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第三節 真実 後編

 

 巻き付く声に吊り上げられるようにして顔を上げる。口元に浮かぶのは普段と何一つ変わらない微笑み。それが今は、死刑を宣告する処刑人のように見えて仕方なかった。


「いつから知っていたのですか、賢王」

「出会う前より知っていましたとも。あの男……九鬼永仙が目を付けていましたのでね。我ら凶王への助力を願い出たのも元はと言えばそれが一端」


 ――知っていた?


 非難するような葵さんの言葉に平然と答えた、その内容に愕然とする。賢王も、冥王も、永仙も。


 ……最初から、全部――。


「……なんで」


 遣り切れない想いが胸を突く。


「なんで、そんな大事なことを……」

「聞けばどうにかできていたとでも?」


 縋るような反攻を、まるで寄せ付けない賢王の言。


「聞いていたところで貴方にできることなどありません。こちらでそう判断したからこそ、敢えて伝えなかっただけのことです」

「――っ」

「下手な行動に出られても困ります。貴方のような未熟者は、なにをしでかすか分かりませんから」


 ――言い返したかった。


 知ってさえいれば違ったはずだと。こんな風にはならなかったのだと、俺にはなにか、状況を変えることができていたはずなのだと。


「……」


 だが、言えない。


 分かっている。……俺は常にその時のギリギリでやってきていた。余力はなかった。直面した問題を乗り越えることで精一杯。仮にそのことを知らされていたとしても、どちらかが必ず破綻していただろう。そう思ってしまったから……。


「……分かりませんね」


 黙っていた郭が、これまでとは違う調子で切り出す。


「アイリーン・カタスフィニアの復活は、貴女たち凶王にとっても充分な脅威だったはずです。しかしそこまで知っておきながら、貴女たちは彼女が自由に動くことを容認していた。なぜです?」

「どうして直ぐに始末しておかなかったのかと?」


 返しとばかりに切り込んだ賢王の台詞に、心臓が握りつぶされる様な思いがする。


「これはまた意外な疑問ですね。貴女も知っての通り、私たちは彼女にそれなりの借りがありました」


 冥王に向けて頷いて見せる。


「できることなら殺しは望むところではなく、そもそも転生術自体が上手く機能しない可能性もあります。現に九鬼永仙(あの男)の見立てでは、アイリーン復活の目はないということでしたので」

「永仙が?」

「ええ。結果としては外れたわけですが。そうした要素が揃っていれば私たちとしても待つに吝かではありません。復活が確定するまでの猶予期間というつもりでしたが……」


 やれやれと言うように首を振った、……その態度に怒る気力すら、今の俺には湧いてこない。


「まさか永久の魔を下手人に仕立てて来るとは。あれではもう、どうしようもありませんね。此方としてはその場を逃げ延びることで手一杯。業腹ですが、あちら側が確実な手を打ってきたということでしょう」

「アイリーンのことを事前に全員で共有していれば、まだなにか打つ手があったのでは?」

「本気で言っているのですか? 郭賢者見習いどの」


 鼻で嗤う。……郭の気持ちは嬉しい。だが、あれを、永久の魔を相手にしては。


 どの道無理だっただろう。そう思わされるほどの力の差を、あのとき俺たちは味わった。賢王や冥王が無理だと見込んでいたのであれば、尚更……。


「――それで?」


 田中さんが割って入る。


「話は終わりかよ? 狸婆さん」

「まさか。本題はここからです。まあ、私たちにとっては敢えて言うまでもないことなのですが」


 あからさまに俺の方を目にして、賢王はその台詞を続ける。


「一応言っておく必要があると思いまして。――敵として出てきた場合、アイリーンは始末します」

「――」


 ――始末。


「予定より早い段階で復活させられていることから、此度のアイリーンの姿は恐らく器となったフィア・カタストとそう大差ないでしょう」


 始末。賢王の言葉が、頭の中で鳴り響いている。


「一々驚かれても困りますのでね。致命的な隙になり兼ねません。敵として出てきたときに、まともな対応が採れなければ」


 ……まともな対応。


 それは、つまり。


「……なるほどな」

「……正気かよ」


 ジェインが呟いた。リゲルが苦い声で言う。……フィアを。アイリーンを殺すのを認めさせるために、俺にこの話を聞かせたということか。


 ――否定したい。


 拒絶したい。この理不尽な現実を。目の前で突き進んでいってしまう物事を。


 だがもう、全て手遅れでしかなかった。


 アイリーンがフィアに。……フィアが、アイリーンになってしまっているのなら。


 彼女は、もう――……


「――待って下さい」


 項垂れた頭に、届いた声。……郭。


「なにか? 郭賢者見習いどの」

「……カタストさんの人格はまだ、残されている可能性があります」

「……ッ⁉」


 青天の霹靂。思わぬところから落とされた衝撃に、弾かれたように首をはね上げた。……それは。


「……どういうことですか、郭」

「僕もそこまで詳しいわけではないので、あくまで推測ではあるんですが」


 食い入るように見つめている俺の前で、もどかしいほど慎重に、郭は言葉を紡ぎ出していく。


「魂の侵食……置き換えという仕組みは、本来ならかなりの時間を要する術理のはずです。魂やそれに連なる記憶、能力だけを綺麗に入れ替え、外枠となる肉体や生命活動はその間も安定して継続させなければならない」


