第十三節 強襲 前編
「……」
傾いた日の光が僅かに差し込むだけの鬱蒼とした森の中、蔭水冥希はそこに立っている。自分と共に背後に控えている四人。前に立つ、永久の魔の背中を眺めながら。
「……」
重々しい存在感に鉛のようになった空気の中で――徐に黒紫の剣身が抜かれる。……見据える前方におかしなものは何も見えない。だが、そこに何かがあるということはこの場にいる全員が承知していた。復旧された【大結界】。人間の力では破るに及ばない、龍脈地の力を利用した不落の守り。
「――」
永久の魔が構えを取った事実に冥希の眉根が僅かに上がる。その一瞬だけ、纏う邪気の全てが掲げられた剣身に吸い込まれるように見え。
「――【究極断罪】」
大気を震わせるその声と共に、大地を断つかの如く剣が振り下ろされた。
「――」
目にも留まらぬ。蔭水冥希からしても絶望的な速さで刻まれた黒紫の軌跡が空間を裂断する。悲鳴にも似た軋みを上げて歪み、耐え切れなくなったかのように砕け散ったのは目の前の何も無さそのもの。消え失せたその背後から――。
「……」
顕にされた目を見張るほど巨大な建造物。中心と思しき円柱に走る真新しい一本の線からは、落ちていく太陽に続く暗い空が見えた。
「……あとはお前たちの仕事だ」
「――感謝する」
一語。端的な謝辞を告げて冥希は同志たちと共に走り出す。強襲には速やかさこそ不可欠の要素となる。相手が体勢を整えないうちに邂逅できなければ意味などなく、そのことを踏まえて十秒足らずで亀裂から侵入。障害にならない有象無象は捨て置いて石造りの床を走り抜ける。
「――ではな」
標的を感知したのか――いの一番に方角を変えたアデル。それを皮切りに次々とばらけて行く同志たち。巨大な本山に散っていくその大まかな方向を確認したのち。
「……」
自らが仕留めるべき得物へと向けて。蔭水冥希は、床を蹴る速度を上げた。
――夕刻。
「では、僕はこの辺りで失礼させてもらいますよ」
大方の内容を終え、疑問となる細かい点を確認して貰っていた最中――いつもより早い時間帯で郭が告げる。
「珍しいな」
「葵さんの要求をクリアしたことで、貴方たちも一定のレベルには来ましたのでね。忘れているのかもしれませんが、僕も色々と忙しいんですよ」
やれやれと言う風に両手を上げる動作に言い返せない。……古典魔術のことか。
「幾つかは既に修得しましたが、引き出しが多いに越したことはありませんので。――ついでに彼の様子でも見てきますよ」
そう言って。足早に訓練場を出て行った。
「……」
俺たちの修行に付き合って、今から自分の勉強か。
郭自身が一切そんな態度を見せないのであれだが、時間を取らせていることにどうしても申しわけないような気持ちも湧いてくる。……今の段階の【魔力解放】も大分慣れてきたことだし、これからはもっと自主練習を増やしてもらっても良いかもしれない。思い付きについて訊いてみようと俺が口を開いた――。
「――ッ⁉」
「きゃあッ⁉」
――なんだ⁉
瞬間、突如として襲い来る強大な衝撃に足を取られる。脚に力を込め、転びそうになる身体を辛うじて押し留める。……地震か? だが――。
それにしては振動の方向がおかしかった。今のはまるで、本山そのものが何かに殴り付けられでもしたかのような。
「な、なに……⁉」
「……これは」
動揺している様子のフィア。いつになく険しい葵さんの表情。まさか。
「――ッ」
素早く部屋を飛び出した葵さん。その後に続いて廊下に出た瞬間――。
「――」
視線の先に目にする。……走る亀裂。断たれている空間そのものを。
……間違いない。
心の内側で歯噛みする。……襲撃だ。何がどうなっているかは分からないが、それだけは確か――。
「ま、待ってくだ――ッ⁉」
「――ジェイン・レトビックと合流します」
遅れて出てきたフィアが俺たちの眼にしているものを目の当たりにして顔色を変えた。それを契機としたのか、短く言い渡して振り向かずに葵さんが歩き始める。
「この時間彼は一人で第一書庫にいるはず。恐らく他もそこに集まってくるはずです」
「ッ!」
――そうだ。
事態はもう切り替わっている。どんなに不意打ち気味で、それまでいつも通りだった空気が突如として緊張を煽る炎に変わったのだとしても、置いていかれるわけにはいかないのだ。そのことを胸に。
「――行こう」
「はい」
素早く交わした視線。共に頷いて後に続いた――葵さんの背中が、ホールまで来て不意に立ち止まる。
「……葵さん?」
問い掛けにも返答がない。――どうしたんだ? その身体はまるで僅かな空気の乱れを探ろうとしているかのように、微動だにせずに――。
「――伏せなさい‼」
「きゃあッッ⁉」
「ッッ⁉」
爆発。壁面が粉砕し、飛び散った瓦礫が降り注ぐ。
「――落ち着きなさい」
「っ――」
襲い来た瓦礫は何時の間に俺たちを取り巻く水の帯に吸収されている。鮮やかな手並み。
「カタストは強化と障壁の用意。蔭水は呪具と【魔力解放】を」
「は、はい!」
朧気な光の障壁。円環で強化した能力で気配を探る。……なにが。
「――こんばんは」
脳裏に浮かんだ疑問を消し飛ばす声。目を見張る俺たちの前で、粉塵の中から姿を現したのは。
「また会ったわね。坊や、お嬢ちゃん」
「……セイレス」
煙の治まりに連れて髪を隠していたフードを脱ぎ去る。見慣れてしまったローブの魔術師。
「補佐官もいるのね。お目に掛かれて光栄だけど」
前に立つ葵さんを見て、薄く笑った。
「今回の主役は貴女じゃないの。大人しく引っ込んでいて頂戴」
「……っ」
強気なセイレスの言葉に不吉を覚え――そちらを向いていない葵さんの視線に釣られて、天井を仰いだ直後。
「――」
「――ッ」
目に入るのは宙に浮く無数の魔導書。小さく息を呑むフィア。数百冊はあろうかというそれらが、いつの間にか俺たちを見下ろしている……!
