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第二節 真実 前編

 

 ――深い海の底から、抜け出した気がした。


「――っ……」


 痛い。眼を開けてまず感じさせられたのはそのこと。棒で打ち据えられたような鈍い痛みを身体の随所に覚えながら、死んでいたように重く硬い上体を引き起こす。……目の前に映るのは見慣れない内装だ。ここは。


「目が覚めたか。蔭水」


 事態の把握に先んじて入って来た言葉の響き。耳慣れたその声に、習慣的にそちらの方を向かされた。


「……ジェイン」

「リゲルと交代で見ていたんだがな。ひとまず、無事なようでなによりだ」


 読んでいた本を膝上で閉じ、俺の傍まで歩いてくる。ジェインの姿に別段変わったところは見受けられない。見知らぬ景色の中で、そのことに少しだけ落ち着いたような気分になり。


「……ここは」

「協会の支部だ。本山から、ゲートを使って脱出してきた」


 ゲート。……脱出。


 頭の中に響く単語。まだ覚醒し切っていない脳裏に散らばるそれらが。


「――ッ」


 不意にパズルの断片のように繋がり、これまでの情景が一気に思い起こされてきた。


〝――行って下さい〟


 目に焼き付けられたのはあの背中。靡く髪の間から白に血を滲ませたまま、決然と前を向く態度。


〝ここは、私が食い止めますから〟


 此方を見ずにはっきりと言い放った、あの……。


「……」


 ――大丈夫なんだろう?


 そんな風に尋ねたくはなかった。……あれからもうきっと大分経っている。何もかもがかなり前の事のはずで、俺が寝ている間に誰かが上手くやってくれているはずだと。


 そんな希望を、自ら捨ててしまいたくはなかったのだ。


「……フィアは」

「……」


 どうにか口に出した問いに、ジェインは何も言わない。黙ったまま首を振ったその所作が、なによりも重い答えとなって俺の心臓に圧し掛かってきた。


 ……そうか。


 抗いようもなく分からされる。……フィアは。


 ――死んだのだ。


「……俺の」


 ……あれは。


「俺の、せいだ」


 あれは、俺が今までしてきた行為だ。


 守るために身を投げ出す。守りたいというその一心で身体を、足を動かして前に立つ。


 これまでずっと俺はそうしてきた。そうするしかないと思っていた。力の足りない俺がなにかを守ろうとするならば、せめてそうするしかない。それが、俺にできる唯一の事なのだと。


〝……黄泉示さんは、いつも私を助けてくれるじゃないですか〟


 脳裏に蘇る、弱々しく擦れた声。覚えのあるその声では、決して聴きたくはなかったもの。


〝だから今度は、私が――……〟


 ……震えていた。


 恐怖に、痛みに、冷たさに。身に降りかかるそれらを押し切ってまで、永久の魔の前に立ちはだかったのは、ただ。


 ――恐ろしかった。


 真っ先にあるのは感謝や驚嘆の気持ちなどではない。自分の為に命を投げ出させているのだという恐怖。取り返しの付かないことの帰責を自らが負ったという、恐ろしさだ。


 ――あんな恐怖を、いつもフィアは抱えていたのか?