 独り言のように思考を言葉に変えていた郭の顔が、俺を向いた。


「貴方がカタストさんと出会ってから、まだ四か月くらいでしたよね?」

「……ああ」


 思い返すのは初めて会ったあの日。……正確には四カ月と少し。五ヶ月はまだ経っていない。


「状況にもよるでしょうが、転生術が全ての工程を終えるには大凡一年半から誤差三か月程度の時間が掛かるはずです。どう考えても半年より早いということはあり得ない。幾ら法外な力を持つ術師がいたとしても、原理的にできないはずですから」


 語る言葉が徐々に力を、確信を帯びていく。


「そもそも術理の段階から魔術の領野を逸脱しているとの推測が立っているからこそ、協会から禁術に指定されている技法です。何かしらの方法で既にアイリーンが再構築されていたとしても、あくまでそれは不完全であって、転生は終わり切っていない」

「ってことは――!」

「ええ」


 リゲルの発言に、力強く頷いた郭。


「カタストさんの人格はまだ、消えていません」

「ッ――!」


 込み上げる歓喜。握り掛けた拳が、間髪入れぬ拍手の音に遮られる。


「――流石、堅物レイガスの子飼い」


 賢王。脚を組み、優雅に打ち合わせられた掌から響くのは、その手の小ささには不釣り合いなほどよく通る音。五回ほど叩いた時点で郭に集められていた視点を全て自分へと引き戻し。


「禁忌に数えられる技法にそこまでの造詣を持っているとは思いもしませんでした。禁術師としてでも充分やっていけるのではありませんか?」

「禁忌として管理する立場である以上、最低限の知識を持っていなければならないのは当然の事です。それに、黙っていた貴女に言われても嬉しくありませんね」

「時には知らない方が幸せなこともあるでしょう。特に、物事に無用の期待を持ち込んでしまう輩には」


 鋭い眼差しを向けられてなお薄らと笑みを浮かべた賢王が、俺を見た。


「――はっきり言いましょう」


 その表情から、笑みは既に消えている。


「仮にフィア・カタストの魂が喰い切られていないとしても、望みはありません。術者の人格が覚醒した以上、侵食の速度はこれまでと比較にならないほど速まります。一月も掛からないはずですよ。長く持ったとして、その半分」


 訊くように郭に視線を送る。……何も言わない郭に、満足気に目を細めて。


「諦めなさい。今私たちが取り組まなくてはならないことは、別にあります」


 正面からその言葉を、叩き付けてきた。


「……」


 ――考えろ。


 ここでは終われない。まだ手遅れではないと分かった以上、賢王の台詞が有無を言わせぬ響きを残している、この時点では。


「……そもそも」


 苦しい。そうは思いながらも、次を探す時間を稼ぐために繋いだ言葉。


「アイリーンの人格が目覚めたと、まだ決まったわけじゃない」

「どうでしょうかね? 敵方にあれだけの魔術を扱える人間がいる時点で、答えは出ているようなものだと思いますが」


 助けを求めるように送る視線。が、郭も葵さんもその点に関しては口を挟まない。……賢王の認識が正しいと思っているということか。やはりその部分はどうしようもなく、ならば――。


「……探す」


 抗う声を、自身の奥底から絞り出す。


「フィアを助け出す手段を。転生を解除する、方法を」

「――アイリーンを殺さずに捕らえる作業も付け加えておきましょうか。三大組織の総攻でも殺し切れなかった魔女を、果たしてどうやって捕まえるつもりなのか。実に見物ですね」


