第九節 務め
「――賢王」
賑やかな夕飯を終えて。全員が各々の方角へ散ったのち、立ち去り際に声をかけた郭の所作に、前を行く賢王が振り返る。
「しつこいことです。嫉妬深い女は嫌われますよ」
「違います」
舌戦の応酬に持ち込もうとする賢王の言。それを一弾指の間も与える事無く切り捨てて、郭は端的に用件を告げた。
「カタストさんのことについてです。僕が訊きたいのは」
「ああ。先の食事時も、その話題で持ちきりでしたね」
サラリと流される。切り込むような語調を心掛けたつもりだったのだが、迎える賢王の顔は涼しいもの。淀みの一つも有りはしない。
「【神聖の支配者】の開花に加え、補佐官との修行でも順調に力を伸ばしている様子。実に頼もしいことです。仲間として喜ばしく思いますよ」
「思っていることは本当にそれだけなんですか?」
続く詰問にも何のことやらという表情。これ以上ないほどに明快な言葉をぶつける他ないと断じて。
「――エリティスの屋敷でおこったあれは、魔力暴発などではない」
自らの考えをぶつけるまでに至った郭。受けた賢王は、それでもなおやはり涼しげだ。
「これは異なことを言いますね。――先日貴女自身がそう言ったばかり」
おかしなことをと言わんばかりに向けられた目つき。含み笑うように。
「補佐官と私とも同意見。現にこうして支配級の適性が目覚めるに至っている以上、今更何を疑うと?」
「――貴女のその態度ですよ」
魔術に関する知識。理屈に従って考えれば、郭とてその判断に異を唱えるつもりはない。だからこそ葵はその判断を下している。だが。
「賢王と言いながら貴女には分かりやすい癖がありますね。本当のことを言いたくないとき、必ずまず決まって話の矛先を逸らそうとする」
突きつける根拠はブラフ。僅かな揺らぎでも生まれればと、その一縷の望みに賭けながら言葉を紡ぎ出す。矢継ぎ早に。
「前にカタストさんがセイレスを退けた時もそうでした。カタストさんについて何か知ってるんじゃないですか? もしそうなら、それを黙っていることは――」
「――私の意見は、既に詳らかにしたはずですが」
畳みかけた言葉たち。息継ぎの間を縫ってそれを差し止めるのは、冷ややかな声。
「協力者への非難。賢者見習いともあろう者が、随分と勝手な憶測に従うものですね。学園の件でまだ懲りていないとは」
驚きました――と。そう言って賢王は端正な笑みを浮かべる。あくまでも話す気はないという、それは会話の終わりを告げるサイン。
「この状況下で私がこちら側の益にならない選択をするなどあり得ないでしょうに。協会の賢者見習いとは、そんなことも分からぬほどに愚昧なのですか?」
「……」
「全く、余計な時間を取らされましたね」
黙る郭を置いて去っていく賢王。……その後を追うことはしない。訊き出す算段がない以上、仮に追ったとしてもそれは無駄な努力だと言えた。現状はこれ以上致し方ない。
「……」
だが一方で分かったこともある。賢王の意図。自分の予想通り何かを隠しているとしても、それは此方側にとって有利に働く隠蔽。少なくとも賢王自身はそう判断していると。……今は。
「……ふぅ」
それで満足しておくしかない。リスクを大事なく踏み越えられたことを感じて、郭は小さく息を吐いた。
「――」
葵の放つ水流。それを受け止めるのは輝き眩い――少女の繰る神聖の盾。
「――反応を早く」
「は、はいっ!」
指示を飛ばすと同時に更なる水流を走らせる。先ほどよりも速度を増した二撃の水刃は、間髪入れず展開された二つの障壁の前に飛沫となって散らされた。
――支配者の適性への慣れは順調だ。
「――」
葵の予想通りに。いや、予想以上に早く扱いを覚えている。フィア・カタストの熱意は衰えを見せることなく、寧ろこの形式になって以来、その熱は更に増しているようにも葵には思えていた。そのわけを具に分析してみることは、年長者として少々躊躇われたが――。
