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第二十五節 灰の中より

 

「――」


 視線の先に立つ父の姿。溢れ出している暗黒の魔力と対照的に、視界の端でフィアの発動した治癒の光が溢れ出す。――いつの間に。


「な――」


 理解より先に動いたのは数冊の魔導書。咄嗟に身を守るように動かされたそれを展開した障壁ごと断ち割り落とし、セイレスを切り付けた黒の刃。……袈裟懸けに血の線が走る。崩れ落ちる身体の喉元へ向けて、吸い込まれるように繰り出された――。


「ッ‼」


 突き。その切っ先を終月の刀身を以て受け逸らす。――重い。円環の強化を受けてなお伝えられてくる衝撃に歯噛みする。これまでの戦いで受けてきた、どの一撃よりも――‼


「……浅かったか」

「ッ二人を連れて下がれ‼」


 弾く間もなく引く剣の先に今一度父を認めて叫ぶ。フィアの筋力では強化していたとしても二人を同時には運べない。……二人のどちらかが立ち直るまで、俺が時間を稼がなければ。


「……なぜ敵方を助けようとする?」


 構えた俺を打ったのは次なる剣技ではなく問い。……全身から立ち昇る暗黒の魔力は【魔力解放】。しかし俺の用いているそれとは明らかに練度が異なっている。見咎めたのはその凝縮の度合いだけでなく、刀自体にまで纏わされている魔力の流れ。しかも――。


「その女は既に何人もの人間を犠牲にしてきた。お前たちが庇い立てしたとしても、赦されることのない相手だ」

「……見殺しにはできないだろ」


 見据えつつ答える、それだけの動作にも激しく意気を要する。……これまでの研ぎ澄まされた刃のような殺気とは違う。大型の肉食獣、いや、まるで巨大な竜を相手にしているかのような、圧倒的威圧感――。


「……そうか」


 感情の映らない瞳が俺を見る。奥で渦巻いている力の暴風。暫し、沈黙が流れたあと。


「――ッ⁉」


 全くの前触れなく立ち昇る魔力に不意を討たれる。――魔術⁉ 予想だにしなかったその挙動に反応が遅れ。


「【炎王の歌】――」

「【上級障壁・神聖】‼」


 詠唱の完成に伴って上方より降り注ぐのは火の嵐。俺のみならず後方のフィアたちをも飲み込まんとする火球の連弾を、劈く叫びと共に現われた光の障壁が食い止める。瞬く間に現われては消える盾に激突して弾ける炎禍。衝突ごとに響く轟きが空気を震わせ、弾かれた幾つかが周囲に落下して炎を撒き散らしていく。


「ッ!」


 その最中に放たれた一閃。躊躇なく喉笛を狙ってきた『花殱』の鋭い突きを強化した反射神経で無理矢理に躱し切る。守っているだけでは駄目だ。踏込で刀との距離を離し、そのまま反撃に――。


「っ⁉」


 ――出ようとした刀身を強かに打ち付けたのは右腕に繰られる『鬼雪』。――速い。【無影】に準ずるのではないかと思うほど高速の薙ぎ。込められている力からして僅かでも反応が遅れれば胴を両断されていただろうそれと強化の度合いを上げて競り合う。……父の魔術攻撃は継続している。盾と治癒とを目まぐるしく操るフィアに、強化を回すだけの余裕はない――。


「ッ⁉」


 ――使うしかない。


 片手打ちにも拘わらずこの筋力。引き戻されていた花殱が今一度迫り来るのを感じ、残り少ない【魔力解放】を発動した瞬間にそれまで抑えていたはずの刃から力が抜ける。――なんだ⁉ 踏鞴を踏んだ俺の視界で独楽のように回転する父の体躯。俺の込めていた力をも乗せて放つ剣撃。首元へ迫るのは――‼


「――【弐の薙ぎ】」

「ッッ――‼」


 霞の太刀における奥義、【破霞】。飛び退いた俺を追って伸ばされた斬撃を受け止めてからその二刀形であることに気付かされる。諸手を以てすら押し込まれそうになる衝撃に、咄嗟に円環で腕の筋力を強化――。


