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第十四節 強襲 後編

 

「――」


 魔力感知に突き刺さるような異変を感じ、郭は第三書庫へと向かっていた足を止める。……状況の把握。動き出しているのは複数の気配。


 フィア・カタストたちには葵が付いている。支部長たちは元より気に留めるまでもない。リゲルには――。


「……」


 癪に障るとはいえ、賢王に任せるのなら最悪の事態は避けられるだろう。郭の見る限り賢王は殊更にリゲルを気に入っているようでもあった。貴重な戦力の一人であることを考えても、傀儡のように使い捨てるということはないはずだ。……そう簡単には。


「まあ、此方に集中できるというのは有り難いことですかね」


 言い聞かせるようにふうと息を吐く。……もし不手際があったらどんな手を使ってでも責任を取らせてやろう。そう考えると自然と溜飲が下がっていく。唯一気掛かりなのはジェイン・レトビック。本来なら自分がこのまま向かいたいところだが。


「――」


 全く予測した通りのタイミング。床下から突き出て来た岩杭を石火の余裕を持って躱し切る。魔力を手繰る方角に撃ち放つ突風。盾の如く出現した岩塊を切り刻む風の刃が、なにか一際硬い物に激突し、弾け飛んだ響きを耳で捉える。


「――また貴方ですか」


 捉えた姿。手にされた二対の滑らかな鉄塊。立っているだけで周囲の者を威圧する、巌の如きその巨躯は。


「邂逅は二度目になるな。賢者見習い」


 バロン・ゲーデ。出で立ちは以前協会支部前で遭遇したときとほぼ同じ。ただ、岩から削り出されたかのような深く鋭いその双眸に、今は静かな決意が宿っているように感じられた。


「わざわざ僕を選んでくるとは、余裕ですね」


 郭は言う。――あの時の戦いは大まかに言って互角だった。


 だがそれは、相手方にセイレスという魔術師がいたからこそ。加えて幻術に囚われた二人をも守らなければならなかった状況。一対一ならば自分の側が有利という、それが事後的な郭の見立てであり、そのくらいは相手方も理解していると考えていたのだが。


「……貴兄に手を出させるわけにはいかぬ」


 殺気を漲らせるその口調は重々しい。……足止めのつもりか? 葵たちの方でセイレスの魔力が蠢いていることは郭も把握している。魔術師の側に、なにか邪魔をされたくないわけでもあるのか――


「――〝滅びの時は来た〟」


 意識を打つのは不意討つ詠唱。


「〝見よ。第三の封は解け、一切の者は飢え果てる〟――」

「――ッ!」


 雰囲気が切り替わる。直後に打ち放った爆破の魔術、回避不可能な範囲を計算して打ち放ったその術を、見違えたかのような速度――素早さを以てバロンは躱す。


「慈悲も、容赦もない――」


 手に持つ鉄塊の重量を感じさせない軽やかな挙動。同時に覚えた違和感に、郭が僅かに表情を歪めた。


「我が悪逆の前に――砂と消えるが良い」
















「――なに⁉」

「っ……!」


 突き出した腕を擦る杖が流す瞬間、空間を揺らす凄まじい衝撃と、力の気配とに二人は動きを止める。


「嘘でしょ⁉ 結界が破壊された――⁉」


 信じ難く、だが確かに感知できるのはその事実。龍脈と接続された【大結界】。理論的にも現実的にも正面からの突破は不可能と謳われたその結界が真っ向から破られるという事態は、協会員である立慧たちにとって悪夢であり、否応ない不吉を連想させた。


「……合流すっか」


 速まる鼓動を押さえる立慧の正面。いち早く色を執り成した田中が呟く。


「俺らや櫻御門たちはまだいいとして、あの眼鏡が一人でいんのはマジィだろ」

「そうね」


 ジェイン・レトビックは後衛としての能力が優秀な代わり、単独での戦闘能力がほぼ皆無。その事実に同意しながらも立慧には気掛かりがあった。この時間帯、一人でいるだろうもう一人……。


「行きましょ。ここからなら走れば――」


 逡巡に時間は使っていられない。廊下へと向かった立慧の耳に、背後から届いた軽い足音。


「――立慧‼」

「千景!」


 振り返った視界の内に――姿を見せたのは小柄な支部長。親友であるその姿を見間違えるはずもない。


「なんだ。随分と早えじゃねえか」

「良かった。けどどうして」

「偶々下の階にいたんだ。一番近かったのが此処だったからな」


 胸を撫で下ろす安堵感。千景の発言に立慧は頷く。……学園での前回の戦闘。詳らかにされた力量差を踏まえれば千景と雖も単独での不利は明白であり、接敵以前に合流できたことは不幸中の幸いと言っていい。


