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第十一節 選ぶ道 後編

 

 ……その後。


「……」


 一日の疲れと汚れとを洗い落とし。あとは眠るだけとなった部屋の中で、俺は一人ベッドに腰掛けている。……このままでいいはずがない。


 ――どうしたいのかは決まっている。あの治癒室で考えた末に出した答えは、俺の中でとうに。


 ただ……。


「――っはい」


 思考の最中。響いたノックの音に答えて、ドアを開ける。立っていたのは。


「――黄泉示さん」

「……フィア?」


 フィアだ。既に風呂に入ってきたのか、俺同様パジャマに着替えたその姿は、寝る前に何かを思い付いてやって来たようにも見える。伺うように俺の顔を見つつ。


「済みません。……今、大丈夫ですか?」

「ああ……」


 頷いて中へ。フィアが俺の前を通り過ぎる一瞬、微かに漂ってくるのは澄んだ花のような香り。……わけもなく心惹かれるような、気持ちを落ち着かせてくれるような、そんな好ましい香りだ。ドアを閉め。


「実はその、黄泉示さんに頼み事があって……」


 やや内股をして椅子に腰掛けたフィア。ベッドに掛けた俺が尋ねるより前に話し出す。……頼み事? 一体――。


「その……身体を触らせてもらえないでしょうか?」

「え?」


 暫しの硬直。訊き間違いかと耳を疑う俺の前で、心なしかフィアの頬が赤く染まっていく。自身のその変化で以て。


「あ、あのですね」


 俺の考えるだろうことを先読みしたのか、フィアが、意識的に真面目を心掛けたような声を出す。……頬は染まったまま。キュッと膝元を閉めたその姿では、効果は今一つだったが。


「千景先輩が前に、その……」


〝──強化法で重要なのは何よりも、術の対象となる相手の特徴を捉えるってことだ〟


 誤解を解くような口調で聞かされたのは、先輩が以前フィアに伝えたという助言の内容。


〝特に間接系統で、蔭水の奴が固有技法を使うんだったらその重要性は更に高まる。つまり――


「……」


 ……フィアが俺の身体の具体的な筋肉の付き方などをイメージできるようになれば、より強化の効率が上げられるということか。


 耳打ちしていた先輩の悪戯っぽい表情と、フィアの反応とを思い出す。それで……。


「……」

「……分かった」


 溜め息交じりに答える。上達のための手助けなら断る動機はない。それにじっと答えを待っているその態度を見れば。


「……ありがとうございます」

「……服の上から触るくらいで良いんだよな?」

「はい。大丈夫です」


 フィアがある程度、思い詰めて此処にいるのだということくらいは流石に思い遣れた。途中でふと不安になったことを尋ねておく。頷き返したフィアに、取り敢えず右腕を伸ばし。


「えっと、じゃあ、失礼して……」


 フィアの手が指先に振れる。俺のよりも細く柔らかな指。感触を確かめるように、軽く押したり握ったりしつつ、そのまま掌、手首、腕の方へ。


「……」


 ……なんだか凄く、くすぐったい。


 ムズムズするというか。優しく撫でるような指使いに、伝ってくる体温と柔らかな掌の感触。フィアの求めに応じて時折力を入れたり曲げ伸ばししたりするが、押したり握ったりする動作も力が弱いので痛みはない。どこまでも丁寧に触れてくれているのが分かる。……気恥ずかしいことは気恥ずかしいが。


「……」


 真剣なフィアの表情を見ていると、それも場違いな事のように思えてきている。思い返すのは以前フィアの治癒魔術の練習に付き合っていた時のこと。あのときにも、確かこんな――。


