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第二十節 熱の中 前編

 

 ――大丈夫だ。


「はあッ‼」


 熱気舞う戦いの最中、立慧はそのことを肌で感じ取る。……焔と拳を前にした時の恐怖。


 傷が完治した後になっても、それだけが立慧には不安要素として残されていた。あれだけの苦痛を味わわされたことを考えれば、知らない内に恐怖が宿っていたとしてもおかしくない。仮にそのことで、パニックに陥るようなことがあれば。


「ッ! ――!」


 繰り出される拳を受け止める千景の障壁。守りを任せて立慧は前へ踏み出る。棘のように心に刺さっていた一抹の不安。此処に来てそれが綺麗に抜き取られているようだ。


 実戦に身を置いて再確認したからだろう。――以前より良く動く自らの身体、そして――。


「ウラッ‼」


 ――自分と共に戦ってくれる、頼もしい仲間がいることを。


「――っ」


 怒涛の如く攻め込む田中に一時の戦線を任せながら立慧は状況を確認する。……アデルの戦い方は基本的に変わってはいない。練り上げられた体術に支配級の適性を生かした炎属性魔術、そして聖戦の義の秘跡たる【聖節詠唱】――。


 それらを同時に不足なく扱い熟すだけの手腕。……学園で戦ったときなど物の数にも入らない。あの時のアデルは自分を弄ぶため、敢えてバラバラにしか個々の技法を扱っていなかったのだと、聖節の詠唱を破棄していることからもそれがよく分からされる。これこそがアデル・イヴァン・クロムウェル。特例使徒を務めた男の実力。


「――」


 だが逆に、実力が披露されているというそのことが立慧たちの優勢を端的に表しているとも言えた。支部長三人を前にしてのアデルは変わらず笑みこそ浮かべてはいるものの、軽口を叩く暇までは与えられていない。一瞬の緩みでさえ許さぬような手数の差。如何ともし難い数の不利を補うため、今アデルの能力は最大限までに発揮されているのだ。


「ッ‼」


 杖に脚を打ち据えられたアデルの動きがい付く。その瞬間を狙って仕掛ける劈拳(へきけん)。頭骨を打ち砕く勢いで繰り出されたそれをアデルは打ち上げるような掌底で迎撃する。――痛烈な衝撃。体重を乗せているにも拘らず、立慧の側が僅かに押し負けるほど。下手に躱せば肩に痛恨の一撃を見舞わせるところだったが。


「――ッ‼」


 掴み。肌に伝えられる振動から察して逃れようとしたその所作に手首を掴まれる。ここぞとばかりに連撃を繰り出していた田中へ向け、振るわれた剛腕が立慧の身体そのものをぶつけに掛かり。


「ッ――」

「おっと」


 危なげなく躱す田中――振るわれた杖がアデルの手の甲を強かに打った瞬間、最大限までブーストさせた幸運の追い風も受けて手首を外す。……ともすれば握り潰されていただろう握力に脅威を覚えながらも、陣地術の強化と回復を支えにそのまま距離を空けず繰り出した蹴り。躱されたところを更に田中が追い討っていく。杖の残像を薙ぎ払う閃光の軌跡。


 ――堅い。


 休む暇を与えぬよう攻撃を繰り出しつつも、立慧はその感想を奥歯で噛み締めていた。……手数で勝っているのは此方だ。アデルも肉体技法については相当の腕を持つが、元より田中はそれが本職。千景の支援も受け、立慧も攻撃に参加している今、始めも加えて十数発の杖撃がその身を打ち据え、突いている。


「ふっ――‼」


 だがそれでもアデルには然したる損傷がない。……全身を覆う筋肉の鎧。直撃に合わせて衝撃を軽減させる発勁の用い方に、衝撃の方向を逸らす流しの所作。攻め込む側になって感じるのは圧倒的な守りの腕。殺し易く殺し難い。言葉にしてみれば単純な事実ではあるが、それをここまでの形で実現させていることには立慧とて驚嘆せざるを得なかった。例えその担い手がどれほど気に食わなかったとしても。


「――」


 心理的な駆け引きも上手い。僅かな目線の動き、魔力の熾し、殺気闘気の見せ放ち。それら全てを適宜巧みに使い分けてこちらの攻め筋を牽制してくる。常に対処のための余力を残しておかなければならない心境に置かれ、そのせいで田中も立慧も今に至るまで渾身の一撃を繰り出すには至れていない。可能にしているのは死地を潜り抜けて来た経験の差か、それとも――。


「――【業の炎】」


 攻防の最中に紡がれる短縮詠唱。【陣地火大】の効力を振り切って足下から立ち昇る火炎の円柱を二人して回避。


「――【弓】」


 宙に煌めく神聖の矢――避けるまでもなく千景の障壁が全てを防御する。立慧と田中の攻勢に押されてアデルは後衛を狙う余裕がない。支援を得意とする千景の本領は余すところなく発揮されている。


「……良い連係だ」


 漸く与えられた僅かな機会――それを理解しているかのように、アデルが微かな笑みに連れて声を漏らす。


「三本の矢か。纏まればそれなりの力にはなるな」


 ――勝てる。


 手応えよりも何よりもその声音を聴いて立慧は確信する。……口先では余裕ぶっているが、届く声に滲み出る色合いは明らかにその消耗を裏付けるもの。細かなダメージと疲労の蓄積……実力は高く技巧は驚異的だが、この人数差に対して決定打となる手を持ち合わせていない。このまま一気に。


