、もう既に十一日しかないのだという事実を胸中に重く突き付けてくる。……疲労はある。それでもまだ取り敢えず何かしていようかと、そう考えて起き上がった。ベッドから降り──。


「――」

「――蔭水、いるか?」


 終月を手に取った直後、ノックの音と共に響いた声はジェイン。いつもより仕草が荒い。──なにかあったのか?


「──どうした?」

「ああ。僕も今、葵さんから連絡を受けたところなんだが――」


 ドアを開けたところでジェインから告げられた内容。聞き終えるとすぐに、俺たちはその部屋へと向かった。






「――」


 夜にも拘わらず全員が集められた一室。居並ぶメンバーの前に座り、注目を集めているのは。


「──お久し振りです。皆様方」

「……生きてたのね。あんた」


  行方不明だったはずのエリティスさん。……紛れもなく。悪態とも感心ともつかない台詞を呟いた立慧さんに。


「これはこれは立慧嬢。久方振りの再会、大変喜ばしく存じあげます」

「……賢王が不在なので確認に手間取りましたが、エリティス本人と断定しました」


 品のある笑みに連れて恭しく一礼。確かにエリティスさんだと思う俺の前で、やや疲れたような口調で全員に告げるのは葵さん。……賢王が不在? 


 見回してみれば確かにいつもの姿が見当たらない。冥王は相変わらずの影法師で、壁近くに立っているが。


「賢王嬢がいらっしゃらないのは誠に残念なことですね。ぜひともお聞かせしたい旅の土産話が、色々とあったのですが――」

「――与太話はいいとして」


 事態が分かっているのかいないのか。緊張感のまるでないエリティスさんの台詞をバッサリと郭が切って捨てる。


「こちら側としては訊きたいことが山ほどあります。……今までどこでなにを?」


 問い質すその声は厳し気で硬い。エリティスさんを見つめる視線には僅かの苛立ちと、どこか非難が混じっているようにも感じられる。


「学園から帰還したあと行方知れずのままでしたが。旅と言いましたが、まさか旅行でもしていたんですか?」

「事前の通達ができなかったことにつきましては、申し訳ありません」


 郭の追及に――意外なほど素直に頭を下げたエリティスさん。


「実は、私用でどうしても外せない用件が入りまして。誠に恐縮ですが、そちらの方を優先させていただきました」

「……」


 溜め息を吐きたくなるような空気が室内に広がる。……世界が滅ぶかもしれないというこの状況下で、他に優先する事柄などあるのだろうかと、恐らく皆そう思っているのだろう。分かっていたとしても……。


「何なんだよ、その用件ってのは」

「申し訳ありませんがMr.ガウス。それは申し上げられません。私用ですので――」

「――とにかく」


 場に流れる微妙な空気を打ち切るためか、葵さんが声を発す。


「帰還していただき感謝します、テルボロフ殿。ついてはこれまでの経緯と現状について、私から説明を」


 ――


「……そうでしたか」


 千景先輩の死に、アイリーンの復活。


 葵さんの話を聴き終えたエリティスさんは静かに息を吐く。……どこか物憂気な瞳。思案に沈んだような態度は、流石にそれまでよりは粛々とした雰囲気を纏っているように感じられた。


「私めのいない間に、そのように事態が進んでいたのですね」

「かの《厄災の魔女》については、テルボロフ殿も?」

「ええ。あの時の事件の概要は、逸れ者の間でも瞬くように広まっていきましたから」

「……!」


 その会話を聞いていて思い付く。……エリティスさんは一応、逸れ者の禁術師だ。


「まさかカタスト嬢がその転生先だとは思いもしませんでしたが。あれほどに可憐な乙女が……痛ましいことです」

「テルボロフ殿がいてくれれば彼女に対しても強襲が可能です。その点でも心強く思います」

「――エリティスさん」


 俺たちが探しているような情報を知っている可能性もある。会話の切れ目を狙って掛けた声。その若々しい外見には似合わない深さを湛えた、エリティスさんの茶けた瞳が俺を見る。……一瞬の躊躇い。


「……その、自分たちで調べていて分かったんですが。アイリーンの能力は――」

「――ああ」


 俺の言葉の中途。思いがけないタイミングで欠伸をしたエリティスさんに、考えていた台詞を切られる。……なんだ?


「これは失礼。……私用の帰りで疲れてしまいました。夜でもあることですし、具体的な戦術などについての話はまた後日ということで」


 立ち上がる。有無を言わせない動作。会話をいきなり中断されたことに、俺が慌てたそのとき。


「部屋まで案内して頂けないでしょうか、――Mr.蔭水」

「――え?」

「協会の方々や冥王嬢の御手を煩わせても悪いですから。貴方方のような柵のない相手の方が、私めとしても頼み易いという事由です。――構いませんか? 葵嬢」

「……ええ。大丈夫です」


 指名を受けたことに困惑する。……なぜわざわざ? エリティスさんに答えた葵さんが、俺の方を向いた。


「――客分用の個室は全て貴方たちと同じ区画にあります。空き部屋であればどこを使っても構わないとの許可を得ていますので、そこまでの案内を」



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