〝――いいですか、葵〟
こうして指導をしていると思い出す。……自らの生家。古い畳と木の香りに満ちていた、あの家のこと。
〝貴女は櫻御門家の当主となるのですから、それに相応しい作法を身に付けなければなりません。先人たちの築いた家名と術理を背負う者として〟
〝はい。御婆様〟
唯一の肉親であり、師でもあった祖母から度あるごとに繰り返し口にされた台詞。その都度粛々として、畏まった態度で葵は答えた。
その言葉が好意から来るものであることは分かっていた。だから嫌ではなかった。私は櫻御門家に生まれた。ならば、そういうことなのだろう。
お婆様もお母様もそうしてきた。そこに私という一人が加わるだけ。それだけのことなのだと――。
〝――ご息女ですか?〟
正しき作法のように決まりきった日々の中で――聞き慣れない声を耳にしたのは、葵が齢十二の頃。
〝ええ。――葵〟
忘れもしない。呼ばれるまま祖母の所へ行った葵。見慣れた姿と共に縁側に立っていたのは、見たこともない一人の男性。……壮年の。
〝御挨拶しなさい〟
〝……こんにちは〟
〝こんにちは〟
挨拶を躱す。言われるままに作法を守って頭を下げたものの、男の正体は分からない。相当の年長者だろう相手に対し、子どもである自分から名を尋ねるのも躊躇われ。
〝こちらは式家の当主〟
祖母が紹介してくれたことに、葵は心の中でほっと息を吐いた。
〝式秋光殿。魔術協会に於いて、ゆくゆくは四賢者となるお方です〟
〝――それは気が早いことです。彩羽殿〟
祖母の紹介を受けて男は少し困ったように笑う。
〝今の私はあくまでも代理に過ぎません。四賢者に就任できるかどうかは、また別の話ですから〟
――変わった人だ。
どこか暖かくて、柔らかい。それでいてしっかりした芯のようなものを感じる。不思議な……。
〝さ、修行に戻りなさい〟
〝――はい。お婆さま〟
祖母からそう言われてその場を去った後も。その日会った人の印象が、心の内から消えなかった。それから二年。
〝……貴女の熱意には負けました〟
〝ありがとうございます。お婆さま〟
頼みを聞き入れてくれた祖母に向けて葵は丁寧に頭を下げる。……魔導学術院への入学、延いてはその後における魔術協会での活動。我ながら大層な無理難題だとは思ったが、初めて見せる葵の頑固さに祖母も戸惑い、遂には音を上げたようだった。
〝しかし協会の門を叩く以上、櫻御門家の名に恥じない振る舞いをするのですよ〟
〝――はい〟
それからは祖母の協力も得、支度を整えて葵は魔導院に入学した。寮の一室を与えられ、そこに荷物を広げる。
――もう一度、会ってみたい。
ただそれだけの動機だった。相手は四賢者代理。会うにもせめて本山員でなければ難しい。初めての授業に出、家との違いに多々戸惑いながらも、目標を持って勉学に励んだ。多忙な日々。会えるのはまだ先の事。
〝――この度、式秋光様が学術院の視察に来るらしい〟
そう思い込んで疑わなかったある日に、教師から突然そのことを聞かされたのだ。
〝明日の二時限目だ。皆、失礼のないようにな〟
告げられた内容に否応なく高鳴る期待。授業終わりに葵が取り組んだのは、これまでに自身が習い覚えた術理術式の総復習。彼の前で披露するつもりで、眠りに落ちる最後の瞬間まで段取りを確認する。待ち切れない明日を胸に――。
――そして葵は、確かに会った。
式秋光と。……彼の弟子である、三千風零とに。
「あっ――」
「……そこまで」
回想の中断。魔力の持続がぶれ、緩んだ障壁を水流が突き破ったところで止めを掛ける。
「一度休憩を挟みましょう」
「は、はい」
助かったというような感じで強張っていた肩を降ろすフィア・カタスト。真面目な性格のせいか、修行時でさえ少々気負いがちな性質は必ずしも好ましいとは言えないものの、今のところはプラスに働いている。