 俺はずっと守ろうとしながら、守ろうとするその度に。


 フィアを――……。


「……」


 どちらも何も言わない。零した言葉の残響が染み込んだ床に、新たな足の音が響く。


「――おう、起きたか黄泉示」


 入って来たのはリゲル。サングラスは外している。起きている俺に一瞬驚いたような表情を見せたが、直ぐにそれはいつもの精悍な顔付きへと移り変わった。


「動けるか?」

「……なんで」


 身体の方に支障はない。足は重く痛みもあるが、それでも動くことくらいはできるだろう。しかし。


 それでも動きたくないというのが本心だった。……気力がなにも湧いてこない。今は何も、していたくない。


「賢王がよ、なんか話があるらしい。あー……」

「これからの方針について話すということでな。……一応、君が起きるまで待っていたんだ」


 ……これから。


「……」


 閉じた瞼の裏にフィアが浮かぶ。もう二度と見ることのないあの姿。眼差し、声、笑顔が。


「……」


 それを拠り所に眼を開ける。力を込めて立ち上がり。


「……悪い」


 何も言わず、待っていてくれた二人に告げた。


「行こう」








「――揃いましたね」


 リゲルとジェインに連れられて来た一室。皆が集まっている中で、賢王の微笑が俺を迎える。


「起き抜けで体調は優れないでしょうが、しっかりと聴いていて下さい。私たちのこれからについてのことですのでね」

「……大丈夫だ」


 空いていた椅子に座り、手足を預けた途端にどっと重さが溢れ出してくる。……なにか少しでも耳に入れることで、薄まってくれればいい。


 ――この埋めようのない、虚脱に似た喪失感が……。


「――それで」


 俺が来たことで要件が整ったと見たのか、話し掛けたのは葵さん。


「話と言うのはなんでしょうか。賢王」

「フィア・カタストのことについてです」

「――」


 唐突に。耳に入ってきた名前につい、力無く床を見つめていた視線を上げた。


「……は?」


 思わず漏れる声。……『アポカリプスの眼』との戦いや、永久の魔についての対処。


 そうした事柄が話されるとばかり思っていた。既に終わってしまったことではなく、だからこそ、心に鞭打って此処に来たのだ。


 なのに、なんで。


「……わざわざこいつが起きるまで待ってんな話しするなんざ、流石に趣味が悪すぎるんじゃねえのか? 賢王さんよ」

「気の早い人間に早とちりされても困りますので、結論から言いましょうか」


 田中さんの言う通りだ。……なんなんだ。それが、俺が起きるまで待って話すようなことなのか? わけの分からない発言に泥のような怒りが込み上げてくるのを感じ。


「多少の推測も混ざりますが、フィア・カタストは生きているでしょう」

「……ッ⁉」


 次の発言に、沸騰し掛けたそれが急激に萎むのを感じた。……生きている?


 あの戦場に、あの永久の魔の前に一人残った、フィアが?


「どういうことですか? それは」


 ……有り得ない。


 詰問するように訊く郭の台詞を耳に覚えながら思う。……なにを、なにを根拠にそんなことを言う?


 あのとき俺は誰よりも近くで目にしていた。フィアを貫いていたあの剣。抜かれたその傷口から、止め処なく湧き出ていたあの緋を。


 それをなぜ――。


「――かの《厄災の魔女》、アイリーン・カタスフィニアの器として」

「ッ――?」


 続けて問い質そうとした動作が、理解の追い付かない台詞に留まる。……誰だ?


 ――アイ、リーン?


 知らない名前だ。少なくとも、俺がこれまで耳にした記憶はない。それに、器というのは。


「――」


 ガシャリと。鼓膜に障る音に振り向く。立てられた落下音の主は、葵さん。


「……まさか」


 あの葵さんが。コップを倒すほど、動揺している。その態度に如何ともし難く、不吉な予感が胸を過る。


「事実なのですか。それは」

「誰だよその、アイリーンって」

「……アイリーン・カタスフィニア」


 リゲルの疑問に、まだ落ち着いているような郭が答える。


「今から四十年ほど前、討伐対象として四大組織からマークされていた逸れ者です」

「四大組織?」

「その当時は今残っているもの以外にも一つ、武術連盟という組織があったのですよ」


 ジェインの言葉に答えるのはその話題を出した張本人。――賢王。雰囲気を変えた協会の二人を前に、どこか愉しげな表情を浮かべている。


「武術を極めた武人たちが集う精鋭組織。中核は百人にも満たないごく小規模な集団でしたが、有する力のほどは四大組織の名に恥じぬ強大なものでした」


 記憶と知識を取り混ぜるようにして語られる。……その四十年前の昔話が、フィアの件とどう繋がるというのだろう。


「その武術連盟を一夜にして壊滅させたのが、他ならぬアイリーンという技能者です」


 ――なんだって?


「……すげえなそりゃ」

「そんなことが可能なのか?」

「可能もなにも、事実なのですからそれ以上言いようがありません。どれだけ不可能に思えたとしても起きてしまったのなら可能なこと。それを認めたくない愚か者がいつの時代にもいるものですが」


 身も蓋もない回答を返し、視線を葵さんたちの方へ移す。クスリと。


「あのときの組織の慌て振りは見ものでしたね。自分たちを脅かすものなどないと高を括っていたところに、いきなり獅子の咆咻を叩き付けられたようなものですから。上へ下への大騒ぎです」

「……」


 意味ありげな軽い含み笑い。それを葵さんはただ黙って聞いている。郭も、なにも言い返さない。


「それで、結局どうなったんだよ?」

「アイリーンを脅威と見做したあとの三組織によって、大規模な討伐部隊が編制されました。流石のアイリーンも三大組織の総力を相手にしては多勢に無勢。無事その首を討ち取られ、めでたしめでたし……」


 そこでまた、含むような視線を葵さんの側へ向けた。


「――と言う話になっているはずです。あくまで表向きでは、ですが」

「……ええ。そうですね」


 表向き、ということは……。

 