「【弐の薙ぎ】――」


 ――途切れない。


 腕に走り来る痛み。間合いの延長をそのままに俺を襲うのは更なる斬撃の束、【釽嵐】。腕の痺れを押して応戦するが、防ぎ切れない風圧が俺の身を浅く、しかし確かに徐々に刻んでいく。


「黄泉示さんッッ‼」


 奥義の頻発で魔術の攻めが甘くなったのか。叫ぶフィアから俺へ掛けられる【間接強化】。送られてくる魔力の支えを頼りに更に円環で能力を引き出すが。


「ッ……‼」


 ――マズイ。


 骨肉の軋みに歯を食い縛る。セイレスとの戦いの消耗に加え、風圧に依る手傷。全てが必殺であるこの連撃を防ぐにも相当の負荷が掛かっている。父も元よりそのことが狙い。接近を封じてこの場へ俺を張り付けにしたまま、呪具の副作用により自滅させる腹積もり――。


 ――攻勢に出るか? 脳裏に過る選択肢。無数と思えるほど夥しい数の斬撃を繰り出してくる【釽嵐】ではあるが、大本はあくまでも二本の刃。瞬間的な強化で刀自体を打ち払ってしまえば進路を抉じ開けることは理屈上はできるはず。だが、それをすれば。


 肉体がより深刻な代償に蝕まれることは確実。持たずに中途で倒れるかもしれない。……そうなればお終いだ。前に出た場合と出ない場合、どちらの方が命を繋げるのかは手を出してみなければ分からないという、それは余りに博打が過ぎ――。


「――ッ」


 些細な偶然。やや深く肉を刻んだ風圧の痛みに動きが凝る、その一瞬を逃すことなく放たれた一手。――首への黒刀。今のままではどうあっても逃れられぬその一閃に、否応なく俺が覚悟を決めた――。


「【時の加速・三倍速】‼」


 不意に視界の全てが動きを遅らせる。理解するより先、何が起きたのかを思考する前に、得た機会を条件反射として身体が体軸をずらしに掛かり。


「ッ――」


 視界に戻される速さ。眼球の一寸前を通過した黒刀に背筋を冷やしつつ、構えと共に現われた姿を確認した。


「ジェインさん!」


 ――ジェイン。書庫から無事脱出できたのか、傷一つない出で立ちで崩落した壁の向こう側に立っている。――助かった。ジェインの【時の加速】があれば、この状況を――!


「話は後だ! 今は――‼」

「……的が増えたか」

「ッ‼」


 ジェインを狙い斬撃を繰り出した父。円環で脚力を強化し、一足でその合間に身体を割り込ませる。伸ばされた歯の軋むような刃を受け止めた瞬間――。


「――【構築完了・三霊の饗宴】‼」


 目の前に展開されたのは水、風、雷の作り出す巨大な球体。周囲の空間自体に向けて発動されたような魔術、電流と豪雨とが父の姿を覆い、突風と共に内部を無差別に破壊し吹き飛ばしていく。


「郭!」

「――退きますよ‼」


 叫びつつ駆け走ってくる郭。足から溢れ出るように血を流しながら。


「ゲートまで! 全員に【時の加速】を――‼」

「――ッ⁉」


 渦巻いていた魔術の球が内側から爆散する。暴風雨を砕き散らし姿を現すのは無傷の父。下げられた刀身に。


「ッもう破られましたか、面倒な――ッ‼」

「――蔭水‼」

「ああ‼」


 悪態を吐く郭。ジェインの叫びで掛けられる補助を感じながら、俺は振るい出される刃へと接近した。










「――ッ!」


 降り注ぐ火炎を障壁で防ぎながら、全力で治癒を掛けながら私は思う。……いけない。


「ッ‼」


 私たちの前に立つ黄泉示さんが。……目にも留まらない無数の斬撃に切り付けられている。火球の数が減ったことで黄泉示さんに魔力を回し、できる限りその動きを支える【関節強化】。それでも突破口は開けない。このままでは――‼


