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第二十七節 終幕

 

「……」


 ――影を操る女の能力。標的が残らず消え失せた中で――。


 永久の魔は一人、残された少女と対峙している。……いや。


 残された、との表現は正しくなかった。この少女は自らの意志で、自分の前に残ることを決めたのだから。


「……」


 固めた邪気を祓うほどの峻烈な魔力。創痍の身で可能とは思っていなかったが、できるのなら話はまるで違ってくる。少なくとも邪気を用いての行動が意味を成すことはないだろう。


 この少女も当然、それを承知で行動に出たのだろうが――。


「……」


 剣は抜いたまま。永久の魔は再び、少女を見遣る。……やはりそうだ。流れる神聖の魔力の脈動が、過たず状態を教えてくれている。


 ――この少女は、自らの力を治癒に使ってはいない。


 発動しているのはあくまで肉体の強化だけ。支配者の適性に依る膨大な光は少女の身を包んではいるものの、その全ては強度を始めとした身体性能を引き上げることにのみ使われている。疑いようのない致命傷を負った状態で、そのような選択をする理由……。


「……」


 真っ直ぐな眼が永久の魔の視線を射抜く。――先に。青年を突き飛ばした後、自らの剣を少女に向けさせたのも、この眼だった。


 どれだけ強い情念であろうともそれが敵意や殺意の類である限り、負の情念の化身たる永久の魔が揺らぐことはない。如何に鋭い殺気も、荒れ狂うような憎悪も。人間全てのそれに比べれば微風(そよかぜ)にすらならぬもの。最終的には永久の魔自身の力に変換され、敵自身の身を蝕むだけに終わる。


 だが――。


「……」


 今一度それを確かめる。……この少女の心には。


 ――ない。怒りも、憎しみも、悲しみでさえ。


 殺意も、恐怖も、絶望も。……死が身を食んでいく苦痛に耐えながら、その思いと意志はたった一つの目的の為に収斂している。


 負の情念以外の機微に関して永久の魔はそれを感知する術を持たない。しかし、ことこれについては敢えて推し量るまでもなかった。ただ目を見れば、その瞳が伝えて来るのだ。


 あの青年を、必ずや守ると――。


「うっ……」


 光が消える。崩れ落ち、その身を鮮血の中に沈める。


「……っ……」


 唇から零れるのは声にならない虚ろな呟き。次第に弱まっていく微かな響きは、自らの血で濡れる石面へと吸い込まれていき。


「……」


 やがて少女は完全に、動かなくなった。


「……」


 剣を収め、少女を見下ろす。……辛うじて息はしている。魔力の枯渇と、致命傷に至る負傷。流した血液の量からもこのままであれば生存は絶望的だ。永久の魔にとっても良いとは言えない事態ではあるが。


「――ほう」


 声。前以て感知していたその人物の訪れを、永久の魔は流す一瞥によって迎える。


「これはまた、良い場面に立ち会えたらしい」


 永久の魔の気配に怖じることなく歩んでくる男――。『アポカリプスの眼』が一人。


 ヴェイグ以外の人員を思惟に留めない永久の魔にとってそれ以上でも以下でもないものの、少女を連れ帰るという指示に関して同列にあることは理解している。この男が、事態の解決策を有していることについても。


「……では」


 一瞬永久の魔の様子を窺った後、男は倒れた少女の脇へと立つ。


「〝彼は傷付け、また包み、撃ち、またその手を以て癒される〟――」


 詠唱によって生み出される淡い光。燐光が少女の身体を包み込み、疲労と傷とを回復していく。【治癒】の聖節詠唱。その秘跡自体には目もくれず、この分ならある程度は持つだろうと判断した上で――。


「……」


 永久の魔は無言のまま、踵を返した。


 ――踏み潰すことは簡単だった。


 足取りの中で思う。……相性の良さ、どれだけの気概があろうとも、所詮は人一人。永久の魔にとってそれは枯葉を引き千切るより容易く、蝶の羽を捥ぐよりも手間の要らぬこと。ぶつかれないとしてもそれは変わらない。少女を振り切って追ったなら逃げ出した者たちを捕えることは可能であり、殺すこともできていた。


「……」


 自分が手を下さなくとも、あの青年たちは遠くない内に死ぬだろう。


 戦力の差は歴然だ。アポカリプスの眼が仕損じたとしても、レジェンドが動ける状態になれば彼らに為す術は無い。


 それまでの、僅かな時間を――。


 ――その眼の報いに、くれてやる。














 ――なに?


