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第十六節 嘲笑

 

「くっ――‼」


 青年と少女との戦いの最中、滾る魔力で焼け付くような熱を放ちながら、セイレスは否応でもそのことを理解する。……強くなっている。


「――チィッ!」


 以前とは違う。四人がかりでも自分相手に逃げ惑うのが精一杯だった、あの時とは。ねめつける視線の先で青年を狙って撃ち出しておいた雷撃、火炎が躱される。本命として用意しておいた岩塊。雪崩の如く降り注ぐそれを塞き止めたのは眩い神聖の盾。以前の無属性魔術と比べて遥かに強固。幾多の魔術を操るセイレスと雖も易々と正面から破るというわけにはいかない。破壊を試みるならそれなりの集中が必要だが。


「ッ!」


 青年の挙動がその時間をこちらに与えない。近付かせないために打ち放った三連の魔術を歩法だけで掻い潜る所作。半ば自棄気味に放った連弾で漸く少女から再度の盾を引き出し、止まらぬ波状攻撃で強引に下がらせる。……かなりの身体能力だ。


 素のアデルを仮想敵として訓練してきたセイレスではあったが、単純な速さだけなら彼と互角とも思えるほど。呪具の力で瞬間的には上回ってくることも考えれば可能な限り近寄らせたくはない。魔力容量の三割を割いて三重の障壁を作っている、それも攻め切ることのできていない要因の一つ。


 ――それでも当初は、甘く見ていた。


 戦いの始まったいきなりに少女が披露した神聖の魔術には驚かされたが。……【不枯の魔力】の異能を持つ自らからすればその魔力容量は水たまりのようなもの。長引けば長引くだけ此方側が有利になっていく。焦って仕損じることもないのだと。


 しかし――。


「……ッ」


 重ねての確認。この期に及んでも殆んど消耗の気配を見せていない。疲労はあるが、それは此方と同じく魔力を繰るための集中から来るものだということがセイレスには分かっていた。……ここまでの持久力を見せるとなれば答えは自ずから導かれる。【神聖の支配者】――。


 ヴェイグより聞き及んでいた懸念の一つ。それがまんまと実現した形になったことでセイレスは如何ともし難くほぞを噛む。……手間を取らせてくれる。


 ――時間を掛けさえすれば、優位は自身の方にあるだろう。


 支配級の適性の保有量は膨大ではあるが底なしではない。青年への継続した無属性魔術の行使もある。魔力の尽きないセイレスと比べれば僅かにとはいえ消耗が激しいのはあちらであり、その差を勝敗を分ける差となすことは決して不可能ではない。……ただ。


「ちょこまかとッ‼‼」


 ――それだけの時間を割けるかどうかはまた別の話だ。今回の『アポカリプスの眼』たちは、セイレスを始めとして皆本領を発揮してきている。


 ただでさえ此方側が優位な強襲。こうしている間にもどこかの戦闘は終わり、手空きとなったメンバーが駆け付けてくるかもしれない。仮にそうなりでもすれば。


「――【天の雷】‼」

「――【中級障壁・神聖】‼」


 セイレスの面目躍如は果たせなくなる。敵方で最も弱い、子ども二人を相手にしながら他の戦いが終わるまで手古摺らされていたのだと揶揄されることは、雪辱を晴らす意気込みで臨んだセイレスにしてみれば耐え難い恥辱だった。またあの男に蔑みの目で見られるようなことにでもなれば――。


 ――いや。


 負け犬染みた思考を断ち切る。……保有量の差など関係ない。元より自分は、そのつもりで此処に来たのだ。


 小細工は用いない。純然たる己の実力でヴェイグから渡された仕事を果たすのだと。……そうだ。この戦いは、その為の――‼


「――」


 意気を新たにセイレスはこの状況を鑑みる。……少女の方を崩すのはまず不可能だ。強固な守りに加え神聖属性の強化を手に入れたことで足の遅さを咎めることができなくなった。例の力の発露さえなければ此方を脅かせないことを踏まえても優先的な目標ではない。それに――。