 余裕な賢王は楽し気だ。


「まあ、悩みはいつの日も決断を負わされない子どもの特権。精々頭を悩ませることです。答えは決まり切っていますが」


 終わりとばかりに賢王が立ち上がる。――行かせるか。慌てて呼び止めようとした俺の肩を。


「蔭水黄泉示」


 柔らかな掌が押し留めた。いつの間にか隣にまで来ていた葵さん。


「今は休み直すことです。……受け入れるのは、その後でも構いません」


 告げられたその言葉に、頭を殴られたような衝撃が走る。諭すような瞳で暫し俺を見たあと、その掌が離れた。


 ――なにを、とは、葵さんは言わなかった。


 そんなこと、口にしなくても分かり切っていた。


「……後味の悪いことになっちまったな」


 呟いたのは田中さん。釣られて見た俺の視線が一瞬だけ捉えたのは、いつもよりどこか硬く、真剣な表情。


「戻らせてもらうぜ。修行の続きをしなきゃならねえんでな」

「どうぞ。ご自由に」


 振り返らずに部屋を出て行く。……なんだ? なんなんだこの流れは。


「僕は保留します」


 同じように出て行こうとするのは、郭。


「今の時点では話せることが少なすぎる。そこの二人がまだ何か隠しているかもしれませんし、調べてみたいこともあるので」

「……」


 賢王の微笑みを睨んで外へ。だがそれでも、反対とは言い切らない。立慧さんは何も言わない。ただ、壁に寄り掛かっているだけだ。


「――おかしいだろ」


 俺の内心を代言したような、リゲルの声。


「郭の言ってた通り、フィアはまだ生きてんだろ? アイリーンとかいう奴がくっ付いてたとしても、それを見捨てるっていうのかよ?」

「彼女を生かそうと思うなら、まずアイリーンを生かしておかなければなりません」


 答える賢王の声はどこまでも平静。波風一つ立たない水面のように、乱れることがない。


「名高きかの《厄災の魔女》を。それがどれだけ甚大な被害を生み出すことになるか、貴方たち以外の全員がよく知っています。だからこそ、この決断なのですよ。それに――」


 有無を言わさない。澄んだ瞳で、小馬鹿にしたようにフッと嘲笑った。


「人一人の切り捨てなどそこまで大したことでもないでしょう。この先アイリーンやレジェンドたちを相手にしていくならば、簡単に死にますよ。たかが人の一人など」

「――てめえ」


 リゲルが目を見開く。弾かれたように上げられる両腕。同時に沈み込んでいた脚が、疑い様のない怒りと共に賢王目掛けて踏み込もうとし――。


「――」


 動いていた二人の人物に、その出だしを止められた。


「……言い過ぎです。賢王」


 扇を手に。リゲルの前に割って入っているのは葵さん。……対する賢王の前には、掴みどころのない黒の人影。冥王が、片手で遮るようにして賢王を制止している。


「仲間内で不和を招くような発言は控えて下さい。今後のためにも」

「そうですか? 際限なくリスクを負えると思っている聞き分けのない子どもに向けて、言い聞かせてやるような心積もりだったのですが」


 そう言って動かした、袂の内側で光る何かに気付かされる。……糸だ。数筋の、いつも目にしているより一層細い煌めきに眼を見張る。更に目を凝らして見れば、回収されたその途中から先はまるで鋏で断ち切られたかのように取り残されて床に落ちている。恐らくは俺と同じようにそれを確認したリゲルが、小さく息を呑んだのが分かった。


「どうしても納得がいかないと言うのなら、自分たちで調べてみればどうですか?」


 それを知った上で。追い撃つように掛けられた言葉。


「そうすれば直ぐに分かりますよ。自分たちがどれだけ蒙昧で、無茶なことを口にしているのかが」

「……ッ」


 言い返す言葉がない。……なにかないのか? なにか――


「――」


 ――そこまで考えて、ふと気付いた。


「……千景先輩は?」

「――ッ」


 こういった時に真っ先に反対してくれそうな、先輩がいない。俺の発言に立慧さんがビクリと身を震わせる。なぜ――。


「蔭水」


 振り返る。俺を向くジェインの表情は、飲み込むことのできない苦渋を噛み締めているようで。


「上守先輩は……」

「――死んだわ」


 何かある。身構えて聴こうとした、言葉を遮った声。


「……え?」


 その不意打ちについ、訊き返してしまう。……自らの行為の残酷さを思い知ったのは、俯き、肩を震わせる仕草を目にしてから。


「……あいつに。アデルに、殺されたの」


 ……死んだ?


 反芻する。守りを得意とし、どんな状況でも強く戦っていた、あの千景先輩が?


 先輩が――。


「……悪いけど」


 ごちゃごちゃになる思考。口にする言葉を失った俺の前で、立慧さんが背を向ける。


「今、あんたたちのことを考えてる余裕はないわ」


 それだけを言い残して。開け放たれた扉から、出て行った。


「――分かりましたか?」


 続けざまの賢王の声が脳を打つ。


「対処を後回しにすれば被害は増えていくでしょう。あなたの感傷に付き合っている暇など、私たちにはないのですよ」

「……ッ」


 そ、そうだ。


 冥王。冥王はまだ何も喋ってはいない。さっき賢王を止めてくれていた冥王なら、きっと。


「め――」


 呼び掛けようとした直後、ひらひらと落ちてきた紙切れに目を奪われる。


〝私も、そう思う〟


 指で掴み取り。読み終えると同時に、二枚目が舞い落ちてきた。


〝殺してあげるのが、優しさ〟


 ……優しさ?


 そんな、ことは……!


「――反撃の手立てと用意は此方側で整えます」


 どこまでも。憎々しいほどに平静な声が耳を打つ。


「貴方たちはそれまでに、せめて心の用意だけはしておくことです」


 賢王が出て行くと同時。扉が、軋んだ音を立てて閉まった。



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