第十五節 相剋
「――駄目ですな」
またしても。繰り返しのような同じ言葉が、耳に突き刺さる。
「反応がまるでない。適性は皆無……上達の見込みはないでしょう」
「そんな……」
「なんとかならないのですか? 先生」
「お気の毒ですが……」
悲痛な声を上げる両親。懇願を受けた男は首を振る。いかにも遺憾だと言ったように。
「ああ……」
「どうして、お前は……」
母が顔を覆う。父が嘆く。その様子を、セイレスはただ見ているだけだった。
――ローエル家。
魔術師として名家。自分の生家が幾代にも渡り優秀な魔術師を輩出してきたという話は、セイレスも子どもの頃からよく聞かされていたこと。
――いつか、お前も立派な魔術師に。
物心ついてからセイレスが聞かされてきた両親の言葉。セイレスとて幼心に自然とそのことを受け入れてはいた。自分もいつか、父と母の言うように――。
その自然に亀裂が入ったのは、六歳で初めて魔術の指導を受けた時のこと。
「用意はいいかな? まず、指先に意識を集めて――」
両親の頼んだ教師は物腰柔らかで、丁寧な指導を持ち味としていた。セイレスの緊張を解し、教えの内容に集中させる。
「頑張って、セイレス」
「落ち着いてな。まずはゆっくり。焦らなくていいんだ」
両親も応援してくれていた。そんな教師と両親に対し、奮起したセイレスが披露したのは――。
――三時間。教師の提示した指導を、なに一つ熟せないという異様だった。
魔力保有量、魔力の感知能力、魔力操作に必要なセンス。
――魔術師として必要となる魔術的素養が、セイレスにはどうしようもなく欠落していた。
……それからセイレスの日常は一変した。
両親から言い付けられたのは、外出の禁止。
魔術の名家として誇りを持つ両親にとって、魔術師でない娘を人前に晒すことは耐え難い恥辱であったらしい。一日の大半、一月の殆んど、一年の多くを家の中で過ごす生活が始められた。
「――あんたは本当に駄目ね」
姉からは執拗にからかわれた。自分の前でこれ見よがしに習い覚えた魔術を披露して見せる。
「――どうしてお姉ちゃんは出来ないの?」
無邪気に楽しそうに魔術の話をする妹。投げ付けられる無遠慮な言葉が痛く。
「お姉ちゃんはね、病気なのよ」
母が言う。理解させまいとして取り繕っている、その態度でさえセイレスには苦痛でしかない。
「お姉ちゃんの病気、早く治ると良いね!」
向けられた他意のないはずの笑顔が、身を深々と切り刻んだ。
「……」
あの日自身の生活が変化してから、およそ十年。
最も遠くが見渡せる、三階の大窓の前にセイレスは座っている。……両親から憐れまれ、姉妹からはできないと言い続けられる日々。
惨めで、屈辱に耐え続けるだけ。自由さえ許されない籠の中で――。
――こんな風にして、自分は一生を終えるのだろうか。
窓から外の景色を眺め。自分自身にそう問い掛けたとき。
――嫌だ。
答えは、意外なほど強く明瞭に響いてきた。その残響を覚えつつ。
……そうだ。
思う。自分はまだ、なにもしていない。
ただ両親と教師とに見放されただけ。他人の言うことを真に受けるばかりで、自分ではまだなにも試してもいないということに、セイレスはその時気付いたのだ。
――魔術師になろう。
なって、この生活を変える。両親を見返し、姉を見返し、妹を見返す為に――‼
外の世界を見つつ誓ったその決意が、新しい毎日の始まりだった。
「……」
朝目覚めて家族全員の食卓で朝食を取る。変わらない苦痛を無視し、地下にある書庫、他人の入らぬ埃だらけの場所で魔導書を読み漁る。――まずはとにかく知識。
素養のない人間が魔術師になろうというのだから、それについて知らなければ話にならない。分類やジャンルなど問わず、片端から読んだ。
ひたすらに読み漁った。読み耽った。寝る間を惜しんで目を赤くし、澱んだ空気に咳き込んでもなお読み続けた。
――そんな生活が、九年ばかりも続いただろうか。
「……」
婚約者を得た姉の嘲りは変わらない。両親は、腫物でも触るように自分を扱う。事情を理解した妹の眼は既に、憐憫を含んだものに変わっている。
――挫けそうになることは何度もあった。
その都度家族が自分を嗤い、憐れむ顔を浮かべて自分を奮い立たせてきた。……必ず見返してやる。父も母も姉も妹も。自分を取り巻くもの全部全部。