「……私」


 肩周りを触られている最中。あの香りの届く近くから、響いてくるフィアの声。


「もっともっと、頑張ります」


 首筋に掛かる息。フィアが俺を感じているのと同様に、俺もフィアを感じている。ただそれ以上に。


「この頃漸く神聖の方の魔術も使いこなせるようになって来たんです。だから――」


 届く声が。背中を終えて前に回ったフィア。俺を見上げるようにして、小さくはにかむように笑った。


「――一緒に頑張りましょう。黄泉示さん」


 ――その笑顔。


「葵さんの課題に合格できるように。二人で頑張れば、きっと方法があると思うんです」

「……フィア」


 その態度に胸を突かれる。考えるより先に。


「――済まなかった」

「えっ?」

「……俺は」


 口を突いて出た言葉。……予想外だろう。突然謝った俺に驚きを示しているフィアに、釈明するように話し続ける。


「終月を全力で振るうことが、……恐い」


 ――そう。


 俺は恐れている。例えその場所が模擬戦で、相手が葵さんであったとしても。


 今の俺が全力で終月を振るうことで、相手を傷付けてしまうことになるのではと。取り返しのつかない結末を招いてしまうのではないかと。……あのときから、ずっと。


「セイレスに言われたように。……だから今まで、全力では振るえなかった」

「……それは。けど――」


 ……そうだ。


 それでもフィアは言ってくれるかもしれない。セイレスに言い切ったときのように、他人を傷付けることを決意することは、覚悟ではないと。


 俺は間違っていないのだと。だから――。


「だから、決めたんだ」


 俺自身の決意。迷わないように、揺らがないようにそのことを口にする。


「俺はこの先誰一人、殺さずに戦う」

「――」


 強く言い切った俺の宣言。受けたフィアは、その翡翠色の瞳を少し大きくするように見開いて。


「……でも、それは」

「ああ」


 分かっている。


 あのときセイレスにしたようにでは駄目だ。……臆して見逃してしまうようでは、見す見す殺されてしまうようではいけない。だから。


「相手は倒す。……倒した上で止めてみせる」

「……どうやってですか?」

「……俺たちの相手は、人間だ」


 足場にするのは最も大枠とも言えるそのこと。


「話のできない化け物じゃない。必ず動機があるはずで、相手の方の事情も思い遣れれば、きっと止められる方法があるはずだ。無理じゃないと……」


 思いたい。父やセイレスのように切り捨てずに済むように、そう思いたかった。


「そう、思うんだ」

「……」


 話の間俺を見つめていたフィアの視線が、逸れる。……自分で言っていても分かる。


 俺の出した回答は単純だ。──話ができない相手だっているのかもしれない。互いに事情が思い遣れたとしても、どうにもならない場合があるのかもしれない。敵対する相手一人一人にそれをすることに、どれだけの時間が掛かるのかも分からない。


 それでも――。


「……多分」


 膝上で食い込むほどに握りしめた掌。答えを待つ俺の耳に届いたのは、小さな呟き。


「それはきっと、とても難しい道のりだと思います」


 視線を俺へと戻したフィアが言う。……俺が思っている以上にと、そんなことを訴えかけるような瞳で。


「けど」


 ――転調。決然とした輝きを宿した翡翠の瞳が、変えられる。


「黄泉示さんがそう決めたなら、私も力を尽くします。……黄泉示さんと一緒に」

「――」

「――私も」


 思いがけない台詞に少し目を見開く。そんなことをする必要はないと告げようとした俺を差し止めたのは。


「……誰も死ななければそれが一番だと、信じていますから」

「っ――」


 フィアの見せたその表情。……今まさに死に逝く人たちを前にしているかのような、深い悲しみの色を持った態度に一瞬の硬直が応じた後で。


「……ああ」


 肺腑の奥底から、息を吐き出した。……そう。


 ――そうなのだ。……切に思う、俺も。


 誰も死ななければいいと。例え戦いがあったとしても誰も死ぬことがなければ、果たしてそれはどれだけいい世界だろうか。東小父さん、エアリーさんにレイルさん、秋光さんやリアさん、レイガスに、永仙……。


 だがそうはいかない。それはできない。例え俺が何もしなくとも、戦いは必ずや起こる。……この状況が続いていく限り、否応なく。


 ――ならばせめて。


「……フィア」


 俺たちだけであっても、それを貫いていこう。


「明日、葵さんから一本取ろう」

「……はい」


 静かに交わした誓い。そのためには、できることはやっておかなくてはならない。


「えっと、じゃあ続きで……」


 フィアの手が再度服の上から肌を撫でていく。胸板から脇腹へ。恐らく次は腹筋辺りへ行くのだろうと考え――。


「――一応全身の筋肉を触るんだよな?」


 ふと思い至ったことに思わず尋ねる。……つまりはその先も。


「はい──ふくらはぎとか、腿の筋肉の付き方とかも知っておきたくて。座ったままで大丈夫なので、足の方とかも……」

「……」


 ……そうか。


 変わらず真剣な表情で身体に触れていくフィアを見ながら。俺は、やがて来る試練の時に向けて覚悟を決めた。











 朝食を終えたあとの訓練場――。


「――」


 これまでと同じように、終月を構えて葵さんと向き合う。……コンディションはいい。


「……」


 これまででもかなり。黒の刀身越しに見据えるのは、まるで隙のない端麗な立ち姿。考えてみれば今までの俺には、単なる恐れ以外にも迷いがあったように思う。


 葵さんの技の巧さを見せられたばかりに、及び腰になっていたのだ。刀を振るおうとする度に思い浮かんでいたこと。――これでいいのか?


