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第六節 フィアの特技 後編

「……ふう」


 結局図書館を回るのに一時間を費やし、それからの午後。


 昼を挟んでの授業もどうにか無事終えられ、今は学園からの帰り道。……俺たちは近くのスーパーへ買い物に来ている。元々はただ単に、何か飲み物でも買っておくために寄る予定だったのだが。


「……」


〝その……〟


 目の前でカートを押すフィアの姿を見つつ、思い起こされてくる台詞。校舎から出、正門に差し掛かるその段になって。言い掛けて一度言葉尻を消え入らせてから、グッと決意したように。


〝――今日の晩ご飯を、私に作らせてもらえないでしょうか?〟

〝――〟


 初めに聞いたときには耳を疑った。……そうでなくとも、彼女に料理を作ってもらうなどという発想が端からなかったからかもしれないが。


〝……作れるのか?〟


 頭の中に浮かぶ複数の疑問を差し置いて慎重に尋ねたのはそのこと。記憶喪失である以上難しそうだという、俺の予想に対し……。


〝はい。多分……大丈夫だと思います〟

〝……多分?〟


 自信なさ気な答えに僅かに眉間を寄せる。食材を扱うとなればどうしたってゴミも出るし、洗い物などの手間もかかる。何を作るのかにもよるだろうが、材料費だってタダではない。そこまで切迫しているわけではないとはいえ、なるべく余計な出費を避けて通りたいという思いはあった。


〝その……どうしても、実際に作ってみないと分からないんですけど〟


 そして恐らくはそのことを分かっていながらも、次に続けられた声と台詞。


〝お世話になっているお礼がしたいんです。……お願いします〟

〝……〟


 ……俺としては別にそんなことは望んでいない。


 フィアを家に置くと決めたのは俺なのだし、その時点で掛かる費用などもある程度は覚悟している。彼女の抱える事情がある以上、致し方のない側面もどうしてもある。その上ではっきり言えば、余計な事をして手間を増やさないでくれた方が余程のことありがたい。……とはいえ。


〝……〟

〝……分かった〟


 此方を見つめるフィアの瞳とその内心を思い浮かべると。断った場合の消沈が見て取れるようで、頷かざるを得ない。


〝あ、ありがとうございます〟

〝ただ、作れなかったときは諦めてくれ〟

〝――はい〟


 俺の保険にフィアは目を見てはっきりと答えた。……その遣り取りにより、このスーパー来訪の主な目的は食材買い出しになっている。


「ええと……」


 ――フィアは、何かがしたいのだろう。


 食材一つ一つを手に取り、真剣に選んでいく様子を見てそう思う。記憶喪失の彼女にはある意味で何もない。俺から勉強を教わる習慣ができたことで、却ってその意識がまた強まったのかもしれない。……何もできていないという、無力さという不安は耐え難いものだ。


「これと、……これで……」


 昔それを覚えていたことを振り返ってみればある程度は思い遣れることを、無下にすることはできなかった。半分は付き合いのつもりで見るが。


「……」


 ――何を作るつもりなんだ?


 訊けば早いのだが、真剣なその様子を見ていると邪魔をしてしまうようで、何となく声が掛け辛くなっている。傍目から籠に入れられた食材を今一度確認。……玉子、人参、ジャガイモ……。


「……うん。良さそうです」


 フィアの手から新しく魚が入れられる。……なんだろう。ありきたりな食材だけに、どんなものができあがるのか想像できない。俺が大して料理に造詣が深くないからということも当然あるだろうが。


 ……まあ、いいか。


 肩の力を抜く。何を作るつもりであれ、傍で見ていれば手酷く失敗するようなことにはならないはずだ。小父さんの調理を監視していた手前、危ない手つきくらいは分かる。台所が火の海になりそうなら、断固として止めようと決意し――。


「えっと、次は……」


 買い物を続けるフィアの様子を目端に。ついでに何か買うものはあるかどうか、スーパーの中を物色し始める。……見ているだけでも日本と違う、色々な物があるが……。



 ――二十分後。


「……」

「……よし」


 帰ってきて。……見つめる俺の視線の先には、台所を前にしたフィアの姿。服が汚れないよう、向こうで俺が買っておいたエプロンを着けている。元々は俺が着ける予定だったので、少々フィアには大き目だが……。


 それでも服を汚されるよりはずっといい。当初は遠慮したフィアを押し切って着けさせた甲斐がある。……似合ってもいるという感想は、頭の中だけに留めておいた。


「……じゃあ、始めます」


 宣言して、捻る蛇口から流れ出る水で食材を洗い始めるフィア。……今のところは流石に問題はない。危険があるとすればこのあと――。


「……」


 包丁や火を使う段になってからだ。……小父さんも初めの頃はよく指を切ったり、過剰に油を引いたフライパンを燃え上がらせたりしていた。フィアの気持ちもあって今回はやらせるが、そういった事態があれば直ぐにでも止める。


 そのつもりで注視する。端から駄目だと言うよりも、一度実際に失敗してからの方が止める名分も立ち易いだろう。悪いがフィアは正直器用そうな方には見えない……と、そんな失礼な内容を考えている内に、全てを洗い終ったようで。


「……っしょ」


 フィアが人参をまな板の上に置く。左手で押さえつつ、空いた右手で握ったのはごく普通の三徳包丁。今回食材と一緒にスーパーで買った新品で、値段は約八百円。どうなるかと見つめる視界の先。