「【時の加速・三倍速】‼」

「――っ」


 崩れる。そんな嫌な直感を切り裂いたのは詠唱。その方角を向いた。私の目に。


「――ジェインさん‼」

「話は後だ‼ 今は前を――‼」


 言葉の中途で黄泉示さんのお父さんが剣を振り上げる。明らかな攻撃の挙動を前に、私が障壁を展開しようとした。


 ――その瞬間。


「――」

「――え」


 肩に掛けられた手。掴みつつ体重を掛けてくるその掌に不意打たれてよろめくように振り返る。……そんな。


「……もういいわ」


 まだ治癒は終わってはいないのに。……立ち上がったのだ。セイレスさんが。ローブに滲み出る血をそのままに、全てが憎々しげなあの表情を浮かべて。


「セイレスさん、まだ――!」

「そんなちんたらした治癒なんて、これ以上受けていられるものですか」


 私の声を遮った、セイレスさんの眼が違う方を向く。……現れていた郭さん、ジェインさんの加勢によってどうにか拮抗を保っている戦場。私も――!


「――聞きなさい」


 加勢しなければと。逸る私の思いを遮ったのは、驚くほど落ち着いたセイレスさんの声。その言葉に自然と意識が向いて。


「あの男にとって神聖の魔力は天敵。私が隙を作るから、その間に強化魔術をあの男に叩き込むのよ」

「――」


 ――そうか。


 その言葉で気づく。……あの人が黄泉示さんのお父さんならば、葵さんたちに言われたように――。


「できるわね?」

「――はい」

「良い返事じゃない」


 返した答え。頷いた私を見て一瞬、セイレスさんの表情が緩んだ気がした。――二人して前を向き。


「く――ッ‼」

「――【万魔洗礼】!」


 猛攻を前に崩れかけていた黄泉示さん。郭さんとジェインさんとが同時に炎に攫われようとした瞬間、吼えるようなセイレスさんの叫びと共に魔導書たちから鮮やかな色を持った魔術の閃光が撃ち放たれる。襲い掛かろうとしていた炎を蹂躙し、戦場を駆け抜け迫るそれに――。


「今ッ‼」

「――ッ‼」


 黄泉示さんのお父さんが注意を向けた刹那、セイレスさんの声から間髪入れずして魔力を動かす。――手応えと同時に消失した暗黒の魔力。相殺した神聖の魔力も掻き消され、一瞬動きを止めたその影をセイレスさんの魔術が飲み込んだ。


「――」

「な――」

「〝収束せよ〟。――逃げなさい」


 驚愕の表情で私たちの方を振り返った黄泉示さんたちに、更に魔術の威力を一か所に集中させつつ言うセイレスさん。え――。


「年下に借りは作らない主義なの。貴方たちが私を見逃した分は、ここで直ぐにでも返させてもらうわ」

「っセイレスも――ッ」

「あの男はあの程度じゃくたばらない」


 なにを? 告げられた衝撃が冷めないうち。魔術の光の迸る先を見ながら口にするセイレスさんの台詞が、黄泉示さんの言葉を遮る。


「直ぐに出て来るわよ。……足止めが必要だわ」

「――行きましょう」


 続く発言を聞いて迷いなく言い放ったのは郭さん。


「打つ手のない今は逃げるしかありません。――葵さん」

「……ええ」


 私たちの背後にいた葵さんが立ち上がる。息を荒げ、未だに血を流しながら。


「大丈夫です。……走る分には問題ありません」

「了解です。――礼は言いませんよ」

「要らないわよそんなもの」


 では、と一言を残して行く郭さん。葵さん、ジェインさんまでもが走り出していく。……そんな、そんな。


「セイレスさ――!」

「行って」


 絞り出された声。立ち止まっている私たちを置いて行くように、セイレスさんが半歩前に進み出た。……息を荒げながら。


「これ以上、私を惨めにさせないで」

「――」


 胸に染み入るのは消え入るようなその呟き。セイレスさんの……。


「ッ‼」


 背中を目に、黄泉示さんと並んで走り出す。……振り向かないまま、真っ直ぐに――。


「――賢しい真似をする」


 呻りを上げていた魔術の気配が消えた。背後から響くのは、どこまでも冷たい水底にあるような冷徹な声音。


「その傷で、私に抗えるつもりか?」

「――そんなこと、知ったことじゃないわ」


 対抗するセイレスさんの台詞は。……今までにない、毅然とした気高さを持っているように感じられた。


「これは私の意地。どうせ殺されるくらいなら、精々貴方の足を引っ張るよう足掻かせてもらう」


 それが私の耳に届いた、最後の言葉。


「――っ!」


 背後に荒れ狂う魔力の気配を感じながら、私たちはただひたすらに駆け走った――。













「【万魔洗礼】――‼」


 セイレスが哮る。王家の書庫より解放された数百の魔導書の力を借りて放たれるはずの魔術の総攻。しかし敗残の兵と化した今や、その秘術も僅か十数冊の円陣から放たれるのみであり。