「――〝風よ〟!」


 どちらか一方が崩れれば他方にもどの道隙が生まれる。ならば自分が標的とするのは青年の側と定めて、悟られないよう適度に少女の側へ魔術を撃ち放つことも忘れずにセイレスは算段を立てる。まずは――。


「――っ⁉」


 不意。速度を上げて接近した青年へ反射的に術を放つ。これまでならいずれかで回避を強要できるはずの三連の魔術群。その全てを防ぎ出した障壁に不意討たれながらも、矢継ぎ早に紡ぎ出した魔術で接近を阻む。……速度が。


 障壁の反応速度が上がってきている。放たれた魔術を見てからではなく、魔力の熾りそれ自体に反応してきているのだ。生意気な――!


「ッ――!」


 各々の術に注ぎ込む魔力量を増加。盾一枚では防ぎ切れないほど範囲を広げて撃ち放つ。即座に応じたのは青年の纏う強化の魔力。勢いを増したその輝きに連れて青年の速度が上がり、盾を掻い潜る余波を全て躱していく。これでも――‼


「――っ」


 魔術の合間を縫って差し込まれそうになる刀身を雷の壁を張って退ける。不意に、唐突に気が付いたその事実に愕然とした。


 ――攻め込まれている?


 自分の側が。……狩る算段を立てていたはずが、いつの間にか後手に回らされている。対応を余儀なくされて――。


 ――攻め手は圧倒的に上のはずだ。


 それを再度確認する。【存在幻術】が扱えずとも、魔導書を含めて用いる魔術の総数は圧倒的に己が上。障壁のみ、剣技のみの貧しい攻め手に多彩さで劣ることなど有り得ない。


 ――なのに崩せない?


 愚直なまでに真摯な二人が。単純極まりないはずのその連係が。数扱えるはずの魔術と魔導書が上手く噛み合わない。歯車が軋み、音を立てて食い違えていくようだ。二者が見せる捻りのない、どこまでも直向きな連携を前にして。


 ――初めに遭った時はどうだった?


 取るに足りない小粒。警戒さえしていれば充分に始末できる。その程度の相手だったはずだ。それがこの短期間で、こうも変わる?


 その事実が恨めしい。……あれだけの努力。あれだけの研鑽を重ねて得た力に、こうも早く食い下がれるようになるなど。


 ……どうして。


 同時に浮かび上がるのはその疑問。……誰よりも。誰よりもと言えるほどに努力を積み重ねてきたはずだ。牢獄のようなあの日々を抜けるために努力した。認められるために努力した。初めて得られそうになった居場所を、初めて自分に向き合ってくれた人たちと、胸を張って立てるよう必死に。


 ……それなのに。


「……っ」


 どうして自分は、こんなにも弱いのだ?


 こんな子ども二人に手古摺るほどに。こんなにも――‼


「――ッ‼」


 憤激。胸中に滾る情を写し取るように走るのは火炎と雷撃の合わさった直線の道筋。当たればただでは済まない、だが威力に偏重したばかりに躱されれば隙を生む諸刃の剣。当然そのことを理解している青年は捕まらない。吹き出す暗黒の魔力。神聖の盾を両脇に携え、呪具の力で加速しながら前へ進み――。


 ――そう来るわよね。


 浮かばせるのは苛烈さに歪めた凄絶な笑み。憎しみも度し難さも全てを注ぎ込んで咲かせる逆襲の花。青年が気が付いて逃れようとしたその瞬間――。


「ッ――⁉」


 その挙動に一切の猶予を与えることなく。セイレスの周囲全てを、現われた巨大な氷晶が飲み込んだ。


「……ふふ」


 ――上回った。


 策略で撃ち破ったことに対し、思わずほくそ笑む表情をセイレスは隠せない。……決め手として用いたのは氷結魔術。


 元はただの上級。精々数メートル四方を氷塊に閉じ込めるだけの代物だが、魔力の六割近くを注ぎ込んで【臨界突破】を起こしたならば話は違う。セイレスを起点とした半径十メートル近くを一息に氷の牢獄へと変えられるその一手。如何に神聖の盾が強固であろうとも、空間そのものを対象とする魔術を単発の障壁で防ぐことは原理上できない。肉体に纏わせていた二重の魔力の抵抗で死んではいないだろうが、抵抗することは不可能だ。……まあ。


