第十七節 泥の中から
「……なるほど」
外とは比べ物にならない暖かな空気の満ちるカフェ。対面する男が腕を組むのを、セイレスはまんじりともせずに見つめている。
「つまり禁術師というのは誤解であって、言ってしまえばローエル家の妄言だと」
「……はい」
協会から派遣されてきた、魔術師。――朝。仮眠から目覚めてどうしようか考えていたセイレスの前に唐突に現われ、瞬く間に彼女を拘束した。口を塞がれる前に喋れなければ、今頃どうなっていたかは想像に難くない。
「話は分かりました。……ふむ」
協会員は目を瞑る。こうして向かい合っているだけで生きた心地がしない。彼我の力量差は先の一件で明らかだが、相手がまだ力を隠していることをセイレスは薄々ながら感じ取っていた。家族から感じていたものとは比べ物にならない。これが、本山勤めの魔術師……。
「確かに……」
暫しの沈黙を経て、開かれた眼。
「私の眼から見ても貴女は禁術師には見えない。奴ら特有の抜け目のない感じがしないし、なにより禁術師として貴女は弱すぎる」
遠慮呵責のない言葉。だが今のセイレスにとって、それ以上に安心する言葉もなかった。
「その、それでは」
「信じます。貴女の言葉」
「……!」
安堵より、まず衝撃が先に立つ。……こうまで。
「いや、実は私としても少々拍子抜けしてましてね。ローエル家出自の禁術師の討伐だと気合いを入れて来てみれば、魔力も隠さない娘さんが野晒しで寝ているものですから」
「それは……その」
「どうしようかと思いましたよ。いやまったく」
公平に見てくれるとは。思う途中でそんな時から見られていたのだと知り、恥ずかしさが込み上げてくる。同時に、信じてもらえたのだという実感も。
「――では、貴女の今後の処遇についてですが」
協会員の口調が事務的な様相を帯びる。
「誤解とはいえローエル家全員から証言が出ている以上、私の一存で手打ちとするわけにはまいりません。貴女には協会で簡単な検査を受けていただき、禁術師でないことを証明していただくことになります」
「はい」
「禁術師でないとの証明が済めばこの件についてはそれで終わりです。時間もそう掛からないので安心して下さって大丈夫ですよ」
「……分かりました」
話を辿る。問題はない。言い分は納得できるし、自分でも必要と思う手続きだ。
「その後についても考えておかないといけませんね。普通なら、一般協会員として協会への所属を確立するところから始めるのですが」
そこで協会員は目を細めて笑顔を見せる。
「ローエル家の皆さんから逃げて来られる辺り、貴女には素質がありそうだ。支部仕えから始めても大丈夫かもしれません。自力で習得したという魔術も気になりますし」
「え……!」
思いがけない言葉。
「――ありがとう、ございます」
「約束はできませんが。今後の努力次第では、大いに上を目指せるでしょう」
柔らかな笑みを浮かべつつ、そう言われる。
「そろそろ出ましょう。会計は済ませておきます」
「済みません。この件が落ち着いたら――」
「費用として上に請求できますから、気になさらず」
どこまでもスマートだ。これが協会の、真っ当な魔術師の姿なのだろう。
「あ、ありがとうございます」
――あのときには、そう思ったのだ。
「……」
「――大丈夫ですか?」
道行く中途。歩みの遅れがちなセイレスを振り買って協会員は言う。
「ここからだとゲートまで距離がありますからね。歩かせることになってしまって済みません」
「いえ……」
致し方ない。協会のゲートは一般人の目につかないよう、いずれも辺鄙なところに設置されていると聞いたことがある。町中からでは当然距離があるだろう。ほとんど運動の経験のないセイレスには、まずまず堪える距離だが。
「……そろそろですか?」
「そうですね」
少し前から周囲には人気がなくなっている。ゲートがあるとしてもおかしくはない山道。掛けたセイレスの言葉に相槌を打ち。