そうして、忘れもしないあの日。
「……!」
遂にセイレスは見付けたのだ。固まりつつあった自身の考えを実現にもたらす、最後の一ピース。開かない扉を開くための鍵を。
「……」
自身の言葉で一室に集まった家族たち。父と母の視線が纏わりつくのを感じ、セイレスは息を吐く。……大丈夫だ。
「良いんだよお姉ちゃん。無理しなくて――」
「――さっさと見せてみなさいよ」
間違いがないかどうかは何度も確認した。気遣うような妹の台詞を姉が遮る。心配げに見つめる瞳も、にやにやと嗤う目も、どちらも酷く煩わしい。
「このあとも彼と会うんだから。あんたに付き合うほど暇じゃないのよ」
――良いだろう。
セイレスの中の自分が嗤う。……存分に見せてやる。不可能を可能にした、私の努力の成果。その結実を――‼
家族の見守る中、セイレスはそれを披露しに掛かった。
「――」
……満ちる沈黙が心地よかった。
セイレスが魔術を扱うのを目にした、家族は何も言わない。自分は、魔術師になった。
自分の力で。常識を捻じ曲げて。家族や教師の誰もが夢見なかった偉業を成し遂げた。これで――。
「……セイレス」
父が口を開く。謝罪か驚愕か。どちらにせよいい気味だと、セイレスは心地よい気分で得意げにその台詞を待ち――。
「お前一体、なにをした?」
底冷えした父の声に一瞬、疑問を覚えた。
「さっきも言ったじゃない」
が、すぐに鼻で笑う。どうやらまだ理解が追い付いていないらしい。
「この家にある魔導書を片っ端から読んで、適性のない人間でも魔術を扱える方法を突き止めたのよ。まあ、誰にでもできることじゃ――」
「――嘘を吐くな‼」
不意を突く激昂に、声が止まる。
「……素養のない人間が魔術を扱えるようになるなど有り得ない」
父の目に映る、明確な否定。
「おかしいんだ。お前の、やって見せたことは」
「……あんた」
父に続く姉の声。そこにあるのはいつもセイレスを見下していた笑みではなく。
「なんなのそれ。魔力の動きはあったけど、詠唱が初めから欠落してる。そんな術式、聞いたことない」
得体の知れないものを前にした、恐怖の張り付いた眼。……震える声。聞いたことがないのは当然だ。これは自分が編み出した――。
「セイレス……貴女まさか」
何かに気づいたかのようにハッとし。半信半疑というような口調で母が口を開く。その唇から出た――。
「禁忌に――」
「――な」
わけの分からないその言葉。発言に、声が詰まる。……禁忌?
「……なにを言ってるの?」
声が震える。怒りで、理解不能さで戦慄く。
「これは魔術よ! 私が努力して掴み取った、新しい魔術‼」
「……お姉ちゃん」
――何を馬鹿な。妹の視線。今までに見せたことのない恐れの混じった眼が、セイレスの焦燥を加速させる。叫べば叫ぶほど、彼らの言葉をセイレス自身が肯定しているかのようで。
「どうするの⁉ 家から禁術師が出たなんてことになったら、私たち――‼」
「協会の人たちが、黙ってないよ……
「あなた……」
「……仕方あるまい」
家族の反応と視線を受け、家長たる父が、重々しく、心苦しそうに宣告した。
「――セイレス。お前を禁術師として、協会に引き渡す」
「――」
――なにを。
「お前が道を誤った責任は私にもある。魔術の使えないお前に魔導書など、読ませるべきではなかった……ッ!」
「……ごめんなさい、セイレス」
何を言っているのだ? 歯軋りと共に悔いている父が、涙を流しながら謝っている母が。
「……悪かったわ。あんたには、謝っても謝りきれない」
「……お姉ちゃん、ごめんなさい」
こんなときにだけ素直な態度を見せる姉が、理解できない。涙交じりの妹の声音が道を塞ぐ。――どうして? どうして? 目の前で熾される四つの魔力の高まりに――。
「――ッ!」
「待ちなさい、セイレス――‼」
飛ぶようにして走り出す。背中を追う悲鳴のような母の叫び。
それが、セイレスの最後に聞いた家族の声だった。
「――はっ……」
――冷たい。
凍えそうな寒さの中、荒ぶる息を必死で抑える。……父と母。
姉と妹。四人の術師による捕縛、追跡を潜り抜けた。……それだけでも以前のセイレスにはできなかったこと。力を掴み取った確たる証だ。
――なのに、どうして?