「……さて」


 万が一仮に死んでしまっていたとしてもそれでいい……。ヴェイグより言い含められたのは少女の捕縛。あの男の要求など苦労して守るほどのものでもないのだと、セイレスは内心で首肯する。厄介な呪具の使い手は封じた。あとはただ、攻め手を失った少女をじっくりと。


 料理するだけ――。


「――」


 ……なんだ?


 そう思って踏み出した直後。分厚い氷の奥から輝き出している光に、セイレスは目を凝らす。……神聖の魔力とは違う。氷を通しているせいかどこか青白く、冷ややかにも見える。そんな純然たる白い光。……これは。


「――ッ⁉」


 それが燐光を纏った白い壁だと気が付いた瞬間、悲鳴のような甲高い音を立てて。


「ッ‼」


 ――壁と氷晶とが一挙に粉砕した。勢いよく砕け散る氷の残骸――視界一面を舞い回るのは魔力の消滅で融けることなく消えていく儚き氷花。幻想的とも言えるその美しさに目を奪われている余地もなしに迫っている、


「――」


 一つの影。猛速で迫るその影に向けて、セイレスは魔力を踊らせた――‼







「――ッ」


 世界を包む白壁が消えた瞬間に砕け散る氷の檻。破砕した氷獄の破片が冷気と共に舞い散るその最中、見えたセイレスに向けて俺は全霊で踏み出でる。――間一髪だった。


「――」


 フィアの固有魔術がなければ今頃は。瞬く間に距離を詰めた俺に対し反射的にか紡ぎ出された雷撃と火球。迫る二つの軌道を看破して潜り抜け、競り出してきた岩壁を右足を軸にした回転で回り込む。――捉えたローブの姿。


 セイレスは間違いなく障壁を張っている。近接戦に弱い魔術師である以上当然の備えであり、それが何枚か、どれだけの強度かは分からない。――だからこそ。


「ッ――」


 取った構えで。全身に巡らせた意気と力。この場面で、必要な技は――‼


【一刀――


「――ッッ‼‼」


 ――一閃】‼


 全身全霊。関節が外れるかと思うほどの勢いで振り抜いた刀身から刹那に伝えられる三重の衝撃。阻む手応えを全て割り砕いて走る一閃は止まらない。構えの段階で見越した直線上、その軌道を過たず描き――。


「っ――」


 目の前の相手の首元、その肌の数ミリ手前へ突き付けた状態で止まる。風圧に流れる髪。間に合わないことを悟ったのか、熾ろうとしていた魔力の動きは中途半端に停止したまま。


「……俺は、貴女の事をよくは知らない」


 衝撃を覚悟して歪んでいたセイレスの表情。その双眸が突き付けて来る鋭い視線を見据えながら、選んだ言葉を紡ぎ出していく。


「どうして『アポカリプスの眼』に属しているのかも。……どうして、あんなことができるのかも」


 終月の柄を強く握りしめる。……脳裏に蘇る校舎の残骸。塵のように散らされた人たちの命。


「だけど――」


 目の前にいるセイレスを見据える。そうであって欲しいとの思い。都合の良い願望に支えられた、夢物語なのかもしれない。


「これが本当に、貴女のしたいことなのか?」


 それでもなお、問い掛ける。一抹の希望を胸に込めて。合わせた瞳を縁に、強く強く。


「……」


 沈黙。遠くから微かに爆音が聞こえる。時折起こる振動に震える空気と床。強引に止めた右腕、一気に加速した肉体がじくじくと痛みを訴えてくる。……それでも万が一にも下ろすわけにはいかないと、唇を強く引き締めたまま耐え続け。


「……はっ」


 不意に。終わりが見えないと思われた静寂を。


「あはははははははははははッッ‼」


 引き裂いたのは辺り一面を染め上げる哄笑。折り曲げた身を震わせ、肩を震わせ、鼓膜を震わせる笑いの響きに、思わず終月を支える腕が揺らぐのを感じる。笑いの治まった顔を上げ――。


