第十節 選ぶ道 前編
――夕飯を迎えた食堂。
「それでよ、人形だけかと思ってたら、いきなりあの鳥が襲ってくんだぜ⁉ マジで死ぬかと思ったぜ全く」
「確かにハードだな……かなり」
パンを咀嚼しながら話を聞く。……賢王との修行は相変わらず過酷そのもの。状況を考えればあの賢王と雖も流石に一線は超えないだろうという不安定な信頼と、当のリゲルが毎回こうしてしっかり生還してきているということを差し引いてもよく無事でいられるものだという思いが過る。実際には無事というのは不適切なのだろうが……。
「それを乗り越えてるリゲルさんも凄いですよ。その分、凄く強くなってると思います」
「僕からしてみれば単に毎回、勝手に思い込んで自滅しているだけのようにも思うがな」
「ああ?」
横から挟まれた口にメンチを切るリゲル。ジェインも変わらず書庫通いを続けているらしい。姿を見るのは毎日の食事時くらいで、それ以外はこもって魔術の訓練をしているそうだ。
「そういうテメエはちゃんと訓練してんのかよ? 本ばっかし読んでて、いざってとき役立たねえのだけは御免だぜ」
「――試してみるか?」
苛立ったように眼鏡を押し上げたジェインが立ち上がる。俺とフィアが止める暇もなく、上等! と素早く拳を構えたリゲルへと殴りかかり――。
「おっ⁉」
打ち下ろしを悠々と躱して。放たれたリゲルのアッパーが寸前で止められる。波打つように揺らめいて消えるのはジェインの姿。踏込みの振動を受けた長テーブルが微かに揺れ、触れ合う食器類が音を立てた。
「――ちょっと、何やってんのよ」
「元気なのはいいが、食事時くらいは静かにしろよ」
「すんません!」
先輩たちから飛ぶ声に謝って座り直すリゲル。その眼に睨み付けられているジェインはどこ吹く風。席に着いたまま涼しい顔だ。今のは……。
「――幻術ですか」
幻。そう思った俺の意識に発された声が被る。水の入ったグラスを手にこちらを眺めている郭。
「確かに司令塔である貴方とは相性がいいかもしれませんね。幻術に重要なのは術そのものの派手さ強力さというよりも、見破られない精緻さと使い方ですから」
……なるほど。確かにそうかもしれない。ジェインも自分のスタイルを踏まえた上で、それに合った術理を修得してきているのか。流石――。
「前に立てない以上はそれくらいしかできることもないでしょうし。後ろで逃げ回って策を練る貴方にはピッタリでは?」
「そうかそうか。流石、先達が言うと説得力が違うな」
「――んで、黄泉示たちの方はどうよ?」
笑顔のまま睨み合う二人。ともすれば板挟みになりかねない位置のリゲルは難なくこれをスルー。慣れたものだ。
「【魔力解放】の調子とか、【間接強化】の進捗とかよ」
「ああ……」
「それは……」
「中々上達はしていませんね」
関係ある話とみてか、即座に口を挟んで来る郭。
「傍から見ていてじれったいくらいです。教えている側としては、そろそろ進展があって欲しいんですが」
「……葵さんが強敵なんだ」
賢王たちとなにやら話している姿をチラリと見つつ、言う。……フィアの【間接強化】に、レベルの上がった【魔力解放】のブースト。
葵さん自身は強化魔術を使っていないということもあって、円環なしでも身体能力では決して負けていない。二つを同時に使ったならば寧ろ確実に上回っている。それくらい有利ではあるはずなのだが。
「技のレベルが違い過ぎて……中々」
「あー……」
実際に相対してみると、際立つのは俺の戦闘技術の低さ。洗練された葵さんの歩法や体捌き、鉄扇術に対して【一刀一閃】が精々の俺では余りに為す術がない。身体能力に得物のリーチの差があってなお。
単純な防御では防げない崩しや組みつきの動き。強引に攻めに出ても力を逸らし、流される。……完全に力を技で返されている状態なのだ。あの差をどうにかできなければ、恐らく一本を取ることは難しい……。
「確かにな。前の模擬戦でも思ったけど、葵の姉さんはかなりデキるよな。すげえやり辛い動きだったぜ」
「お前が完全に引っ繰り返されていたしな。あれは相当に無様だった」
「そうそう――っておいコラテメエ!」
――そうか。言われてみれば、以前の先輩たちとの模擬戦でも葵さんはリゲルを一対一の状況で圧倒していた。……今回と同じく強化も使わずに。となればその技量の高さは自ずと窺い知れる。俺と似たようなことを考えたのか――。
「……」
「まあしかし、あの人は無理は言わないんじゃないか?」
難しい顔をして黙り込んでしまっているフィアと俺とに。リゲルの掴み掛かりを躱しつつ、声を飛ばしてきたジェイン。
「修行の目標として設定したのなら、何か意味があるはずだ。――あくまで僕の推測だが」
「……そうですよね。葵さんなら――」
「まあ……」
そうか。具体的な考えの浮かばないまま、それでも希望だけは残されたような気持でいる――。
「……はぁ」