「――そろそろいいですか」
前を行く協会員。その声の雰囲気が、僅かに変わった。
「うっ――⁉」
――瞬間、身体を荒縄で縛り付けられる感覚。地面に出現した法陣から伸びた魔力の帯が、疲労で力の残されていないセイレスの身体を地に叩き付けるようにして固定しに掛かる。強く打ち付けた膝と頬に走る痛みに。
「く――ッ‼」
魔力を熾す暇もない。林の中から現れた数人の男たち。――魔術師。助けを求めて協会員の方へと視線を遣った――。
「ご苦労でした。さて――」
セイレスの目に映ったのは、自分を捕らえたその男たちと親しげに会話をする協会員の姿。……次第に飲み込まれる事情。
「なんでッ⁉ 話が――」
「――黙れ‼」
傍にいた男の一人に髪を掴まれ、地面に顔を押し付けられる。閉じかけた口に土が入りこみ、湿った苦みのある味が口内を覆った。
「――貴女の言い分なんて、どうでも良かったんですよ」
初めから、と。協会員が語りかけてくる。笑みを浮かべたまま、あくまでもスマートに。
「多額の寄付に、優秀な術師を輩出してくれているローエル家の申し入れです。貴方のような小娘一人と比べて、どちらの方が価値があると思います?」
「……!」
「世間知らずだとは聞いていましたが、こうまで単純だとは。やりやすかったですよ、本当に」
ぶつけられる嘲笑。侮蔑の言葉に歯を食いしばる。……どうして? どうして?
私は――……‼
「では行きましょうか。――追加の術式を」
協会員の促しに伴い、男の一人が新たな呪文を紡ごうとした――。
「――待て」
刹那。響いた声に、強く閉じていた目を見開く。視線を動かしたセイレスの視界に。
「……その女性を離せ」
「……誰ですか?」
映り込んだのは一つのローブ。……身を包んだ大柄な男。その中から飛ばされた低い声に、協会員が相対している。
「見たところ、そちらも技能者のようですが。――我々は本山の協会員です。手を出せば面倒なことになりますよ」
「……」
脅しと取れる言葉にも男は無言のまま、一歩近づいてくる。セイレスたちの方に。
「――黙らせなさい」
指示に従って歩み出た数人の魔術師。多勢に無勢。この人数差ではと、セイレスが悔しさに視線を伏せた直後。
「が――⁉」
「う――⁉」
声と共に行われた一瞬の所作。状況を目で追えないうちに――。
「――」
勝敗は数秒で決していた。……見開いた目に飛び込んでくる光景。一掃された取り巻きの魔術師たち。歯を食い縛るあの協会員を、一人の男が踏みつけにしている。障壁で辛うじて防いだようだが、もう――。
「貴様は――っ」
剥ぎ取られたローブ。その奥にある顔を目にした、協会員の眼は驚愕に満ちていて。
「……チッ。これだから奴らの発表など当てにならん」
どこぞの誰かへ向けて、汚く苛立ちを吐き捨てた。
「機関を裏切って早々、今度は協会に盾突く気か?」
「……貴公には携わりの無いことだ」
「……っ」
術者の意識がなくなったからか――身体を縛り付けていた戒めは解かれている。だというのに、目の前に展開したその様を身体を起こしたセイレスは呆然と見つめることしかできないでいた。一体――。
「――良かったですね」
なにが起きているのかと。思いかけた意識に飛び込んでくる丁寧な声。
「生き延びられますよ、貴女。まあ、直ぐに絶望することになるでしょうが……」
答えを返せないでいるセイレスに皮肉気な視線を送り、協会員が上を向く。
「バカ娘一人捕まえる容易い案件だと思って来てみれば、とんだ落とし穴だ。人間、楽な方に流れるもんじゃないな」
口汚く毒づくその態度。前にして沸々と怒りが湧き上がってくる。……そうだ。
「俺にも家族がいる。妻と子どもを養っていかなきゃならない」
「……」
不自然なほど唐突な話題の転換。誰が見ても分かる、あからさまな命乞い。無実の人間を殺そうとしておいて、なにを今更――!