 幻術と魔術とを駆使した戦闘の中、セイレスは違和感に眉を顰める。


 知覚を完全に翻弄しているこの状況。流石の抵抗力で感覚そのものを支配することは出来ないが、外部に対しての知覚を混乱させることはできている。蔭水冥希と言えど早々に決着は付けられず、あわよくば命をも――。


 ――そう断じていたのだが。


「……ッ」


 掠める刃。衝撃に思い起こされる傷の痛みに顔を顰め、セイレスは魔術の連弾に踊るその姿を見遣る。


 ……術の制御に手抜かりはない。魔導書もまだ半数近くが残されている。布陣が薄くなったと言うことは無いはずだ。仕掛けの段階から変化は無いはずだし、反対に戦い方に慣れたセイレスの手法は益々こなれ始めている。


 だというのに。


「……‼」


 ――追い詰められている。その感覚がセイレスにはあった。冥希の眼も、耳も、セイレスの居場所を捉えてはいない。しかしその刃は、なぜか少しずつ身に迫って来ていて――。


「っ……ッ‼」


 腕横を掠めた一閃。浅く、しかし確かに肉を刻まれた痛みに、強く唇を噛み締めた。


 ――二度目に剣を突き付けられた時。


 セイレスには誰かに疑問をぶつけたくて仕方なかった。……どうして? どうして?


 なぜ努力してきた自分が負ける? 他人を踏み躙ることを決意した自分が、あんな、甘ちゃんの、青二才の二人組に。


〝……俺たちは〟


 徐々に近づく刃が身を食んでいく。苦痛に耐える中で、脳裏に蘇る青年の言葉。


〝誰一人殺さずに、貴女たちを止める〟


「――っ」


 ……馬鹿馬鹿しい。


 自分を見る青年の目、補佐官から庇い立てしようとした少女の行動をセイレスは思い返す。……自身を握ったあの小さな手。


 震えていた。補佐官に逆らうことではなく、背後にいるセイレスへの恐怖によってだ。……裏切られる恐怖を感じていてなお庇い立てるとは、なんというお人好しだろう。


 嘲笑う気にもなれない。二人の行為に対し、怒りも憎しみもセイレスは抱いてはいなかった。自らの努力を破り打ち負かしてきた相手であるにも拘わらず、何のそれらも──。


 ――憎んでいられれば良かったのに。 


〝……これであいつらを見返せる〟


 セイレスは思い返す。初めて【存在幻術】を会得したあの日。家族に披露する瞬間を想像し、期待に胸を躍らせていたあのときのこと。


〝今まで散々冷遇してくれて。ただじゃおかないわ。特にあの姉は〟


 バカな青年と少女とのせいで、セイレスは思い出してしまったのだ。あの時の自分が何を思い、何を心に描いていたのか。……思い出したくもないそれら。


〝……まあでも〟


 感情、期待など、何も思い出さなければ。


〝私の実力を認めて、地面に頭でも擦り付けて――泣いて謝るのなら、赦してあげなくもないかしら〟


 ずっとずっと憎んだまま他者を踏み台にしていられれば。居場所を守ったまま静かに消えられていたならば、それはどれだけ幸せだったことだろう。


 ――分かっていないのだ。


 セイレスは思う。……あの二人には。自分が『アポカリプスの眼』としてこれまで何をしてきたか。その実情。その残酷。その無惨。


 支えとした憎しみを保てなくなってしまえば、自分は――。


「――」


 ――だからセイレスは二人を恨む。


 かつての思いを思い出させてきた二人に。通り過ぎ、捨て去ろうとしたものに今更目を向けさせた二人に。今になって自分の前に現われた二人に、恨みの念を全てぶつける。


 あの二人に借りなど作らない。自分の為にも精々逃げ延びて、生き抜き足掻いてもらわなければ。


 それだけが――。


「――ッッ」


 一刀が身体を深く切り裂く。辛うじて幻術の解除を防ぐが、それが既に意味を成していないことをセイレスは知っている。


「バ、ロン……」


 呟き出した名前。一瞬、自分を包む何もかもが空白に落ちたように感じ。


 セイレスの意識は、そこで途絶えた。










 ――決着は然程遠くなかった。


「――」


 それまでの傾向から割り出した一か所へ叩き込む、最速の刃。《赤き竜》の魔力を纏わせた刀身が展開されていた盾を切り裂き、転移法を使う間も与えず。


「……はっ……」


 袈裟懸けに切り裂かれ、瀕死の重体となったセイレスの姿が微かに冥希の目に映り込む。……幻術の完全な解除には至らなかったが。


「バ、ロン……」

「……」


 虚空に向かい伸ばされる掌。地に墜ちた魔導書を目端に捉えつつ、虚しく宙を掻いたその腕を体躯諸共、黒刀の一閃で切り捨てた。


「――」


 断末魔一つ上げず倒れ伏す遺骸。血を振り払った刀を収め、《赤き竜》を切断して息を吐く。


「……」


 ――五分。読み終わりは中途の予測通り。力を残しての戦闘ならば、このくらいの決着が妥当だろう。


 死力を振り絞った訳でないとはいえ、《赤き竜》と【咎武罪装】を用いての連戦は着実に冥希へ負担を掛け、それだけの時間をセイレスとの戦いに費やすことを余儀なくしていた。この土壇場でセイレスが見せた驚異的な集中力のせいもあるだろうが、そちらの方が要因として大きいと冥希は判断する。でなければもう少し楽に片付けられていたはずだ。