「当時の三大組織の総力を以てしても、そのアイリーンという技能者を仕留められなかったのか?」

「まあ、そこを語るのは私の仕事ではありません。事の詳細は貴女の方がよく知っているでしょうからね? 櫻御門補佐官」

「……三大組織による合同部隊は、アイリーンを討伐一歩手前まで追い詰めたとされています」


 賢王の促しを受け、葵さんが話し始める。


「しかし、追い詰められたアイリーンは死の直前、【第三転生】と呼ばれる禁術を使用しました。現在での生を一時的に手放す代わりに、未来における自らの生まれ変わりに魂を乗せ移す超難度技法」


 ……生まれ変わり。


「成功例は歴史を紐解く限りでは皆無ですが、とにかくアイリーンはその技法を使用し、そして恐らくは成功させました。肉体を含めた突然の消失に加え、第三使徒である神聖のペテロが予言したそうです。〝アイリーンは今後一世紀内に蘇り、我ら組織に再び害を為すだろう〟と」


 転生術と、予言されたその復活。


「――さて。アイリーンの使ったとされる【第三転生】について、ここで私の方から少しだけ補足をしておきましょうか」


 漠然と思考の波に漂わせている不安。誰しもの口調が深刻さを増す中で、賢王だけが変わらぬ軽やさを以て話し手を継ぎ受ける。


「【第三転生】とは要するに、魂の相乗りと乗っ取りのようなもの」

「……」


 ……止めろ。


「此度の話の場合、術の使用者はアイリーン、転生先となる生まれ変わりはフィア・カタスト。術者の魂は生まれ変わりに乗せられ、時間が経つに連れてゆっくりとその魂を侵食し、元の記憶と人格、能力とを再構築してゆきます」


 頭の中で鳴らされる拒絶の音。つらつらと述べ立てられていく言葉たち。明瞭で、流暢で、聞き取れないことなど有り得ない話し振り。――分かるでしょう? 透き通る賢王の瞳が俺を見据えたとき、はっきりとその声が響いた気がした。


「術が完成した暁にフィア・カタストはアイリーンの器となり、身も心もアイリーンそのものへと――」

「――止めろッッ‼」


 自分のものでない絶叫が俺の鼓膜を打つ。僅かの静寂の後に響いてくるのは、誰かの荒い息使い。


「……止めてくれ……」


 震えているその声が確かに自分自身のものだと気付いたときにはもう、遅かった。


 先ほどまで流れるように紡がれていた言葉は今は止まっている。それは決して、俺の叫びに気圧されたからではない。


 気が付いているからだ。魂を削るような今の叫びが俺の、事実と認めたが故の抵抗だということに。


「――ちょっと待てよ」


 ……流石と言うべきなのだろうか。


 我が身にも重苦しい沈黙を破って話し出したのは、リゲル。声に宿る気丈さが、今はひたすらに痛い。


「なんだよ急に。生まれ変わりだとか魂だとかなんだとか、冗談キツいぜ。んな古臭い宗教のオッサンみてえな――」


 問うような笑いで以て言い掛けて、そして自身を取り巻く空気が一向に変わらないことに、否応なく色を正される。


「……信じろってのかよ。んな突拍子もないことを」

「ただの事実です。貴方たちの方が余程のこと、思い当たる節があるのではないですか」


 リゲルの否定。賢王のその答えが、更に俺の思考を抉る。


「……カタストさんは、記憶喪失だった」


 静かに言うジェイン。


「それが転生術の影響なのか?」

「おい、ジェイン――」

「あくまで基本的にはですが、術者の魂を馴染みよく受け入れるため、乗り移りの時点で器の記憶は一度更地にされます」


 織り成される問答の全てに憎らしいほど滔々と賢王は答える。リゲルはもう、相手にすらされていなかった。


「転生術での消去は元の記憶の残滓すら残さない、言ってみれば強力かつ不可逆的なフォーマットです。――魔術協会も一度彼女を迎え入れたなら、記憶の調査くらいはしたでしょう?」

「……ええ」


 ……あの記憶喪失も。


「カタストさんが撃った、あの強烈な魔力もか?」

「まあ、それについては私は直接には目にしていませんが……侵食が進めばそれに従って様々な兆候が出てきます。術者の力の一端が扱えるようになったり、或いは新たな記憶の流入で夢見が悪くなったりと。全てが解明されているわけではありませんがね」


 セイレスとの初めての戦い。葵さんとの特訓の最中に新しく見せた力。このところ夜眠れないようなことを言っていたのも、……全部。


「――存分に納得できたようですね」



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