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第二十一節 熱の中 後編


「――」

「ッ――‼」


 猛速で迫り来るアデル。愚直な接近に対し立慧は千景と合わせて距離を取る。――その身体を住処としたかのように全身にちらついている白炎。得体のしれない現象である以上、迂闊な接触は何としても避けたい。己の拳を武器として扱う立慧ならば尚更。


「うるらッ‼」


 それとは真逆に。果敢に前へ出るのは田中。近接戦を得意とする武人としての自信ゆえか、得物を介した攻撃であることを強みに攻撃を仕掛ける。霞んで見えるほどの速さで振るわれた杖の一閃。


「ッ‼」


 その一手がアデルの繰り出した掌底と打ち合った瞬間、掌から噴出した白炎に立慧は目を見張る。放たれた白き炎の波動から間一髪で身を躱した田中。杖共々擦り抜けるようにしてアデルの側面へ。


「シィッ‼」


 突き出された杖が撓む、曲がる、歪んで映る。千変万化の軌道を描きアデルの身を打ち据える杖撃。やったと思われた瞬間、田中の表情が歪み――。


「っ‼」


 大きく退いた。構えを崩していないアデルの前で、田中の身に灯る白き炎。我が身を燃やす苦悶から逃れるように田中が身をよじり。


「ぐ――ッ!」

「――【業の炎】」

「【四諦結界】‼」


 追い討つように放たれた白き業火と結界とが衝突する。同時に【殺気化殺・六殺】を用いて田中に燃え付いた炎を引き剥がした立慧。移動の勢いと杖の風圧で炎を消そうとしていた田中だったが、一度燃え移った白炎はまるで消える様子がなかった。――あれは。


「避けろッ‼」


 間髪入れず発される叫び――立慧たちが弾かれるように左右に飛んだ瞬間、勢いを衰えさせぬ白の奔流がその間を突き抜けていく。溶けた飴細工の如く歪み壊された結界。肩で大きく息をする千景とは裏腹に、アデルはその唇に微笑みすら湛えていて。


「……チッ」


 ……何もかもが異常だ。


 田中が立ち上がる気配を感じながら立慧は思う。……ここまで目にした光景。一度身に燃え移れば尋常の手段では消せず、千景の結界を威力の減衰もなしに撃ち破る。熱気のない、白い死を感じさせるような炎。――いや。


「――」

「【陣地仏眼・火大】、【上級強化】――」


 既にそれは炎と言って良いのかも分からない何者か。立慧の躊躇いを差し置いて再び前に出た田中。最早抑えの役割を果たしていない【陣地火大・式反転】を解除し、恐らくは田中を援護する意図で千景が新たな術法を展開する。同時に立慧にも掛けられた間接強化。千景の魔力が自らを包み込むのを意識する。


「フゥッッ‼」


 先ほどよりも明らかに動きの質を増した田中と、それを迎え撃つアデルとが打ち合う。――立慧の目に見える限りほぼ互角。アデルの動きに合わせて舞い踊る白炎。これまでのように肉体技法と炎を別個に扱っているのではなく、炎がまるで身体の一部と化したかの如くにその精緻さを格段に伸ばしているのだ。肉体に僅かに掠めさせることもできないせいか、炎を完全に回避しなければならない田中。必要な動きの差が技術の差を埋めている――。


「――」


 その光景を立慧は一人、他人事のように見据えていた。……踏み込む気が起こらない。


 踏み込める気がしない。杖と白炎が乱れ舞う、あの闘いの中に――。


「――立慧ッ‼」


 思考を揺さ振る千景の叫び。一際強い炎の放出を避けて退いた田中。手土産とばかりに白炎を撃ち放ち、視線を移したアデルがこちら側へ駆けてくる。――首筋に走る強烈な威圧感。


「――【形殺・殺気化殺・六殺】‼」


 守りを固めてひたすら後方へ下がる。千景の障壁を縫って襲い来る炎を、拳を必死で守り躱していく。――恐い。


 恐い。恐い。息が、身体が震え出す。こんなにも恐ろしかったことが、これまでの戦いであっただろうか?


 立慧には痛いほどよく分かっていた。……あの戦いで命があったのは幸運だ。二度目の機会はなく、ここで敗れたなら今度こそ。


「――」


 背に衝撃。思わず振り向いた視界に映るのは灰色の石の壁。逃げられないと言うそのことを理解して前を向いた瞬間、あの笑みと共に映るのは炎を纏う鋼の拳。


 ……そうだ。


 死の迫る中で立慧は気が付く。最前線に立つのなら、誰も自分の前に立ってはくれない。


 一人で脅威の前に立たなくてはならないのだ。誰も助けてはくれない。助けられない。支部長の義務を果たすときのように。


〝一人でやろうとしたのが無茶だったって話〟


 ――何を勘違いしていたのだろう。


 走馬灯のように過る。自分はあのとき既に、支部長としても――。


「――この俺に背中向けてんじゃねえよ」

「――っ」


 圧し掛かる死を跳ね除けられない最中で響いたのは田中の声。頭を吹き飛ばす勢いで走る杖撃。だがアデルは立慧への一撃から即座に体勢を入れ替えると、自らの側頭部に迫るその杖を掴み取った。


