第五節 可能性 後編
――翌日。
「――」
朝食を終えたあと。勢い込んで臨んだ先にあったのは、予想外の光景。
「話があるとのことでしたが、なんでしょうか」
尋ねてくる葵さん。俺が頼んで時間を割いてもらった当人の、その隣。座っている賢王にどうしても視線が行ってしまう。普段と変わりない姿……。
「ほら、訊かれていますよ。私の事はお構いなく。何か面白い話でもあるのなら、聞いておきたいと思っただけのことですから」
――甘かった。
こんなにも積極的に妨害に出てくるとは。声は潜めていたとはいえ、全員が集まる朝食の場で話してしまった迂闊さが今となっては悔やまれる。……だが、こうなってしまった以上はもう仕方がない。
「……実は」
一つ息を吐いて覚悟を決める。視界に映り込む顔を努めて気にしないようにして、本題を話し出した。
「外出の許可をもらいたくて。今日一日だけでいいんですけど」
「外出、ですか」
迎える葵さんの反応は芳しくない。いつも冷静で表情の読み辛い葵さんではあるが、フィアと一緒に暫く修行を受けたお蔭で少しはその機微が分かるようになっていた。今のようにじっとこちらを見つめて来ているときは、特に。
「場所はどこへ? 危険のある場所へというのは、許可できませんが」
「俺にこの呪具をくれた、シンシアさんのところです」
切り出した言葉に、賢王が小指を動かして反応する。
「新たに呪具を貰いに行くということですか?」
「違います。……その」
緊張で乾いている唇を舐める。今は一日一刻が惜しい状況だ。反対派の賢王が隣にいることを考えても、なんの理由もなしでは流石に認められないだろう。……だから。
「実は最近、円環の調子が悪いような気がしていて」
どもりそうになる舌を鼓舞しながら、考えてきた内容を口にする。
「自分の戦い方や副作用の事も考えると、気掛かりで。戦いの前に一旦、シンシアさんに診てもらおうかと」
言い切った。……筋は間違っていないはずだ。俺が使っている呪具の調子についてなら、葵さんも賢王も流石に分からないはず。疑われていたとしても確かめる術がない。はずだが。
「……」
顎に手を当て、身を乗り出すこともなく俺を見つめている葵さん。その冷静な眼差しは一片の緩みもない。……駄目か? 繰り出した言葉に手応えを感じない。開きかけた唇の動きに、断られることを直感した時。
「――なるほど」
突然。俺たちの様子を見ていただろう賢王が、言葉と共に膝を組んだ。
「確かにそれならば、致し方ありませんね」
……なに?
「戦力としての貴方の力は、シンシアから授かった呪具に依存していることは明白。それに不調が出たとすれば、私たちは貴重な駒を一つ失うことになります」
賢王が言う。隣に流し目を送り。
「であれば万全を期すのが賢明というものでしょう。違いませんか? 特別補佐官」
「……」
葵さんが押し黙る。予想もしていなかった展開に、固唾を飲んで行方を見守った。
「……分かりました」
その緊張が、葵さんの頷きで解ける。
「今日一日の外出を許可しましょう。帰還が0時を回ることはないように。不用意な行動は極力謹んで下さい」
「はい。ありがとうございます」
「ああ、それと」
下げた頭を上げた俺の顔面にぶつかる、軽い何かが視界を覆う。衝撃はないが──。
「ッ⁉」
「その手紙を渡して来て下さい。返事があると思いますので、それも受け取ってくるように」
心臓に悪い。……手に取ったのは、白地にピンクの模様とハートマークが付いた可愛らしい封筒だ。表には流れるような文字で〝親愛なるシンシアへ〟と書かれており、裏は蜜蠟で封がされている。
「……分かった」
黙って受け取る。言いたいことは色々とある。だが今は、
「まあ、精々気を引き締めて掛かることです」
こちらの方が優先だ。振り返った背中に掛けられる声。
「温和そうに見えたとしても、シンシアは呪具師。気を抜けば取り込まれますよ」
「……」
その声には答えずに。
最後まで無言のまま、俺は賢王たちのいる部屋を出た。
「――なぜ同調を?」
蔭水黄泉示が出て行ったのち。充分に離れただろう頃合いを見計らって、葵は問う。
「意外ですか?」
「……呪具師の下に赴くことは止めるだろうと思っていました」
「彼らは所詮、一人では何事も為し得ないお子様です」
呪具師は自ら望んで人の負の側面に身を置いた者。慎重な葵の言葉選びに対し、賢王の回答は辛辣だ。
「人脈にも乏しい。シンシアを頼ることなど分かり切っていましたから。下手に抑え込んで強行を招くより、用意しておいた道筋に誘い込んでやったほうが利口です。会えば、独りでに答えは出るでしょう」
返された回答は微妙に要点を外しているとはいえ、推測は及ぶ。知古にしか分からない手を打ったと言うことだろう。あの、似つかわしくない手紙で以て……。
「私からも訊きたいですね。特別補佐官」
葵の思考を遮ったのは、そんな賢王の言葉と意味ありげな笑み。