自分はただ、自分の居場所を作りたいだけだった。自分を見下している姉妹、諦め切っている両親に魔術を突き付け、どうだと高らかに笑ってやりたかった。力を認めさせ、今までの行いを謝罪させる。
それがどうして、こんなことになる?
家族の顔一つ一つを思い出す。……悪意があってくれればまだ良かった。嫉妬や妬みからの行為であれば納得できたし、それ相応の態度で臨めたはずだ。
だけど、あれは……。
彼らはセイレスが禁忌に手を染めたと、本気で考えていた。あの罪悪感に満ちた表情の衝撃は、そう簡単に拭い去れるものではない。
――そこまでする気はなかった。
あれはそういう目だ。……考えもしなかった、あり得ないと思っていた破綻を前にして自らの行いを悔いる瞳。既に手遅れだということ、それを招いたのが他ならぬ自身なのだということを、恥じ入りもせず。
――なんだそれは。
憤りが内心で熱を持つ。……家族が禁忌に堕ちて罪悪感を覚えるのなら、なぜ初めからまともでいない?
その時を前にして悔いる気持ちがあるくらいなら。最初から、普通の家族として接してくれていれば――。
「……っ!」
下らない感傷に陥りかけた思考を引き止める。今考えるべきはそのことではない。
条理を捻じ曲げる快挙だとしても、それでも自分はただ魔術を使えるようになっただけ。魔術師として必要な技法の殆んどは未だ身に付けていない。中でも魔力隠匿ができないのは致命的。
禁術師を取り逃がしたとなれば当然、父と母は協会に連絡を入れるだろう。禁術師の撲滅は協会の悲願。著名な魔術師一家の証言が揃ったなら、間違いなく追っ手が掛かる。それも恐らく本山レベル、下手をすれば支部長クラスの術師。そうなれば――。
「うっ……」
暗い想像。押し潰されそうな不安に思わずえずく。逃げられるわけがない。幼少期から何度も読み聞いた禁術師の末路。あれが、自分に。
……いや。
「……そうよ」
違う。そもそも自分は禁術師などではないのだ。思い込んでいるのは家族だけ。禁術師の討伐に派遣される術師なら、魔術に関する知識はずっと豊富だろう。自分の術法が禁術ではないと見抜くはずだし、そうなれば訴える余地はある。寧ろ掛けられた嫌疑を晴らし、自分の置かれた立場の改善に一役買ってくれるかもしれない。
「……っ」
そう思うことにして、ひとまずセイレスは立ち上がる。こうしてばかりもいられない。着のみ着のままで飛び出して来てしまった以上、手持ちの金銭はゼロ。なるべく見付からなさそうな箇所に絞って、この森の中で寝床を探すしかない。幸い魔術で火は起こせる。火が焚ければ寒さは凌げるだろう。
「……」
――考えることなどない。
歩き出しと共に浮かんできた考えを一蹴する。彼らはセイレスの技法を禁術でないと見抜けなかった。つまるところそれは、魔術の名家と言っても大したレベルではないということ。
高が知れる。生まれつきの素養があれども、努力で這い上がった自分の方が何倍も魔術師に相応しい。きっと……。
「……」
執拗に自分にそう言い聞かせてみても。身体の芯までを凍らせるような寒さは、一向に消えなかった。
「――ふふ」
本山の内部にて。爆破の余韻の中、セイレスは一人ほくそ笑む。
分断は上手くいった。補佐官は左へ、標的は右へ。別々の空間に落ちたようだ。
特別補佐官の力をセイレスは甘く見ていない。……以前相対した賢者見習いと仮に同格の腕だとするならば、標的と同時に相手をするのは厄介。今の自分であっても仕損じる可能性がある。
「――行きなさい」