「ッッ‼」


 直線上を伝う白い炎。咄嗟に投げ飛ばした田中の動きに連れて吹き飛ばされるアデルと杖。自分がまだ生きていることを理解して立慧は肩で喘ぐように呼吸をする。……目の前にあるのは【最上級障壁】。千景の扱う障壁の中で最も強力なその術が溶かされ歪み、ほぼ破られ掛けている。


「ち――」


 杖を拾いに走る田中の動きを白が阻む。着地したアデルが近付いてくる。白き炎を纏い、自分たち二人を細めた視線に捉えて。理解した立慧が壁を手に後ずさった。


「――」


 その、瞬間だった。









「――」


 目の前の二人へアデルが迫る。その光景を前に、千景は時が来たことを悟っていた。――全てのチャンスは今。ここ一点にしかない。


「――【厭離穢土】」


 アデルが駆ける。支援役である千景の事は眼中になく、攻め手になり得る二人をいち早く殺す構え。掛けた強化と陣地術とを解除。全てをこの一手に注ぐ。


「――【浄土無動結界・式反転】!」


 詠唱の完成した瞬間、結界が二人を取り囲む。構うことなく放たれた白炎を。


「――」


 結界は寄せ付けない。燃え移らず周囲へと散った炎の残滓。最中を駆けるアデルの放つ拳の一撃もまた、皹一つを入れることなく弾かれる。


「……そういうことか」


 小さく呟いて――アデルがその向きを変えた。結界の中の二人から、一切の守りを失った無防備な千景へと。


「……」


 近付いてくる。アデルのその所作で千景は既に確信を持っていた。……アデルはあの結界を破れない。例え破れるのだとしても、魔力体力がそこまでは持たないのだ。


 ――アデルの操るあの白い炎は、魔力・体力を糧として燃え盛っている。


 ここまでの分析で千景が気が付いていたこと。……だからこそ【四諦結界】が破られたにも拘わらず、無機物である床壁と田中の杖は何の損壊も齎されてはいない。――非常に稀有な特性だ。如何に強固な障壁や結界であったとしても、触れられてしまえばそれだけで意味を成さなくなるという事実は、凡そあらゆる魔術師にとって掛け値なしの脅威となる。


「……」


 更に距離が近付く。……だがその反面、あの白炎を出すにはアデル自身にも相当の負担が掛かっていると千景は見ていた。白炎を纏ってから聖節詠唱の使用が途絶えたわけ。炎の支配者の適性を持つアデルであっても、あれと同時に秘跡を使うほどの余裕はない。――であるならば、籠城戦が有効だ。


 攻撃自体の侵入を拒むという高度な結界術でなければアデルの攻撃を退けることはできない。その上で持続時間を長めようとするならば、ごく狭範囲にしか結界を構築することができない。


 アデルを直接捉えることはできない。単純な速度に加え魔力感知にも優れている相手。フェイントを打つ手もあるが、察されて躱されればその時点で二度目はなくなる。だから……。


「――」


 ――【譲渡】。


 最後に無詠唱で結界の解除権を自身から田中へと譲り渡す。……これで、終わりだ。


「……え?」


 魔力は尽きた。視界の端、千景を見る立慧が呆けた顔付きを見せる。自分がさせている友のその表情に、一瞬だけ目を瞑り。


「……なあ、あんた」


 一歩。自分から千景はアデルへと近付いた。


「話をしないか? 私と」


 歩み寄る。身に迫る死の恐怖を。


「千景……⁉」

「――ほう?」

「あんたたちと一度、話がしたいんだ」


 自己の脅かしに直面した震えを押し隠しながら、真剣な色を込めて告げる。


「どうして滅世なんだ? あんたたちには一体、どういう事情がある?」

「……」


 完全に詰め切った。目の前に聳え立つアデルは、情感の読めない眼で千景を見下ろしたまま。


「なあ」


 話し掛ける。目で、語り掛ける。


「話せば分かることだってきっとある。……そうじゃないか?」

「……そうだな」


 緊張の抜けた笑み。その視線を受け止めたアデルの身体から、白炎が消えた。


「……何よ、何する気?」

「――果敢だな。支部長」


 不安に駆られたような立慧の声がする。言葉と共に、真顔で千景を眺めていたアデルの口の端が軽く上がる。


「その態度は面白い。だが対話とは、時間がある者たちの間でするものだ」


 見上げる千景の胸元にトスリと、厚い手の平の感触が軽く置かれる。息を呑む立慧の声が、耳に届き。


「……嘘でしょ。止めて、止めてよ‼」


 もがく音。放せと叫ぶ声、争い合う音が聞こえる。遠くから。


「逃げて‼ 逃げてよ‼ 千景、千景ぇえええええええええッッ‼」

「――【炎勁掌】」


 宣告に連れて踏み込む脚。ゼロ距離から心臓を拉ぐ掌底の威力と共に。


 迸る火炎に胴体を撃ち抜かれる。炎と熱とが自らを焼き焦がしていく感覚。熱さに侵され、内側から焼かれていく肺腑の匂いを初めて鼻腔の奥に覚えながら。


「――……っ」


 最期まで届いていた彼女の叫び声が。燃え盛る焔によって、見えなくなった。



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