第十五.五節 葵の思い
「――」
【水流槍】。
無言の詠唱に応えて圧縮された水流が射出される。予定された軌跡から即座に散る魔導書たち。避け切れない一冊が纏う魔力の防壁を撃ち抜き、力を失った紙束が地に墜ちる。
セイレスの放った爆発で蔭水黄泉示たちと分断されてから早数分。数百に至る数の魔導書に囲まれた葵だが、これまでに大した損傷は負わされていなかった。精々服の端が破れ焦げる程度。大半は事前に用意されたパターンに従って動くだけの傀儡に過ぎず、魔導書だけではインターバルも長い。冷静に挙動を見極めて対処していけば問題など殆んどなく、現にこれまでで既に四十近い数を落としている。……しかし。
「――【水障壁】――」
間断なく撃ち続けられる魔術を張り巡らせた水流のヴェールで流し逸らす。底上げされた身体能力と櫻御門流の身こなしで降り注ぐ氷槍を躱し、振るった水刃で一息に二冊を両断。古びた紙片の束を散らす。放たれている魔術は全て中級から上級レベル。最上級魔導師足る葵にとって恐るに足りないものであり、気を抜きさえしなければ傷を負うことは有り得ないという、その認識は変わらない。
「――」
それでもなお依然、この数の差は大きな問題として葵の眼前に立ち塞がっていた。五十を片付けるまでで計三分。動きに慣れ始めている今ペースは徐々に上げていくことができるだろうが、葵にも納得のいく合理性を持って組まれた魔導書の陣形はそう容易に突き崩せるものでもない。如何ともし難く時間はかかる。単純に二十分間とはいかないまでも、それに近いだけの時間が。
――【水刃三閃】。
視界を覆う魔術弾幕の一角を切り開いて身を通す。――加えて警戒すべき要素。概算で二百を数える魔導書群の中に二冊だけ、他とはレベルの違うものが紛れている。動き方からしてまず違う。決まりきったパターンを繰り返す大勢と比べて明らかに浮いている不可思議な挙動は、観察する葵の注意を引くのに充分過ぎるものであった。魔術も放つことなく遠巻きに浮動するその様は、まるでこちらの様子を観察し返しているかのよう。人間のような動きだと切にそう感じさせてくる。意志を持つ魔導書……。
――あれは危険だ。
記憶を思い返し、重ねて強く葵はそう断じる。……一息に半数近い数を減らす手札。先ほどから切るかどうかを迷っている手札はやはり切れない。あの二冊に付け込むだけの隙を与えるという行為が、どう考えても好手としての意味を帯びてこないのだ。
道具相手では【心眼】の異能も役に立たない。支配級の適性を持つ葵に魔力を使い果たす心配はなかったが、援護に行く前に連れ去られてしまっていては意味がない。あの魔術師の狙いは自分ではなく、あの二人であることは明白なのだから。
――存外に早く、その時が来たのかもしれない。
葵は思う。自らの後代。若く不安定な彼らに任せなければならない時が、否が応でも。どれだけのリスクが伴っていようとも、その結果彼らが死ぬことになろうとしても、致し方なく。
少なくとも現状の葵にこの魔導書の群体を一息で蹴散らす手段はない。仮に自分がここで踏み留まることを選ばなかったなら、この魔導書の群れは他の戦局へと向かい、自分が捨て去ったのと同じだけの重みを他者に与えることになるだろう。
全てを一手に負える者などいはしない。補佐官たる葵は重々その事を良く承知している。なればこそ、自分に可能なことをやるしかない。できる限りを全力で貫き、そして――。
願わくば彼らが、直面する困難を彼ら自身の手で乗り越えられることを。