指示に従い夥しい数の魔導書が左へ飛ぶ。……その数二百と九十。総数の殆んどとヴェイグより渡された書を裂いての一手だが、それでも仕留め切れるとはセイレスは考えていなかった。強力な魔導書と言っても所詮は本。パターンに従って動かされるだけでは時間稼ぎにしかならない。それでもこの手を打ったのは、それで充分過ぎるからだ。
書庫内から選りすぐった十数冊の魔導書があればあとの二人は仕留められる。……呪具一つなら問題はない。あの得体の知れない力は発揮させず、自分の力で。実力差のままに押し切って予定通り連れ帰るだけだ。
「――見てなさい」
憎々しい男の顔を思い返す。自らの名誉を挽回できるときの訪れを想って。
意気高く。セイレスは、右の陥没へ身を躍らせた。
「――ッ!」
衝撃に逆らわず、フィアを抱き抱えて大きく飛ぶ。――迫る地面。
「きゃっ‼」
円環の力でなるべく衝撃を殺して降り立つ。……追って来るセイレスの気配はしない。そのことを確認してから降ろしたフィア。腕を離れる感触……。
「あ、ありがとうございます……」
「……いや、助かった」
爆発が起きたあの瞬間、輝く光の障壁が俺たちを包み込んでくれていた。今こうして無傷でいられるのはフィアのお蔭。そのことを端的に示して周りを見る。
――サロン。本山屈指の人気スポットであるはずの此処もこの状況下では当然の如く人気はない。憩いの為に作られているはずの空間だが、今だけはまるで安らげる気分にはなれなかった。……胸に湧いてくる緊張感。
「葵さん……」
フィアの声で思い返す。……爆発は俺たちと葵さんとの間を遮るようにして起きた。無我夢中で反対側へと跳んだため、葵さんが無事かどうかは確認できていない。
「――大丈夫だ」
それでも確信を込めて言い切る。……俺たちがこうして無傷でいるのだ。あの葵さんなら、間違いなく無事で切り抜けられたに違いない。俺たちが心配しても始まらないという、そのことを念頭に。
「葵さんなら。――それよりセイレスだ。あいつは間違いなく、俺たちを追って来る」
連れ帰ると言った先ほどのセイレスの台詞を思い返す。恐らくはこれもそのための分断だろう。
「ここで迎え撃とう」
「……はい」
覚悟を決めたようにフィアが頷いた。──直後。
「――サロンとは気が利いてるじゃない」
現れた気配。届いてきた声に振り向く。
「わざわざ迎えに来てくれた客人を持て成すには、恰好の場所よね」
笑み。――セイレス。悠々と歩いてくるその周囲には、やはり魔導書が浮かんでいる。先ほど見たときより、数は大分少なくなっているように見えるが……。
「……父の指示か?」
「ええそうよ。まあ、今回はそれだけじゃないけれど」
尋ねた俺にセイレスは忌々しげに舌打ちをして。吐き捨てるように口にすると、俺の後ろに立っているフィアを見た。
「ヴェイグからの直々の頼みなの。その娘を、連れてくるようにとね」
「――え?」
意外な台詞にフィアが声を上げる。……フィアを? なぜそんな――
「不思議よね? 私だって納得してないわ。――まあ、理由なんてどうでもいい」
セイレスの目が鋭さを増す。
「着いてきなさい。無駄な抵抗をしなければ、痛め付けずにおいてあげるわよ」
「……」
フィアと目を合わせる。送る答えは決まり切っている。頷き合いながら前を向き――。
「――断る」
「お断りします」
ほぼ同時。声を揃えて、否を突き付けた。
「……本当に忌々しいわね。貴方たちみたいなガキが、この私に勝てるつもり?」
無言。沈黙を貫いた俺たちに、痺れを切らしたようにセイレスは顔を歪めて。
「――ならいいわ」
冷え切った声。冷たさではなく、凍て付くような熱さを内に秘めているのが分かるような。
「ボロ雑巾のようになるまで嬲って連れていってあげる。どちらが上か、ここで思い知らせてあげるわ」