「だからキッチリ、殺してくれよ?」
「え?」
「――ああ」
口の端を上げた協会員に対し、男が躊躇いなく鉄塊を突き落とした。
「……どうして」
「……この男の任務は、貴女を協会へ連れ帰ることだ」
流れ出す赤い液。首を千切りとるように切断された協会員の死体を後ろに、男が言う。
「部下を全て失って失敗した上に、ただ生きて帰ればペナルティは避けられない。だが敵対する技能者に殺されたとなれば話は違う。任務に殉じたとして、遺族への見舞金も出るだろう」
男のその言葉でセイレスは気付く。倒れたまま動かない周囲の魔術師たち。あれらも既に、皆――。
「……私」
言葉が零れ落ちる。……協会は信用できない。大体話を聞いてもらおうにも、派遣されてきた者たちが死んでしまっていては。
「これから、どうすれば……」
「……」
途方に暮れるセイレスの前で、未だに動きを見せないでいる男。立ち去ろうとしたように向けられていたその背中が。
「……名は?」
反転する。問い掛けられた内容に一瞬、何を言っているのか戸惑い。
「……セイレス」
「――セイレス」
おずおずと告げた名が繰り返される。男の低い声で口にされた自身の名は、思ったよりずっと雄々しく響き。
「我らと共に、世界を滅ぼす気はないか?」
「……」
ホテルの一室。
〝……なるほどね〟
バロンに導かれるままに会わされたのは、彼らの纏め役と言う男。――ヴェイグ・カーン。
〝事情は分かった。中々に大変な目に遭っているようだね〟
息を吐く柔らかい面立ち。疑心暗鬼の最中にあったセイレスにとっても、その態度は信頼できるものと感じられた。
「……」
それだけに迷わされる。……提示された選択。
――バロンたちと共に、滅世を志す一員とならないか。
余りに荒唐無稽な話の内容に、一応の会話が終わり、宛がわれた個室に一人となった今でも考えが纏まらないでいる。……外に出た経験のないセイレスからしても分かるほど、上質な調度の整えられた一室であるにも拘らず。
〝……断われば?〟
〝僕たちに関する記憶を消してここから出す〟
思い浮かんできたのは、ヴェイグたちと交わしたその会話。
〝協会からもすぐには見付からないような場所にしよう。本当ならもう少し手を尽くしたいところだが……〟
セイレスを見たヴェイグは、そこで苦悩するように。
〝僕としても今は目的以外の事に余り割ける時間がない。……済まないが〟
「……」
……世界を、滅ぼす。
余りに突拍子もない意見だ。家族や協会員。考えようとした頭に浮かぶそれらのこと。
……分からない。
世界を滅ぼしたものかどうか。それでいいのか、後悔がないかどうか。判断を下すには自分は余りにも世界を、人々を知らなさすぎる。
――しかし問題はそれよりも、現実的な居場所の方だ。
あの協会員の言ったことが本当ならば、自分は既に禁術師として協会からマークされていることになる。協会に睨まれた者がどうなるかは、知識の中でも散々に知った通り。
着のみ着のままで飛びだしてきた自分に頼れる当てなどない。素性を隠し一般人として生活したとしても、常に協会の恐怖が付きまとう。……安寧を得ることなど不可能だろう。第一、魔術師としての自らを押し殺して生きるならば。
「……ふぅ」
あの日々と何も変わらない。行き着くその考えに息を吐く。……不安は大きい。
かの三大組織を相手にして、果たして彼らの活動が上手くいくのか。失敗した暁にはどうなるのか。その過程で待ち受けるものたち……。
だが少なくともここには、自分を助けてくれた人がいる。
自分と話してくれた人がいる。打算を抜きに、真っ向から自分と向き合ってくれた人たちが。
……そうだ。
選択肢など事実上あってないようなもの。群れ為す猟犬に追われた状態で、寄る辺のない森へ逃げ込むくらいなら。
必要なのではないだろうか? 自らを苦しめる者たちに、挑む覚悟の方が。
「――考えは決まったかな?」
「その前に、訊かせて頂戴」
決意して臨んだヴェイグとの対話。