「――邪魔だ」


 それを冥希は魔術――《赤き竜》の力で正面から迎撃する。衝突する二つの力の波。死力と執念とを以て束ねられであろう魔術の彩を、色一色の力の波動が押し切る形で粉砕した。


「――」


 舞い散る爆炎に躊躇せず距離を詰める。セイレス如きに手間を掛けるつもりはなかった。【咎武罪装】が解除されていることを踏まえても、地力の差、加えて向こうが手負いの身であることを考えればどう考えても長くは持たない。正面から押し込むつもりで【無影】を放とうとし――。


「――っ」


 その気配が掴めなくなっていたことに、腕を止めた。


「……」


 意識を切り替え、周囲の魔力と気配を探りに掛かる。……何も感じない。ただ先に放たれた強大な魔力の残滓だけが感覚に引っ掛かる――。


「!」


 矢庭に高まりを見せる魔力。間髪入れず剣を振るうが、捉えたのは魔術と、一冊の魔導書。


「――お嬢ちゃん相手では使うのを躊躇ったけど」


 声。周囲の空間に無数に反響し、発生源を悟らせはしない。聴覚に頼ろうとすれば逆に混迷を深めるようになっているのだろう。【存在幻術】……。


「貴方が相手ならその必要もない。全力で行かせてもらうわ。蔭水冥希」

「……なるほどな」


 冥希は呟きを漏らす。尽きることがないとは言え、セイレスの魔力保有量自体は平凡なもの。


 力業で正面から攻め立てるより策を弄した搦め手の方が向いていることは至極明快な事実であり、執行機関を落とした時などはその端緒な表れと言って良い。様々な雑念のある最中、そうした狡知な戦闘様式を取り戻すのは叶うまいと思っていたが。


「……」


 ここにきて考えを改めたらしい。最後まで手間を取らせると、そんなことを胸中に思った。


「――」


 周囲から放たれた魔術を身のこなしによって躱す。視界の端に揺らいだ複数の姿へ向け刃を放つが、その何れにも手応えはないまま。


 暗黒の魔力を宿す蔭水の一族は、元来幻術に左右され辛い。剣士としての直感、加えて【赤き竜】により抵抗力が増した上でなお知覚に誤謬を招いてくるとあっては、その幻術の腕前を認めざるを得ないことは明らかだ。


「付き合ってもらうわ。死に損ないに、地獄の底までね――‼」


 覇気を纏うセイレスの声。予想していた以上に煩雑な展開となったことに辟易しつつ、冥希は置かれている状況を分析する。


 ――敵の戦術の基盤となるのは得意から更に強化された【存在幻術】。それにより此方の知覚を攪乱し、魔導書によるダミーを紛れ込ませることでより本体の補足を困難にしている。


 セイレスの魔力は尽きることがない。その気になれば手持ちの魔導書が枯れるまで延々とこれを続けることが可能であり、元よりそれが狙いだろう。この方策で命を奪うことができないことはセイレスも承知しているはず。奪えるだけの時間と労力を奪う算段――。


 ――対処法を思考。自身の《赤き竜》もまた魔術関連の能力を引き上げる性能を秘めている。しかしそれで扱えるようになるのは純粋な攻撃系統の呪文(スペル)に過ぎない。強力であることは確かだが、あくまで剣士としての戦い方を補助するもの。それで今置かれている状況を打開することは難しい。これまでの戦いで消耗していることを考えても……。


 ――ならば、答えは一つ。


 数瞬に及ぶ思考で冥希は回答を導き出す。自身の持つ能力に依るしかない。必要なのは――。


「……」


 最適な戦闘様式と冷静さを取り戻したといえ、セイレスは思考に幅のあるタイプとは違う。


 実戦の経験も抜けて少ない。自身が思考すれば、定型を掴むまでにそれほど時を費やすことはないだろうとそう見立て。


 蔭水冥希は静かに、決着に向けた用意を整え始めた――。



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