「……したいことなのかですって?」


 再び合わせられるのはねめつけるように捻じ込む視線。根底から愚弄するようなその目付きと上げられた口角に、言いようのない不安を覚えた。


「――そんなこと、当たり前じゃない」


 姿勢を完全に元に戻して。顔横に突き付けられた刀身をまるで恐れていないように、小さく一度鼻息を吐くセイレスは。


「何かしら。もしかして、私が望まない行動を強要されてるとでも思ったの?」


 悠々と俺を見て嘲笑う。可笑しそうに、馬鹿らしそうに、その瞳を三日月に変えて嗤い尽くす。


「洗脳や拷問でもされて無理矢理に従わされているとでも? ――本当に笑えるわ」


 くっくと含むように嗤いを零し。――そこで、雰囲気を切り替えた。


「――あなたたちみたいなガキを見てると、本当にムカつくのよ」


 浮かべられた表情は最早嗤いではない。――憎しみ。憎悪の込められたセイレスの目が俺を、後ろにいるフィアを射抜く。溢れんばかりの情念が――。


「状況に恵まれたお蔭で偶々綺麗でいられる人間が。この世の淀みに遭わなかっただけで善人ぶっていられる人間が、未だに殺す覚悟も持てないような人間が」


 滔々と語られていく。……相対して初めて伝わってくる。


 これが、セイレスの……。


「私が戦うのは自分のためよ。――居場所のため。……そう」


 俺たちに向けられていたはずの言葉が、次第に自身に言い聞かせるような呟きへ。


「その為になら、何をすることだって構わない……」


 変わる。底知れない憎しみを内に込めた、底冷えのするその声――。


「――ッ!」

「黄泉示さんッ!」


 危険。走る直感に咄嗟に走らせた刀身が空を滑る。――硬い。覚えた手応えはまるで継ぎ目のない滑らかな球面。セイレスの周囲に。


「――〝滅びの時は来た〟」


 いつの間にか形作られていた強力な結界。近付くことを許さないという明確な一手。どれだけの力を注げば破れるか、その見極めに一瞬迷い――。


「〝見よ。第二の封は解け、人々は皆互いに殺し合う〟――ッ!」


 矢継ぎ早な呪を唱え終えると同時、その手の中に一振りの剣が現われた。……赤紅く鈍く光を発している赤銅の剣身。


「――」


 直刃であるはずのそのカタチはどこか歪。まるでこれまでに殺した者の血で塗り固められたかのような、本能的な忌避を感じさせるそれに怖気を覚え。


 ――来る。


「ッ⁉」


 振り被る所作に咄嗟に身構えた瞬間、セイレスが、その切っ先を勢いよく地面へと突き立てた。なにを――。


「――っ」


 ……なんだ?


 湧いてくる、この情動は? ……切りたい。切りたい。切りたい。


 生き物を刻みたくて仕方がない。殺し、奪い、屈服させる情景が脳裏に反芻する。何もかも打ち壊してしまいたくてしょうがない。今すぐ飛び掛かりそうに力の込められ、曲げられている脚を辛うじて押さえ付ける。


「……っ」


 気付けばフィアも動きを止めている。……胸を押さえ、苦しげに息をしながら。


「――堪らないでしょう?」


 飛ばされたのはセイレスからの言葉。囁き、誘うような声。


「戦いたいでしょう? 壊したいでしょう? 殺したいでしょう? 目の前の私も、何もかも」


 ……駄目だ。


「……っ……!」


 この感情に。……情念に、任せて動いては……!


「……中々にしぶといのね」


 魔力が揺らぐ。滾る情動を抑えるのに必死で、【魔力解放】もフィアの強化も保てなくなっている。その最中。


「けれどももう、これで終わり」


 セイレスが俺の顎に手を掛ける。引き上げ、映ったのは勝利の笑みを浮かべた二つの――。


「――【ゴルゴンの眼】」



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