「六人でやるつもりなのよね? 貴方が力を与えられると言っていたけれど」
鍵となるのは永久の魔の復活。そこまでをセイレスは聞いている。
「それを踏まえてもメンバーには優秀な技能者が必要なはずだわ。……私がその一人でいいのかしら?」
――そう。
幾ら独力で魔術を扱えるようになったとはいえ。……自分はあの協会員にさえ劣っている。彼らを一掃して見せたバロンの力を見れば、力量に開きがあることは明らかだ。それを迎え入れるなど――。
「勿論。――仮に同志となった場合、君には修行を受けてもらうことになる」
全く動じずに言うヴェイグ。口調は平静で。
「滅世に携わるには相応の力が必要だが、今の君にはそれに足るだけの力量がない。素質の方はあると思うけどね」
「……素質?」
白けるような思いがする。そんな見え透いた世辞のようなことを。
「冗談でしょ? 私に、なんの素質が……」
「その前に一ついいかな」
言葉尻を遮る微笑み。
「魔術を使って見せて欲しいんだ。簡単なものでいいから、今、この場で」
「……うん」
セイレスの披露した――魔術の炎を目にしたヴェイグが頷く。
「やはりね。昨日話を聞いた時にも思っていたけど、君の使っている魔術は、いわゆる普通の魔術ではない」
「――」
男の言い出したことにセイレスは絶句する。――なにを。
「……何を言ってるの?」
……同じなのか?
嫌でもその考えが過る。この男も。自分を認めなかった、あの家族たちと――。
「これは魔術よ。私の努力で掴み取ったーー!」
「君の使っているソレは、幻術だ」
一瞬固まる身体。……幻術?
「正確には幻惑系統の魔術だね。自らの存在を鍵として、対象の認識を完全なまでに誤認させる。……自分でさえ気付かないほどに」
まさか、そんな。向けられる視線。ヴェイグのソレは、セイレスの抱く心情を余すところなく汲み取るようで。
「君が今出して見せた炎は、幻なんだよ」
「……」
……幻?
あの魔術が? 足元の揺らぐ思いがする。……努力の末に、自分が掴み取ったと思っていたものは――。
「――独力でそこまでの幻術を扱えるようになるのは、並大抵のことじゃない」
耳に入るヴェイグの声。
「望んでいた方向とは違うのかもしれないけれど。……君のその力は、努力は誇るべきことだ」
「……」
「それに適性のない人間でも、属性魔術を扱えないとは限らない。例えば魔導書の力を借りることで、自分の力だけでは扱えない魔術を扱うことは充分に可能だ」
ヴェイグの手の内に現れる本。……そのことは知識としてセイレスも知っている。ただ。
「……でも、でも」
それを認めてしまったら。自分は結局のところ――。
「私は……」
「選ぶのは君だ」
ヴェイグが一冊の本を差し出す。先ほどとは別の。
「この『王家の書庫』の中には、僕が収拾した三百冊の魔導書が入っている。これを全て扱いこなせるようになれば、大抵の魔導師より高度な魔術を扱えるようになる。とはいっても――」
向けられるのは真剣な眼の色。
「楽な道のりじゃないことは覚悟しておいてもらう必要があるけどね。幻術に磨きを掛けることは勿論、魔導書の制御と言うのは一筋縄ではいかない」
――この人たちは、本気だ。
それを直感する。……本気で私に選択肢を与えてくれている。滅世という目的に向けて――。
「少なくとも日に十時間以上。厳しいかもしれないが――」
「――やるわ」
告げた一言。言葉の中途での決断に、目をパチクリさせるヴェイグ。
「……良いのかい? 同志となれば手は抜かない。今は良くても、遠くないうちに自ら殺し殺される危険に身を晒すことにもなる」
「……こんなこと、冗談じゃ言えないわよ」
ヴェイグを見つめるのは真剣な目。……例え幻術であろうとも。
それは立派な魔術だ。魔導書の力を借りたとしても扱いこなせるようになれたのなら、それもまた紛れもなく自身の力。
紛い物などでなく。失敗すれば二度目はない。しかし、あの日々を思い出したなら。
――どんな試練であっても、乗り越えてみせる。