「レトビックのところに行こうと思ってたの。行きましょ」

「そうだな。手遅れになる前に――」


 会話の中途で首筋を悪寒が走り抜ける。支部長となってから幾度となく覚えてきたその感覚。ほぼ同時、田中に僅かに遅れて立慧と千景が過たずその方角を向いた。


「――私の後ろに下がれ‼」


 千景の叫びに二者が立ち位置を変えた直後、迸ったのは紅の業火。景色を埋め尽くすように広がった火炎の波はしかし、ある一定の線で区切りを引かれたかの如く立慧たちの側までは押し寄せて来ない。


「――流石だな」


 火の海と化した中庭。その中を、悠然と歩んでくる影。


「上守千景。聞いていた通り、守りには秀でた術師のようだ」


 品の良い仕立てをされた聖職衣。布地の上からでも分かる筋骨の隆々振りが、ミスマッチな雰囲気を作り出している。


「アデル――‼」

「ほう?」


 思わず上げた声。立慧に目を細め、アデルは口の端を上げた。


「二度目の邂逅とは。どうやら浅からぬ縁があるらしいな。お前とは」

「……っ」


 眼光と笑みに――過るのは僅かな震え。それを悟ったかのように、田中が半歩前へ歩み出た。


「お前さんがアデル・イヴァン・クロムウェルか」

「――武人か」


 田中の構えた杖を見るその一瞬、アデルの雰囲気が僅かに変わる。


「支部長三人。相手にとって不足はないな」


 分かる。臨戦態勢を整えつつも、三人を前にしてアデルは余裕を失っていない。……『アポカリプスの眼』としての力も使わず――。


「――ッ」


 場に膠着が訪れた一瞬後、立慧の視界から田中の姿が掻き消える。――背後からの接近はフェイント。瞬転して応じようとしたその所作を空ぶらせ、叩き込んだ一撃は正面から。


「……やるじぇねえか」

「……これが武人か」


 田中のその強襲にアデルは過つことなく対処していた。真っ向から杖を受け止めたのは鍛えられ鋼鉄の如き強度を得た剛腕。競り合いに漆塗りの木肌が僅かに軋みを上げる。


「恐ろしい動きの冴えだな。――だが得物が杖で心許なくないのか?」

「――【陣地火大】」


 笑みと共に渦巻いた熱風。魔力の熾りから一瞬の遅れもなく千景が紡ぎ出したのは、身体能力と炎属性の力を活性化させる陣地術。


「【式反転】!」


 その効力が裏返る。今正に燃え上がろうとした炎の勢いは急速に弱まり、競り合う田中の杖も身も焼き焦がすことはない。千景をただの支援役と見ていただろうアデルが、その眉根を僅かに押し上げ――。


「ッ――‼」

「む――っ」


 その隙を狙い討つように。田中との均衡を崩さないアデルの側面に、【神行法】を稼働させた立慧が現われた。


「フッッ‼」


 放たれるのは胸を突き刺すような崩拳。以前より鋭さを増した拳をアデルが左腕で受けた瞬間、崩れた天秤に田中の杖が躍動する。顎、脇腹、大腿部。刹那に繰り出される三連の突き。


「ッ――‼」


 顎元への攻撃は受け逸らし、あとの二撃は受けてアデルは後方へと引き下がる。追撃しようとした二人の出足を抑えたのは勢いを取り戻した業火の迸り。朧気な輝きを増す陣術と猛り狂わんとする炎とが勢いを賭けて鬩ぎ合う。再度抑えられた火炎の攻勢に、田中とV字を描くようにして立慧が接近した――。


「――忙しないな」


 その挙動を飛来した光の槍が遮る。歩法を用いて素早く体軸を転換。身体の元あった空間を神聖の魔力が貫き去ると同時、田中を襲っている夥しい数の矢を立慧は目にする。――【聖節詠唱】。詠唱を破棄された、しかも二種を同時に。


「久々に戦いができそうだ。神に感謝しなくてはな」

「――っ笑ってんじゃないわよ──!」


 三対一での戦い。にも拘らず口元に未だ浮かべられた笑み。憎々しいその表情に奥歯を噛んで、立慧は駆けた――。



















「……これは」


 書庫。うず高く積み上げられた本の山の脇。背後に現われた冥王へ言われた通り反応を見せようとしたところでジェインはその方角へ振り返る。……ここからでも分かる強大な圧力と、全身に伝わる振動。――襲撃。まず間違いなく『アポカリプスの眼』――。