「狂言だと分かっていたのでしょう? 断ることもできたでしょうに、なぜそうしなかったのですか?」
「……大枠は貴女と変わりません。賢王」
自身の持つ【心眼】の異能を考慮した上での発言。それを踏まえて葵は口にすべき内容を選別する。
「気持ちを汲むことも肝要です。知古である貴方が面会を許したならば、懸念すべき危険性はないと判断させてもらいました」
「それは見事な采配ですね」
細められる賢王の眼。
「私はまたてっきり、できた口実に乗って来たのかと思いましたよ。本当はあの子どもに、行って欲しかったのかと」
包む気のない鋭さを帯びた台詞。返す代わりに葵はただ沈黙を守る。賢王を相手に言葉で以ての反論は下策。自分ではどうあっても真意を切り出されるだけだと言うことを、これまでの遣り取りから葵はよく分かっている。なればこそ可能な限りの朴訥に努め――。
「――冗談です」
きっかり三秒。賢王の執り成しが空気を緩め、葵に掛けられていた戒めを解除した。
「協会の指揮を取るべき人間が、そのような飯事に付き合うはずがありませんからね。――では」
腰掛けた居住まいを但す。
「冥王と支部長らを呼んで話すべきことについて話し合いましょうか。『アポカリプスの眼』は一旦捨て置くとして、火急であるのはアイリーンへの対処」
語られる内容は葵としても充分に頷ける。今気を回さなければならない本題。
「あの狼藉者たちが戻って来る前にこの件を片付けておきたいですからね。流石に伝説級を同時に相手取ることはできませんから」
「……」
「――問題はないでしょう」
一瞬。その人物のことを思った葵に向け、賢王が心を読んだかのように告げた。
「あの賢者見習いは若くはありますが、愚かではありません。不可能に気が付けば、そのうち自ずから戻って来ますよ」
「――どうだったよ」
待っていたのか、戻るなり尋ねてくるリゲル。
「……許可は貰えた」
「それは?」
「手紙だ。賢王からシンシアさんに渡すように言われた」
「……」
俺の言葉を受けて少し考えるジェイン。やや慎重に口を開いた。
「間違いなく、賢王は僕らにその逸れ者を頼らせるつもりがないな」
「手紙で協力すんなって言い含めるってことか」
「もしくは相手が協力しないと確信しているのかもしれない。転生術の解除が本当に難関なら、その逸れ者でもできない可能性はある。……まあ」
ジェインが俺を見る。――そう。俺たちにとっては、どの道だ。
「行って来る」
葵さんから指定されたリミットは今日の零時。以前賢王と行った時のことを考えると、時間的な余裕はそこまでない。手紙を内ポケットに突っこんで。
「こっちでも何か手掛かりがないかどうか調べておく。――気を付けてな」
「こっそりゴミ箱にでも捨てちまえよ。んな手紙」
リゲルの発言に苦く笑う。それはできないが、掛けてくれた声はありがたかった。
「――じゃあ」
「ああ」
「また夜にな!」
ジェインたちの声を背中に、俺は駆け足で扉へ向かった。
………………
…………
「……」
――飛行機に揺られること三時間。
目的の都市に到着する。……あの時は此処から、賢王の案内で辿り着いた。
円環に集中して探った当時の記憶。……よし、思い出せる。脳裏に浮かぶ記憶の光景を頼りに、足を進め始め。
「……」
シンシアさんの拠点までは歩きで二時間程度。その内の半分は市街を抜けていく為、下手に速度を上げることはできない。逸る気持ちを抑え、頭の中の地図と照らし合わせながら歩いていく。その最中。
――。
どうしても町の光景が眼に付いてしまう。……前回賢王と来たときは、身を隠しながら進むことに手一杯で気付かなかったが。
……活気のない町だ。
精々が二階建ての低い位置に設置された看板は色褪せ、文字は擦れて読めなくなっている。今日の空は曇天で、光が当たらないということもあるのだろうが。
道行く人たちも、なにか覇気がないような気がする。……なぜだろうと考えてみて、気が付いたこと。
会話がないのだ。眼に付く人の多くは無言のまま、通りを歩いている。笑っている人も、特に何かを見ている人もいない。なぜ……。
「――」
その事に疑問を覚えていた最中、曲がり角から駆け出してきたなにかが、勢いよく俺の下腹とぶつかった。
「ッ!」
「あっ――」
思わず下げた目線の前。衝撃に声を上げ、体重差で弾かれて尻餅を付いたのは子ども。小学生くらいだろうか? 縮れた黒髪をした、痩せ形の少年……。
「悪い――」
助け起こそうと屈んで手を伸ばす。そんな俺を少年は少し見上げつつ睨むと、自力で立ち上がって勢いよく駆けて行ってしまう。急いでいたのか脇目も振ることなしに。弾むバネのような挙動に少し呆気にとられながらも。
「……」
……ひとまず怪我がないようで良かった。そのことに息を吐いて振り向いていた視線を戻す。気を取り直して歩き始めた数秒後、ふと覚えたポケットの違和感に、何とはなしに中を探り――。
「――」
――ない?