 また流されるのではないか? もっと体勢を崩してからの方が。急に接近されないよう、ある程度距離を取って。


 ――違う。


 思う。殺す殺さないの覚悟も含めて、それらは全て振るう前に片付けておくことだ。そして一度放ったならば余計な雑念は持ち込まない。……そうでなくては。


「では、今日の一回目ですね。――始め」

「――」


 ――戦えない。郭の合図と同時に掛けられる強化と【魔力解放】。葵さん相手に温存は無意味。端から全力でいかなくてはならないことはこれまででも分かっている。集中した俺の視界の中で。


「ッ!」


 踏み出した葵さん。予備動作のない、不意を討つような滑り足で前へ。速度を量り兼ねているうちに間合いへと入り込み、突き出される鉄扇に。


「――」


 終月を振ることなく距離を空ける。技術では葵さんに及ばない。下手に手を出せば次の瞬間地面に転がされているのは俺の方。それを今まで何回も繰り返してきた。同じ轍は踏まないと、そう思った――。


「――ッ」


 瞬間に見せられた突如の回転。下がろうとした側面に入り込まれ、流れるように掛けられた足に重心が傾く。――崩しに来た。このままなら続く葵さんの技の餌食だが。


「ッ!」


 軸足に込めた力。鉄扇の向きが変えられる前に踏み止まり、一気に床を蹴って離脱する。……足が軽い。


 フィアの間接強化がこれまでになく動きを支えてくれている。……筋肉の確認の成果。羞恥や何やらにどうにか耐え切った甲斐はあった。加えて――。


 変化があったのはフィアの側だけではない。フィアの強化に俺の【魔力解放】も合わせるよう、維持の意識を変えているのだ。俺に纏わせる魔力の流れの大筋を教えてもらい、それを意識しつつ沸き上がる魔力の流れを制御していく。……いける。


 格段に動けるようになった自身を自覚して思う。――いける。今の俺たちならば――!


「――」


 一瞬フィアの方へ動いた葵さんの目線。まさかと思わされた刹那、絡め取るような扇の動きが居付いていた終月を襲う。察しが遅れながらも円の動きから辛うじて外した刀身、生まれた衝撃に思わず弾かれたように葵さんの動きが滞りを見せる。――一瞬とも言えぬほど僅かな隙。


「ッ‼」


 ――それが罠だと分かっていてなお、猛然と踏み込んだ‼ 【一刀一閃】。


〝私の障壁で葵さんの動きを止めます〟


 俺の選択を受けた葵さんが鉄扇の動きを変化させる寸前。魔力の流れから俺の動きを汲み取ったのだろう、フィアの障壁が葵さんの身体を閉じ込める。眩き神聖の盾。


〝黄泉示さんは全力で振って下さい。当たる寸前に――〟


「――ッ‼」


 その光に脅かされるものを感じながらも、躊躇わず力の限り終月を走らせる。衝突するなどとは考えない。――ただ。


〝私の方が解除しますから〟


 全力で――ッッ‼ 突風の如く走る黒刀が盾とぶつかりそうになるその刹那。


 ――幻の如くに消え去った光の檻。散る残光の中から姿を現したのは、閉じ込められる前と同じ位置に立っている葵さん。


「……」

「……見事です」


 その脇腹の手前。服に振れる数センチ手前のところで、終月の黒い刀身が止められていた。ぴったりと。


 ――よし。


 何よりもまずそのことに安堵する。……しっかり止められた。直前で無理矢理ブレーキを掛けた手と腕は痛むが、大した痛みではない。フィアと共に挑んで、一本を取れたのだ。それがなによりの──。


「ですが――」


 耳に入る声の調子が変わる。刀身を戻した俺の眼に映るのは、明瞭に物言いたげな葵さんの眼。


「余計な気遣いは無用です。仮に貴方が全力で打ち込んできたとしても、応じるだけの用意は整えていました」

「……はい」


 それはそうなのだろう。これは模擬戦。予定された一撃で葵さんがどうにかなってしまうとは考え辛い。あれが明らかな誘いだったことも含めれば尚更に。……だが。


「この修練はこれで修了です。休憩のあと、各々の訓練に移りましょう」

「……ありがとうございました」

「ありがとうございました」

「――良い連係でしたね」


 そうだとしても俺とフィアには大きな意義があった。踵を返した葵さんに二人して礼を述べる。大きく息を吐き出した俺に、掛けられる声は郭から。


「まだまだ細部は荒いですが。――期待していますよ。これからに」

「――」


 素直な賞賛の台詞。郭が、珍しく。


「しかし、まさか一晩であそこまで仕上げて来るとは。――できるならもっと早くからやって欲しかったですがね」

「それは……」

「……すみません」


 傍から見れば正にそうに違いない。実際にはあのタイミングでなければ無理だったのだとしても。二人して謝った俺たちを──。


「……」


 やや離れた場所に立つ葵さんが、静かな眼差しで見つめていた。



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