「……」
腰を下ろすフィアの姿を見ながら葵は思う。……やはり悪くはない。
支配者の適性に目覚めた所以か、それともこれまでの修練で培われた土台のせいか。葵の目からしてもフィア・カタストの成長は目覚ましいと言える域に達していた。治癒や障壁といった系統は元より得意としていたとはいえ、この短期間で神聖属性のそれらに加え両属性の強化魔術を会得、習熟。術全体の効力も上げられている。単体で敵を倒すことこそできないが、支援役として見た場合は総じて優秀。そこらの本山員と比べても遜色ない力量があるだろう。
「ハアッ……ハッ……!」
「こちらも休憩にしましょうか。切りも良いですし」
困憊を見て取った郭が言う。……青年の方もまた、中々だ。
フィア・カタストのそれと違って些か分かり辛くはあるが。努力量では負けず劣らず。丁寧とは言い難い郭の指導に文句一つ言うことなく着いていっている。フィア・カタストほど急激な伸びは見られないものの、それでもその努力には葵とて見るべきところがあり、自分たちの置かれた状況を振り返って見れば、そのことは喜ばしいことに違いない。
……ただ。
「……」
そのひた向きな姿を見ている度、思うこと。
あの日以来、葵には分からなくなる時があるのだ。……自分が何のためにここにいるのか。
滅世に抗う為、補佐官としての義務、秋光の遺志を継ぐこと。探し出そうと思えば動機は簡単に思い浮かべることができる。誤魔化しなどではなく、それらがここにいる事情の一つになっていることも歴とした事実。そのことは確かだ。
――しかし。
「……」
思い返してみれば。自分の本来の動機とは、それらにはなかったのではないか?
目の前にいるこの二人のような。……熱意とひた向きさを支える動機が、自分には、もう。
「……貴女たちは」
閉ざしていた唇を上下に開く。零れ落ちたような声が届いたのは近く、振り返る少女に一瞬、【心眼】の異能を発動しようかとして思い留まる。
「どうしてここまで、努力しているのですか?」
――死なないために、ということは勿論のことあるだろう。
滅世が成れば全てが無に帰す。それを避けるため。……だがもしそうだとすれば、その姿勢は否応なく強迫的なものになるはず。
二人の態度からはそれが感じられない。どこまでも前を向いているような態度を前にして、それが葵の訊きたいことだった。唐突な質問に戸惑っている気配を感じつつも、ただひたすらに答えを待つ葵に。
「……強くなりたいんです」
届いた第一声は、かつて葵の元に尋ねてきた時と同じもの。
「誰かが傷付かないよう、守れるくらいに」
「……なぜですか?」
「それは――」
更に一歩踏み込んだ問い掛けに少し言葉に詰まる。傍にいる青年に視線を遣り、聞き取られないようにか、少し小声で。
「……黄泉示さんたちと、これからも一緒にいたいですから」
「……」
……そうか。
はにかむように言われたその言葉。……同じなのだ。
この少女と、かつての自分が望んだこととは。誰かの傍にいたいがために、力を磨く……。
〝……熱情にて時代は移りゆく〟
初めて自分の思いを押し通したあの日。退室する葵が障子を閉じようとした中途、祖母の零した言葉を葵は思い出す。
〝そういうことなのでしょう。櫻御門の行く末を決めるのは、葵、貴女なのですから〟
あの時には分かっても分からなかった言葉。そのとき葵には分かった気がした。……自分のすべきこととは。
ここにいる後代たちが。彼らが己の意志を通せるように、教えていくことではないのだろうか?
ならば――。
「……この訓練の目標を言っておきます」
これはきっと、必要な事柄であるはずだ。
「――私から円環を使わずに一本を奪うこと」
生まれたその確信に導かれるようにして、自身を見る二人へと葵は告げた。
「それが貴方たちの目指すべき、目標です」




