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第一節 目覚め

 

 ――長い眠りから、醒めた気がした。


「……ここは」


 見慣れない天井。視界を照らす柔らかな光に目を瞬かせる。……洋室だろうか。掛けられている軽やかな暖かみに、思わず微睡を与ろうとして。


「――お、目が覚めたかな?」

「――‼」


 冷や水を浴びせ掛けられたように覚醒する意識。包む柔らかさを撥ね退け、気怠さの残る体躯に鞭打って身を翻した。


「いやー、良かった良かった。君の【第三転生】は色々とアレンジも入っていて難しい術だったから、万一失敗したらどうしようかと思っていたよ」


 迷わず動いた瞳が捉えたのは、覇気のない、中年と見える男の姿。縒れくたびれた上着に角など立ちようのない丸眼鏡。アイリーンの敵意と警戒を込めた態度にも拘わらず、備え付けと思しき椅子に背を預けたまま、欠片の緊張もない笑顔で剽軽(ひょうきん)に手を振って見せる。


「治癒も上手くいったようだね。もう激しい運動をしても大丈夫そうだ」

「ッ――‼」

「おっと」


 魔力の熾し。それと全く同期して突き出された掌に、反射的に所作を止めてしまう。


「止めておいた方が良い。私としても話し相手をいきなり縛るような真似はしたくないし、それに、見てごらん」


 白々しく誘導する手の動き。だが事実自らの置かれた状況を確かめていなかったことに気付かされ、アイリーンは男と自らを囲む光景に素早く目を走らせる。豪奢さより品を重んじたと思しき調度品。壁、天井に施された装飾の精緻さ、淡い色合いを基調にバランスのとれた内装は、嫌でも自身が上等な場所にいるのだとの認識を生じさせる。……罠はない。少なくとも、アイリーンの感じ取れる範囲には。


「ここは世界でも有数と言われている高級ホテルの一室でね。フロアを貸し切ってあるから、この階には一応関係者しかいないんだが……」


 再度その穏やかな視線へと瞳が戻ってくる。男は緩い表情を浮かべたまま、なんの行動も起こしてはいない。


「こんなところで騒ぎを起こせば後始末が大変だろう。転生直後に目を付けられるのは避けたいことのはずだ。君としても」

「……」

「私の方に敵意はない。まずはそれを分かって欲しい」


 ――分かる。


 男の言を要素として耳端に留めながらも、アイリーンの注意はそれとは別の所に向けられていた。探れば魔力、気配共々に感じられる。三大組織幹部にも引けを取らない。相当なレベルの技能者たちが、自分と同じ階層に集結している……。


「少し落ち着いてきたかい?」


 ――だが最も警戒すべきなのは、この男だ。


 よっこらせと立ち上がるその所作に意識を戻す。アイリーンに背中を向けたまま部屋の一角へ歩いて行く無防備さ。しかし……。


「目覚めの一杯にコーヒーか、紅茶でもどうかな。あ、ハーブティーもあるよ。良ければコーラとか、ジンジャエールとか」

「……要らん」

「美容と健康を考えるならジュースかな? 因みに私はコーヒーを飲ませてもらうよ。君の術式の調整で昨日は寝不足だったし、話すときには意識をはっきりさせたくてね」

「要らん」


 その態度が油断や驕りから来るものではないことをアイリーンは理解していた。……恐らくは意図的な警句なのだろう。無視して二人分のカップにコーヒーを注ぎ始める男。漂い始めた芳醇な香りにふと、空き腹であることを自覚した。