「じゃ、御機嫌よう」
魔力の高まり。声を上げる暇もないまま。
――強烈な爆発が、俺たちを襲った。
「――っ‼」
急遽。声も出ないほど強引に引き倒された衝撃で痛む背中を、さすりながらリゲルは立ち上がる。
「大層強引な客ですね」
立ち上がりもせず。そう溜め息を吐いているのは賢王。今し方リゲルに行った行為など何処吹く風。無論その必要性を見せ付けられてはいるのだが、日頃の行いを知る身としてはどこか腑に落ちない感情が残るのを差し止めることはできなかった。
「……なんだってんだよ一体」
目の前を一直線に過る、亀裂。……亀裂と言うには些か滑らか過ぎる縁口は、巨人の振るう刃物で両断されたかと思うほどに深く、広い。天井までそれが走っているのを確認して、思わず唾を呑んだ。
「【大結界】が破壊されたのでしょう。これだけの芸当ができるのは敵の首魁か、はたまた『永久の魔』か……」
「マジかよ……」
その光景にもまるで動揺を見せない賢王は、更にサラリとそんなことを言ってのける。驚愕から覚めやり漸く状況を整理し始める頭脳。……敵の強襲。それも、かなりマズイ状況だ。
「――どうすんだ? 黄泉示たちと合流した方が――」
「それができれば最良ですが、恐らくそんな猶予はないでしょうね」
見ている側が焦れるほどいつも通りの仕草でカップから茶を含む。
「結界を破壊した時点で先手は敵方が有利。私なら合流などさせずに、各個撃破を狙います」
「そりゃまあ――」
――そうだと。この後の展開を考えつつ、リゲルがそう言おうとした刹那。
「――ッッ‼」
よだつ怖気を感じて身を沈める。頭上を視認することのできない速度で通り過ぎていく何か。正体を予測するより先に、切り開かれた壁向こうに立つ姿をリゲルは目にした。
「……」
長刀二刀を手に、緩やかに下げられた両の腕。力みない刀身と身体に纏わされている暗黒の魔力は、僅かも揺らぐことなく薄皮一枚の線まで絞り込まれている。
「――黄泉示のオヤジ‼」
記憶と共に反射的に構えを取った。……姿は変わらず。が、今はどことなくそれだけではない。二度に渡り邂逅の経験を持つリゲルには把握できた。蔭水冥希特有の研ぎ澄まされた鋭利な気配だけでなく、これまでとは違う、暴力的なまでの威圧感を五感がヒシヒシと感知している……。
「――なるほど」
応じて闘気を練り始めたリゲルの横前に、見知らぬ小柄な身が並び立つ。
「此度は用意を整えて来た……と。流石は救世の英雄。同じ轍は踏みませんね」
いつの間にか出現していたソレは、二人の少女。――いや、少女と見紛うかのごとき矮躯は、しかし人形だ。これまで訓練でリゲルが目にしてきたモノよりも一回り小さく、滑らかで、気品に似た美しさがある。年相応の衣服を纏うその姿は爪先から髪先に至るまで人間と何一つ変わらず、ただその異様なまでに白く抜けた肌だけが虚ろな物として其処にあっていた。……そしてその意味が、リゲルにも分かる。
「――賢王か」
賢王が。あの賢王が、本気で当たるべきと判断したのだ。今の蔭水冥希に対し、全霊を持って当たるべしと。
「誂え向きだな。仕留めるには」
眼中にない。蔭水冥希の視線は先ほどから動くことなく、賢王一人に固定されている。その暗黙の了解を得るまでもなく、リゲルとて分かり切っている。今身構えている自分が、どれだけ場違いな場に身を置いているのかを。
「……はっ」
――だからこそ。
「人の目の前に出てきといて無視とは、良い度胸してんじゃねえか」
敢えて口角を吊り上げる。両腕を上げて取るのはファイティングポーズ。徹底した抗戦の意志と、如何なる相手にも立ち向かう気概を示す構え。
「見せてやるよ。今の俺は、この間の俺とは殊更に違うってな」
「無謀を勇敢とは言わないのだと、我々はもう何千年来も言い聞かせているような気がしますがね」
奮い立たせた心に躊躇なく水を差す一言。
「まあ、格上に喧嘩を売るその意気込みだけは見るところがありますか。――最後に一つ大物を相手に修行の締め括りとしましょう。気張りなさい。リゲル」
「……望むところだぜ」
賢王はどこまでも楽しそうだ。力無い笑みに冷や汗が滲むその先で、冥希が構える。動く構えは見えずとも、構えたとリゲルにははっきりと見て取れる。次刹那。
「――」
刀が動いた。その理解を最後に、リゲルの意識は戦いに呑まれた。