 ――《赤き竜》。


 接続しての戦闘にはまだそれほど慣れが無い。修練を除けば東、国家機関相手に用いた程度だが、やはりその負担はかなりのものだ。長くは扱えない。【咎武罪装】と概念技法を用いた全力ともなれば尚更の事。自らのスタイルと擦り合わせての戦い振りにもまだぎこちないところがある……改善は未だ必要か。


 そう断じ、向かうべき方角へ冥希は足を向ける。……時間は無為に費やしたが、さりとて焦るような心積もりでもありはしない。


 黄泉示たちが向かった場所には、『永久の魔』がいる。あの脅威が暴れ回る際、周囲に味方がいれば却って邪魔となるだけであり、だからこそ遮二無二セイレスとの決着を急がなかったということもあった。。敵方に対抗する戦力が存在しない以上、永久の魔一人に任せていた方が事態は上手く進められる。ヴェイグの指示がある以上、無気力とも思える永久の魔も今回は動かざるを得ないはずで――。


「――来たか。冥希」


 そんな思考を浮かべつつ到着した場所に立っていたのは、アデル。……その足下に倒れている、一人の少女を冥希は見て取る。


「最低限の治癒は施しておいた。ヴェイグの下まで行くのに、中途で死なれでもすれば困るからな」


 胸元に広がった赤黒い染み。量から鑑みれば致命傷だが、既に出血は止められており、仮死に近い状態だ。根城に連れ帰るまでは持つだろうとそう見立て。


「……奴らはどうした?」


 訊く。少女がいると言うことは冥希の予測通り、永久の魔と黄泉示たちは接触したと言うこと。当然蹴りは付いているものとばかり思っていたのだが……。


 周辺に然したる破壊の痕跡も、血の跡も見受けられないことが疑問を誘う。仮に永久の魔が手を下したのであれば、この一帯は文字通り瓦礫の山と化しているはず。


「逃したとのことだ。理由は知らんがな」

「――何?」


 アデルの返答は予想外で、冥希をして訊き返しを余儀なくさせた。


「どういうことだ?」

「私に訊かれても困る。アレの思うことなど、元より我々の知り得るところではあるまい」


 至極真っ当な返しを受け、言葉を収める。流石の冥希もあれと直接言葉を交わす気にはならなかった。問い質す必要があるとしてもそれは自分の役割ではなく、ヴェイグの仕事だろう。


「――バロンは片付けたのか?」

「ああ」


 かつての同志に対し、アデルは何でもないと言った風に頷いてみせる。


「セイレスを救おうとそちらに敵を向かわせたのでな。多少手古摺りはしたが、予定通り問題なく息の根を止めた」

「そうか」

「そちらこそ、セイレスの始末に幾分手間を取られていたらしいな」

「……概ねは予測通りだ。どうせ死ぬとあって、最期に少しは奮起したようだった」

「正に手遅れ、か。まあ、今更どうでも良い話ではあるが――」

「――やあ」


 会話に割り込む声と足音。目期とアデルが揃って見た、視線の先に認めるのは文。


「二人とも。無事で何より」

「媛神。収穫はあったのか?」

「残念ながら。冥王に手古摺っている内に賢王まで出張って来てね。――苦労したよ小父さま?」


 冥希に向けて皮肉とも取れる一言を付け加え、そこで息を吐いて。


「セイレスに――バロンも死んだのかい?」

「ああ。止むを得ん事情でな」

「そう」


 何処を見るでもなく頷く。端的な応答。


「悲しいのか?」

「少しはね。けど、裏切ったなら仕方がない」


 言葉とは裏腹に黙祷を捧げるように眼を閉じて、再度開かれた瞳。


「……残りの連中も同じ? 跡形も無く消し飛んだのかな」

「その通りなら良かったが、事実は違ってな。何でも――」


 一通りの説明をアデルが済ませる。聞き終えた文は頷いて。


「なら、まだ些事は残っているんだね。――僕が運ぼうかい? 一応女の子だし」


 倒れている少女に向けられた瞳。異論の声は上がらない。文が合図をするとその身体に纏わりついた鎖の一片が持ち上がり、少女の身体を器用に持ち上げる。


「便利なものだな」

「お蔭さまでね。これがなきゃ、凶王二人を退けることはできなかったよ。手袋みたいなのもあるみたいだから、アデルも――」

「――行くぞ」


 話に花を咲かせようとする文を遮って冥希は言う。


「用は済んだ。ヴェイグが待っている」



この節で十章は終わりになります。次節から第十一章に入ります。

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