「何か頼もうか? ルームサービスで大抵のものは持ってきてくれるけど」

「……必要ない」

「なら私が頼もうかな。実はお腹も減っていてね」


 アイリーンの前にカップを置き、どこかしらへ電話を掛ける。少しして響くノックの音。頭から爪先までを隙なく整えた給仕が、ワゴンで皿を運んできた。


「サンドイッチにしたよ。サーモンとベジタブル、あとチーズがあるから、好きに取ってくれて構わない」


 そう言って早速一つを手に食べ始める。……まるで緊張感がない。カロリーを補給しようとする身体の訴えを無視して、一際鋭い視線をアイリーンは男に向けた。


「敵意はないと言ったな」

「そうだね。――お、これは中々良いサケだ」

「私は武術連盟を滅ぼし、三大組織に牙を剥く《厄災の魔女》」


 なにやら自分がおかしいかのような雰囲気を受けながら、食うのを止めろと言いたくなる気持ちを抑える。


「まともな人間なら敵意を持たないはずがない。貴様の言葉を、どうして信用できると言う?」

「確かに、普通の技能者ならそうだろうね」


 まるで狼狽える様子もない。食べかけのサンドイッチを置くと男はコーヒーのカップを持ち、目を閉じて香りを楽しんでいる。数秒の間を置いて、漸く中身を口元へ運んだ。


「大半の技能者は組織側だし、内心でどう思っていても三大組織には抗えない。凶王派としても徒に均衡を崩した君を手放しで歓迎は出来ないだろう。――しかし」


 カップを置く。そこで両手を、大仰に広げた。


「私は違う。私は君に、感謝している」

「――感謝だと?」


 予想外の言。自らの所業を思い返してみても、有り得ないようなその言葉。


「そう。君が武術連盟を滅ぼしてくれたことで、滅世への道のりが随分と楽になったからね」

「滅世?」

「この世界を滅ぼすことさ」

「……」


 訝しげなアイリーンの視線に晒されても男の平静は変わらない。食べかけのサンドイッチを取り上げ、食事を再開。


「……頭がおかしいのか?」

「まあ、それが当然の反応か」


 サーモンのサンドが食べ終わる。二つ目に手を伸ばそうとして、思い止まったように手を引っ込めた。


「私たちの手で、既に三大組織は壊滅した」

「――なに?」


 聞き過ごせないその言葉。


「奇襲と『永久の魔』の復活が上手くいってね。残るは残党だけで、局面としてはもう後詰めの段階かな」

「『永久の魔』だと?」

「このホテルにはいない。――会ってみたいなら紹介しようか。君が協力してくれるなら、もしかすると一緒に戦うことになるかもしれない」


 アイリーンの視線の意味をどう捉え違えたのかそんなことまで提案してくる。……永久の魔、だと? だが、虚飾でこんなことを言う理由が……。


「……協力?」


 判断の下せない中、ひとまず新たに出た発言を取っ掛かりとすることに決める。


「お前の発言が真実なら、今更私に何をしろと?」

「今話した残党のことなんだけどね」


 これまでとは違う。男の語る声色には幾許かの渋味が滲んでいて。


「組織の準幹部級が二人に、凶王二人。『逸れ者』や才気ある若者たちが加わって、まあ歯応えのある陣営に仕上がっている。君を復活させる段階でも二人こちらのメンバーを失っているし、これ以上処理に手間取りたくはないんだ」

「お前か『永久の魔』が出れば済む話ではないか」


 白々しい台詞に鼻白む。……目の前のこの男から感じられる力。かの伝説の『永久の魔』がいるというのなら、そのくらいはできて然るべき。


「打診はしたんだが、彼に動いてくれるつもりはないらしい。私も別の用があって今はそちらから手が離せない」


 真偽も分からぬ言を口にしながら、男がそこで、初めて明瞭な意図を以てアイリーンを見た。


「君がいてくれれば百人力だ。僅かに残った憂いの芽を問題なく消し去れる」

「……私に何の益がある?」


 腕を組み直し――発言を終えてからしまったと思う。アイリーンの言葉を聞いた男がそのタイミングで、我が意を得たりと言うように微笑んだからだ。


「――君の敵は、まだ死に絶えてはいない」


 ただの二言。


「――っ」


 たったそれだけの言葉で、構えたはずの心が揺れ動くのを自覚した。


「当時連盟から協会に預けられていた弟子がいたらしくてね。今回の組織の残党の中に、その人物が混ざっている」

「……」

「名前は田中。杖使いだ。腕前もかつての二十三雄に引けを取らない」


 語られる内容に聞き入らざるを得ないアイリーン。その反応に当然気付いているように、男は目を細め――。


「――立派な武人だよ。どうして中々。他組織に身を置きながら修練を積むのは、並大抵のことじゃなかったろうに」

「……」


 ……武人。


「――いいだろう」


 暫しの黙考ののち。返す言葉は、目の前のこの男の思惑通り。


「その武人どもを片付けるまで、ひとまずはお前の下に組みしてやる」


 口にすれば掌に乗せられることになる。それを分かっていながらも、自分でも驚くほどあっさりと、その回答は出てしまっていた。


「但しその後をどうするかは私次第だ。武人以外の件についても協力はしない」

「構わないよ。助かる、ありがとう」

「……ふん」


 飾り気のない礼。知らぬ間に目の前のサンドイッチに手を伸ばしそうになり、内心で舌打ちして立ち上がる。


「同志とやらを紹介して貰おうか。慣れ合うつもりはないが、顔触れは知っておきたい」

「食べていかなくていいのかい?」

「自分で頼む。要らぬ気遣いだ」

「……そうか。ならそうしよう」


 放置されているサンドイッチを見つつ、少し残念そうに男が立ち上がった。


「今なら皆それぞれの部屋にいるはずだ。順に案内していくよ」


 前を行く男。……問題はない。多少の空腹と気怠さは感じるが、身体は動く。一歩一歩、確かめるような足取りで続き。


「おっと、言い忘れてた」


 毛足の短い滑らかな絨毯を五、六歩踏みしめたところで先行する背中が振り返る。何かと思う視線の先――。


「私はヴェイグ。ヴェイグ・カーンだ。宜しくお願いするよ、アイリーン」

「……」


 向けられた笑みと対照的な沈黙。心地良い室温の中、訝しげにまじまじと見つめる数秒の後。


「……ああ。宜しく頼む」


 アイリーンは不承不承、差し出された手を握った。



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