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第二十四節 亀裂

 

「――」


 円環での呪縛の解除。無理矢理なレジストのお蔭で、頭の奥が鈍痛を放つ。


「ふ、ふふふふ……」


 二度目となる寸止め。その首から数センチ手前で黒の刀身を止められたセイレスが、肩を震わせて笑い出した。


「――ガキが‼ 馬鹿にしてるの⁉」


 憤激と共に襟を掴み捻じり上げる手。首元を締め上げられる苦痛に顔が歪む。


「黄泉示さ――!」

「――大丈夫だ!」


 喉が苦しい。それでも血を吐くような声でフィアへ叫んだ。間近に迎えるのは俺の目を串刺しにするような鋭い視線と、怒りに燃え揺らめく瞳。


「……貴女がどれだけ力を振るっても」


 意識に威圧感、肉体に圧迫感を覚えつつ、可能な限りの静かな声で告げる。


「俺たちは連れ帰れない。……滅世は、遂げさせない」


 ――セイレスも分かっているはずだ。


 円環のブーストを使えばこの状況からでも即座に一撃を加えることができる。……二度目の突破はあり得ない。この状況下で最早残されている手立てはなく、だからこそ今こんな態度に打って出ている。


「……滅世なんてどうでもいいのよ」


 心底憎々しげに俺を見るセイレスの口から出されたその言葉。


「私は私の生きられる場所を守る。ただそれだけ」

「……なら『アポカリプスの眼』じゃなく、こちら側に来るべきだ」


 答えはない。ただ、馬鹿にしたような嘲笑があるだけ。


「……俺とフィアは」


 それを変える為に。


「誰一人殺さずに、貴女たちを止める」


 決めた覚悟を伝えた。セイレスの眉がピクリと動く。


「……正気?」


 瞳に浮かぶ疑念。嘲笑いは完全には消えていない。だが今その表情の多くを占めているのは、俺の表した態度への疑りだ。


「不可能に決まってるわ。そんなこと」

「……それでもやってみせる」


 この態度に偽りなどない。そのことをはっきりと示す。


「少なくとも、俺とフィアはそのつもりだ」


 それ以上言うことは無い。ただ合わせられたその目を見つめる。俺の視線をセイレスは数秒間、正面から受け止めたあと。


「……馬鹿馬鹿しい」


 放した腕に続き視線を斜め下へと逸らして。小さく、口の中で吐き捨てた――。


「――終わっているようですね」


 唐突に。背後から聞こえてきたその声に、振り向く。


「……葵さん」

「見事です。蔭水黄泉示、フィア・カタスト」


 葵さん。服は擦り切れ、髪は乱れているが、それ以外に目立った傷はない。安堵する俺たちを一瞥して、俺たちの、いや、セイレスの方へと近付いてくる。確固とした足取り。


「――どうするんですか?」

「意識を断ちます」


 思わず訊いた俺に答える淡々とした語り口調。


「その術師の魔力は尽きている様子がありません。郭の見立て通り、禁術を使用しているのでしょう。無力化しておかなければ厄介です」

「……っ」

「――待って下さい」


 セイレスが僅かに後ずさる。その様子に危惧を覚えて半歩前へ出たとき、フィアから掛けられる声。


「っ、セイレスさんは――」

「見えている危険性は無視できません」


 小さく息を吸う一拍を置いて出された言葉に、問答の余地はないと言うように向けられた流し目。


「思わぬ失策はどこにでもあります。確実な手段を取ることが――」

「――っ」


 ――なんだ?