「――」


 フィアが一刀を入れる。……やや硬く。慣れていない人間特有のぎこちない動きは、俺の予想に違わぬもので――。


「……」


 ――いや。


 次の瞬間に思い直す。……動きはぎこちない。だが、包丁の持ち方は綺麗なものだ。一刀目から予想したよりも早く、フィアは一つ目の人参を切り終えて次へ向かう。……形はバラバラ。しかしほぼ同一の大きさに切られ、切られていく人参。……これは。


 乱切り――。


「――よしっ」


 その腕前に驚いている俺を余所に次なる食材へと取りかかるフィア。その動きがいつもよりどこか、精彩を放っているようにも見えた――。




「……よし」


 黄泉示さんが見ている。そのことを意識しつつ、私は今一度気合いを入れる。……手元にある食材たち。握っている包丁の感覚。


「……」


 ――大丈夫だ。


 さっきの買い物のときと同じ。こうして台所に立って、食材と器具を目にするだけで思い浮かんでくる。どの順番で手を付ければいいか、どこに刃を入れて、どう力を込めればいいか。


「……」


 分かる。浮かぶ手順に沿って調理を進めていく。……手も動く。落ち着いて、思い浮かぶ通りに動かせばいい。急がず、焦らずに。


 ――どうしてこんなことができるのだろう?


 動かす手と関係なしに頭の中に浮かんでくる疑問。自分の事は覚えていないのに、まるでレシピを知っているかのように量を量る。火加減を調節し、時間を計り、焦げ付かないように引っ繰り返す。不思議といえば不思議で、そればかりか少し怖くもあるかもしれない。


 ……けれど。


「……っ」


 ――何も無い私にも、できることがある。


 単に面倒を掛けるだけではない。私は――。


「――」


 自分が決して無力ではないということが、今の私にとっては、ただ嬉しいことだった。




 そのあとは、俺が注意することなどはどこにもなく。


「……」


 滞りなく流れるようにして完成し――丁寧に並べられていく、料理の皿たちを見る。どうしようもなく浮かぶのは疑問。


「……どうして作れたんだ?」

「ええと……」


 我ながら妙な質問だとは思ったが、それで通じたらしい。丁度並べ終ったところのフィアは、エプロンを外しながら。


「頭の中に作り方が浮かんできて、その通りに手が動かしていくと……」


 ――なんだそれ。


 自然と作り方が浮かんでくるということか? 記憶喪失の人間が、初めての調理で、レシピも何も見ることなく……。


「……あの」


 その声に気が付く。テーブルにはできたての料理群。フィアが綺麗に並べてくれたそれらは、今こうしている間にも冷めていっている。無言のまま促してくる瞳に。


「――悪い」


 速やかに席に着く。摩訶不思議な現象の謎についてはともかく、作ってくれたものを放置しているのは良くはない。俺に続いてフィアも正面に座り、いただきます、と手を合わせる。目の前に広がるのは――。


「……」


 これでもかと言うほど見事な和食群。こちらに来てから久しく食べていなかったメニューでもある。綺麗に炊かれた白米、味噌汁、玉子焼き、煮物、焼き魚……見た目はどう見ても日本人ではないフィアが、記憶喪失の上でこれらを作ったというのは驚きも一入だ。迷いつつも箸を手に取り、真っ先に口に運んだ煮物。


「……」


 ……美味い。


 口の中に溢れるのは含められた出汁の味わい。濃すぎて素材の味を殺すようなことをしていない。順々に取る芋も人参も、煮崩れしていず、肉も含めて程よい硬さに仕上がっている。


「……」


 続いて焼き魚へ。……見たことがある見た目。確認のつもりで何の魚なんだ? と訊いた俺に、サバです、と答えるフィア。物も良さそうで、安かったので……と、続く台詞に頷きながら皮上から入れた箸。ほぐす手応えを感じながら取った身を口へ放り込む。――美味い。


「……美味しい」

「そ、そうですか?」

「ああ」


 噛み締めながら言う。厚めの身には中まできっちりと火が通っている。皮はパリパリしていて、乗った脂と共に丁度良いアクセント。元からの処理が良いのか生臭さもない。まさかこっちに来て、こんな焼き魚を食べられるとは……。


「フィアも」

「あ、そうですね」


 感想が気になったのか、俺の食べる様子を見つめていたフィアも箸を手に取る。俺と同じく煮物から皿によそい、自分でも食べ始めた。


「……」


 静かな――穏やかな空気の中で食べ進めつつ、思う。小父さんも料理は上手い……というか、努力して上手くなった方だが、フィアの料理はそれとはまた違った味わいがある。


 全体的に今食べている料理の方が整った味付けで、バランスよく纏まっている印象だ。俺の年齢を考慮してと言うこともあったのだろうが、小父さんの方は食べでのある料理と言うか、満腹感の強いメニューをよく作ってくれていた。味付けももう少し濃い目のイメージが……。


「……」


 ……ふと。


 こんなような料理をどこかで食べていたことを思い出して、箸が止まる。……どこかで。あれは、いつのことだっただろう。


「……」

「……黄泉示さん?」

「……いや」


 ――子どもの頃だ。


 料理上手だった母。……あの頃に食べた料理がこんな味わいをしていた気がすると気付いたとき。白米で一杯の、持ち上げた茶碗で表情を隠して。


「なんでもない」


 そう言って、玉子焼きに箸を伸ばした。ふわりとした感触。トロリと溶け出すようにして流れる中身を、箸の先へ見つめながら。



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