俺の耳に届いた溜め息。視線を動かして、郭が俺を見ていたのだろうことに気が付く。何やら仕方がないと言ったような、半分非難の混ざったような目付きを一瞬向けて。
「――ちょっと付き合ってくれませんか? 食べ終わった後で良いので」
「――なにするつもりだ?」
食休みを終えて。暗い中庭にまで出てきた郭に着いて、俺も芝生の上へと出る。暗闇に包まれた夜風は心地良いというよりは肌寒いほど。すぐに終わるということで三人を帰していたが……。
「――構えて下さい」
「えっ」
いきなりの宣告。訊き返しに答える間もなく、肩を突いた衝撃に倒れこむ。――尻餅を付き。
「つッ――⁉」
「鈍い反応ですね」
空気の弾丸。肩口で弾けたそれを放っただろう郭は微動だにせず、起き上がる俺を待っている。
「構えて下さい。――【一刀一閃】の構えを」
何かを伝えようとしてくれているのか? いつも以上に憮然とした態度を訝りながらも、俺が終月を構えた――。
「ッ⁉」
――直後、目の前にまで接近してきている郭の姿に不意を突かれる。いつの間に⁉
「――ッ」
考える間もなく目の前の体躯から繰り出された意外なほど鋭い蹴り。――だが同時にそこは俺の間合いでもある。落ち着いて蹴りの軌道から身体をずらし、前へ。このまま【一刀一閃】を放てば。
それで――。
「――!」
難なく迎撃できる。そう思った刀身が届く直前で、水面に映った影の如くに消え失せる郭の姿。――幻。
「――ほら」
初めからそうだったのか。以前にジェインが使っていたものと似た術法。相手がいなくなって一挙に開けた視界には誰も見えず、背後から聞こえてきた声に――。
「ッ⁉」
「またそんな中途半端な振り方をする」
振り返りつつ距離を取ろうとした瞬間、低く身を屈めた郭に足を払われる。――ッ正確だが威力はない。よろめきつつも踏み止まり、再び正眼に構えを取った。……追撃はない。
「――守ってばかりではどうにもなりませんよ」
既に立ち上がっていた郭は、俺の体勢が整うのを待ったまま佇立しているだけ。俺の視線の先で目を細めて。
「自分から攻めなくては。――構えを」
再度。促されて腰だめに構えた直後に、一つの踏み込みからあり得ないほどの速度で急接近してきた郭。芝生を波打たせる烈風――風系魔術を用いての加速。その理解から一瞬遅れて終月を振るい出すが。
「ッ――⁉」
「――それが貴方の全力なんですか?」
間に合えと力を込めて走らせた刀身が、予想外の方向に渦巻いた風圧に巻き取られる。小さく、しかし凄まじい風速で以て捻転した気流は、放すまいと刀を握りしめた俺の身体そのものをも回転させ、数回の天地逆転ののち──。
「ぐ……ッ!」
「あの魔女との戦いの時も、先ほども、今も」
背中から強く地面に打ち付けられた俺に、投げられる言葉。見下ろしながら立っている郭。宵闇の中でも鋭い光を放つ眼差しと一語一語刻み付けるようなその台詞が、立ち上がろうとした俺の動きを青い芝生に縫い付けている……。
「貴方は力を制限しましたね。刀を振るう手を、意図的に途中で鈍らせている」
「――ッ」
「僕が気付いていないとでも? 葵さんだって気付いていますよ」
指摘されて思わず目を丸くした俺に、明らかな嗤いの意図を込めて郭の口角が釣り上がった。……声に。
「前にも言ったはずです。――貴方のような弱者は、死ぬ気でやらなければ届かない」
交じるのは苛立ちだ。自分の立場を、力量を理解していない者に対する、真剣な。
「それでは何も変わらないんですよ。貴方自身の力が上がった分、相手方の警戒は増している。貴方が本気にならなければ、手に入れたその呪具も修行の成果も何の意味も持ちはしない。ただ擦り切れて終わるだけです。そんなことを――」
問いかけてくる瞳。……嫌でも分かる。郭が今までにないほどに、本気で俺を見ているということが。
「貴方は望んでいるんですか? ああまでして戦う用意をしてきて、本当に?」
「……俺は」
その気迫に応えようとして、言葉が出てこないことに声を詰まらせる。……声が出せない。破れない沈黙の時間……。
「……決まりませんか」
「……」
瞳に浮かぶのは失望だ。その圧し掛かるような色をいつまでも見ていることができずに、合わせていた目を逸らした。
「まあ、いつまでもそうやってグズグズ悩んでいても良いですがね」
足が動き。郭の影が頭上から消えたのと同時、俺を包んでいた圧力が消える。
「貴方が死にたいのなら。周囲にその分の負担を強いることを良しと思うならですが」
服に付いた草を払い。立ち上がった俺を見ている郭の目から、心情は読み取れない。直後に――。
「――自分で決めるんですよ」
届いた声は厳しく、しかし決して冷たくはないものだった。
「貴方の戦い方ですから。それ以上、僕から言えることはありません」
振り返り去っていく郭の後姿を目端に。……土を口にしたような、苦い味が広がってきているのが分かった。