 言葉の中途でフィアが駆け出した。――俺とセイレスの方へと向かって。その唐突な動きに葵さんも、誰しも動きを見せることのないまま――。


「――ッ」


 固まっているセイレス。たじろぐように空気を掻き乱したその手を、しっかりと取った。


「……大丈夫です」


 無言のまま一瞬だけセイレスと目を合わせて。葵さんへ振り返るフィア。


「これで。私がセイレスさんを連れて行きます」

「フィア――」

「……」


 見つめ合う二人。……手は出せない。待つしかない緊張の中で、暫しの不穏な沈黙が続き。


「……いいでしょう」


 黙考のあとで口にされた言葉に、当のセイレスが息を呑んだ。


「連れて先に支部へ脱出して下さい。対応は支部の協会員に任せるよう。私は他へ援護に向かいます」

「――待って」


 言いつつ背中を向け――去ろうとした葵さんを。フィアの手を解いたセイレスが呼び止める。


「……私が頼めた義理でないことは分かっているけれど」


 躊躇っている。前置きで言葉を切ったセイレス。下を向いていた顔を一転して上げ、葵さんの背を見つめて。


「バロンを、あの人を殺さないで」

「……」


 振り返る葵さん。立場に構わず訴えるセイレスを数秒、吟味するよう静かに見つめ。


「……善処しましょう」


 ただ一言そう言って、改めて前を向いた。


「行きなさい。早く」

「……はい」

「セイレスさん……」


 フィアがセイレスに声を掛ける。まだ葵さんの方を見つめていたセイレスも、ゆっくりと此方を向いて。


「――っ」


 瞬間。耳に届いた微かな息の音に、足を止める。


「――葵さん?」


 振り返った先で止められていた葵さんの歩み。いつの間にか構えられていた扇の先端が床に落ち、硬いその響きと共に肩口から滲み出す赤。――なにが。


「葵さん‼」


 起こったのか。考える間も無く崩れ落ちる体躯にフィアが駆け寄る。片膝を突いた葵さんの向こうから、現われる姿――。


「――」


 俺の父。蔭水冥希が、悠然とその場所に立っていた。












 ――セイレス。


 苦闘の最中、気配の消失した同志の身をバロンは思う。……一刻でも早く駆け付けることができたなら。だが目の前の賢者見習いがいる限りそのことは許されない。負傷の身で、魔力体力ともに大きく消耗しているはずでありながら、その動きの精彩を一段と上げた賢者見習い――‼


「――ッ!」


 焦燥。僅かばかり大振りとなった一撃。流れた体勢を整えるその数瞬の間を突いて加速した賢者見習いが急接近する。繰り出した岩杭を置き去りに入り込まれたのは鉄塊の間合いの内。触れるほどのその距離に反射的に膝蹴りで迎撃しようとし。


「っ――⁉」


 幻影。手応えがないことに気付かされながら背後に現われた気配を認める。――完全な隙。高まる魔力へ即座に反転しながら一か八かでバロンが奥の手を使おうとした。


「――ッ‼」


 瞬間を紅蓮の奔流が駆け走る。強襲を避けて大きく飛び退いた賢者見習い。立ち尽くすバロンの左方、目を焦がすような巨大な火炎を放ったのは――。


「――危なかったな、バロン」


 元聖戦の義の特例使徒、アデル・イヴァン・クロムウェル。所々が破れた聖職衣に浮かべられた薄い笑み。……消耗はしているようだが、それでもこの場に於いては充分過ぎるほどの援軍だ。


「……感謝する」

「なに。こちらも中々の歯応えだった」


 バロンに返答を向けつつも、賢者見習いを見るその視線からは鋭さが消えることはない。元聖戦の義の番外使徒。かの蔭水冥希に比肩するその実力は、味方であれば実に心強く。


「箱入りの賢者見習いにしても、ここまでできるとは驚きだ。――二人掛かりと行こうか、バロン」

「無論の事」


 応えて共に構えを取る。……賢者見習いも既に殆んど魔力は残っていないはず。こちら側の勝利はこれでほぼ確実になった。気になることは……。


「……セイレスの方は」

「冥希が向かった」


 同志から返されたのは端的な回答。


「しくじった以上切り捨てるつもりだろうが……まあ、奴一人欠けたところで問題はあるまい」

「……」

「流石に三度目ともなればな。冥希の事だ。精々苦しまないよう、一刀で首を落としてやるだろうさ」

「――そうか」


 静かな呟き。同時に重々しい殺気を全身に漲らせる。感知した賢者見習いが身構える。鉄塊を握るバロンの腕に、血潮と共に膂力が込められ――。


「――ヌウンッ‼」


 剛撃。殺意を以て振るわれたその鉄塊を、標的とされたアデルは見越していたような所作で躱し切る。続け様に打ち上げる追撃の威力を利用した、軽やかな跳躍――。


「……何の真似だと尋ねるのは、流石に野暮というものか」


 落下点を突き刺すつもりで出現させた岩杭を左腕で掴み取り、全身を捻るようにして地へ降り立つ。瞠目するは恐るべきその身体能力とバランス感覚。得物に頼る自らとは違う、苛烈なまでに突き詰められた身体修練の賜物。


「悪逆に徹し切れなかったか? バロン」

「……同志を切り捨てるなど、悪逆であろうとも赦される行いではない」

「不要な駒は捨てられるのが当然だろう。――お前たちのように」


 途切れた会話を合図に睨み合う。アデル相手であればこの距離はあってないようなもの。刹那の間であっても詰め寄られるリスクを自覚した上で。


「――」

「――行け」


 急変した事態。自らを差し置いて争い出した敵方を前に行動をとりあぐねているような賢者見習いへ、振り向かずバロンは声を発した。


「あの男が出向いたならセイレスだけでなく、貴公らの仲間の命も危うい。――信用でなく、利害を見て選び取れ」

「……」


 答えない。言葉の真意を推し量っているのか、数秒の沈黙が置かれ。


「――分かりました」


 一言を残して賢者見習いは駆けていく。その所作をアデルは止めもしない。ただ一瞬だけ、消え去った方角へと瞳を動かし。


「――良いのか?」


 そう問うアデルの口元に浮かぶのは、皮肉とも憐憫とも付かぬ微かな笑み。


「奴を守るのに、お前自身が出向かずとも」

「――介すべき情など、元より持ち合わせてはおらぬ」


 バロンの身体に漲る覇気。


「ただ、より可能性のある道を選ぶのみだ」

「……お前とは一度戦ってみたいと思っていた」


 アデルが構える。僅かに腰を落とし、重心を下げたその構え。


「自らを縛り付けた身でどこまで戦えるか。――見せてもらおうか」



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