「ち――」


 記憶している本山の全体図を思い描く。……此処からでは遠い。全員と離れてしまっている。事態の切迫性を悟り、早急に取るべき行動を考え――


「――こんばんは」


 冥王に声を掛けるより早く、艶やかな声が耳に届いた。


「――ッ」

「……随分敏感な反応だね。まあ、気持ちは痛いほど分かるけれど」


 ジェインが視線を向けた先。……気配も魔力も悟らせずに近付いてきていたのは一人の女。出口は佇む女の後方にあり、会話に紙を介す冥王との連携は取り辛い。振り切るためには【時の加速】に加え、如何様な手段が必要か。


「――僕は《十冠を負う獣》」


 その考慮は、女の次の発言を前にして留め置かれた。


「……『アポカリプスの眼』にいる協力者か」


 そうだよ、と。頷きに合わせてしなやかに黒髪が揺れる。……外見的な特徴は聞かされていたものと一致する。だが。


「僕としては、君たちと戦いに来ているつもりはないんだ。だからそちらも矛を収めてくれないかな? ――ねえ」


 幻術で姿を模倣することもできる。思案する意識の中で反響する声色。後半の言葉は明らかに目の前のジェインではなく、姿の見えない誰かに向けて発されたもの。


「凶王の一人、《冥王》だろう? 僕には分からないけど、神器が反応しているからね」


 ジェインが女性の姿を認識したその瞬間から、若しくはそれよりも以前から、背後に立っていたはずの冥王の姿はいつの間にか消え失せていた。――穏形法。そのつもりがなかったとはいえ、味方であり近くにいたはずのジェインにすら全くその挙動を悟らせなかった。……気配も魔力もない。


 それをある種の意味で女性は完全に看破していた。肢体に絡み付いている鎖。その一部が不自然に震えているのを眼鏡の奥の瞳でジェインは見咎める。……神器。聞いている通りだとすれば、迂闊に手を出すことはできない――。


「いてくれて助かったよ。あとで少しは言い分が立ちそうだから。――ほら、これならどうだい?」


 女性が諸手を上げた瞬間、重々しい音を立てて床に落ちる鎖の束。予想外の挙動にジェインの眼が丸くなる。


「そっちの君も少しは信用してくれないかな。いい加減、肩の力を抜いてさ」

「……」


 ――この相手に交戦の意志はない。


 ジェインからしてみてもそればかりは明らかだった。目の前の相手からは闘気も殺気も感じられず、姿を堂々と晒した上で命綱であるはずの守りさえ解除している。先手を取れたはずの一手目でも真っ先に声を掛けてきた。――そして何より。


「……分かった」


 冥王が命を奪っていない。ということはつまり、目の前の相手を殺すべきだと判断していないということだ。自分などより余程仔細に敵意や偽装を感じ取れるはずの冥王が。それを頼りにジェインは自らの対応を決める。


「そちらのことは此処では疑わないことにする。――率直に訊きたい。敵は何人いる? 誰が、誰のところに向かった?」


 今最も気になるのはそのことだ。敵は強襲を成功させた。仕掛けの段階では相手方がイニシアチブを握っており、事態の重さを考えるなら直ぐにでも加勢しなければならない。力の天秤が傾いている箇所があれば可能な限り迅速にそれを戻す。でなければ……。


「意気込んでいるところ悪いけれど、君たちには暫く此処にいて貰うから」

「なに?」

「だってそうだろう? 邂逅しておいて早々に逃げられたなら、君たちを追って僕まで着いて行かなきゃならなくなるじゃないか。流石に他のメンバーの前で手を抜くわけにはいかないしね」

「……今此処で『アポカリプスの眼』を裏切る選択肢はないのか?」

「ないね」


 ジェインの提言を女性――《十冠を負う獣》はにべもなく一蹴する。


「今はまだその時じゃあない。命の危険を押して君たちに協力してるわけだし、タイミングくらいは僕の方で決めさせてもらうよ」


 内部事情に詳しいのはこっちの方だしねと。言う十冠を負う獣の言葉に誤りはない。協力者を相手にしている以上、ジェインとしてもそこを無理矢理捻じ曲げるわけにはいかず。


「少し話でもしていこうじゃないか。君たちに伝えたいこともあるしね」

「……分かった」


 今は従うしかない。冥王が動かないことを再度確認して、ジェインは握り締めた拳へ更に力を込めた。



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