どこにも。二度三度と弄り、否定しようのなくなった事実に脳裏が白くなる。首筋に滲み出てきたのは冷や汗。……掏られたのか? さっきの子どもに、あの手紙を。
「ッ――」
咄嗟に振り返ったが子どもの姿は当然既になくなっている。……マズイ。あの手紙がなければ賢王に何を言われるか分からない。例えシンシアさんの協力を得たとしても、狂言で俺が捨てたのだと思われてしまえばその後の合意を得ることなど不可能だ。なんとしても――‼
「――ッ」
取り返さなければ。そう考えて来た道を駆け戻る。あの子どもの姿を探して町中を見回すが、いない。どこにも。即座にどこかの家か路地裏にでも入ってしまったのかと、舌を打ち。
――そうだ。
思い付いて円環を稼働。少年とぶつかった角辺りの地面を睨むように注視する。……薄く、微かにだが残された小さな足跡。これを辿っていけば……!
「……っ!」
地面を凝視しながら早足で進んで行った先。暗がりに設けられた目だたない一角。ゴミ箱に叩き込まれている特徴的な封筒を視線が捉える。――あった。
「――」
駆け寄って手に取り、確認する。多少汚れ折り曲げられてはいるが、賢王のした封は少年にはどうやら開けられなかったようで、破れたりはしていない。……良かった。
思わず深々と吐いたのは安堵の息。先ほどよりも警戒して手紙をポケットに仕舞いつつ、元の通りへと戻る。迂闊だった……。
「……」
……焦るな。時間的な猶予はそこまでないとはいえ、分秒を争うといった状況でもない。これだけのロスで済んだのは寧ろ幸運だったのだと、そう言い聞かせて歩いていく。シンシアさんのいる場所まではまだ遠い。気持ち早足で俺が足を進めた。
そのとき。
「……」
前方。通り道の先の路地に人だかりができているのを見付ける。……なんだ?
「……」
必然的にその場所へ近付いていく。輪のように集まった人々は何かを見下ろしているようだ。なにを……。
「……っ⁉」
送った視線。ずれた人々の脚間から一瞬、その中央にあるものが見えてしまう。……伸びた細い足。地面と水平に横を向いた目は、何もそこには映していないかのようで──。
「……」
呆然と立ち尽くしている俺の前で。駆け付けた警官と思しき人間たちが、胸元にナイフの突き立てられたその遺体を運んで行った。……なぜ。
自問する。……確かにあの少年だった。着ていた服と顔付き。一瞬ではあったが、見間違えるはずがない。俺から手紙を掏り取り、ゴミ箱にそれを捨て、そして……。
「……」
答えの出ない想像を停止させる。……分からない。理由の見付からない出来事の中で、暗鬱な気分だけがじくじくと湧いてきているのを自覚した。
――曇天だ。
空を見る。頭上に掛かる分厚い灰色に、今にも押し潰されてしまいそうな自分たち。
「……」
その空模様を少しの間だけ眺めて、町に目線を下ろした。……何も変わらない。人一人が確かに死んだにも拘わらず、相変わらず重苦しい灰色の町景色だ。纏い付く鬱屈を振り切るように、力を込めて足を前へと。
「――や、黄泉示クン」
進めた直後に背後から掛けられた声。肩に置かれた手に、全身が硬直した。