「――」


 詰める。そう思った瞬間、届いた戦場の動きに立慧は僅かに意識を逸らす。


「――悪くない調子だな」


 静かに、しかしどこか歓喜を滲ませて呟いたのは後方の千景。振るわれていた力の気配が一つ消失したのだ。詳細までは分からないが敵方には違いない。手の空いたメンバーが他への援護に駆け付けることができれば、大きな――。


「……やれやれ」


 くたびれたその声に意識を引き戻される。目に映るアデルの口から零れたのは、呆れと徒労との入り混じる溜め息。


「今回は意地を見せてくれると思ったがな。存外、根性がなかったらしい」


 仲間に対してというよりも、自らの予想の誤りを嗤うような苦笑い。それに一瞬気を取られた瞬間、共に切り替えられた雰囲気。


「大勢で劣勢となれば、使わざるを得んか――」

「――【陣地空大・式反転】!」


 燐光する千景の結界がアデルを捉える。魔力体力を低下させ回復を阻害する術式に、熾りを見せていたアデルの魔力の流れが滞り、同時に立慧と田中へ掛けられたのは更なる身体強化の効果。


「――シィッ‼」


 ――させるわけないでしょ‼


 内心で叫び上げ立慧も間合いを詰める。既に踏み込んでいた田中。無数の残像を残す突き打撃に、『赤錬丹』を喰らった立慧の拳と蹴りが加わり乱れ舞う。――奥の手として何を隠していようとも、そんなものを今更使わせるわけがない。


「――ッ‼」


 手数は圧倒的にこちらが上。最後まで機を与えずに攻め切るだけだ。


「――」


 襲い来る猛攻を辛うじて捌きつつじりじりとアデルは後退を続けていく。手の甲首筋に浮かび上がる太い血管――阻害されている魔力の熾しの方へ意識を集中しているのか、炎と聖節詠唱は飛んでこない。鍛え上げられた肉体が仮借ない杖の数撃に削り取られ、裂かれた皮膚から上がる飛沫が壁床を赤紅く染めていく。――行ける。


「――ッ」


 壁に詰まった。ここにきて痛恨のミス。それでも驚異的な動きを見せるアデルの右腕に、脇腹を狙った立慧の拳が流された瞬間。


「ぐ――ッ!」


 ――空を裂く一閃。狙い澄ましたように繰り出された杖の一突きが、アデルの左腕と肩口とを貫いた。


 ――やった!


 思わずして勝利を確信する。腕一本を失うこの損傷は致命的。最早田中と立慧両面からの猛攻を凌ぐことはできず、次の一撃で勝敗が決する。


「――」


 だからこそ、立慧はその光景に目を疑った。


「……っ」


 ――笑ったのだ。アデルが、追い詰められたこの死地において。動揺を割る――。


「ちぃッ――!」


 田中の舌打ち。即座に立慧もそのことを見て取る。引き抜くための力を加えられた杖先。それが血管が破裂するのではと思うほど苛烈な筋肉の締め上げにより止められている。――動けない。


「――〝使徒パウロの名下に於いて、解放すべし――〟」

「ハアッッ‼」


【神行法】に送る魔力を一息に増大。千景から陣地に更なる魔力が注ぎ込まれるのを覚えつつ、撃ち放つ渾身の崩拳。捨て身とばかりの勢いで、一直線に鳩尾を撃ち抜かんとするその一撃を。


「――ッ‼」

「っ――⁉」


 迎えたのは会心の手応え。疑い様もないその手応えに立慧の側が驚愕する。喰らえば敗北が必然の一手を、アデルは僅かも、躱す素振りさえも見せなかった。


「グフッ……‼」


 噛み締められたアデルの口角から鮮血が迸る。……間違いなく致命傷。自分の拳撃の威力を見誤ったのかと、訝りながらも立慧はその事実を看破する。あと一秒もすれば意識も失うだろう。そのあとは死なない程度に千景に回復させ、捕縛して他の戦闘へ向かう。それで全て――。


「――」


 終わるという思考を掻き消すように。力の抜けたアデルの身体から、閃光の如く迸ったのは眩い白。


「――ッ‼」

「くッ⁉」


 眼を刺し潰すような強烈な発光に反射的に二人が距離を取る。視界を細め、何が起きたのかと見据えた先で。


「ぐ……うっ……!」


 上げられる男の苦悶。よく見れば、輝いているそれは光ではなかった。


 ――火だ。光と見紛うかの如く白い炎。立ち昇る白炎の柱がアデルのいるはずの箇所を焼き尽くしている。髪を靡かせる風。頬を打つ空気の流れに、熱さは感じられず――。


「っこれは――」

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ‼」


 千景の呟きが不意の絶叫に飲み込まれる。アデルの姿は見えない。ただ、地獄の釜の底でもがき苦しんでいるような、背筋を凍らせるような叫びだけが響き渡り。


「――」


 見守る一同の前で、白炎が治まりを見せていく。次第に細くなり、勢いを落としていく炎。


「――」


 その中に垣間見た姿。驚愕に立慧は眼を見開く。……致命傷を受け、自ら炎に焼かれたはずのアデル・イヴァン・クロムウェルは。


「……冗談じゃねえぞ」


 無傷で立っている。生まれ変わったかの如くに傷の消えた肉体。服の裂け目と穴だけが負傷が夢物語ではなかったことを示している。……再び浮かべられるのは余裕を湛えたあの笑み顔。


「さて――」


 髪を振り払う。何も変えられていないわけではない。その身の端々にチラつき纏わされた白い炎。それでも何事もなかったかのように平然と、立慧たちに向けてアデルは言った。


「――第二幕と行こうか」



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